立ち塞がる、馬に乗った獅子の異形。
鏖殺将軍リオンダリ。明らかに魔王よりも強い力を持った存在は、ルークのミルシット軍本陣までの道に立ち塞がっていた。
『ゆくぞ』
獅子の頭が呟いた。
牙すら見えない、ただの呟き。
リオンダリから発せられる、気持ちが悪くなるくらいの圧力の中、ルークは剣を構えて、ボッと音がした。
『──ィィ』
ルークは偶然、なんとなく姿勢を下げていた。先ほどまでのリオンダリの存在感で脚の力が戻っていなかったのかも知れない。イヤな予感がしたのかも知れない。とにかく、意図せず姿勢が崩れていた。それが命を救った。
ルークのすぐ上を必殺の貫きが過ぎ去っていった。早すぎて、空気すら圧縮してしまう一撃が、頭上を通り抜けた音が先ほどの音だった。
「う、おぉぉ!?」
ルークは次撃が来ると判断して、崩れた姿勢のまま真横に横っ飛びをした。瞬き一回分の時間。先ほどまでのルークがいた地面は、ぼしゅうと音がして一部が消し飛んでいた。
『躱すか。運の良い』
ギチ、と馬上でリオンダリが再び槍を構える。
はっは、と荒い息を吐きながら、滝のような冷や汗を流し、ルークは“あっ、これは死ぬかもな”と思った。
判断をミスすれば死ぬ。判断ができなくても死ぬ。
動きを迷えば身体はあの槍で弾け飛ぶ。
ほんの少し選択が悪ければ、次の動きはもっと追い詰められる。
そしてまた動きが悪くなって、次はたぶん、死ぬだろう。
『来い。最後の手向けだ』
リオンダリは穂先を下にするように構えている。
ルークはふぅぅと肺の中の息と一緒に恐怖を吐き出すようにして、踏み込んだ。
「──せェィッ!」
飛び上がり、地面の砂を巻き上げ視界を塞ぎながらの上段からの切り下ろし。
地面を蹴った瞬間、直ぐに一歩の位置にあるカランコエの透明な剣を踏み軌道をズラす。リオンダリからは砂埃でルークの姿が見えないはずだ。直前までの軌道で相手が迎撃してくれば、攻撃は空振りする。
ルークは息を止めた。
剣を振りかぶった。
砂埃を抜ける。リオンダリのガラ空きの身体が見える。
『狙いよし』
筈だった。
『たが、足りぬ』
目の前に居たのは、槍の穂先を向けたリオンダリ。
その顔を見て、耳を見て、ルークは察した。
──音で、位置を探り当ててきた。
カン、とルークの剣が空中で振り下ろしの最中にカチ上げられる。
力を込めていた勇者は弾かれた剣の勢いで脇が開く。
『さらば』
完全な読み間違い。
だが。
「まだだ」
勇者は弾かれた剣からあっさり手を離す。
そして軽く、フリーになった手で目の前に現れた赤茶色の、巻き上げた砂埃を鍛造した剣を左手で掴み、右手を身体の前に出した。
見切れないなら。
誘導する。
『ホォ!』
リオンダリの突きが身体に到達する。右手は持っていかれた。肩から筋肉ごと千切れ飛ぶ。痛い。痛い。涙が身体の奥から縛られる。なんでこんな目に、と頭のどこかで泣き喚く。
だが一歩近づけた。リオンダリの乗る、大人よりも大きな馬を足場に駆け上がり、ルークは片手のまま、バシャバシャと血を流しながら獅子の頭の首元に回転をつけた最短軌道で剣戟を叩き込む。
強敵と戦う鉄則は。
弱点を狙うこと。首を取ること。
正攻法が無理なら、一撃必殺を叩き込むこと。
とった。
カン、と音がした。
リオンダリは左手に持つ、攻撃で伸び切った槍を手元に引き戻すことはせず、振り下ろした。地面を叩き、身体が微かに浮く。結果、ルークの一撃は首ではなく、肩の鎧の曲面部に当たりシュイィと軌道が逸れた。
「はっ?」
超絶技巧の、ほんの少しの動き。
今度こそ片腕で脇が開いてしまったルークを、槍から片腕を離したリオンダリの腕が胴体ごと掴む。
まるで果物を縛られるような圧力。ごほ、と肺から空気が外部の力によって強制的に押し出される感覚に喘ぎ、足元の鞍が一部短剣になってリオンダリの額に向けて射出した。
『ちっ』
カランコエの援護だ。
獅子は軽く首を捻って剣をかわす。
ルークほど威力は出せないが彼女もある程度なら剣を操れる。ぶん、とそのままルークは投げられた。数メートル軽く飛び、空中で身体の鍛造が入る。
着地をしたルークは数メートル離れた獅子の肩から全身を薄く見るように意識を集中させた。
「──ぉ、ォオッ!!」
ぶん、とリオンダリの肩がブレて、ルークはほとんど勘で剣を振る。槍の軌道が逸れる。まるで鉄塊を弾いているようだ。威力が強すぎて青年は姿勢が崩れる。休む間もなく、その場を飛ぶ。砂が削れる。転がった姿勢のまま剣を振る。槍とカスる。手首ごと骨が外れた。鍛造される。元に戻る。カランコエの剣が手元に現れる。身を捩る。脇腹が千切られる。鍛造される。頭上から降ってくる槍の一撃を一歩前に倒れ込むことで避ける。風圧で額が割れる。
「──っ──ッ!!」
嵐のようなやり取り。
呼吸の間すらなく、瞬きなんて贅沢なこともする暇もなく、数十秒による打ち合いはルークとカランコエの魔力をごりごりと削っていった。
『は は は は は! 凄まじいな! 紙一重の所で避けおる! たかが人間で、何という練度か!』
大口を開けて、獅子は笑った。
その間も死神の一撃は凄まじい速度と威力でやってくる。
『ここで殺すのが惜しいほどだ! やりおる、やりおる! ここまで練り上げられた努力、判断力、そして屈しない精神力、賞賛だ!』
槍には幾つか流派がある。
それぞれが特徴を持つのだ。変幻自在の流派、遠距離から一気に詰めることで相手の反応を鈍らせる流派など。
『来い、来い! ここが最期の時だ! 最後に、登り詰めろッ!』
そしてリオンダリの槍は、単純。
重く、速い。
ガハハと凄絶に笑い、リオンダリの腕が加速していく。パワーだけではない。腰の回転、腕の使い方、視線の置き方、相手の呼吸の隙をつくタイミング。全てが達人のような技巧に支えられていた。
酸素と魔力が目減りする朦朧とした意識の中、ルークはその輝かんばかりの暴力を見ていた。
『だめ……これは、だめ』
ギャリギャリと音がする。カランコエの焦ったような声が遠くに聞こえる。ルークは身体が寒くなるのを感じる。
だが神経は何処までも研ぎ澄まされていった。死に向かって真っ逆さまに転がり落ちる中で、リオンダリを見ていた。
『まだ死ぬな! 意識を消すな! 貴様は、貴様はァ!』
顎から下が吹き飛ぶ。何も感じない。
カランコエの声がする。悲痛な声をあげている。ルークは腕を動かす。
リオンダリの槍と、ルークの剣では圧倒的に技量が違っていた。何が違うのか。
『もっとだ、もっと! すべて打ち込んでみせろ!』
何かが。パワーか?
そうじゃない。手首の動きか? そうでもない。
『はやく、にげなさい……、もう!』
カランコエの声がする。
何が違う。
何が。
カァンと音がした。
ルークの剣が、ほんの少しだけ、リオンダリの槍を弾いた。
戦場において、僅かな差。たった数センチ。
だが、明確な差だった。
──そうか
ルークは悟った。
今まで引いていた、無意識の線引き。
命を守る、動きの無駄。それを削いで、鋭く、ただ殺すことだけを。
自分が、自分一人だけが飛び込むスペースを作ること。
ボッと視界の右半分が暗くなった。
顔が半分吹き飛んで、それでも勇者は前進した。カランコエがガンガンと警鐘を鳴らす。怒っている。悲しんでいる。だけどルークは一歩、目をわずかに開くリオンダリに接近して、次の呼吸には獅子の首に迫っていた。
『なんと』
彼は言う。
ルークはここで奥の手を切った。
きっとリオンダリは、また次の剣はすぐ壊れると思っているだろう。砂や空気を鍛造した剣では傷つかないと思っているだろう。
そう、
「けい しょ ゥ、たん ぞ う」
血を吐くような。
ざらざらの声で。
魔女は嫌だった。嫌だったが、勇者の意図の通り動くことが、この場の最善だと分かって。
一瞬唇を噛むように、唱えた。
『継承鍛造── アクセス──▶︎“
キィンと甲高い金属を打つ音がする。ルークの瞳の奥に、魔法陣が顕現する。
『はっ』
リオンダリの首と鎧の隙間。
そこに捩じ込むように、出現した、赤と白の螺旋構造を持つ短剣。
凄まじいエネルギーを内包した短剣は、周囲の空気を吸い込み、カチンと音がした。
『──なんと!』
ルークへの攻撃で伸び切った腕を瞬時に引き戻し、リオンダリは短剣を排除しようとするが遅かった。
鍛造で体を治されながらも、もはや意識が消えかけのルークの腕は、決してスヴァローグを離しはしない。絶対に、殺してやるという意思が身体を動かしていた。リオンダリの首へ、短剣を捻じ込み続ける。
『ハハァ』
獅子はそんな勇者の様子を見て笑い──
周囲は爆音と炎に包まれた。
どしゃ、とルークの身体が砂の上に投げ出される。
至近距離でスヴァローグを浴びた身体は、咄嗟にカランコエが剣で塞いだがあちこちが火傷で覆われていた。
爆発の中心地は砂が三メートルほど抉れ、ガラス質に溶けて煙を出している。
もくもくと白い煙が周囲を覆う。
周囲を静寂が覆う。
ルークの持つ技の中で、とびきり破壊力の高いものを当てたのだ。しかもただ当てるだけではない。至近距離で、急所に当てた。
静寂が覆う。
動くものは居ない。当然だ。それだけの威力なのだから。決死で、渾身の、奥の手だったのだから。
『見事』
だからこそ。
その中から、
ルークの意識は既にない。勇者が握る白い剣の中で、意識を残していたカランコエは相手の姿に怒りを覚えそうになった。
あれだけやって、ついたのは傷が精々。
バケモノ。正真正銘のバケモノだ。
おかしいだろう。
ふざけるな、と。
リオンダリが槍を掲げて叫ぶ。
『見事、見事なり! こんな戦いは中々あるものではない! しかし!』
ざふざふ、と馬が砂を踏んで倒れたルークに近づく。
リオンダリは槍をゆっくり構える。
『未熟なり! その剣、いまだ熟せず、我に届かず!』
研鑽が足りなかった。
しかし素晴らしいものであったとリオンダリは讃え、倒れ伏した、全身血だらけで、ピクリとも動かない勇者に狙いを定めた。
『惜しむらくは、殺す気が足りなかったことか』
そう言って、引き絞り。
槍が音を立てて。
「だまれっ」
しゃらん、と音がした。
赤茶色の砂漠の上に、白い髪を乱しながら魔女が現れる。
リオンダリは驚きはしない。しかし動きを止める。なぜなら、自身と同じ魔のものが、両手を広げて青年の前に立っていたから。
戦いで限界まで消耗しているのだろう。彼女はぜいぜいと荒い息をしながら、ゆらりと、重たい口調で吐き捨てるように言った。
「だれだ」
その両目は、伏せられた地面からリオンダリに向く。馬上の獅子の頭を、真っ赤な瞳が恨めしげに睨みつける。
「だれだ」
少女のちいさな肩が上下する。
髪は一部が焼けこげて、ほつれている。だが、そんなものを一切気にしないように、呪詛のような口調で彼女は言う。
「わたしのゆうしゃを、戦いに駆り立てているのはだれだ」
本来人に恐れられる筈の魔女。
強大な魔力と、埒外の術理によって世界をめちゃくちゃに、思いのままにする存在。
だが、とうに彼女の魔力は底をついて、もう何一つ剣すら作れない状況になっていた。だけど、彼女の目だけは。
ドロリとした目だけはどんな魔力よりも昏く深く、相手を睨みつける。血のような瞳は暗くなる。周囲の気温が下がっていく。
「いきものを斬るのがいやで、いたいのもいやなのに。本当はのんびり空をながめているのがすきなのに」
それなのに。
聞くものがゾッとするような口調で。
人ならざるものは、片膝をついにつきながら。
「なきむしを」
魔王よりも強い、リオンダリに恨みをぶつける。
誰だ、誰だ、と。
「そんなやつを、戦いの場に駆り立てるのはだれだ」
馬が嘶いた。
魔女の手が、ゆっくりと持ち上げられて、真っ直ぐに前を指差した。
「おまえたちだ。あらそいだ」
ぼろぼろの姿で。
お互いにフィードバックを受ける契約により、ダメージを受けながら。
「ゆるさない」
目だけが爛々と。
「わたしの、このゆうしゃを。勝手にたたかいに巻きこんでおいて」
地面がパキパキと音を立てる。
瀕死の魔女の、魔法にすらなり得ない力の残骸が地面を変質させている。
「なんだ、そのいいぐさは。なんだ、そのたいどは」
ふざけるな、と魔女は言う。
ゆるさない、ゆるさないと。
魔女は本来、恨みの化身である。
彼女は最後にひとこと。
万感の負の思いを込めて言った。
「わたしは、おまえたちをゆるさない」
それは、魔女の、人の外側にいる存在の宣言。
ドロリとした、泥よりも深い情念が。禁忌を犯すような存在の、鮮やかではない、弾けるようでもない。グツグツ、ドロドロと煮えたぎるような恨む言葉だった。
せかいいち、大っ嫌いな、世界を恨む、ことばだった。
「ゆるさない」
目だけが爛々と、爛々と輝いていた。
『…………』
そんな彼女を前にして、リオンダリは考えるように動きを止めた。
そして、後方に遠景として見える魔王の都市、パンデモニウムを見て、瞬きをした。
『恐らく、初戦は我らが勝ちだろう』
それはミルシット軍と魔王軍との戦いを言ってるのだろう。
本陣は敗れたと。
リオンダリは誰に聞かせるでもなく、呟くように言った。
『我らは、長く、戦った。長く、戦いすぎた』
我が王よ、と。
たったひと言。
だが、中には幾年もの時間が折り重なった、もはや元の感情が何なのかすは分からない複雑なものになっていた。
『魔女よ』
リオンダリがパンデモニウムに向けていた視線をルークの方へと戻す。
獅子は先ほどの高揚した様子を一切見せず、静かに問いかけた。
『貴様が庇うは、勇者か』
「しらないわ。そんなもの。かってに、きめればいい」
ふん、と白い魔女は言った。
敵愾心を隠さない、トゲトゲとした返答だった。
リオンダリは微かに口の端をあげて、頷いた。
『然らば、そうか。この者ならば、幕引きによいかも知れぬ』
ザッとリオンダリが馬を操り近づく。
カランコエはその場から一歩も引かず、睨み続ける。
獅子はそんな様子を見て、槍を使い魔女の最後の勇者をひょいと持ち上げた。
「! はな、せ!」
がし、と魔女は意識を無くしてだらりと脱力した勇者に縋り付く。
リオンダリは魔女も勇者も一緒にその大きな手で掴むと、響く重低音で言った。
『──久しく、楽しい時間だったぞ』
そして振りかぶる。
方角は、ミルシット軍本陣。
人外の力でぐぐぐ、と引き絞られた筋肉は唸りをあげ、弓で矢を放つように、投擲の構えをした。
『また、相見えよう』
最後に聞いたのはそんな声。
次の瞬間、凄まじいGと風を受けながら、二人はリオンダリが狙いをつけた方角へと吹き飛んでいった。
これが、勇者ルークと鏖殺将軍リオンダリとの初戦。
勇者の全くの完敗という結末で幕を下ろした一戦は、こうして終着を迎えた。
戦って、負けた。目的を遂げられなかった。それだけを残して。
そのすぐあと。
ミルシットの街に、知らせが届いた。
曰く、ミルシット軍敗走。
前線拠点を廃棄し、市民は即刻、街を出よ、と。
戦況は、もう負けに傾いていた。