おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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76話 辿りついたのは

 

 

 

 身体が、痛かった。

 

 微睡と覚醒の間は曖昧模糊としていて、自明ではない。

 何処からが意識であると区切るには、微睡の中では難しいものだ。

 

 なにか、だいじなものをごっそりなくしたように、わけもわからず泣きわめきたい衝動があった。

 それだけは確かだった。

 意識の混濁した、時間も伸び縮みする空間も釈然としないなか。

 泣いて、喚いて、みっともなく叫び散らしたい思いだけが身体の中から溢れんばかりに押し込まれていた。

 

「…………ぁ」

 

 頭が割れるように痛くて、針を差し込まれたような苦痛と吐き気が襲ってくる。

 

『──、ら──し──』

『いて──ぁ──』

 

 ざわめきが聞こえる。

 人が動き回る気配がする。

 ずっと目を開けずに、疲れたし、横になって目を瞑っていたい。

 

『──にげ──ら──』

『血が……──ぁ』

 

 喉が張り付く。水が飲みたい。

 起き上がりたくない。そこまでぼんやりして、脳裏に獅子の槍の閃きが映像として浮かび上がった。

 

「っ、ぁ……は!」

 

 目の前に迫る、過去の映像のフラッシュバックでルークは目を覚ます。最悪の目覚めだった。寒い。自分はどうやら木製のベッドに寝かされているようで、一枚毛布を捲ると装備を外したシャツ姿の身体が見えた。血が糊のように張り付いている。

 

「は、……はぁっ……はぁっ……」

 

 青年は上半身を起こし、冷や汗に震える身体をどうにか維持する。無意識のうちに探していたカランコエの気配は腰にあった。軽く安堵。彼女は短剣の状態になって、中で眠っているらしい。相当消耗しているようで、魔力がほとんど感じられなかった。

 

 視界が霞む。水の中に入ったように声がぼんやりと聞こえる。そんな中で、ルークは周囲を見渡して情報を集めようとした。高い位置に窓が見える。外は夜になっていた。寒いのは夜だから。

 

『だから、包帯の替えを──あっ! 起きたんですか!』

 

 ルークが起きたことに気がついたのだろう。近くにいた白い服を着て、口許を布で隠した少女が驚いたように近づいてきた。

 

『ああ、ほら起き上がっちゃダメですよ! 全身やけどで、指とか欠損あるんですから! 死んでないのが奇跡ですよ!』

 

 彼女はテキパキとルークの顔色や包帯の緩み具合を見ていく。確かに、身体はあちこちが包帯で巻かれていて、特に右手に至ってはぐるぐると指ごと巻かれていた。頭が重い。彼女の言葉が響く。だが聞かなければならない事があった。どれだけ身体が疲れていても、意気が落ち込んでいても、やらなければならないことがある。

 

「たた、かいは……どう、ですか?」

 

 首元の包帯がペリペリと剥がされながらルークは尋ねる。朝から魔王軍との戦いだった。傷口を洗ってくれている少女は一瞬ためらったように動きを硬くするが、すぐにニッコリと笑って口を開いた。

 

『あはは、今は治すことに集中しましょ。ホントに、あなた前線の所で倒れてたのを見つけられたって話なんですから』

 

 ルークはかぶりをふり、力の入らない手で彼女の白衣を掴んだ。くしゃ、と布が皺になって、ふらりと倒れるようにルークは姿勢を崩す。少女は慌てて彼を支えた。

 

『えっ、あっちょ! ほら、まだ起き上がったらダメなんですってー!』

 

「おしえて、ください、どうなりました、……どう、なって」

 

『あー……』

 

 彼女は慌ててルークを留めようとするが、絞り出すような青年の声に少し考え込んだ。そして頭の中で何か、これなら大丈夫という表現を見つけたのか、穏やかな表情で、相手を安心させることを目的としたゆっくりの抑揚で告げた。

 

 

『魔王軍は、撤退しました。ギャレヲン様が、かなり“溜めていた”一撃で魔王の都市ごとかなり後方まで押しやったそうで』

 

 鼻が効いてくる。

 鉄臭い匂いが、砂色の壁に囲まれた部屋に充満していた。あとは薬液の匂い。明らかに判別がつきやすい薬草の香りが。人の血の匂いと混じって、えずくようなハーモニーを奏でている。

 体のあちこちが熱かった。じくじくと、熱を持っている。

 

『でも、それはこのままだとミルシット軍が全滅するって判断されたからみたいで……。えっと、ホントならもっと溜めた一撃で魔王の都市ごと消し飛ばすつもりだったらしいんですけど……』

 

 行き先を見失った少女の話はあっちにいったりこっちに行ったり迷走する。出だしは良かったのだが、ルークに教えてはいけない地雷の表現を避けるうちに迷宮に入り込んでしまったらしい。

 

 結論はこうだ。

 想定よりも魔王軍は強大だった。

 予定されていたギャレヲンの一撃は、仕留めるのではなく時間稼ぎに変更。

 だから、まだ街に魔王が到達していない。

 しかし負けは負け。明日の夕方には魔王が攻め入ってくるだろう。

 

 

「なる、ほど……」

 

 

 ルークは周囲を見る。

 かなり広い大部屋らしく、ベッドの数は20を超えていた。天井に吊るされた灯りが揺れている。部屋の何処にも血だらけ包帯だらけの兵士が寝かせられていた。その間を白衣姿の人たちが忙しなく、薬や包帯、血のついた布を持ちながら走っている。野戦病院であった。

 うめき声が聞こえた。

 

『ですから、えっと、まずは休みましょう。戦場のことはまた聞けますから。異邦人さん、あなた瀕死で来たんですよ。分かりますか、あと一歩違ってたら天の橋を渡っていたんです。休まないと』

 

 心配そうにルークの状態をそっとベッドに倒した少女は、別のところから呼ばれて小走りで去っていった。

 シーツのような清潔な布が冷たい。ルークはひどく落ち着かず、寝返りを打つようにベッドから転がり落ちた。

 

 どん、と衝撃が来る。

 体重と重力が同時に襲ってきたのだ。

 

 立ちあがろうとして、手足が上手く動かないことに気がつく。怪我のせいではない。神経伝達が上手くいっていないような、痺れて感覚がないようなそんな不自然さ。

 なぜかと思って、ふと誰かが答えてくれた。

 

 魂が欠けしまっているから。

 

 

「あ……」

 

 

 魔王軍の、鏖殺将軍リオンダリとの戦いの最後。

 頭部を半分消し飛ばされながらルークは相手に近づいた。その時、致死に近い状態であったので、魂が急速にこぼれていったのだろう。

 カランコエがきっと必死に繋が止めてくれなければ、死んでいた。

 即死の攻撃は、コップの中に入った魂の状態から、コップを砕くようなものだ。どれだけ早く対処しても取りこぼす部分はある。

 

 周囲の人が、よろよろと起き上がるルークに視線をやった。しかし彼らはベッドの上なので動くことはできない。看護のひとたちは奇跡的に気が付いていない。

 

 

 血の匂いがする。

 

 思考が一定以上に進まないように、止まったような感じがした。

 

 まだ、まだ負けてない。

 まだ大丈夫。

 

 ルークはそう、自身に言い聞かせてふらふらと建物の奥に向かった。

 出口を探していた。

 

 部屋を一つ抜ける。比較的軽症の兵士たちが、30人ほど床に直接座り込んで治療を受けていた。部屋の真ん中をゆっくり、ふらふらと横切っていくルークをみんな見ていた。

 

 はぁ、はぁと息を切らしながらルークは進む。壁に手をつき、ふらりふらりと。

 視界には足元を映していた。

 

 ──大丈夫さ。

 

 こんな劣勢いくらでもあった。

 まだ、大丈夫だ。まだ負けてないさ。

 

 こちらを見てくる兵士がいる。

 喋っていたものも、ルークが通りかかると会話を止めてジッと見てきた。

 

 あれが勇者か、と言われたくなかった。

 みんなを助けると意気込んで、兵のみんなをなるべく死なせないと大言壮語を吐いておいて、この有様か、と視線が責め立ててくる。

 

 

 大丈夫、大丈夫。

 

 まだ、大丈夫。

 

 ルークは目を合わせられず、よろよろと建物の中を歩いた。

 

 出口は、どこだ。

 まだ、負けてない。戦わないと。

 

 そして、最後の一部屋に出た。

 出口だ、と思ったのだがどうやら違う。それもかなりの見当違いの所に来てしまったらしい。

 

 そこは今までの部屋よりも狭く、人が15人も入ればぎゅうぎゅうになるだろう空間。ベッドはなく、地面に敷かれた敷物に沢山の人が横たえられていた。

 

 静かだった。

 うめき声も、その部屋からはしなかった。

 それもそのはず。ここは、看護の人すら来ないもう、助かる見込みのない人が集められた一角だっから。

 医薬品も、人も不足している中で、その場所だけは静かで、動き回る人が居なかった。助かる人の方に力を回しているのだろう。

 

 部屋を間違えた、とルークが踵を返そうとした時。

 奥の、血で滲んだ包帯の塊から、見知った髪が垂れていた。

 

 心臓が、気づいた瞬間にばくばくと嫌な鼓動をたてる。

 目の前が現実感を急に増して迫ってくる。

 

 赤い、砂漠のような髪。

 

 ルークは震える喉で、名前を呟いた。

 

「……リャム?」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 頭が重たい。

 ずっしりと、鉛を詰め込まれたような頭部をふりながら、ルークは部屋の中に入った。くしゃ、と何かを踏んだ。誰かの持っていた包み紙だった。それは血に染まって、乾いて、ぱりぱりとしている。

 

 一歩進む。

 空気の循環が悪いようで、むっとしたような湿気が肌を這った。

 よろけて、それでも部屋の中央、やや右寄りに横たえられている衣服と包帯の塊へ。

 

「リャム?」

 

 ルークはもう一度呟いた。

 彼女の頭部は布でぐるぐる巻きにされていて、微かに左耳が地面に投げ出されるように出ている。その鮮やかな、夜の街で見た輝きと今のくすんだ色合いにルークは眩暈がしてくる。

 

「リャム?」

 

 名前を呼ぶ。

 ここまで騙し騙しやってきた脚は限界を迎え力が抜けて、すとんと座り込む。地面は冷たかった。据えた匂いがかすかにする。タンパク質が分解される、生き物のにおい。

 

 勇者は震える手で、彼女の体に掛かっていた布の下に手を入れる。そして右手らしきものを探り当てると、ゆっくりと引き出した。

 

「……」

 

 彼女の手はぼろぼろで、赤かった。かなしい赤色をしていた。

 黒く固まった部分からは透明な液体が頼りなさげに流れ出ていた。

 

『  だ  れ 』

 

 空気を揺らす、微かな声。

 ルークは思わず息を吸い込んで、彼女の顔に自身の顔を近づけた。

 

「僕です、ルーク、あのサンドワームやサソリの時にいた、異邦人の」

 

 喋る言葉は、喉がいかれてしまったのか滑らかには出てこない。ごほごほと咳き込むのを我慢してルークは続けた。

 

『だ  れ』

 

 しかし、返ってくるのはそんな言葉。

 相手を認識していないような、譫言に近い。ぎゅっと掴んだままの手を握ると、彼女はわずかに動いた。

 

「リャム」

 

 声をかけても返事はない。もう一度手を握ると、反応がある。

 訳もわからない感情が目の奥に溜まって、ルークは何度もやさしく手をなぞった。ぼろぼろで、自己治癒すら始まらないおわりの手を。

 カランコエに契約をして貰おうかとも思った。そうして彼女の魂を鍛造して、傷を治すのだ。ルークと同じく。

 そう思った時、ひどく頼りない魔女の気配を感じて、勇者は自分の考えに愕然とした。

 

 

 彼女の存在は消滅スレスレだ。無茶をさせ過ぎた。

 それに、また無茶を頼むのか? 

 

 

 ギリと奥歯を噛む。何が、やって貰おうだ。

 彼女が背負うリスクを承知したか? 

 

 勇者はぐるぐると考える。

 頭が上手くはたらないのに、思考だけは逃避のようによく動いた。

 

 禁忌を犯す魂を鍛造して、元に戻すという手段。カランコエが出来る手段。

 この世の摂理に反していることだ。軽々とはできない。出来ないのには理由がある。いつか彼女がぼそりと教えてくれた、管理者、あるいはネベトのような存在が間違いなく消しにくる。

 

 なにより。

 もう、魔力が残っていない。

 ここまでルークを助けてくれた魔女を。

 また、道具のように酷使するのか。

 

 

『 は ぁ ……ふ』

 

 

 静かな、止まってしまいそうな呼吸音だけが小部屋に響く。

 その時、チャリと手の中に冷たい感触があった。

 耳飾りだった。金色の金属が菱形に幾つかの形をつくり、中央に翡翠色の石がはまっている。大きさは人差し指の半分くらい。リャムがくれた、あの耳飾り。

 

 出してくれたのは、他でもない。カランコエだ。

 意識がほとんどない中で、魔力も消えている中で、彼女はしまっておいた耳飾りを出してくれた。

 

 なんという。

 言葉は空白を埋めてはくれない。行動だけが彼女の意思を伝えてくれる。それが、その確固たるものが、彼女が何を思っているのかをルークに伝えさせた。

 

 

 ルークはもう目の前がぐちゃくちゃになって、何度も呟いた。

 ごめん、ごめんカランコエ。僕に付き合わせて、無茶をさせて。

 ごめん、リャム。ごめん、カランコエ、ごめん。

 

 

 何処か遠くで叫ぶ兵士の声がする。

 ガシャンと何かが崩れる音と、慌てて走る看護の足跡。

 血の匂い。薬の匂い。鉄の匂い。腐り始めたにおい。

 

 ごめん、ごめんと勇者はリャムの手を握りながら呟いた。

 

 なにもうまくできない。なにも、なにもできていない。

 18歳の青年は、したいのなかで、手を握って、項垂れていた。

 

 

『 や、っ ぱ り、新人、クン だ』

 

 

 そんな声が響いたのは、幻聴か。

 ルークはのっそりと顔を上げると、包帯だらけの顔で、彼女は笑うように表情を変えていた。目は隠れている。だけど、口許で分かった。

 

「なんで」

 

 それには何でルークとわかったのか、という意味だったが、彼女に聞こえる筈もない。ふと気がつくと、彼女はゆっくりとだが、すりすりと指先だけでルークが握っていた手を撫でていた。

 

『ご めん、ねぇ たた かわない とか、言ってたん だけ、ど、……さ』

 

 

 そうだ。確かに彼女は言っていた。

 あの、夜の始まりに。 

 食事や酒が振る舞われるあの通りで。ランプの光に照らされながら。

 

──アタシは戦わないよ。だって、死んじゃうから

 

 なのに、なぜ彼女が戦場に居たのか。

 なんの間違いか。ルークは続きを待った。黙って、手を握っていた。

 

『あ はは……なんだか、な……』

 

 彼女の言葉には指向性がない。

 普通、人は人と話す時、何処に向かって言葉を紡ぐのか意識しながら喋る。だけど、彼女はもう、目の前の人物が何処に居るのかさえ判然としないのだ。いや、むしろどこにいるかなんてどうでもいいのかもしれない。話を聞いている人物が“そこ”にいると分かったから。

 だから彼女の言葉には指向性がなかった。

 

「なんで、戦いに?」

 

 ルークの言葉はもうだいぶ流暢になっていた。

 当初来た時よりもずっと。だけどそれを褒めてくれるひとはここには居なかった。聞き届ける相手が聞けないのだから仕方がなかった。

 

『言いた、かったん……だ、よ ねぇ……』

 

 なにを、と青年は静かに問いかける。

 手を握って。首を下に倒して。空間が静寂に包まれている気がした。実際、それは間違いではないのだ。この小部屋は、行き止まりに来てしまった人のためのものだから、建物の行き止まりにあって出入り口が一つしかない。しかも奥にある。だから音が周囲から遮断されて静かなのだ。それはこの部屋を最初に、()()ひとたちに使うと決めた者の気遣いなのかもしれない。

 

『言いた、くて さ』

 

 何を、とルークは繰り返す。

 相手のペースに合わせて。ゆっくりとした会話を。

 首が落ちそうなほど、頭が重たかった。

 彼女はいちど息を吸い込んで、しかしうまく吸えず、不恰好な呼吸をして、ことば一つ分の酸素を蓄えた。そして言った。

 

 

 

『ひとりで、たたかっちゃ、ダメなんだよ……っ、て』

 

 

 ルークは目を見開く。

 食道の奥が重たいもので押し付けられているように、言葉が出てくることはなかった。

 彼女は相手の様子なんて分からないので、自分のペースで言葉を続けた。

 

『そのために、アタシたちは、……いるんだから』

 

 ね? 

 と、教えるように。

 呼吸が浅くなる。言葉が薄くなる。

 彼女は喋ることをやめない。

 

『きっと、ね、アタシたちは、ひとりで 戦わない……ために、だから人は……だれかと、番うの』

 

 こほ、と咳をした。

 それだけ、残りの時間が短縮された気がして、ルークは思わず手を彼女の口許に翳した。意味はない。思考は停滞するように重たく、身体を押さえつけていた。

 

 だから。

 

 彼女が言う。

 

 

『だから、アタシたちは、ひとは、……だれか は だれかの ために……』

 

 誰かは誰かのためにいる。

 一人にならないために。

 あなたも私も、ひとりで戦う羽目にならないように。

 手を取り合うために。

 

 白い歯が見えて、ルークはポンと落とされたように思考が繋がった。

 

「──あ」

 

 思い出すのは、砂漠で、大蠍に対して、背後に彼女を庇って戦っていたとき。後ろから聞こえてきた声。

 

──ねぇ、ねぇ! アタシも戦うから、一回引いて! そんなんじゃ、死んじゃうよキミ! 

 

 後ろから、必死で。

 戦っているルーク以上に必死で彼女は訴えかけていた。

 その意味を今になって理解して、青年は『あ、ぁぁ』と掠れた声しか出なかった。

 

 

『それが、いいた くって いわなくちゃ、なぁ、って』

 

 

 途切れ途切れの言葉が響く。

 確かに暖かい命が溶けていく。

 

『ドジ ふんじゃった よ、ね なさけ ない あは は』

 

 最後に、自虐するように彼女は表情を歪めて笑った。

 それを見て、堪らなくなって、ルークは何も言わず、彼女の身体を抱きしめた。

 

「──っ!」

 

 地面に倒れるように。少し冷たく、砂のついた肌が触れる。

 彼女の力の抜けた身体が細く、軽かった。辛かった。

 

「ちがう、ちがうよ」

 

 そしてそのまま、彼女の頭に手を伸ばして、包帯を解き、砂漠のように鮮烈な、彼女の髪をゆっくりと往復させるように撫でた。出来る限り、優しい手触りで。そう伝わるようにと。

 

「なさけなくなんか、ない」

 

 かつて彼女にしてもらったように、梳いていく。

 リャムは驚いたように一瞬動きを止めたが、すぐに満足げに笑った。

 

『ふ ふふ ふふふ』

 

 愉快そうに、面白そうに。笑って、笑って空気を吐き出した。ルークはもう一度ゆっくり彼女の豊かな髪を撫でて、そして頬に軽く、口付けをした。キスの味は、鉄臭かった。

 あは、と彼女は最期に笑って、

 

 

 それきり、動かなくなった。

 

 

 

 ルークはその場を動かなかった。

 たたが、少しの間触れ合ったひとが去っただけ。

 今までも何度もあった。

 

 ルークはその場を、項垂れたまま。

 彼女のだんだん冷たくなる手を握ったまま、動かなかった。

 

 

 部屋の上にある、格子のはまった窓から、切り取られた空から星がちらちらと光っていた。

 ルークは項垂れていた。

 

 

 

 お笑い草だろう。

 

 誰かを守ると意気込んで。

 僕は人より力があるから守ってやると自信満々に言って。

 

 結果がこれだ。

 魔王の不意打ちで味方から離れた場所に飛ばされ。

 必死で帰ろうとしても、敵に呆気なく敗れて。

 ここまでついてきてくれたカランコエにも、無茶をさせて。死の一歩手前まで行って。

 

 

 

 

 

 そして、いまは冷たくなった人の手を握っている。

 

 おまえは、なんだ。

 

 

 多くが死んだ。

 

 ルークはその場に居なかった。

 

 無力だった。

 おまえは、なんだ? 

 

 中には、前もって強いと触れ込まれていたルークを頼りにしていた人もいたかもしれない。ルークが大巫覡に期待されていたという話は伝わっていた。砂漠の民にとってはそれが何よりの信頼に足る証拠で、ルークを信じてくれていた人もいたかもしれない。

 

 

 それを、なにひとつ応えてやれなかった。

 狭い小部屋の中。青年は、ジッと呼吸だけを繰り返していた。

 

 激しい衝動はなく。

 ただただ、あてつけのように響く心臓の鼓動と、どこまでも深い海底を歩くような、気持ちだけがあった。

 

 

 ルークのせいじゃない。

 ただ一人の、エメラルド色の綺麗な瞳をもっていた猫獣人が、戦いに勝手に参加して、ヘマをして、死んだだけ。

 ルークのせいじゃない。決めたのは彼女だ。

 

 だれが。

 

 だれが。

 

 

 

「ぁぁ……」

 

 

 

 

 

 だれよりも。ルークは。

 

 

 

 

 ルークは、涙一つ流すことはなく。

 ただ小部屋で手を握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 76話 砂海の、底の底。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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