砂漠は過酷な環境だ。
人に優しくない。
昼は40から50℃を超える熱線に、夜は氷点下になるのこともある。
大気の乾燥が、熱の滞留を許さないのだ。
そんなものが人に適しているわけがない。
次に乾き。
湖や川がそこらにあるわけではない。だから高温の中、失った水分はそのまま命につながる。
動けば汗はダラダラと流れ、命の塩分も立ち消えていく。
命のない、乾いた砂に無意味に垂れ流されていく。
地形も危険だ。
砂の海と称するほど、何も目印がなく、同じような景色が続く世界は想像以上に方向を見失いやすい。突風で巻き起こった砂嵐の中なんかではもう、朝に出た家を見つけることはできなくなるだろう。
砂の大海原で遭難だ。水も飲めない。
『あとは、魔物だよ。クソどもだ』
「はぁ」
ざっざっ、と地面を踏み締める、ぐるぐると頭に布を巻いた狼獣人が言った。同じような格好をした、薄い茶髪の青年は目を細める。遠くでは、高温で地面や世界がゆらゆらと波打つように見えた。
太陽は天頂を少し過ぎたあたり。
ポタリと雫が顎を伝って、赤い砂を一滴黒くした。
狼獣人は口を開いて言う。
『引き返すなら、今だぜ、ナヨナヨの優男。クソミミズまではあと一時間以上歩くが、街に引き返すなら40分で行けるだろう』
「かえり、ません。戦います! ぼくも!」
むん、と青年は自分の腕を示す。
狼獣人は大きな口をばかりと開けて、かかか、と笑った。得物は長剣。使い込まれた擦り減った柄を持っていた。
『そぅかい。じゃ、まずは生きて帰らねぇとな』
だが剣よりも目につくのは、彼の体の半分ほどもある大きな焼き物の容器だ。壺のような形をした、多少粗悪なそれは、入り口が石で蓋をされていてチャポチャポと音を立てていた。同じようなものを運んでいる者はそれなりにいる。なんでも、アルタニャの指示らしい。
ルークが行軍の真ん中で観察していると、すすすと近づくスラリとした影があった。
『ほら、若葉。口に含みなさいな。摂ってきてないのは知ってるのよ』
エルフの、片耳が無い女性だ。彼女はニコリとしながら白いカケラをルークに手渡す。青年が躊躇いもなく口に入れると彼女は少し驚いたように眉を上げて、丸くなった目で“呆れた”と笑った。粒の正体は塩の欠片だった。
『食べづらかったら、少し炙る? 火種くらいしか起こせないけれど』
彼女は指先にパチパチと火を踊らせた。火力はそこそこ。だが小さい。魔術ではあるが、ルークの知らない体系。威力自体はあんまりなく、敵を焼いたりは出来ないと出発前に彼女は笑っていた。
道なき砂漠を歩くのは15人ほどの集団だ。誰もが薄汚れた格好をして、隷属民の証の首輪やら焼印やらを付けていた。アルタニャの兵士たち。戦うことと引き換えに、自由のない労役を免除された隷属民たち。
「あつ……」
太陽の日差しは皮膚を刺す無数の針のようだ。
白い服で吸収を抑えて、直射日光を防がなくてはならない。呼吸のたびに入ってくる空気は熱を持っていて、息苦しかった。
『大丈夫かぁ』
「……! はイ! ダイジョブです!」
横にいた片腕の男が声をかける。ルークは勢いをつけて頷く。
今回の任務は、ルーク達の背後にあるミルシットの街が進行方向にぶち当たるサンドワームの討伐だった。
全長が100メートルを超える魔物は、それだけで街に突っ込めば数百人単位で人死が出る。だから彼らが派遣された。
『はっ、よくもまぁ、こんな使い捨ての場所にやって来るもんだ。物好きだねぇ』
片目に大きな傷が入った、耳の長い女がハスキーな声で笑った。彼女の背中に装備された木製の固定具がカチャカチャと音を立てる。よくよく見ると、それは大弓を分割したものだった。
そう、彼らは先遣隊。
街の兵士がサンドワームと戦うまでに、いかに消耗させられるかの存在。
「みんな、えらい。だから、ぼくも、ちから、貸します」
『偉い? 違ぇな! これしか道がないからやるだけさ! 街中で顎で使われるクソみたいな数十年か、街の外でクソみたいな魔物と戦って終わる一年間かのな!』
髪を短く切りそろえた、刺青が腕に入った男が吠える。
ちなみに、この一年というのは隷属の立場から解放される時間ではない。大抵が一年足らずで魔物にやられてしまうからの言い回しだった。
『だから、一山当ててやるのさ』
当然、討伐の先遣隊は危険を伴う立場だが、人を集めなければならない。ので、餌がある。それが褒賞だ。魔物討伐で活躍すれば、街の神殿から褒賞が下賜される。そうでなくても参加して、ちゃんと戦っていれば酒や煙草、その他の嗜好品は手に入るのだ。隷属民としては破格の対応と言えた。
『あぁ、早く帰って一杯やりてぇ』
さっきの男がわなわなと手を前に出して震えた。
ルークは片眉を上げて見るのみだ。
と、その時。ルークの背後でふぁあと気の抜ける声が聞こえた。青年が振り返ると、うねった黒髪に、艶のない黒曜石のような瞳。無精髭、中年のアルタニャだった。服装はこの中でいちばんの軽装で、まるで散歩に行くかのような格好だった。
だが、よく見れば砂と熱の対策はきちんとされており、軽量化を狙ってのものだと分かる。
彼は腰に大きな湾曲した大鉈を装備している。
彼はまたあくびをして、前を歩きながら眠たそうに見ていた。
『よぉ、ヒヨッ子。お前、偉い別嬪連れてるじゃねぇか』
そんな風に観察していたルークの脇を突く感触に青年は振り返る。すぐ横には顎の一部を金属で保護している男がいた。髪はざっくらばんに伸ばしていて、くすんだ赤色をしていた。
「べっ、ぴん?」
何のことかわからず、ルークは聞き返す。
男は顎をガチガチと鳴らして、声を抑えながら叫ぶという器用な芸当を見せた。
『マブイってとこだよ。美人、あぁ、ほらあそこだよ! あんな氷みてぇな女初めてだ!』
興奮したように話す彼の視線の先には、ルークと同じく討伐隊に同行することになったアスナヴァの後ろ姿があった。
『なんで、あんな別嬪がお前みてぇなヤツに付いてるのか知らねぇがよ』
ルークはポリポリと頬をかく。
なんとなく、悪気はないだろうがそれなりの対応をされていることは分かる。だから青年は困ったような顔で応じるのだ。
「ああ、たしかに、アスナヴァ、とても綺麗。あ、えと、ソウですね。……
『だろ、だろ!? なぁ、どこまでやったんだ? なぁ、なぁ。俺にも少し──』
ルークには彼の言葉の正確な意味は分からない。だが、その態度と、微かに理解できる言葉、ルーク自身軍という組織にいた経験から何を言っているのか理解していた。
「すこし──」
だからこそ、スッと目が細められる。いつも春の穏やかな日差しのような視線が冬の朝のように冷たい光を宿す。
仲良くする、譲歩する、と全てを受け入れることは違うのだ。特に、ルークにとって大事な人となっているアスナヴァへの侮辱的な内容なら尚更。
「ことばが、だめですよ」
と、青年。
金属顎の男はぴく、と震えて、冷や汗をかいた。
続けてルークが言おうとした瞬間。
ずずん、と世界が揺れた。
『ほっほぉ! おうら、奴さんのお出ましだァ、散れ、散れェ!』
否、揺れたのはルークたちの周囲の地面である。砂が跳ね上げられた太鼓の上にあるように飛び上がり、視界が赤茶色の煙に包まれる。その間も地面を揺らす振動は続き、一瞬収まったかと感じた1秒後。
『うぉおぉぉぉっ!?』
若い誰かが叫んだ。
爆発する大量の砂と共に出現する大質量の薄桃色の壁。
『Gu Gu Gu』
直径7メートルの大壁が唸る。可聴域を超えた音はもはや振動としか認識できず、鼓膜どころか体表の産毛を震わせた。
砂埃に涙目になりながら、ルークは周囲を見渡す。退避の号令のおかげで、飲み込まれた者は居ないようだ。周囲にばらばらと円状に散らばり、サンドワームはルークの手前、20メートルほどの位置にいた。
『こっちだ、走れィ!』
アルタニャの声は響く。
戦場という雑音が多い環境でも通るように“調律”されているのだ。
アルタニャ本人がやった。必要だと思うからそこら辺にある道具で喉を弄った。だから彼は普段、酒灼けのような声をしている。
『ヤティヤ! ラチカァ! ミミズ野郎を引っ掻けよぉ、……いまッ!』
砂埃とサンドワームが飛び出る轟音と振動の中、アルタニャは長い両手を指揮者のように振り、今、の合図でぶんと下ろした。すると、すでに彼の事前指示で所定についていた二人の槍使いとボロボロの風体をした剣士がサンドワームの腹の下からずん、と剣を突き立てる。
『GU GU GASAAA!!』
鼓膜を破るような大音声。
切り裂かれたワームの肌色をした皮膚からどぱりと透明な白く濁った液体が吹き出して砂漠の砂に染み込んだ。
これで、一手。
離脱し始めた剣士たちはアルタニャの方へ駆けていく。こうして一群はアルタニャが指し示したほうに集結しながら走っていた。
『アパスニ、セイテァは
ぜいぜいと走りながら、汗をかきながらアルタニャは獰猛に笑い、息継ぎの合間に指示を出す。ルークがそちらを見れば、
『そしたら、残ってるやつは走んぞぉ! クソミミズの前をちょろちょろ走って気を引けぇい!』
指示が飛ぶ。
ルークも動こうとした時、アルタニャと目が合った。
黒曜石のような、艶のない深い目と。輝いていないのに、ギラギラと何処までも飲み込んでいくような闇をした目と。
彼は口角から唾を飛ばしながら叫んだ。
『
はい、とルークはまだ完全には慣れない砂の上を走り出す。サンドワームは怒り狂って、二十メートルほどを地表に露出させて、アルタニャたちを追いかけていた。まるで教会の塔が迫ってくるようだ。ルークはサンドワームの左後方からその一団に合流する。
『わはは、はしれ、疾走れェ!』
うぉぉ、と隷属民たちは両手を振って走る。
先頭に立つのはアルタニャだ。
走る奴隷たちと、それを追いかけるサンドワーム。両者の距離は五十メートルない程度。
だが、迫り来るのはバカでかい巨体のせいで遠近感が狂って、すぐそばのように感じられる。ルークは一度振り返ってひどく後悔した。
サンドワームは1秒間に七.五メートルほどを進む。時速で表すと毎時間27キロ。一般の人間なら全力疾走の速さだ。
「これ、よこ、にどいたほうが、いい! では!?」
『オウとも、だがぁ──お前に作戦伝えなかったのが悪かった、なぁっ!』
ごめん、とアルタニャは走りながら顔だけルークに振り返り、ゴメンと更に手でジェスチャーをした。そのあんまりにもふざけたような、緊張感にそぐわない態度にルークも面くらい、言葉が引っ込む。
『あとで、説明してやっから、よぉ!』
灼熱の中の運動で、汗をだらだらと流し、息を荒らげて、それでも尚、楽しそうに砂漠の
『来てるか!』
びりりと震える声。
アルタニャが前を向きながら後ろに尋ねると、殿の位置にいた若い男が叫び返した。
『はい! 全員と、クソミミズが!』
『ヨォシ!』
ずずん、と地面が揺れる。
サンドワームが吠える。牙がガチガチとぶつかり合う音がまるで大きな金属同士がぶつかる工房のような、生物が発するには可笑しい規模の音で、ルークは冷や汗をかいた。
『さぁ、こっからは楽しい楽しい──
禿鷲が笑う。
背後から大質量が迫ってくる。
捕まったら丸呑み人生終わりの、追いかけっこが始まった。
◆
『そこ、十歩行ったら岩を右ぃ』
砂が飛ぶ。
足を取られながらひたすら動かす。
『あそこの砂丘で斜め左上に走り抜けろぉい』
走り続けて3分経過。
依然背後では大蚯蚓が洞窟のような大口を開けて迫ってて来ている。
『あと5秒後に、直角に右だ。……3、……2、……1……いまっ』
その先頭を走るのはアルタニャ。
彼の指示で10人の隊列は右に曲がったり、左に曲がったりして、それをサンドワームが追いかける。
アスナヴァは別働隊に加わった。だからこの場で走っている勇者パーティはルークだけだ。
『六つ呼吸したら少し丘になるぞ、ふんばれよぉ』
食いつかれたら死ぬからな、とアルタニャのぎざぎざした指示の声が飛ぶ。ルークは目に入る塩っ辛い汗に瞬きを繰り返しながら、一体どこに向かっているんだと思った。
『はい、左ぃ!』
アルタニャの指示は迷いがないが、不規則だ。
右に行ったり、左に行ったり、丘になっている部分をわざわざ斜めに下ったり。砂漠に明確な矢印や方向を保証するものは少ない。だからこの男は適当に指示を出しているのではないか、とルークは思い始めていた。
『あと2分だ。たえろよぉ……はい、ここで切り返せぇ』
ざっ、と地面を擦りながら斜め左下に方向転換。サンドワームの下をスレスレで通っての逃避行。
なぜ真っ直ぐ行かずに、わざわざ体力消費の激しい方向の切り返しをやるのか、とルークが今までの進行方向に目を凝らしたとき。気がついた。
『さそり、ね』
抜剣状態で、手の中にあるカランコエが震える。
そう、ルークたちが直進していたであろう先には、犇く薄緑の甲殻。大蠍の巣だ。あのまま突っ込んでいたら毒やら針やらで酷い目に遭っただろう。そして、ルークは思考が繋がって、さっき意味のないジグザグに下ったと思った数メートル規模の丘を見た。すると、ルークたちが避けた場所に足を取られる岩が露出していたり、窪地があったり。とにかく走るのに邪魔なものがあった。
『よし、あともう少しで楽園だぞ、着いてこないやつはミミズ野郎のランチだ、じゃーな!』
ルークは気がつき、冷や汗を流した。
アルタニャ。彼は指示を出しながらのせいか、ぜいぜい走っている、とくに身体能力自体は飛び抜けて高くはなさそうな男。
地味に見える。だが、凄まじい。
曲がりなりにも戦いに慣れているルークだからこそ戦慄した。
何が優れているかといえば、“目”だ。もっと言えば“視点”が優れている。
『あ、と……百歩ォ!』
アルタニャは全ての地形、人の配置を先読み、理解して、最適なルートを
──これはルーク達が知らない事だが、アルタニャは周囲の景色を俯瞰するように見ることが出来る能力の持ち主だった。だが、彼に備わった天賦の才はこれではない。
『い、く、ぞぉぉ、あそこの
『GU GU GUUUUUU!!!』
サンドワームが十五メートル地点を切る。すぐそこに口が迫る。生暖かい息が背後から吹きつけてくる。
『A A AAAAA!!!』
あたりが一際強く揺れて、足が一瞬浮く。サンドワームが勢いをつけて飛び込んできたのだ。残りの距離が潰れていく。
『とび、こめぇぇぇ!』
アルタニャが汗をびっしょりかきながら、ニヤと笑い叫ぶ。
サンドワームが地面の砂ごと、自慢の口で大きく開けて飲み飲む。だが、直前で四方に散ったアルタニャ達に被害はない。
『
ぜいぜいと息を荒らげ、蚯蚓野郎の動きのせいで高く積まれた砂の上立ち、逆光を背負ってアルタニャは目のないミミズを見下ろした。
『引き絞れぃ』
『あい』
彼のすぐそばには、片耳のないエルフ。
構えられた弓矢はギチギチと音を立てて先端だけが微かに
砂漠の禿鷹。
アルタニャの恐ろしさとは。
『GU GUUUGUGUGUGU!!』
『おー、おー、お怒りだ。肉だと思って喰ったら固〜い壺でお怒りだ』
リスクを理解し、正しく評価し、計算し。
その、すべてを載せて、賭けに出られること。
『だがよ、そんなに大口あけちゃ、ダメだぜ』
策を、立てられること。
相手を殺す道筋を、明確に立てられること。
『狙って、放て』
──なぜ、アルタニャたちがわざわざ脆い壺に入れて液体を輸送したのか。
『GU GU UUU?』
『さぁー…………』
それは、割らせるため。中の液体をミミズの口で割らせて、混ぜ合わせるため。
アルタニャがその特権を存分に活かし運んだ二種類の液体が混合し、発生するのは可燃性ガス。
補助剤の支燃性ガスはそこらにある気体。サンドワームがなんども咀嚼して混ざって用意されている。
そして着火源は──
『てっ』
ぱしゅう、と音を立てて火矢が飛ぶ。
森人の卓越した狙撃技術で、サンドワームからしたら火花よりも小さな火が飛ぶ。
『はい、おわり』
その矢が、大蚯蚓の口の中のガスに触れて。
体内に満ちた気体に引火して。
『GU──ッ!! 』
大爆発。
くぐもった音は、内部から発生した行き場のない衝撃がサンドワームの内臓をズタズタに破壊した音。外部からの衝撃には強く、大きな魔物でも内部器官を直接爆破されてしまえばひとたまりもない。
『g……G……a……』
口から煙を吹き出し、直立した状態でびくびくと震えていた薄桃色の壁は。
ぴく、と最後に動いて地響きを引き起こしながらゆっくりと赤い砂の上に倒れた。
ずずんと衝撃が足を伝ってやってくる。
砂埃が舞い、アルタニャはくっくっくと笑った。
『これにて、クソミミズの討伐、完済なり』
◆
『よぅし、撤収だ撤収。あぁ、疲れた』
酒が飲みたい、とグチグチ言いながらアルタニャは伸びをする。少し離れたところには体内から爆殺された大蚯蚓の死骸が生々しいモニュメントのように転がっていた。
『…………』
彼ら一行の活躍劇に、ルークは白い剣を抜剣したまま固まったままだった。
こんなにスムーズに、統率された動きをするのは軍隊でも珍しい。散兵のような動きをしておいて、全体として一つの意思の元統一されていたのだ。
だからルークは思わず、戦いが終わったことを飲み込まず、取り残された戦場出たての兵士のように傍目ではポカンとしていたのだ。
『よぉう、カル・ハキ。お疲れさまだな。よく生き残ったよ、その貧弱そうなナリでよ』
ポンと狼獣人の男が肩を叩いて、縄を担いで去っていった。
ルークは突然のことで何も言えず固まったままだった。
『おつされさまー、新人クン。驚いちゃったかな? ウフフ、オネーサン、君が生き残って頑張ってたの見てたよー』
カッコよかったぞ、と壺を設置していたクリリとした目の猫獣人の女性がルークの肩をまた叩く。
青年は、ああ、はい、と気の抜けたような生返事を返す。
彼女は『これからこれから! 落ち込まないで!』とルークの頭を撫でて、槍を担いで去っていった。
少し遠くでは、わいわいとアルタニャ一行が手慣れた様子で帰り支度をしていた。
『それで』
周囲に人がいなくなってから、手の中の剣が震える。
カランコエはいつもの平坦な声で言った。
『いきようようと、出ていったあなたは、なにをしたの?』
「えっ!?」
剣を握り、走っただけ。
出る幕は無かった。
当然、ルークが動かなくてよいならそれに越したことはない。彼もそれは理解している。
誰も危機的状況に陥ることなく終わったのだから。
喜ばしい。喜ばしいのだが、ルークとて一人の青年。
だが、先陣を切るなんて決意をしていったのに、特に何もしていないなんて。
『ねぇ、ねぇ』
僕やったりますよ、見ててください、なんてドヤ顔で言って、結局何もしないで終わったなんて。
おまけに何人かにはちょっと荒っぽく声をかけれる始末。それが、かえって“あからさまな慰めや励ましは可哀想だし、尊重してあげよ”という意識の表れである事も理解して、余計にルークは口をつぐむのだ。
──うんうん、分かるよ。男の子だもんね。
──わかる、分かる。大丈夫、ダイジョーブ。
そんな副音声が、生暖かい視線とともに聞こえてくるのだ。
ちなみに、ルークを誘った狼獣人とは別の、声をかけてくれた彼ら彼女らはルークが嫌がるようだったら止めていた。けれど、思ったより青年がやる気だったので、ま、いいかと連れてきたのだ。
『ねぇ、どんなきもちなの? ねぇ』
分かっててやっている魔女の揶揄い。立つ瀬が無くなった青年は、顔を真っ赤にして何も言い返せず、ぷるぷると震えるのだった。
『ねえってば』
少なくとも。
勇者ルークが戦わなくて、今日の彼女は非常に楽しそうにくすくすと笑うのだった。
◆
『あー、おっかねぇ、おっかねぇ』
戦闘が終わって十数分も経ったころ。
服についた砂を払い、壺の欠片も売れるからと広い集めさせながら、アルタニャは呟いた。
『ミミズ、やっぱデカいですもんね。慣れねぇすわ』
『ん? ……あぁ、そうだよな』
すると近くにいた若めの男が顔を上げて反応する。中年に差し掛かるといった所のアルタニャは、走った体力を回復させるために皮袋から水を飲みながら、瞬きをした。
『やっぱ、
『おめぇ、そりゃ、そうだろ』
ニカッと悪気なく笑う青年に、アルタニャは苦い顔をして答える。それに満足したのか青年はまた、地面に散らばった欠片やら、サンドワームが思ったより勢いよく突っ込んだせいで散らばった矢尻だとかを拾い集める作業に戻った。
(あー、おっかないおっかない)
アルタニャは口許に垂れた水をぐい、と拭いながら目を細める。
その鋭い視線の先には、オロオロと何か手伝えることは無いかと所在なさげにしている、小麦のパンみたいな髪色の青年。
(予想外の、マークされてないクソミミズの出現もそうだが、あの神官の嬢ちゃんは一体
アルタニャの視線の先で、青年は防具の予備が入った木箱を運ぶ女性陣を手伝おうとしてあしらわれ、肩を落としている。
アルタニャはジッと、数十メートルは離れた所から青年を見て──
ぐりん、と彼の同じくらい薄い、平凡な色の瞳と目が合った。
温度のない、観察する平坦な目。その目はすぐに逸らされて、また情けなくも別の作業の手伝いを求めて動き出したが。
『──ハハアッ』
汗を一つ垂らしながら、歯を剥き出す。
アルタニャは知っている。あれと同じ目をするやつは、殺し合いや凄惨な地獄が日常の一部になってるやつだ。見る時に偽装はしていた。ジッと見ていることがバレないように視線を散らしたり、周辺視野で見るなど、常人に対してでは意味のないような過剰な小細工を。
それを易々と突破して、視線に気がついた。
『
アルタニャは嗤う。
事前察知が出来なかった魔物の出現、変な違う言葉を喋る異邦人の到来。
この砂漠に。
何かが起きている。
だが、それ以上他アルタニャの心臓を突き動かすのは──
『おもしろそーだナァ』
あの、未知数の戦力。
欲しいかも、と囁く、自分の勘。
確実に、今までの中で最高峰に強力な駒に。
それを自在に動かせたら、どれだけの事が出来るのか。
それを想像し、けけけ、と笑うのだ。
彼が目指すのはただ一つ。
あの、街の中心にいる大巫覡。掃き溜めの地から、天におわす、尊きその存在だけだ。
『……親分、また悪だくみですかぁ?』
『違ェよ、子供にゃ分からん事だ』
『あー、またそうやって誤魔化す。いつか寝首をかかれますからね。そうやって策士ぶって死んだヤツいっぱい居ますから』
こうして。
緊急の砂漠の大蚯蚓戦は。
『…………お前ェ、俺にそれ言うかァ?』
完勝で幕を閉じたのだった。
『
▼ 討伐完了!