おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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68話 はてしない憧憬

 

 

 

 

 

 サンドワーム討伐戦の夜。

 

 傭兵待機所と呼ばれる、ルークの知る冒険者ギルドのような場所は、オレンジの灯りで満たされ、熱気が渦巻いていた。

 

『さぁ、飲め、飲めぇ! 今日()宴だぁ!』

 

 真っ白な毛並みの狼獣人の男が既に出来上がった様子で、素焼きの、赤みがかったコップを掲げた。10個ほどあるテーブル席は雑多な格好をした者たちが同じように顔を赤くして酒瓶を掲げている。

 三十人は超えるだろうか。大盛況である。

 

 テーブルの上には香辛料のたっぷり効いた肉料理や、所々サラダのような果物の皿もあった。だがもっぱらつまみ用だ。

 

『そこで俺があのクソミミズの腹を掻っ切ってやったんだよ!』

 

 嘘つけよ、嘘じゃねぇよと声が続く。

 誰かが大声で、自身の剣を掲げながら叫ぶ。

 

 ははは、と笑い声が上がった。

 やんややんやと囃し立てる声が続いて、剣を掲げた男が何かをガシャンと倒した。酒が掛かったのだろう。小人の男が怒って皿を投げつけた。

 

『刃が欠けちまったよ、修理無理だろこれ』

 

『自分でやれよ』

 

『出来ねぇって』

 

 そんな風にどこもかしこも騒がしく、時々質の悪い素焼きのコップが飛んでは割れる音がした。がちゃん、と誰かがテーブルの上に立ち、歌い出す。聞き覚えのない、独特なリズムの陽気な音楽だった。何処からか取り出した笛が鳴った。手作りの、不揃いのリズムが響く。

 

 

 そんな中、ルーク達といえば。

 サンドワーム戦で活躍のなかったルーク。しかし、その日の晩の宴には参加していた。というか参加させられた。

 ルークの保護者となっているスゥも当然参加の流れになり、神官服ではない、生成り色のゆったりとした上下の服を着て宴の会場に、すこし身体を小さくして座っていた。

 

怪我はないですか?(Janchiman usuchjatax utjiti?)

 

 スゥが聞けば、薄い茶髪の青年は微笑んで頷いた。

 

 現在彼らは宴の、一番端の席に陣取っている。スゥはルークの対面、壁際。シュンカは椅子代わりの木枠に革を貼ったものに前脚を揃えて座り、カジカジと肉料理を食べていた。

 

 異邦人の青年は口元は笑っているが、少し眉を下げて騒ぎを見守っていた。端的にいえば疲れているような表情をしていた。

 スゥはちびちびと、薄められた果実水を飲みながら目の前の青年の表情を伺う。

 

「あ、2階まで登ってる。すごいなぁ」

 

 上を見上げながら言う表情は、やはり少し翳りがあるように見える。

 具体的にいえば、目元、だろうか。沈んでいる人は目元によく現れる。スゥは人の顔色をよく観察するから知っていた。

 

(でも、まぁ、当然だよね)

 

 スゥは思う。彼は砂漠の、安全など微塵もない戦闘をしたのだから。あまり前に出なかったというが、掛かった負荷は相当なはずだ。命のやり取りは身体と心にダメージになる。スゥは黙って、スッと新しい果実水を青年のとりやすい位置に置いておいた。出来れば、口当たりがさっぱりしたやつを選んで。

 

「ほら、食べろ。取ってきたぞ」

 

 その時、すっと聞こえてきたのは通りがいい、水晶が響くような声。

 ひやりとしていて、透き通っている迷いのない声だった。

 

「あ、ありがとうございますアスナヴァさん」

 

 人混みを掻き分けてやって来た銀髪の麗人は、人が多いことによる熱気のせいか、髪をひとまとめにして皿を持ってやって来た。何人かに絡まれながらだが、彼女はうまいことあしらっている。

 そうしてことりと皿がルーク達のいるテーブルに置かれた。それだけで、地味な色合いの傷だらけの木製テーブルは華やかになった。

 

「わぁ、いいですね、これ」

 

 皿の中身は芋類をマッシュにしたものにオレンジがかったソースが絡んでいる一口大の肉だ。すこし塩辛く、スパイスが効いていて、酒によく合う。

 

「騒がしいな、ここは」

 

 ルークに皿を渡しながら席についた彼女はキョロキョロとあたりを見渡して言った。建物内の、火を使った照明はゆらゆらと影を揺らし、その中で彼女は透き通る石のように浮いていた。

 

大丈夫ですか?(Waliktati)

 

 アスナヴァの様子が気に掛かり、スゥがクリーム色の髪をすこし揺らしながら眉を下げて訊ねた。この雰囲気や、言葉の通じない世界。目が醒めるほどの異国の風貌を持った彼女が心細くはないかという心配だった。

 

「ん? あぁ、大丈夫だ」

 

 そんな彼女は、見渡していた視線をテーブルに戻し、スゥの心配そうな表情に気がつく。言葉は通じていないが完璧な返答だった。アスナヴァは、彼女にしては珍しく、素直に表情を緩めてスゥの髪を撫でた。

 

「大丈夫さ。──ただ」

 

『Ukampisa?』

 

 水晶のように、綺麗なすこしクセのある髪をした麗人は遠い目をした。

 遠くにある星空を眺めるような、遠いところを見る目。そんな目で彼女はこの乱痴気騒ぎを見ていた。スゥは異国の彼女の横顔を見上げる。アスナヴァはふっと表情を緩めて、呟いた。

 

「懐かしいと、そう思うだけさ」

 

 

 

『…………』

 

 

 

 

 スゥは何も言えない。

 ただ、横にいる女性がとんでもなく大人びているように、いや実際に大人なのだが、とにかくスゥにはとても貴重なものに思えた。

 

「アスナヴァさん」

 

「心配するな。大事に持っているだけさ」

 

 話を横で静かに聞いていたルークがひとこと、特に表情も作らずにいえば、アスナヴァもまた、気負った風ではなく、自然に返していた。

 

 アスナヴァはすこし目を細めて、宴会の様子を見る。

 場所も言語も人も違うお祝いの場。だが、人がいるという点では同じだ。

 

 アスナヴァの耳にはきっと、過去の、かつての仲間たちの声が今も聞こえるのだろう。ルークは彼女の、時々瞬かれる睫毛を見ていた。

 

「それに」、と銀の麗人は、話題を変えるように声のトーンをすこし変えて、しなやかな指を顎に当てて、机の上で手を支えにしてつぶやいた。ルークはキョトンとして顔を向けた。アスナヴァは、水晶のような瞳に、ルークを映して目尻を下げた。

 

「君たちがいる」

 

「──はい、居ますよ。ずっと」

 

 ルークも笑って、目を閉じて肯定の意を示した。

 アスナヴァも特に返事は期待してないだろう。また喧騒がうるさくなった。

 

 彼女の小隊は戻ってこない。ルーク達では決して、もう居なくなってしまった人たちの代替にはなれない。

 

 それはひどく現実的で、非情で。同時に優しい事でもあるのだろう。ルークは思う。

 

 人はみんなそうだ。それぞれの人生があって、それぞれの道筋を辿って、最後にはアスナヴァの前にいた。

 代わりはいない。帰ってはこない。ルークは彼らの代わりにはなれない。穴は埋まらない。

 

「なんだ?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

 それでも彼女はここにいる。

 ルーク達と共に歩調を合わせて、新しい道を歩いてくれている。

 

 凄い人だ、とルークは思う。

 彼女の、こういう姿がルークはとても好きだった。

 強くしなやかで、前を見て歩いている。憧れるような白さだ。

 

「食べますか? アスナヴァさんが持ってきてくれた奴ですけど」

 

「ああ、いただこう」

 

 だから。

 ルークはそんな人と出来るなら一緒に、同じ方を見て歩きたくて、前を向ける時もあるのだ。

 

 ルークはおもむろにコップに近くの酒瓶から酒を注いで、1人で空に掲げた。

 

 背景の声が強くなる。

 酒ですこし視界が歪む。オレンジの光がゆらゆら揺れる。

 

 宴は続く。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

『あぁん? もっぺん言ってみやがれ!』

 

『だから、お前はいつも口だけだって言ってんだ』

 

『上等だ、オラ、やるぞ!』

 

 しばらくルーク達が、食べ物に舌鼓を打ったり、スゥと会話の練習をして過ごしていたころ。

 近くのテーブルから強めの怒鳴り声が聞こえてきた。

 

『あっ、おい、テメェやりやがったな!』

 

『さきにやったのは、そっちだろう……がっ!」

 

 ガキャンという音。

 テーブルに1人の男が宙を短時間、慣性のまま飛んで、当然のごとく墜落した音だった。

 

 そして、その余波でルークたちのテーブルに怒号と共にナイフと匙がクルクルと回転して飛んできた。

 

 どうやら近くの食器が吹き飛んできたらしい。シュンカの位置に当たりそうなそれを、青年はコップで酒を飲みながら、ピッと空中で止めて、そのまま匙の方をアンダスローで投げ返した。ナイフは丁寧に机に置く。喧嘩の片方からは『いてぇ』と声が上がった。

 

『あっ、あ、ありがとうございます、ルークさま』

 

「あ、いや。怪我なくて良かった」

 

 慌てたように、ぺこりと頭を下げる霞色の子龍に、青年は力の抜けた笑顔で応えた。しかしすぐ自重気味に遠くを見ながら、ふっと息を漏らした。

 

「……ま、でも僕はこんな事でしか活躍出来ないけどね……」

 

 ネガティヴである。

 女神の加護がなくなってから、ルークはすっかりこんな調子だった。

 別段、普段の行動に支障はないのだが、まだまだショックは回復しきっていない様だ。

 

 シュンカはぴ! と鳴いて翼を広げる。

 

『そんなことはごさいませんよ! ルークさまはいつも丁寧でお優しいです』

 

 特にわたしの頭を撫でてくださる時とか! と、あわよくばを浮かばせながらシュンカが頭を差し出しながら弁明する。

 だがルークは気が付かないようで、シュンカの言葉に感激したように机に突っ伏して両腕で顔を覆った。

 

「ありがとう……うっ、うっ……」

 

 そうして流れるように泣き始めた。酒が入っている。

 

「重症だな」

 

 アスナヴァは呆れたように呟いた。カランコエは剣で寝ていて我関せず。

 麗人はルークの前に置かれていたコップを見て、ひょい、と離れた場所に置いた。

 

「おなか、すいた」

 

 そう言って青年は、涙目のまま顔を上げる。目の前のコップが無くなっていることも気が付かずに、机に置かれた料理を食べようと、横にあったナイフでもそもそと食べ始めた。

 

『えぇ……』

 

 これにスゥはすこし、丁寧さを忘れて声を漏らす。

 ルークが使っていたのは、さっき飛んできたナイフだったから。

 

 もともとそんなに切れ味もない食事用のナイフである。当たっても痛いくらいで済む。

 だけどスゥが驚いたのは、明らかに凹んでいるオーラで口数も少なかった青年が、飛んできた食器を投げ返すという、一連の動作を澱みなく躊躇いもなく行なった事である。

 

 カオス。

 現場は混沌を極め、中央の大テーブルではアルタニャが大きな酒の入った(かめ)を掲げ、一気に飲み干すところだった。上半身は脱いでいる。スゥは汚いものを見るように半目になった。我が家の静かさが懐かしい。こんな所来たこともなかった。

 

『あらぁ? みーつけた』

 

 その時、すこし近い位置から声が聞こえてきた。

 ちょっとびっくりしてスゥが目を向けると、近くにいたのは砂漠のような、紅い髪を持った猫の獣人の女性だった。顔の骨格などは人に近く、美人と評されるような人だ。昼間の討伐戦に参加していたらしい。彼女はルークの方を見ていた。

 

『そんな隅のほうにいて、こっち来る〜?』

 

 彼女はコップを片手に、するりと距離を詰め、俯いて黙々と料理を食べるルークの横に座った。青年は酒が入ってるのか、はたまたネガティヴが表に出ているのか気がついていない。相手に敵意がない限り、ルークはあんまり反応しないのだ。

 

『飲んでる〜? 新人クン』

 

 相手の輪郭を撫でるような、甘い声。

 彼女は猫の獣人らしく、からだをくねらせ、しなを作って、エメラルドのような瞳を細めた。

 

『アタシが飲ませてあげよっか』

 

 彼女はそこで言葉を切り、反応の鈍いルークに、悪戯な、だがどこか妖しさのある笑みでスッと耳に顔を近づけた。

 そして至近距離でねぶるように、ぞわりとする声で囁く。

 

『──ちょく、せつ……ね?』

 

「……うぇっ!?」

 

 それまでの酔いから来る眠気も一瞬で吹き飛んだように、ルークは目をまんまるに見開き、肩を跳ねさせる。そして横を見て、耳を押さえて、固まった。それを見て猫獣人の彼女はけらけらと大笑いをして両手を打った。

 

『アハハー! 真っ赤になっちゃって! カーワイー!』

 

 揶揄われている。それが分かったルークは、顔の火照りを感じながら何かを言おうとして、体をビクとさせて口を閉じた。

 ルークの腰に付けた白い短剣がパチパチと弾けるのだ。

 猫獣人の彼女は、ルークのリアクションがとても気に入ったらしく、さらに椅子を近づけた。

 

『どっから来たの?』

 

「え、と。みどり、おおいとこ、です。みどり、おおい」

 

 悲しいかな。

 魔物には怯まないルークも、経験がない事は苦手だ。

 特にこんな時とか。

 

 青年ルークはタジタジと、目線をあっちにやったりこっちにやったり、汗をかきながら辿々しく説明する。それがまた彼女を喜ばせたようで、猫獣人は『へぇ〜』と相槌を打ちながら、そのたびにルークに近づいていた。

 

「あ、アスナヴァさぁん……」

 

 もう密着するほど近くなった猫獣人の方を向けず、固まったルークは眉を下げて、自分でも情けないと思う声で正面に座る女性に助けを求めた。

 一連のやり取りを遠巻きに見るように、1人で酒をちびちびと飲んでいたアスナヴァは、形のいい眉を片方、ちょっとだけあげて“驚いた”といったような表情をした。

 

「おや、もう私にそんな反応は見せてくれないのに。横の彼女には大盤振る舞いなんだな。悲しいよ、私は」

 

 思いもよらない返答。

 アスナヴァはそれだけ言うと、またすぐにふい、と視線を逸らして晩酌に戻った。つまみの赤茶色の豆もちゃっかり確保している。

 

「ちょ、ちょっと! え、え!? 助けてくれない感じですか!」

 

 麗人の答えにしばらくフリーズしていたルークも状況に気がつく。孤立無援である。そして顔を青ざめさせ、あわあわとした。下手に動けない。動いたら横の彼女に当たる。色々と。

 

「アスナヴァ、さん……あの、どうか……」

 

「あぁ、心が張り裂けそうだ。君がこんな浮気性だとは」

 

 横の猫獣人の女性はルークとアスナヴァのやり取りをカラカラと笑いながら楽しそうにしている。そして自分の役割がわかっているように、更にルークに体を近づけさせた。青年が身を捩ってなんとか逃れようとするが、横は壁だ。逃げ場はない。

 

「あの、アスナヴァさん! 違いますって! 分かってやってるでしょ……そうだった! この人そういう人だった!!」

 

 必死に懇願するルークだが、無視を決め込むように別の方向を見ているアスナヴァの口許がすこし緩んでいるのを見て、叫ぶように言った。

 

 猫獣人の女性はこれ幸いとルークの髪を撫で始め、青年はもうピクリとも動けなくなり、腰の短剣は不気味に沈黙しているし、酒は頭に回っているし。なんだかいい匂いはするし。

 

『ルークさま、あ、あっ、ルークさま! いまシュンカが行きますからね!』

 

 霞色の龍はバサバサと翼を羽ばたかせ、割って入る隙を探している。

 自分より年下の女の子に心配されるという情けない状況で、事態は更に混乱していった。

 

 

 こうして夜は更けていく。

 砂漠の夜は。賑やかな笑い声と、それどころじゃない青年のか細い悲鳴とともに。

 

 

『せぁーっ!!』

 

「あっ、シュンカちゃん!? シュンカちゃーん!?」

 

 

 今だけは。

 勇者も、ルークも関係なく、ただ騒ぎに巻き込まれる様に、身を委ねていた。

 短剣の魔女がくすくすと、勇者の知らないところで笑っていた。

 それはそれとして、あとで青年にはあの情けない態度を詰ってやろうとも。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 かくして、サンドワーム戦にて出番のなかったルーク。

 だが、その出番は思ったよりも早く来ることとなる。

 

 

 血と暴力の匂い。

 ルークのいる世界の匂いが。

 

 

 

 

 

 

 

 魔王は、そこにいる。

 世界は、そこにある。

 

 

 

 

 

 

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