夜叉 ~二コラ・レッドヴィルの伝記~ 作:創生路ハイローラー
翌朝、起きると夜叉は床に座り瞑想していた。見ると昨日の残り物はちゃんと食べてくれたようだ。
「その体制で寝たら体が痛くならないの?」
「夜叉に眠る必要はない。習慣的に寝るやつもいるが、夜叉は夜が本領だ」
さすが名前に夜が入っているだけある。護衛役としては便利そうだが、さりとて知らない間に無理をされても困る。ミュータントなんてそもそも前代未聞の存在であるし、スペックを理解すべきだろう。
「じゃあ、服を脱いでもらえるかしら?」
「どういうことだ?」
「貴方の健康管理は雇用主である私の義務よ。これは生命保護の為の命令に入るわ。さぁ、脱ぎなさい」
「……わかった。従おう」
夜叉はずっと被っていた鉢金を下ろす。頭から肩までを覆っていたもので、何かしらの異形(角とか、尖耳とか)を隠していると思ったが、後ろで一纏めにしたくすんだ赤髪以外に変わったものはなく拍子抜けした。
次に首に巻いて顔を隠していた襟巻が外される。回帰を防ぐ為の首輪があると思ったがこれもない。
「嘘……どうやって回帰を防いでるの?」
「回帰? 何のことだ?」
「魔力を使用する事で、魔物の因子の増長と魔素の蓄積が発生するのよ。私達西洋の魔術師は、魔素を食べる琥珀虫を首輪に組み込んで魔素の蓄積を防いでいるわ」
琥珀虫が発見されるまで、魔術師は回帰による魔素中毒、そして代を重ねるごとに人間から魔物となる魔人化の脅威に晒されてきた。何度も言うが、首輪は生殖能力という尊厳を失うことと引き換えに魔術師の長寿を保証する生命線だ。個人識別やバイタルチェック機能も付与されて、イヴニスを始め多くの国家で着用が義務付けられている、社会的な身分を示すアイコンでもある。まして回帰速度が速いはずのミュータントがそういった装備を着用せず生存して、魔人化の痕跡もないのはあまりに不自然だ。
(琥珀虫が体内に存在する? あるいは魔素を無害化しているとでもいうの?)
魔物は魔素の影響を受けない。魔人も次第に魔素に適応していくが、完全な無毒化は最終段階、ほとんど人間としての機能を失い魔物になったときのみである。
考えている間に夜叉は上着を脱いで、太刀や鎧、籠手などの具足を外していく。全身革の装備で覆うのは火を使う魔法生物への対策らしい。住良木式の武器と具足はカラでは美術品として名高く、王宮で見かけた品は色とりどりの革紐で小札を綴った美しいものだった。一方こちらは表に革を張って、それに不揃いな小札を寄せ集めたような代物であった。
「俺たちは侍じゃない。金が無ければ鎧は自分で修理する必要がある。戦場を漁れば壊れた鎧はいくらでもあるから、ばらしてこうやって韋包にしている」
そうこう言っている間に夜叉は下着だけになっていた。住良木人が小さいのもあるが、彼も背がそんなに高くはない。しかし歴戦の剣士なだけあって筋肉質で、体中に傷跡があった。体中を調べてみたが特に異形の痕跡はなく、体温が若干低いが健康体だった。
「わからないわ。何の因子が入ってどうして何の害もなく人の形を保ってるの?」
そう考えていると服を着直した夜叉が「持ってみろ」と腰に提げた赤い太刀を渡す。私は受け取ろうとしたが、想像以上の重さに倒れそうになった。
「なにこれ? ロングソードと変わらない長さなのに倍ぐらい重いわ」
「鬼の鍛えた刀だ。魔力を通す通魔鋼を、厚く幅広に打ってある。少し短いが、魔法生物の皮膚を穿って内部に直接魔法攻撃を叩き込める」
「これが貴方の杖なのね」
魔術は使用者の魔力をエネルギー源として特定の文字や呪文、動作等をトリガーに作動する不可思議な現象だ。この内動作によって発生する魔術は理論上には指一本あれば実行可能だ。しかし神経にオーバーライドする形で身体中に張り巡らされた魔力神経のうち、指だけに集中して動かす発動条件を整えることは難しい。このため、手の延長と動作の単純化、象徴化による再現性確保の為に杖や箒といったアイテムが使われる。杖としての機能を有した魔剣は稀に見かける魔道具だ。魔法生物の中には分厚い表皮や魔力などの防御手段で魔法攻撃が通りにくいものもいて、こういった発想の武器がたびたび生まれる。ところが金属と魔力は相性が悪く、汎用的な杖としては中途半端だ。単一の機能に絞ったものもあるが、これもネタが割れたらただの剣なので、大陸によくいる有象無象の冒険者が隠し玉として使っているくらいだ。
「もう一本も重いのかしら?」
「いや、俺の戦い方もあるがこっちは羽のように軽い。切れ味を極限まで高めて、表面に施された銀の鍍金が魔力を断つ。通魔刀で開いた傷に間髪入れず差し込んで致命傷にするんだ。これが夜叉の基本の形だ」
「随分テクニカルな戦い方ね」
魔法生物は魔力を使った驚異的な回復能力を持っている。槍を心臓に刺したら失血死する前に穴を塞いで生存したという話もある。有効な攻撃手段として、エルフ達によって伝わったのが銀の弾丸だ。銀は魔力を遮断し、非魔法生物に対する鉛のように作用して魔法生物を殺すのだ。しかし、銀の武器は重大な欠点がある。
「だが今は折れて使い物にならない」
夜叉は忸怩たる表情で緑の太刀を抜く。気品のある拵えに白銀に光る美しい剣だが、真ん中からポッキリと折れて、鞘をひっくり返すともう半分が落ちてきた。銀の武器は強度に欠けるのだ。昼教国を中心に銀の剣の作刀が何度も試みられてきたが、実用に耐えうる強度の銀合金の精製の目途が立たず失敗に終わっている。夜叉の場合は二つの剣の併用で強引に解決したようだが、魔術も使えるのにここまで複雑にする必要があるのだろうか?
「剣の修復はできないの?」
「打ち直しは鬼にしかできない。どの道無一文ではな」
「経費なら私が出す契約よ」
「おいそれと出せる額じゃないんだ。それに、これは命よりも大事な形見なんだ。質に取られるようなことはしたくない」
破落戸の時もそうだったが、この刀に対して並々ならぬ思い入れがあるようだ。しかしなけなしの金を自棄酒で使いつぶしたのは彼自身なのだから、何もできない状態で意地を張られても困る。
「なら、尚更どんな形でもお金は準備すべきよ。私だってこの旅の為に結構借金はしたわ。でも出資者を説得する過程で旅の目標を具体的に決めて、必要な物を適切に準備することができた。それは私だけでなく出資者のアドバイスもあってのことよ」
旅を決めてからの三年の間にした悪戦苦闘は、役所で仕事に追われているだけの二十七年では得られなかった経験と見識、意外な人の懐の広さを知ることができた。
「大事なのは計画性。そしてそれを自分の言葉で伝えること。この旅は貴方の案内にかかっている。その過程に関しては私が偉そうには言えないわ。どんな道順で旅をするか、その中で、まずは当座の旅の資金、到達点として、貴方の半身の修理費を稼ぐ算段を建てなさい」
ここまで説得して漸く納得したのか、夜叉はしばらく考えた後ゆっくりと頷いた。
「わかった。当座の資金についてだが、一つだけ当てがある」
「うん。それはどこ?」
「天萬教だ」
宿を出た私達は、町の中心である大寺院の丘の反対側、南の町外れに来ていた。職工が慌ただしく働く製材所や材木問屋のある一帯に、島のように小さな森がこんもりと目立つ。近づくと建物の間に小さな石畳の参道が現れ、木々に覆われた暗い道(鎮守の森というらしい)を通り、門の骨組みのようなものを潜ると開けた場所に大きな神殿が建っていた。
「静かな場所ね」
「元はエルフの聖域だった。昼教がエルフの信仰を禁じて、今は森だけが残っている」
この地のエルフはやはり樹木を信仰する習慣があるようだ。平日の昼なので閑散としているが、信心深い老人や母子が参拝したり、巫女を先生に子供達が集まって青空教室を開講していたりする。建物は手入れが行き届いていて、それなりの信仰を集めていることがわかる。
巫女がこちら気づくと、上品な足取りで歩いて夜叉の前に来て一礼した。
「ようこそ夜叉様、本日はどういったご用件でしょうか」
「百足流派の夜叉だ。飛梅様に相談があって来た」
「はい、しばらくお待ちください」
巫女が社殿の奥に入っていく。待っている間に夜叉がここの信仰について教えてくれた。
「あれが菅原太学。天萬教は太学を学問の神として崇拝している」
「隣にルラキスの女神像が置かれているわ。夜の輔神って形なのかしら?」
この世界において神は昼と夜の二神だが、地上で卓越した活躍をした者は死後は二神の眷属となり、信徒を導くという輔神信仰が存在する。昼教では強い戦士が、夜教では学者や魔術師が信仰されることが多い。
「太学はエルフ教のあった頃から人気が高かったが、天萬教が現れてからのそれは全くの別物だ。『相邦の遺志』とやらで夜叉を支援しているが、どこから金が出て何のためにするのかはわからん」
支援を受ける割には随分と教団に懐疑的だ。口ぶりからして彼自身この近くの出身なのだろうが、いったい何があったのだろうか?
「エルフ教は二神教じゃないの?」
「エルフの信仰に神は……」
「夜叉様、飛梅様から面会のお許しが出ました。梅松庵にご案内します」
肝心なところで巫女が帰ってきて私たちは神殿の社務所に上がり、渡り廊下を通って梅松庵という場所にやってきた。至聖所である本殿と礼拝所である拝殿、巫女たちの生活空間の社務所、そして天萬教の教主である『飛梅様』の住居である梅松庵が中庭を囲むように建って渡り廊下でぐるりと一周する。中庭は梅に桜に松、この頃は初春で紅白の梅が花をつけて彩を添える。舟を浮かべられるような大きな池にせり出した神楽舞台などもあってまるで貴族屋敷だ。
梅松庵の主である飛梅は、庭の見える部屋で執務を取っていた。夜叉が部屋に入ると、紫の双眸を大層に驚かせて駆け寄った。
「■■、お主、生きておったのか? 百足が滅ぼされ肩を落としていたが、今の今までなぜ顔も見せなんだ」
夜叉の肩に触れて目を潤ませる。慈母のような、或いはいかにも宗教家らしい大袈裟な感情表現だ。
「故郷に帰っておりました」
「ここがお主らの故郷じゃ……いやすまぬ、気にせんでくれ。それで、妾に何の用じゃ。その客人は何者かの?」
飛梅は慈悲の目から威厳のある指導者の目に戻る。顔は童女のように幼いが、振る舞いは芝居がかって古めかしい。魔力を見せてはいないが、こういうタイプは直感的に魔女だという確信が私にはあった。魔女の、いや、女の社会には階級はないが男よりも厳然たる階層がある。異邦人の立場と言えど弱みを見せてはいけない。
「イヴニスの旅人で二コラ・レッドヴィルと申します。今は彼の依頼人として住良木のエルフ国家へ案内してもらうため行動をともにしています」
「イヴニス、確か帝国の西の辺境で旧名は……」
「ブリトニス。よくご存じで」
カラの地理誌でのイヴニスへの言及は古代帝国の書簡に書かれた植民地ブリトニスが唯一だ。誰か知っていてもおかしくはないだろうと思っていたが、こんなに早く出会えるとは思わなかった。
「夜の神の帳が西の果てから東の果てまで、既知世界のすべてを覆っていると知れて光栄です」
「うむ、我々天萬教は百学の魔術師にして治天の大相邦菅原太学の名跡を継ぎ、その遺命を果たすことを使命としておる。夜の帳の加護のあらんことを」
夜教同士の挨拶と握手を交わし、互いが同胞だと認識を作る。足がかりとしては十分だろう。夜叉に目配せをして、本題に入る。
「断魔刀が折れて、修理費が出せなくて困っている。流派がない今、飛梅様に用立てていただきたい」
夜叉は折れた刀を見せ、それだけ説明した。あまりにも率直で他に何かないのかとも思ったが、ある意味美徳なのかもしれない。しかし、飛梅の返答はよいものではなかった。
「残念じゃが、流派への援助はするが夜叉個人への貸し借りはせぬ決まりとなっておる。たとえお主が最後の百足であってもじゃ」
「……そうか」
如何にも残念そうだという口調だが扇で口元を隠しているので真意がわからない。或いは私が付いて来たのが印象を悪くしたのかと思ったところで、彼女が提案をしてきた。
「代わりと言ってはなんじゃが、一つ仕事を受けてくれんかの? 市の書記官から虫退治の依頼がある。簡単な仕事じゃ、肩慣らしにもなろう。西方の魔女殿も問題なかろう」
扇をずらし一転して今度は微笑みを浮かべる。上品さを崩さず多彩な表情を見せることは、感受性に乏しい夜叉に意味があるのだろうか? とは言え、これは私にとっても都合がいい。
「丁度私も夜叉の仕事が見たいと思っていたの。ねぇ夜叉、やってもいいんじゃない?」
「あぁ、そういうことなら行ってみよう」
こうして夜叉の初仕事が決まった。役所の場所を聞いて、立ち去ろうとする。すると飛梅姫が夜叉に話しかけた。
「今回は『清め』をせずとも良いか?」
「必用ない」
「なら良い。行って参れ」
この時はさほど気にしなかったが、後々これの意味を知って驚くことになる。