おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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70話 砂漠戦線異常なし

 

 

 

 

 

 

 時は現代。

 

 窓の外から日差しが、石造りの狭い室内を照らしている中。

 

「もー、お師匠さま、ちゃんと掃除してよー……」

 

 焦茶色の髪を三つ編みにして、少女が机に頬杖をついてぶつくさと呟いた。

 彼女の後ろには箒が立てかけられていて、雑巾が床に落ちていた。いかにも掃除途中といった具合。

 

 日光に照らされた埃がキラキラと舞って、部屋の中を漂っていた。少し狭い、本だらけの書斎。真ん中に机、両脇に本棚、あとは地面にも本、本。

 

 そんな中、彼女はテーブルに一冊の本を広げて、眺めていた。さっき、右の本棚の埃を落としている時に気になって抜き出した一冊であった。

 いわゆる掃除途中で気になるものが出て来て止まるアレである。

 

「んー」

 

 彼女が見ているのは、とある砂漠地方の歴史書だった。

 古ぼけた硬い表紙に、掠れた文字がある。

 何故この本を本棚から抜き取って見ているか、と問われれば、明確に言葉にすることはできない。ただ、なんとなくだ。色合いとか、置き場所とか、背表紙のわずかな装飾とか。そういうのが気になっただけ。

 

 彼女はページをぱらぱらとめくっていくと、本にはどうやら何百年も前の魔王について書かれているらしい。とある地方を襲った魔王の話。

 この本には、何百年も前の当時の記録者と、その他の補助的な資料が後世の人の手によってまとめ直されているものだ。とはいっても書かれた時期は何十年も前だが。

 

「へぇー、なんか、すごいヤツがいたんだ」

 

 本には魔王の出現から──まで。日付と、場所、会戦時期などが書かれていた。

 何百年も前の記録にしては驚異的なほどキチンとしておる。少女はどこか、ヘンに上から目線で感心しながら目を動かした。

 

 窓の外で黄色い蝶々が飛んでいる。

 彼女はまたページをめくる。

 

 暇、だったわけではない。

 そもそも彼女は魔術の師匠に言いつけられていた掃除の途中でもあったし、宿題も残っている。

 だが、内容を読む目は止まらない。

 

 やらなきゃいけないことがある時ほど、全く関係のないものが突然楽しくなってくるものだ。

 

「魔王の姿は、とても、威容、豪奢な……ずいぶん詳細だなぁ」

 

 そんな風に内容を見ていく。が、どこか遠い国の出来事でしかなかった。遠い時代の、遠い国の誰かが戦っている。ときどきどっちがどっちかわからなくなりそうになるくらい、本の中の敵も味方も登場人物とインクの文字でしかなかった。

 

「なんでこんな歴史の本がここに?」

 

 彼女はふと疑問に顔を上げる。

 壁に外の蔦の影がゆらゆら揺れていた。

 

 彼女の師匠は蒐集癖がある。だが、それもやたらめったらなものではなく、貴重なものや重要なものを選んで集めるある程度の法則性があるものだ。

 大抵は実用性が第一で集められている。

 だからこの古ぼけた歴史書もそれなりのものだと思うが、それが分からない。見た感じ、ただの歴史書のようなのだ。

 

 

 詳細な出来事を流し読みし、パラパラとめくる。

 そして最後の方にある、被害状況の欄に目を止めた。

 

 被害、兵士5642人。

 駱駝、85頭。家屋、25、城門41ヶ所、食糧庫、五つ。

 槍、七千四百二十本、剣、鎧、異邦人1人。

 

 ふむ? と彼女は唇に人差し指を当てた。

 何か、ヘンだ。

 

 任された掃除すらサボり、本に気を取られているような彼女だが、魔術の才能はある。基礎知識を理解する力と、集中力。そして一つの物事に没頭する演算力。

 

 それで、本を読んで感じた違和感を探すように前に行ったり戻ったりをページを跨ぎながら繰り返した。

 

 そして気づく。

 この、被害状況の最後にある人。異邦人。わざわざ書いてあるのだ。外からの人、その街の住民ではない者、ながれびと。

 本にはこう書かれていた。

 

この者、数日前に街を訪れた。

その後、戦いに参加し、◽️◽️にて◽️◽️し、◽️◽️◽️となり没。

 

 彼女はへぇ、と読んで不思議に思った。

 

「なぁんで、こんな戦いに命かけたんだろ」

 

 変なの、と過去の人物を思い浮かべる。

 

 命なんて大事なものを、たった数日立ち寄っただけの街のために差し出すのか。

 

 どういう流れでこの人物が戦いに参加することになったのか、なぜ最期まで戦っていたのか。

 

 これまた、なんとなく。

 なんとなく、気になって、彼女はまた、ぱらりと流し読みしていたページを遡って読み返した。

 

 外では鳥が飛んでいた。

 

 

 

 ◆

 

紀元前 212年 五月二十七日

ミルシット郊外にて、魔王の都市を確認。

初期発見は都市の防護隊の偵察によるもの。

 

以下、時系列順に羅列していく。

 

午後五つの鐘ごろ(現代の15時過ぎ)、未知の存在を第二隊の兵士が望遠により確認。上級部隊へ報告。

六つの鐘ごろ(現代の16時ごろ? 諸説あり)、近隣の魔物駆除のために出動していた隷属民部隊が帰還。魔王と呼ばれる存在と接触したと報告。

 

報告者は隷属民筆頭のアルタニャ。

彼はそのままの脚で大巫覡*1に面会することとなる。

 

 

 

 

 

 ◆

 

『だから、通せっ! 緊急事態だったてんだ!』

 

 街に急ぎ帰ったアルタニャ達は、傭兵待機所で装備を脱ぎ捨て、街の中央にある神殿に詰めかけていた。

 身体についた砂を軽く拭った程度、身なりは戦闘後だ。

 

『ダメだ! 隷属民が神殿に入れるとでも!?』

 

 だが、鎧をつけた陽光教の門番に止められる。低くなった太陽の熱がジリジリと道ゆく人を焼く中、アルタニャは唾を飛ばす勢いでさらに声を大きくした。

 

『だ、か、らぁ! 相手がどんなか伝えなきゃならねぇんだって! 上級神官と合わせろ!』

 

『ならぬ、そんなもの通るわけがないだろう!』

 

 アルタニャについて来たのは、ルークとアスナヴァ、そしてシュンカ。他の隷属民たちはここから徒歩15分くらいの位置にある待機所にて待っていた。曰く、親分に任せる、と。とにかく先の大蠍討伐が疲れたらしい。革袋の水をがぶがぶと飲みながら、装備を着たまんま椅子に溶けるようにダラけていた。

 

 こうして隷属民の代表として、それなりに行動の制限が取り払われているアルタニャがやって来たのだが、取りつく島もない門番の男に、“あ゛ー”と頭をかく。睨み合う門番と、黒髪のアルタニャ。その横を重装備の十人ほどの兵士が駆け抜けていった。ガチャガチャと鎧同士が擦れ合う音が道に響いていた。

 街の一番大きな神殿の入り口は、大通りに面しているので行き交う人の姿がよく見えるのだ。

 

『ありゃあ……』

 

 と走る兵士の一団を見てアルタニャが呟けば、門番の男はすこし屈んで、ヘルムのような顔全体を覆う装備からくぐもった声で囁くように告げた。

 

『実はな、街の離れたところにとてつもない敵が現れたらしい。だからどこもてんてこ舞いだ』

 

 お前も早く逃げる準備をしろ、と言って門番の男はアルタニャを面倒そうに追い払った。ちなみに、既に街の兵士が既に動き始めていることにルークはひどく感心していた。対応がかなり早いのだ。ルークたちが現場で魔王と邂逅してから、帰還まで数時間。その間に、先に街側で相手を観測して対応を開始していた。

 

『戦うのはどうせ、正規の兵士たちなんだ、他はジャマになるから逃げてな』

 

 だが、とアルタニャは思う。逃げるといったって、何処に逃げるというのだ。一番近くの街までは、移動に一週間はかかる。それも、あの危険な砂漠を渡って、だ。この砂漠は基本的に人の生存に適していないのだ。

 

『あのなぁ──』

 

 アルタニャは出来の悪い生徒に説明するように、指を一本立てて言った。ちょうどその時。

 後ろの神殿の門から装飾の多い神官服の初老の男が慌てて走って来た。門番の男は相手の姿を見て、それまでの姿勢を一気にピッと正し、慇懃な様子になる。初老の男は息を切らしながら、ちょいちょいと門番を手招きして、耳打ちをした。

 

『なっ』

 

 門番の男は黙って、すこし躊躇いがちに打ち明け話を初老の男から聞いていたが、いきなり驚いたように声を上げ、アルタニャの方を見た。

 黒髪の無精髭の中年、アルタニャは頭上に? マークを浮かべ、自分がなぜ見られているのか分からない表情を浮かべる。

 

 そして話が終わったのか、初老の男が門番のそばから離れる。門番の男は信じられないかのようにアルタニャと豪華な神官服の男とを視線を行き来させ、口を開いても言葉にならないでいた。

 

 門番の男と目があった神官は力強く頷く。

 

『いそぎ、連れてまいれ』

 

 そして彼はまた走り帰っていった。

 その場に取り残された門番の男は何かを悩むように2秒ほど俯いたが、すぐさま姿勢を元に戻し、アルタニャに向き合った。

 

『そこの男。着いてこい』

 

 急に変わった対応に、アルタニャは訝しげに声を漏らす。だが、通常なら面会すら叶わない15人しかいない上級神官と面会が叶うなら好都合だと思い至った。

 

『よし、お前も来い』

 

 アルタニャはルーク達にもちょいちょいと着いてくるようにジェスチャーをする。茶髪の青年は頷いて、アルタニャの後に続いた。そうして街で一番大きな神殿の門を潜ったのである。

 門は、沈み始めた夕陽で赤く染まり始めて、果実のような色に染まっていた。

 

『しっかし、まさか上級神官サマと会えるなんてな』と先頭を歩く門番の男についていきながらアルタニャが言う。

 すると突然門番の男はピタリと止まり、ゆっくりと振り返った。

 

『上級神官じゃない』

 

『は?』

 

『お前がこれから会うのは、上級神官じゃ、ない』

 

 その言葉にアルタニャは、顎が外れんばかりに口を開き、目をまんまるにして叫んだ。

 

『はぁあ? じゃあ、ムダ脚ってことかよ!? この時間のない時に? えぇ?』

 

『違う。いいか、よく聞け。今から会うのは──会えるのは』

 

 

 

 

 

 

『大巫覡さま。この陽光教の最高権力者だ』

 

 

 ◆

 

隷属民が神殿に入る。

これは敵の出現という緊急時に街のトップである教会陣が情報を欲しがったことと、アルタニャという人物の特異な特性によるものであるものの、当時としては隷属民と大巫覡の面会とは極めて異例なことであった。

 

普段、大巫覡は神殿の最奥にある祈りの場にいるのだが、その職務の一つに有力な商人や神官、軍のものと面会や会談をすることも含まれていた。基本的にこれは神殿の中央に位置する、最も大きな空間である託宣の間で行われる。

 

大巫覡と市井のものが面会する場が、この時も用いられた。

この託宣の間は、薄手の布の奥に大巫覡が位置し、相対するものは一段低い場所からとなる。しかしながら、向かい合う二人の距離が僅か十五メートルだったということからも、陽光教が、街近郊に不明な“何か”が出現したことに対して緊急性を抱いていたと理解できだろう。

 

 

 

 ◆

 

 

 アルタニャ達が通された部屋は、神殿の内部。

 窓はなく、二十メートルを超える広い広い空間が広がる場所だった。等間隔に円柱の柱が並び、そこには草の蔓を思わせるレリーフがあった。ルークは城の謁見の間を思い出す。一番それに近いかもしれない。

 天井や壁を、篝火のオレンジ色がぼんやりと照らしていた。

 

『頭を下げろよ』

 

 門番はそれだけ言って、縦に長い空間の入り口で下がった。

 ルーク達は言われた通りに少し進んだ場所で頭を下げる。真ん中にアルタニャ、少し下がった左側にルーク、その後ろにアスナヴァとシュンカが続いている。

 目の前には煌びやかな布が一枚垂れていて、向こう側が影だけわかった。輪郭を縁取るように照明が置かれているらしい。まるで影絵だ。そこに、誰かがやって来たのを下げた頭のまま、ルークは気がついた。

 

『突如出現した、敵についての情報を知っているそうですね』

 

 布の奥から、声が響いた。

 ルークは驚く。その声が、聞いたことのある声だったから。

 

 大巫覡、と呼ばれるこの街と、陽光教のトップの声だった。普段ならば絶対に面会など出来ない相手。具体的に言うならば、スゥなどがこの場にいればひっくり返って泡を吹くような身分差だ。

 

『既に兵は配備を開始しています』

 

 大巫覡は言った。

 兵の配置なんていう、重要な情報をアッサリと言っていいのか、とルークは頭を下げたまま内心で驚くが、アルタニャがその情報を掴んでいない筈がない。

 それを見越してのものだろう。事実、ルークの横にいるアルタニャは、当然といった顔つきで黙っていた。

 ルークは正面の地面に視線を戻す。自身の影がゆらゆらと地面で揺れていた。

 

『さらに情報があれば確実性は増す。話しなさい……あ、いいえ。その前に』

 

 大巫覡の声は独特だ。

 不思議と通る声なのだ。頭の奥にスッと入ってくるような、葉っぱのさざめきのような自然に近い声。

 お香のような、不思議な香りがあたりを包んでいる。

 

 

『よく、戻って来ましたね』

 

 その声を聞いて。

 ルークは俯いたまま、ぎゅうと思い切り右手で右の腿を掴んだ。そして歯も食いしばる。そうじゃないと、溢れ出しそうだったから。

 あの、魔王が言っていたこと。

 この場所はルークの知る時代より800年も前という荒唐無稽な話。そして、いま目の前にいるのが──将来の女神さまだという話。

 

『百人隊長のアルタニャに、そちらの異邦人の青年、淑女、龍種、そして、不思議な気配の彼女。あなた方を存分に労わなければなりませんが、今は火急の時。一刻は万命を争います。情報を』

 

 ルークはそこでアルタニャの正式な称号と地位を知った。

 ルークの横でアルタニャが立ち上がり、まっすぐ前を見据えた。音がよく反響して不思議な空間だった。

 

『はっ、大巫覡様。恐れながら、申し上げさせていただきます』

 

 加えて、何故かカランコエの存在も看破されている。だが、それ以上に彼の胸を埋め尽くしていたのは、ただ一つの気持ちだった。

 

『相手は魔王です』

 

 アルタニャが言う。

 魔王、と大巫覡が繰り返す。黒髪の男は、驚くほどキチンとした所作で一拍置いて顎を軽く引くことで、控えめなを肯定した。

 

『能力は不明。時を操ると口にしていましたが真偽も不明です。そこの青年より、ある地方にはあの魔王に関する伝承があるらしく、内容としては──』

 

 はい、はい、と静かで確かな相槌がアルタニャの説明に挟まれる。澱みない男の灼けたような声と、優しい女性の声が頭を通過する。その声を聞きながら、ルークは呼吸がすこし浅くなって、ずず、と水音を混じらせた。

 懐のカランコエが、小さな震える気配がした。

 

『──というように、相手は巨大な拠点を瞬時に展開できる特性を持っている可能性が高く、合戦になると思われます』

 

『そうですか。それは、たいへんな事になりましたね。ですが、よくやりました。アルタニャ。わたしの言葉で褒めましょう。いい子です』

 

『……もったいなきお言葉』

 

 ルークはやっと、この地方の言語に聞き取りに支障がないくらいに慣れて来てきた。元々、ある程度語彙は知っていたのも大きい。だから、会話には参加せずに、聞いていた。

 そして、心の中でなんどもなんども呟いた。

 

 ああ──

 

 

 

 ああ、そうか、と。

 

 

 そこに──

 

 

 

 

(そこに、居られたのですね──女神さま)

 

 

 初めて勇者になったとき。

 脇腹を抉られて、血の気がどんどん引いていく、危機的状況になった時。生死の境を彷徨った時。朦朧とした意識の中で、聞こえて来た、あの声。

 

 ──聞きなさい、ルーク。もし──

 

 カランコエと出会うよりもっと前。

 幼き平和な日のルークの日常に、突如、記録にない魔王がやって来て、児戯みたいに暴れていって。家族がみんな動かなくなって、血の匂いがして、ルークの世界が壊れて。

 家族に庇われた彼は、狭い物置に隠された。

 悲鳴が、ごぼごぼという悲鳴と、肉が千切れる音が、耳にこびりつき。

 

 一人生き残った彼は、半ば半狂乱になりながら、両親の肉体を貪るゾンビたちに無謀に敵に突っ込むことを決意した。

 当然、戦闘の心得などない。

 事実、相手に三歩近づいただけで押し倒されて、喰われかけた。そんな死ぬしかなかった哀れな魂を。

 

 ──もし、あなたが、望むのなら。このまま終わりたくないと足掻くなら

 

 誰にも見向きもされず、完済すら出来ないはずだった復讐劇を、見つけて、慈しんでくれた存在がいた。

 

 ──あなたの気持ちに相応しい加護を与えましょう

 

 母親が少し前まで握っていた果物ナイフを持って向かってくる知り合いだったもの達。魔王によって作り替えられた悍ましきゾンビたち。姉だったナニカ。

 口の端から血の混じった涎を垂らす存在に喉を食い切られる瞬間、死の運命から救ってくれた、感謝しても仕切れない慈悲の声。

 

 ──死んではいけません。どうか。若いまま、死んではいけません

 

 それが、どれだけありがたかったか。

 力を貸してくれたことじゃない。決して、それが一番じゃない。

 みんな死んで、一人ぼっちになったと絶望していた心に、暖かく声を掛けてくれた事がなによりありがたかった。泣きたくなるくらいに。

 

 ちっぽけな、ただの煉瓦職人の息子でしかなかった少年ルークを、何の利益があって救う? 

 力もない、才能もない、ただの死にかけの子供を、天におわす女神が気にかける理由がどこにある? そんな事をしてなんの得になる? 

 

 ──どうか、どうか。生きることを諦めないで

 

 掠れな声で、はい、と返事をしたことを今も覚えている。

 あの女神さまは、損得抜きに、ルークの命を救ってくれた。

 

 事態を打開する力を持った勇者ルークにしてくれた。

 だからルークはそれに必死に報いようとしたのだ。

 

 

 

 

『なるほど。事態は把握しました。では、アルタニャ。あなたがた隷属の民は数が少ない。避難の準備をしておきなさい。ここからは軍で対応します』

 

『はっ』

 

 懐かしい声がする。

 ルークは頭を下げたまま目をギュッと瞑る。

 

 もう、会えないのではないかと思っていた。

 見放されてしまったのかと思っていた。この、小さな命ひとつにすら真剣になって、親身になって、力を与えて立ち上がらせてくれるどうしようもなく優しい神を失望させてしまったのかと思っていた。

 

 だが、違った。

 

(そこに、……ずっと)

 

 そうやって、人として。

 ルークの前に居る。

 

『では、決戦は三日後。それまでに街の重要設備を作り替えます』

 

 彼女が言う。

 ルークの知っている声で、肉声を震わせる振動を伴って。

 

『ここで、魔王を迎え打ちましょう』

 

 避難は無理だ。

 緊急時に退避する場所や、近隣の街との連携はあるが、ここまで常識外に急襲してくる存在は考えていない。

 街の住民をすべて街から逃がすには水も食料も、移動速度も足りない。途中で万単位の死人が出る。

 故に、迎撃する。

 

 あなたはどこに避難しますか、と話をふられる。

 布の奥で、大巫覡の瞳がルークを捉えている事を彼は知っていた。

 だから、青年は立ち上がった。

 

「わたしは──」

 

 言いたいことは、いっぱいあった。

 あなたのおかげで、僕は生きているんですよ、だとか。

 いつも見守ってくださってありがとうございます、だとか、魔女と契約しちゃったんですけどそれはちょっと弁明させてください、だとか、ドゥシアー島では本当に、ありがとうございます、だとか。

 

 

 だけど、今じゃない。

 それは800年後に。

 元の時代に戻った時に、答え合わせがされるのだろう。

 

「わたしは、にげません。恩に、むくいます」

 

 魔王と。

 あなたに救われた命で。恩返しを。ずっと続く、恩返しを。

 

『……おや? あなたは外国から来られたのでは? この数日で恩義を感じるほど、良くしてもらったのですか? あなたは旅の心得もあるはず。何人かを連れて逃げて構いませんよ』

 

「しません。この、いのちがある限りは。兵とともにたたかいます」

 

 だってあなたもそうして、無謀な少年を見捨てず助けてくれたから。

 だから、ルークは戦う。見ず知らずの、訪れて間もない街のためであっても。

 それに、言葉も通じない人間を、自分の家に泊めてくれるくらい優しい、カミツレみたいな髪をした神官の子もいる。優しい人がいる。それだけで、戦う理由には十分だった。

 

「ぼくは──」

 

『あなたは?』

 

 変わらずに、あなたの勇者ですから、と。

 

 言葉にはせず。

 しかし、万感の思いを込めて。

 

「ちからに、なりたいですから」

 

 

『……なるほど』

 

 布の奥で、大巫覡が驚いたような声を漏らす。

 珍しい反応のようで、横のアルタニャが微かに動揺する気配があった。

 

 そして布の奥でいくつか装飾品の擦れる、硬質な音が響いて、止まった。

 

『会って間もないのに、心の底から、こんなに信じる気持ちを感じる相手は初めてです。ですから、興味が湧いて来ました』

 

 すっ、と影の手が上がる。右手を垂直に持ち上げている。

 ちゃり、と音がして、影の中で、手のひらくらいの球が浮かび上がった。その数は三つ。魔術か、とルークは思う。球はふよふよと浮いていた。

 

『ここに、三つのものがあります』

 

 影の大巫覡は浮かび上がった一番右の球を指差す。

 

『どんな時でも曲がらない正しさ』指が移動して、真ん中に。『すべてを貫き通す強さ』最後の球に移動し、止まり『誰かを思いやる優しさ』

 

『三つです』

 

 大巫覡は手を元に戻し、正面を向いた。

 そして、自然の中の音のような不思議な声色で問いかけるのだ。

 

『あなたはどれを捨てられますか?』

 

 ルークは目を少し大きくして、突然の問いかけに頭が回りだす。

 なぜ、こんな事を? いや、それは今考えても仕方がない。

 三つのうちどれを捨てられるか? オレンジ色の光が揺れる。

 正しさと、強さと、優しさ。どれを捨てることが出来るか? 

 

 ルークは考える。

 考える。汗が一筋、顎を伝う。

 考える。分からない。どれを、捨てられるか、だと? 

 

 2秒、5秒、と無言の時間が過ぎていく。

 ルークは焦る。ここで出まかせを言っても良いだろう。それっぽいことを言えば、この場は収まる。だが、したくはなかった。きちんと答えたかった。

 

 ルークは考える。

 答えは分からない。間違えたらどうなる? わからない。

 正解はあるのか? わからない。ヒントは今までの会話にあるか? たぶん、ない。

 

 どうする。

 どうする。

 

『さぁ──』

 

 と、その時。

 後ろで微かに身じろぎをする音が聞こえた。咄嗟に首だけで振り返ると、まだ頭を下げたままの銀の麗人と、小さな霞色の龍。

 

 彼女たちがいた。

 そして、腰に剣の形を限りなく殺傷力を低くした形のカランコエが。

 

「……そうか」

 

 ルークは前を向いた。

 もう、迷いはなかった。

 

 

「ぼくが、捨てられるのは、────です」

 

 落ち着いた声が空間に響く。

 すこし無言の間があって、大巫覡は『……それを捨てますか』と呟いた。ルークは“はい”と頷く。

 

 ルークの左手に熱が灯る。

 青年が慌てて手を見ると、大巫覡は静かに言った。

 

『それは“種”です。あなたの答えに由来するものを、芽吹いた時に与えるでしょう』

 

 ああ、とルークは思った。

 事前にアルタニャから聞かされていた話。

 陽光教の大巫覡は、資格あるものに特別な力を与えることがある、と。それはどんな物かは簡単には分からないが、当人の資質に左右される物らしい。そしていつ開花するかも分からないとも。

 

 ルークは左手を見る。手の甲に10センチくらいの見慣れない円形の紋様があった。植物の蔓のようだ。

 

『いつ芽吹くのか、なにが芽吹くのか分かりませんが、窮地のときがもし来た時の、お守りのようなものです』

 

 これが。

 これが、きっと、加護の源流なのだろうと。

 

『どんな花を、咲かせるのでしょうか』

 

 大巫覡は笑った。

 戦いを前に、偶然出会った青年に力の源だけ渡して。

 それがどんな色の花を咲かせるのか楽しみだと言うように。

 

 

 ◆

 

 

 

魔王及び、敵対的な拠点の出現。

これを受け、ミルシット軍は緊急事態を大巫覡に上奏。

大巫覡はこれを承認し、街は戦時の体制に入る。

 

兵の数としては、歩兵が約6,500。

弓兵が約1,400。騎兵が約850。

特別兵のうち工兵が約230。特殊兵が50であった。

 

これで、街を召喚した魔王と渡り合うことを大巫覡は最終的に決断した。

魔王の戦力は不明、主な兵士の構成も不明。

距離はおおよそ一七〇キロ。徐々に接近中。

 

姿形すら分からない敵との、手探りの戦いがぬっとやってきていた。

同日、八つ鐘(18時ごろ)の事であった。

 

 

 

 


 

 

 

その後、サムカの砂地にてミルシット軍と魔王軍、会敵。

これが第一陣の衝突であった。

 

*1
当時の宗教における、上級存在の代理人のようなもの。または代行者。

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