おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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72話 ぼくよ、さらば

 

 

 軍から招集が掛かった。

 

 朝食を終えたルーク達が呼び出された場所は、街の中心地から少し外れた、外に近い場所だった。

 

『あ、来ましたね。こちらです、案内します』

 

 ルークが到着すると、塀の外で一人の軽い装備をつけた兵士が手を振って招いていた。事前に聞いていた案内役だ。ルークは軽く会釈をする。

 

「ありがとう、ございます」

 

『はい、後ろが歩兵隊の本部です。行きましょう』

 

 彼は頭部にはクリーム色の布を巻いて、槍を持って爽やかに笑う。そしてルーク達の人数を素早く数えるときに、後ろにいたアスナヴァと目が合い、数秒間固まった。

 

「あんないを、たのむよ」

 

 若い兵士と目があったことに気がついた彼女は、言う。

 銀髪を布の中にしまい、長い睫毛とまっすぐな真顔で。アスナヴァもまた、ルークほどでは無いが言語をある程度習得してきていたから、受け答えくらいは出来るようになっていた。

 

『あ、……』

 

 異国の、水晶のようであり、スラリと長身の女性からの視線を受けて、若い案内役の兵士は口をぱくぱくさせる。

 やがて彼女の頭の上に乗っていたシュンカがピ! と鳴くと彼は我に返ったように慌てて門の鍵を開けた。

 

『ど、どうぞ! お入りください!』

 

「揶揄っちゃダメですよ、アスナヴァさん」

 

「バレたか」

 

 ルークがボソリと渋い顔で言えば、年上女性は悪戯がバレた子供のように視線を上に投げやりにやった。

 

 こうしてルーク達はミルシット軍の施設の一つに足を踏み入れた。

 入り口の、アーチのある胸くらいの高さの囲いの中からは、掛け声と忙しなく走る足音が聞こえる。軍の施設だ。気温は既に40℃を超えて、頬を汗が伝った。

 

『あつい』

 

 ルークの腰に佩かれているカランコエが不機嫌そうにこぼす。剣でも一応暑さは感じるらしい。

 門の中は、右手に建物があり、ばった大きな砂色をしていて、左手に真っ平らな広場があった。

 

 広場は五十メートルはあるような練兵場だろう。備えた建物は二階建てで、ルーク達は地面の砂をジャリジャリと感じながら案内の兵士に従って歩く。既にブーツは戦闘用の鉄板入りのものを履いていて、頑丈だがひどく暑かった。

 

『執務室まで、案内しますね。私はそこまでです。そこからは、別の者に引き継ぎます』

 

 若い兵士の男は建物の中に、すこしきょろきょろと落ち着かない様子で入り、ルーク達を二階に繋がる階段にうながした。

 ブーツのまま上がったルークは素早く周囲を見渡す。建物に入った瞬間、少し涼しい風が吹いていた。日陰でもあり、体感気温は楽になる。

 

『二階です』

 

 建物は扉がある部屋とない部屋があり、中には書簡のようなものが積まれた棚や、壺が置いてある部屋、中が見えない部屋がいくつかあった。

 

『ぶきは、ないのね。へいしのところなのに』

 

 契約によりルークがどこに意識を向けているのか大体分かるカランコエは、建物の中に武器が一つもない事につまらなそうに言った。青年は苦笑いして、『来客が行ける範囲には置かないよ』と小声で言った。

 

『着きました、この部屋です』

 

 やがて二階の通路の奥の部屋に辿り着き、若い兵士が扉をコンコンと叩いた。向こう側で返事があって、彼が扉を開けると、そのままドアマンのようにルーク達に中に入るよう促した。

 

「こんにちは」

 

 部屋は横に4メートル、奥行きのある長い部屋だった。

 奥に練兵場を見下ろす窓があり、執務用の机と、両側には貴重な紙のような物が入った棚があった。

 

『よく来てくれた。旅の武芸者とはありがたい』

 

 中央にある、やや作りが大きく立派な椅子の横にある、少し小さめの椅子から立ち上がったのは髪の毛を短く刈り込んだ、40過ぎの男だった。

 

 彼は手前にある長椅子にルーク達を勧めると、手元の呼び鈴を鳴らした。

 

『この度は、知ってのことだろうがミルシットの街の外に魔王が出現した。しかも都市を伴って。倒すのに戦力はいくらあっても困らない』

 

 日に焼けた肌と、白に近い色の抜けた髪。オリーブ色の瞳の片方は白く濁って、傷跡があった。きっと見えてはいないのだろう。仕立ての良いシャツの下からは秘められた筋肉が服を押し上げていた。

 

「はい、よろしくおねがいします」

 

 ルークはそう言いながら、軽く右手を胸に当ててソラナム式の敬礼をした。男は堂に入ったルークの仕草に片眉をあげて感心するように鼻を鳴らし、同じように右手を額の端に当てて、スッと反対側までスライドさせた。ミルシット式の敬礼なのだろう。

 

 礼には礼を。

 なるほど、ここも大体ジェスチャーとコミュニケーションの始まりは同じらしいとルークは思った。

 

『うん、あぁ、ほら。座りたまえ。異国の人間には外は暑かっただろう。すぐに茶を持って来させるから』

 

 男は笑う。その、重心がどこまでも低い歴戦を感じさせる立ち姿。

 頬の古傷。二本欠けた指。物腰柔らかな接し方。

 強いな、とルークは思った。指の爪もよく整えられている。

 

『招集に応じていただき、感謝する。私はティフナ・ウィワン。君は、ルクァ、で合っているかな』

 

「ルークです。発音しづらいときは、そのままで」

 

『いや、大丈夫だよ。前に同じような外国の名前の人と会ったことがある。ルク……ルクァ……ルーゥク、よし』

 

 ティフナ・ウィワンは180はありそうな体を、小さめの椅子に押し込んで、口の中で転がすように何度も繰り返した。その様子がなんともコミカルで、耐えきれなかった者がひとり。

 

『ルクァ……ふふ、変なの』

 

 ルークの腰にある剣が、くすくすと笑っている。そんな事を笑うのは失礼なことなので、ルークはダメだよ、と鞘の上から軽くポンと叩いた。

 

『茶が来たら話を始めよう。もう少ししたら下の練兵場で兵たちが陣形の確認のための訓練をするから煩くなるかもしれないが、そこは目を瞑ってくれ』

 

 ティフナは親指を背後の窓に向ける。空気の通り道を作るためか、窓は常に開けっぱなしになっていた。砂が時折入ってくるのがこの都市の特徴だろう。ルークは頬に感じる風を受けながら、瞬きをした。

 

「はい」

 

 ルーク達が呼ばれたのは、ミルシット軍の中でも6割強の数を誇る主力部隊、歩兵隊の建物だ。外部の人間を戦力に加えるなら、ここが良いと判断されたのだろう。

 この建物の奥にある、今いる部屋の主こそ7000人近い人間を率いる将ということになる。

 

「あなたが、歩兵隊の隊長ですか?」

 

 会話が本題に入る前に、ルークは椅子に座りがなら相手の目を見て尋ねた。横に座っているアスナヴァがかすかに身じろぎをする。ティフナはパチクリと目を瞬かせたあと、ふっと口許を緩め笑った。

 

『わはは、私は副官ですよ。隊長は今外に出てまして』

 

 これにルークは驚く。

 ティフナは強い。それこそ、どこかの国の勇者と言っても通じる程度には。

 では、一体、隊長とはどのような人物か、と思っていると、背後でドアが軋んだ。

 

『おぅす、ただいまっ……て、お! 来てたか!』

 

 よく通る声。高い位置。

 ルークが振り返るとそこには、2メートルを超す長身の女性が部屋の扉を()()ところだった。

 

 大きい。

 

 ルークは目を見開く。

 

『隊長! また勝手に訓練に行ってましたね!? 会議があるというのに……』

 

『あ、ゴメン! でも、まぁ、…………うん、言い訳はナシだな! すまん!』

 

 ティフナが立ち上がり詰め寄るが身長差が出来ていた。隊長と呼ばれた女性は、天井に頭がつきそうなほど大きく、夕焼け空に似た色の髪を一つ不思議な編み方にして垂らしていた。

 ラフな、軽い脛当てとシャツだけの姿で部屋の中を悠々と横切っていく。頭の位置は見上げるほど大きかった。

 

『よぅし、アタシが到着、と』

 

 どかりと、部屋の中央にあった座り主の居なかった椅子に腰掛ける。あの大きな椅子は、権力を示すためのものではなかった。単に、()()()の大きさに合わせた結果、そうなっていたのだ。

 彼女はぐるりと首を回し、机で手を組み、真っ直ぐルークたちを見つめた。

 

『で? アンタ強いんだって? この戦いに参加するんだって? 何でだよ、他人の街だろ』

 

 彼女は手足が長い。ルークの頭の位置で彼女の鎖骨くらいだろう。全てのサイズが拡大されたようで、こめかみあたりから後ろに向かって伸びている、木の枝ような角が特徴的だった。

 

『隊長、自己紹介が』

 

 突然の事態に答えをルークが探していると、これを困っていると見たティフナが横から耳打ちをした。彼女はぱっと手を離して口を開けた。

 

『ん? ああ!』

 

 よし、と彼女が頷く。またルークと目が合う。

 琥珀色をした輝かんばかりの瞳が、目の前の尋常ではない人物を表していた。

 部屋の全ての視線が彼女に吸い寄せられる。あらゆる場所に目を散らして情報収集を無意識に行っていたルークの意識がずるずると引き込まれる。すさまじい誘引力だ。

 彼女の琥珀色の瞳が力強く、暴力的なまでにギラギランと輝いた。

 

『アタシがボスだ。このミルシット軍歩兵部隊を統括している。6500人の部下たちの、全ての部隊の長であり、責任者であり──』

 

 部屋の音が消える。

 彼女の大きな声帯から響く振動だけがこの場の支配者だった。

 

『アタシこそが、白兵戦の最も強き“個”だ。まぁ、略して最強とも言う』

 

 ルークは冷や汗をかく。

 だって、彼女の漏れでている気配は気がつけば相手の呼吸が浅くなる類のものだから。威圧感で無意識に周囲を埋め尽くして蹂躙するタイプの存在だから。

 既存のどんな枠組みにも当てはまらない。人間でも獣でも、神でもない。ただ、彼女として存在感が強い。

 

 ルークはこの感覚を知っている。

 

『アタシの名前はギャレヲン。“ねじ曲がる光”のインティ・ギャレヲンとはアタシのことよ』

 

 この、感覚は。肌の毛がぴりぴりと感じる気配は。

 

 

 

 

 この人は、あの北の大英雄。

 グラニオーズヌィ・タポールと同じくらい、強い証拠だった。

 

 

 

『面白い顔してるな。どうだ、アタシと一発やってくか』

 

 

 ルークの反応を分かって、ギャレヲンは楽しそうに、口の端から牙を見せてうっそりと笑った。ルークはすっかり冷や汗をかいてしまって、服が暑さではない理由でびっしょりと濡れていた。それを見たギャレヲンは一層機嫌良さげに笑う。

 

『おい! ティフナ! この男、()()()()()ぞ! ホントの手練れだ!』

 

 バンバンと机を叩きギャレヲンは言う。ティフナは慣れた事なのか、風圧で飛んだ前髪を直しながら頷く。

 

『面白れぇ、く、ふふ』

 

 ギャレヲンは隠すように笑う。

 そして、部屋の空気が緩み始めた瞬間に全ては掻き消えた。

 

『なぁ、聞かせてくれよ』

 

 ギャレヲンの鋭い視線のせいで。

 この場は幾千の針山と同じくらい危険な場所になった。

 カランコエがガタガタと震えて臨戦態勢に入る。武者震いに近い。アスナヴァが腰の細剣に手を伸ばしながらルークを庇うように一歩近づく。シュンカが毛を逆立たせる。

 

『おっほ! ちょいとつついただけで仲間もこの反応! アンタら、死戦を何度も潜ってきたのか! くふふ、いいぞぉ』

 

『隊長、相手は客人ですのでそこらへんに……』

 

 ギャレヲンが盛り上がり、困った顔のティフナが嗜めようとする。

 

 

 

 

『あ?』

 

 

 

 

 だが、ティフナの静止の声は続かなかった。ギャレヲンがドスを効かせて一言言っただけで。それだけであの歴戦の男は黙った。圧倒的な力がそこにはあった。

 

『アタシが試す。アタシが隊長だ。アタシがミルシットの歩兵隊を率いている。力も、作戦も、責任も、ぜんぶアタシが持つ』

 

 それはまるで、言葉の通じる魔物のようで。

 ギャレヲンが長くて大きな指を弾いた。その瞬間、部屋の明度が一段階も二段階も下がって、彼女の指の間に眩い光の塊が生まれた。

 

『アタシが命を背負ってるんだ。アタシが全ての歩兵ども血の源なんだ。口を挟む時を考えろよ、ティフナ』

 

 ギャレヲンの指の間の光の塊は揺らがす、質量を伴ってそこにある。ティフナに向けていた視線はぐるりとルーク達に戻る。巨大生物に見つめられるような息詰まりをルークは感じた。

 

『よし、聞こう。なぁ、アンタ。聞かせてくれよ。なんで戦うんだ? この街のためによ』

 

 それはどんな裁判よりも恐ろしい一問。

 裁判官も検事も、弁護の人間もすべてギャレヲンが担う。

 あらゆる角度から返答を待つ場。

 

 ルークは心臓の音が狂ったように早鐘を打つのを意識的に呼吸を制御する事で嗜めようとした。時間の速度が遅くなったように感じた。そして乾く口を動かして、答えた。

 

「そっちのほうが……」

 

 現場の空気は鉛のようだ。

 ギャレヲンの手元の圧倒的な力を秘めた光の塊だけが、棒状になって存在している。

 全ての視線がルークに注がれて、答えを待つ。ギャレヲンが、ティフナが、アスナヴァが、シュンカが。

 そんな空気の中でルークはぺろと唇を舐めて答えた。

 

 

 

「そっちのほうが、気分がよくなるから、……です」

 

 

 

 誤魔化しはなかった。

 効かない相手だと思った。だから、嘘偽りのない言葉を。

 今のルークの戦う理由を答えた。大義もない、名分もない。それしか生き方を受け入れられない、圧倒的な利己に基づく利他主義を。

 

 静寂。

 

 静寂。

 

 誰も口を開かない永遠にも思える感覚がルークを襲って。

 

 

『く、ふふふ、あははは!』

 

 ギャレヲンの笑い声で掻き消えた。

 気がつけば彼女の手元の光の棒も霧散して、部屋の明るさも元に戻っている。ルークは忘れていた呼吸を思い出し、ぶわりと汗が吹き出た。

 

『アタシの前で、そんな取り繕いもしない答えをするか?』

 

「……はい」

 

 はいとしか言えなかった。

 だって、そうなんだから。普通の人は、助けられる側の人は触れられないルークの心。どこか歪で、見ていた首をかしげたくなるような、勇者として彼自身が規定した生き方。器に合わせた生き方。

 人を助ける、ただそれだけの心。

 

『そんな理由のために?』

 

 ギャレヲンが言う。

 

「そんな理由しか、ありません」

 

 ルークは答える。

 自分の心がどこにあるのか分からなかった。胸を張って何のために戦うだとか、人に聞かせられる理由はなかった。

 部屋の圧が強くなる。棚がピシリと音を立てた。

 

『それで、他人が納得すると? そんな、あやふやであいまいで、一行だけの理由で』

 

 ギャレヲンが一歩、詰め寄る。

 部屋が狭くなる錯覚。ルークは目を逸らさない。

 

『そんな、もので──』

 

 

 

 

 

『──うるさい』

 

 凛、と部屋に響いたのは、鈴を鳴らすような少女の声だった。

 ティフナがこの場にいない第三者の声に驚き、腰を低くする。ルークも突然他人にも聞こえるように剣を震わせて喋り出したカランコエに驚いていた。

 

『あん? 何だって?』

 

『うるさいと、いったのよ。ツノのひと』

 

 ギャレヲンは眉間に皺を寄せて、顔つきを鋭くした。

 それだけでシュンカはアスナヴァのローブの中に尻尾を思わず隠してしまった。

 

『もう一度、言ってみろ。アタシに』

 

 ギャレヲンの声が低くなる。

 部屋に琥珀色のエネルギーが漂い始める。

 そんな最中でも、ちいさな魔女は何ともない風に、いつもと変わらず告げた。

 

『うるさい。うるさいうるさい。あなたが貶した理由でも、いたくても、くるしくても、前にすすむならそれはりっぱな理由なの。あなたの勝手なかいしゃくで分からないで』

 

 分かった気にならないで、と。

 ツンと彼女は言ってのけた。ティフナは驚き固まる。ルークは突然の事態に思考が飛んでいた。戦闘以外はまだ、未熟な青年のそれであった。

 

 ギャレヲンだけが、当たり前のようにその声を受け止めている。

 

『おとしめないで、はずかしめないで』

 

 ルークが我に返り、止めようとする。だが剣は止まらない。あくまで、彼女は自由で、柵とは一番遠い存在だから。

 ルークの意思なんか、聞いたためしはほとんどなかった。

 彼女は彼女の意思で行動する。

 

『さげすまないで、わらわないで』

 

 だって彼女は、世界の言う事すら聞かなかった、禁忌を破りし魔女なのだから。世界で一番くらい、言う事を聞かない存在なのだから。

 

『この空っぽ勇者は、空っぽでも、わたしがえらんだの』

 

 それを、否定するな、と。

 お前に何が分かる、と。

 

 魔女は言った。大英雄と同じくらいの威圧感を放つ相手に対して。

 

『…………』

 

 ギャレヲンは何も言わない。彼女のジッと見定める目がルークを、カランコエを射抜く。常人なら気絶するか、吐いてもおかしくない視線で声の主を見つめたあと、彼女は圧力を霧散させて肩をすくめた。

 

『そりゃ、悪かった。みくびってたか、そうか、うん。そうかい。喋る武器もあるとは、もっと奇っ怪な男だ』

 

 空気が弛緩する。

 ギャレヲンが、いつの間にか立ち上がっていた身体を椅子に預け直して、背中を倒した。そして長い指でルークを指差す。

 

『助けるべき他人がいなきゃ生きられない機構をもった人形みてぇな人間だな、アンタは』

 

 アハハとギャレヲンが笑う。部屋の中でギャレヲンだけが大笑いをして、涙を拭って。

 

『く、ふふふ! おかしい、あー、おかし……なんだ、そりゃ。命賭ける理由が、そっちの方が気分がいいからって……く、ふふ。マジで何者だよ、お前、ふふ……』

 

 呵呵大笑。

 

「……そんなに、ヘンですか」

 

 とうとう堪えきれなくなって、ルークは尋ねた。

 ギャレヲンが笑いすぎて出てきた涙で濡らした視線をルークに向ける。琥珀色の瞳は相手の意思を喰うように強い瞳だ。ルークは腹に力を込めて目を決して逸らさない。

 ギャレヲンはおや、と感心したように片眉をあげた。

 

『ああ、ヘンだよ。アンタは立派な理由を外付けされたみたいな、正しいことをやる人間みたいな……そうだな、アレだ。正義マシーンみたいな男だ』

 

 マシーンがあるのか、とルークは思いながら首を軽く振る。

 

「そんなことは」

 

()()

 

 断言。

 ギャレヲンの言葉は、その端々まで強く、意思があった。

 

『人が他人を助けるには、損得がある。母が子を守るのは種の保存のため。誰かを庇うのは、その方が地位が向上するため。アタシが街を守るのは、まぁ、秘密だが。理由はある』

 

 だから。

 

『そこに当てはまらないヤツは、おかしく見える。何の得があって、人を助けた方が気分が良くなるようになった? なぜそんな感情が組み込まれた? 理解し難いよ。お前の思考の枠組みが』

 

 ニヤ、と彼女は笑う。

 

『だがな、いーい男だぁ。強い瞳を持って、アタシの前に立てるんなら、その気持ちや理由がなんであれ、本物だからだ。人に分からずとも、お前の中ではきっと明確に因果が出来ている』

 

 彼女はそう言い、隣で疲れた顔をしているティフナの肩をバシバシと叩いた。彼の鍛えられた身体がぐわんぐわんと揺れた。

 

『く、ふふ。いつぶりだ、こんなまともに立てたやつ』

 

『……もう、5年はいないかと』

 

『ああ! そうだ! だから、ルークと言ったな。アンタはイイ男だ。イイ男は好きだ。イイ男は居るだけで世界の得になる。アンタは、アンタだけの、個人的な、腹の奥が疼くような渇望を“自覚”出来たら化けるぞ』

 

 そうですか、と言いながらルークは右手を首の後ろに手を回した。

 右手の甲にあった契約の紋章が、痛いくらいに疼いていたから。

 

 珍しく、カランコエが感情を露わにしてるのだ。

 怒っていた。今までになかったことだ。ルークは驚く。

 

()()な。まだまだガキだ』

 

 カカカと笑うギャレヲンを見ながら、なぜカランコエがこんなに珍しく怒っていたのか、と考えて、ひとつ考えに至った。

 

 もしかして、気を遣ってくれたのではないか? 

 

(そうかもしれない)

 

 ルークは思う。

 

 あの、砂漠の夜。

 女神の加護を失って、自分のアイデンティティを、存在理由を失いかけていた時のことを。彼女はその時にわざわざ外まで出て、話を聞いてくれた。

 だからこそ、そんな姿のルークを見ていたからこそ、ルークがまだ引き摺っていると思ったのではないか。

 ルークの傷口をこれ以上広げないようにと、彼女はしてくれたのではないか。

 

「カランコエ……」

 

『なさけないわね、ホントに』

 

 その気づきのまま、思わず呟けば、いつもの声。

 

「うん、……うん……」

 

 ルークはちょっと泣きそうになりながら、頷いた。

 

『しかたないひと。てまがかかるわ』

 

「うん……」

 

 確かにそれは、子供が自分の所持品を大事にする気持ちに近いのかもしれない。お気に入りのオモチャが壊れないように一肌脱ぐ。そんな感覚に近いのかもしれない。でも、やってくれた行動が嬉しかった。

 カランコエが明確な自分の意思を持って、誰かに干渉し始めたのが。そしてそれがとても優しい形で発露していることが、この上なく嬉しかった。

 

 ルークはちいさく“ありがとう、カランコエ”と剣を撫でた。ふん、と不機嫌そうな返事が剣からは返ってきた。

 

『じゃあ、試すようなマネをして悪かったな。戦う理由を他に見つけたら、教えてくれよ、アタシに。ベッドの上ででもいいぞ』

 

「ええ……えっ?」

 

 

 ギャレヲンが言う。そして手をぱんぱんと叩くと、入り口の扉からお茶の入ったカップの乗ったトレーを持った若い兵士が入ってきた。

 

『よろしく、大巫覡の紋主。戦う前に、茶の一杯でも酌み交わそう』

 

 そう言って、ギャレヲンは牙を見せながらうっそりと笑ったのだった。

 

 

 

 “勇者”ルーク。

 参戦決定。

 

 

 魔王襲来まで、残り2日の昼の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 あの、神殿の奥で。

 

 

 

 ──どんな時でも曲がらない正しさ

 すべてを貫き通す強さ

 誰かを思いやる優しさ

 

 

 耳の奥に響くような大巫覡の声を聞きながら、オレンジ色に揺れる光を見ながら、答えを聞かれていた。

 

 

 ──あなたはどれを捨てられますか? 

 

 

 

 ぼくは──

 

 

 捨てられるもの。

 正しさと強さと優しさの中で、捨てられるもの。

 

 

 ぼくが────

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぼくが、捨てられるのは、“優しさ”です」

 

 

 迷いはなかった。

 そう、答えた。

 

 

 

 だって──

 

 

 それは、ぼくが無くても。

 ぼく以外が、持っていてくれると信じているから。

 信じられるから。

 

 

 

 ぼくは無くていい。

 ぼくは、心なんてなくて、それで戦えば。

 

 

 

 だから、ルークは。

 この時、ほんとうに嬉しかったのだ。

 あの、ギャレヲンと向かい合うとき。

 

 

 

 

 自分に、ちゃんとした心がなくても、優しさが本当に無くなっても。

 それを持っている仲間が居てくれると、確信できたから。

 自分じゃなくてもいいと、分かったから。

 

 

 魔王が来る。軍勢を連れて、やってくる。

 だから心はいらない。優しさもいらない。必要なのは、透徹した戦いの技術だけ。敵を殺す鋭さだけ。

 

 血の中で、無表情に。

 戦おう。敵を殺そう。それが平和への一歩だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 勇者は笑って、笑って、──表情を消した。

 

 

 

 魔王の足音は、とうに聞こえてきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ──間も無く開戦。

 戦いは始まる。

 

 

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