ガチャ狂い魔女のお隣り戦記 作:トゥルシャ
──ポヨン、ポヨヨヨン!
スライムが勢いよく飛び跳ねる。
──ポヨン、ポヨヨヨン、ポヨヨヨヨヨヨン!
スライムがさらに勢いよく飛び跳ねる。
「一体、何のつもりなのよぉぉぉ! あと1つで完凸だってのにぃぃぃ!」
襲ってくるでもなく、目の前で勢いよく飛び跳ねるだけのスライムに、思わずトゥルシャは玄関先に置いてあった樫の木の杖を手に取り、スライム目掛けて全力で叩きつけてしまった。杖はそのままスライムの体にめり込み、コアを粉々に砕く。
──プシャァァァ!
コアが破壊されて形を保てなくなったスライムの残骸が、四方八方に飛び散る。もちろん、トゥルシャの体も例外ではない。
「うえええ、ベトベトだよぉ」
「やれやれ、時間が経てば跡形もなく消えるだろうが」
そんなことを話している間に、トゥルシャの体にこびり付いた破片も綺麗さっぱり消えてしまう。消えてベトベトしているわけではないのに、先ほどの感覚が彼女の中には残っていて、不快感に眉を寄せる。
「まったく……。どうせ出るまで課金するなら変わらんだろうに……」
「分かっていないね。こういうのはタイミングが大事なの。出やすい時に集中して回すのが勝利の秘訣なんだから」
ベルが半眼になってトゥルシャを見る。しかし、彼女は何かに気付いたのか、慌てて玄関から顔を出して周囲を見回した。
「あっ、マズい。パパラッチがいるかも?!」
「ここは日本だぞ。いるわけないだろ!」
「ふふん、甘いねベル。その少しの油断が致命的な事になるんだよ」
玄関からトゥルシャの顔がひょっこりと出て、右を見る。左を見て、また右を見る。そこで彼女の動きがピタリと止まった。
「えっ?! だ、ダンジョン?!」
大きく目を見開いてダンジョンの入口を見つめるトゥルシャの足元からベルが顔を出す。何故か満足そうにイヤらしく笑いながら尻尾を振っていた。
「ほぅ、良いところに出たな。ちょうどいい時間つぶしじゃないか!」
「えっ? な、ナンノコトカナー?」
「ほら、さっさとゲームを終わらせて、ダンジョンを攻略する準備を始めようじゃないか」
「えぇー」
尻尾を左右に振ってご機嫌なベルは、これが自分の準備と言うかのように前足で顔を洗っている。
「だ、ダメです! まだ、あのダンジョンが悪いものだと決まったわけじゃないんですから!」
「何を言っているのだ。ダンジョンは絶対悪。これは世界の真理──何だこれは?」
持論を展開しようとしたベルが視線を逸らすと、不思議そうに首を傾げながら声を上げる。それにつられるようにトゥルシャも彼の視線の先を見ると、そこには一杯のかけ蕎麦が置かれていた。
「こ、これは……ただのかけ蕎麦じゃ、ないッッ!」
よく見ると、一本一本がピンと張った細打ちの蕎麦が、透き通った黄金色のスープの中でユラユラと揺蕩っている。
立ち上る湯気からは、鰹節や昆布を始めとした絶妙にブレンドされたダシの香りに、醤油、酒、味醂の甘く濃厚な香りがプラスされて、トゥルシャの鼻腔をくすぐった。
──グキュルルルル。
「う、そう言えば朝からガチャ待機で何も食べてないんだった……」
「おい、気を付けろよ!」
「平気だって、ダンジョンのモンスターからのドロップアイテムは毒とか入ってないし」
丼を手に取り、上に乗った割り箸を取って綺麗に二つに割る。器用に箸を操り、蕎麦を汁から引き上げると、そのまま啜り上げる。
──ズルルルル。
「これは素晴らしい。更科蕎麦のように滑らかな舌触りを維持しながら、噛むと玄蕎麦のような濃厚な蕎麦の香りが口いっぱいに広がって──」
そのまま両手で丼を持ち、汁を啜る。
──ズズズズ。
「こ、これは! カツオにサバ、昆布、椎茸の出汁……それだけじゃない、これはアゴ出汁! それに、この野性味あふれる醤油の香りは、生かえしじゃないか!」
「お前、そんな蕎麦に詳しかったのか?」
「ふふん、日本に行くんだし、もちろん日本食はバッチリ調べてあるよ!」
感動して一心不乱に蕎麦を啜るトゥルシャに、ベルが半眼になって首を傾げながら尋ねる。彼女は箸を振り回しながら、自信満々に語り始める。ベルは呆れ果てて大きくため息を吐くとダンジョンの方へと向き直る。
「まあ、蕎麦のことなどどうでもいい。それを食べ終わったらダンジョン攻略に向かうぞ!」
「……!」
トゥルシャが蕎麦を啜りながら、大きく目を見開く。ダンジョン攻略など行かず、ガチャの続きをしたい彼女にとって、ベルの言葉は到底受け入れられないもの。
回避する手を求め、必死に思考を巡らせる。その時、啜っていた蕎麦から画期的な考えが頭の中に流れ込んでくるのをトゥルシャは感じ取っていた。
「そう、蕎麦、蕎麦よ。このダンジョンは問題ないわ!」
「気が狂ったか?」
「いいえ、このダンジョンは攻略する必要はないってこと」
「どういうことだ? まさかガチャがしたくて適当なことを言っているのではあるまいな」
ガチャか、ダンジョンか。にらみ合う一人と一匹の間にひりつくような緊張感が走る。息もつかせぬ緊張感の中、トゥルシャがニヤリと不敵に微笑んだ。
「この蕎麦。これこそが、このダンジョンが敵ではないという証でもあるのよ」
手に持った丼を高く掲げてベルに突きつける。どこからどう見ても、何の変哲もないかけ蕎麦──ベルにはそう見えた。
「ふん、バカバカしい。どう見てもタダの蕎麦じゃないか」
「ふっふっふ。分かってないなぁ、ベルは。これはね、引っ越し蕎麦って言うんだよ」
「なんじゃそりゃ」
「日本では引っ越した時に、近所に蕎麦を配る風習があるんだよ」
相変わらず蕎麦を掲げたまま、トゥルシャは滾々と説明する。しかし、ダンジョンを脅威と思っているベルは未だに納得できていないようで、訝し気な表情を浮かべている。
「その風習とどういう関係があるっていうんだ?」
「引っ越し蕎麦っていうのはね。この細く長い形から、末永くいい関係でありますように、っていう願いが込められているのよ。すなわち、お隣さんはダンジョンだけど、仲良くしましょうって言っているの!」
半ば呆れたように訪ねてくるベルに、拳を握り締めて自分の主張が正しいことを熱弁する。ベルとしては一笑に付すような馬鹿げた話ではあるが、トゥルシャの言い分も辻褄が合っているため、否定しきることも難しい。何か切り崩せるものはないかと、ベルは目を閉じて思案する。
「仲良くするつもりだったら、何でスライムをけしかけてきたんだ?」
「そ、それは……。あのスライムは挨拶――そう、挨拶に来ただけなんだよ。だから、かけ蕎麦をドロップしたんじゃない!」
「挨拶って言ってもなぁ。普通、スライムが来たら、襲撃に来たと思われるぞ?」
「そ、その辺は常識がまだ分かっていないんだと思うよ。スライムも飛び跳ねていただけで、襲ってきたわけじゃないしね」
トゥルシャの言う通り、ベルから見てもスライムに攻撃の意思は感じられなかった。考え込むベルに期待の籠った眼差しをトゥルシャが向ける。
「わかった、少しだけ様子を見ることにしよう。一日だけ待って問題がなければ、ひとまずお前の主張は受け入れてやるとしよう」
「ふふん、そんなすぐに何か問題が起きるわけないでしょ! それじゃあ、早く家に帰ってガチャの続きよ!」
家に入って一息ついたトゥルシャはガチャを再開する。
「よっしゃぁぁ、やっと完凸したぁぁ!」
「やれやれ、早く何とかしないとダメ人間に――」
完凸の喜びに浸るトゥルシャを冷めた目でベルが見つめる。たった一日で何か起こるはずもないとトゥルシャは安心しきっていた。しかし、トラブルの足音は刻一刻と近づいてきているのであった。