夜叉 ~二コラ・レッドヴィルの伝記~ 作:創生路ハイローラー
聖域を飛び立った私達は夜叉の案内で参道に沿って飛ぶと、街道に行きあたってすぐに溪津に着いた。
「思ったより目と鼻の先だったのね」
早くも日は落ちて暗くなり、川沿いの店や荷揚げ場から人夫が引き揚げて、逆に街道側の宿は客引きで賑わう。佐吉の働いている油屋に着くと、番台の上から怒声を上げる店主と土下座する佐吉が見えた。
「これがどれ程大切なお役目か分かっておるのか! 商人が財布を失くして何ができる!!」
「申し訳ございません!」
「襲われたならなぜ助けてくれた者を店に連れてこず自分の金で報酬を支払った? 戻ってくるのも早すぎる、本当に財布を盗られたのか? あれは公の金だ。持ち逃げすればお前の命だけでは足りぬのだぞ!」
店主が怒りのあまり持っていた扇子を佐吉の頭に投げつける。私は佐吉さんが可哀想ですぐに店に入った。
「すみません、佐吉さんを助けた者です」
「なっ、こんな細い女性が佐吉を? 本当か?」
「この方です! この方とお連れの夜叉様が賊を追い払ってくれました」
佐吉が私に縋り付く。私は銭袋を取り出して店主に事情を説明した。
「私はニコラ·レッドヴィル。こっちが夜叉です。私が箒で飛んで佐吉さんを送り届けたんです。その間に、夜叉がお金を取り返しました。佐吉さん、遅れてごめんなさい」
店主は半信半疑であったが、血塗れの夜叉の格好を見て本当だと思ったのか銭袋を受け取って金を数えた。
「確かにこれで間違いない。今時こんな方がおられるとは。何とお礼を言ったらよいか」
「ありがとうございます!」
店主と佐吉は深々と頭を下げた。
「佐吉、今出れば明日の朝には商都に着く。儂も行くからお前は舟を準備しろ。お二方への礼は儂がする。早う行け! かかあ! この方達が佐吉の財布を取り返してくれた。儂は今から出かけるから儂の飯と風呂はこの方達に世話してやってくれ」
店主はすぐに商人の顔に戻り矢継ぎ早に指示を出す。それから、奥の棚から小袋を出して私達に手渡した。
「助けていただいたお礼です。もう遅いので今夜はこちらにお泊りください」
中身は黄金に輝く小判が十枚束で入っていた。夜叉にも同じものが渡される。
「こんなにいただいていいんですか?」
「うちは溪津一番の油問屋で都の大動脈です。これくらいお渡しできないと沽券に関わります。この商売、右から左に品物を動かすだけとよく言われますが、油は眠らぬ都を守る生命線。特権の分責任も重い仕事です。普段であれば金子は両替商を介して帳簿でのみ動かし、商品は船荷か十分な護衛をつけて輸送します。今回は急な入り用でしたので、止むなく佐吉に現金を持たせたのですが、護衛も付けずに出て行ってこのようなことになってしまいました。あれは正直者でよく働いてくれますが、外向きの仕事をさせるにはまだ経験不足でした。あれの命だけでなく、金まで返ってきたのならこの額のお礼は安いものです」
大商人らしい店主は鷹揚な態度で言う。一先ずこれで一件落着と思ったところで、夜叉が小判を取り出して話し出した。
「佐吉を襲った賊についてだが、この近くの神殿を根城にしていた」
「はて、この辺りに廃寺がありましたかな?」
「結界によって隠されていた。ここから西に一里だ」
それを聞いた途端、店主の顔色が変わる。
「そ、それはまさか!?」
「あぁ、狐容手様だ」
「なんと……」
「有名な場所なんですか?」
「はい、ここの一番社で広く信仰を集めていましたが、五十年前、ある日を境に姿を隠して以降誰も見つけられなかった。ここから目と鼻の先、都からも見える大きな桜の木があったにも関わらずです。それを見つけたとは真ですか?」
「そう思うなら一つ頼み事がある。社を隠していた結界を一時的に無力化した。だが、完全に無効化するにはもう一つ手を加える必要がある」
「なんでしょうか」
「あの桜の木の下には、死体が埋まっている」
「「!?」」
衝撃の証言に場が凍り付いた。
「ちょっと夜叉、さっきはそんなこと言わなかったじゃない!」
「それはこの土地の当事者が判断すべきことだからだ」
そう言った夜叉は報酬の小判のうち一枚を差し出した。
「あと一月はある。俺を信用してくれるなら、これで遺体を掘り出して供養してやってほしい。それで結界は消える。そのあとは神殿は好きにして構わない」
「……わかりました。戻ってからになりますが、座と当局に相談しましょう」
店主は小判を受け取る。すると夜叉はもう一枚小判を取り出した。
「ついでに頼みたいことがある。神殿に片腕の男が居たら、世話をしてやってほしい。賊の生き残りだが、もう悪さはしない筈だ」
「……簡単には了承しかねる話ですな」
「二度死んでも意地を通すような奴だ。生き場所さえあれば道を違えることは無いだろう」
「わかりました。どうするかは私が直接見て決めますが、心に留めておきましょう」
店主はもう一枚も受け取ると、再び礼をして店を出ていった。
それから店主の女将さんのご厚意でお風呂に入れてもらった。風呂と言っても大きな釜で、釜茹でにされた魔女の御伽噺を思い出して思わず身構えたが、ちゃんと底板が張られていた。私が先に入って、その間に夜叉には服を洗わせる。夜叉は風呂に入るのを嫌がったが、血のついた服で店に上がらせるわけにはいかないので命令権を使ってでもやらせた。湯舟に浸かりながら、私たちは今日のことを話した。
「それにしても貴方って結構甘いところがあるのね」
「?」
「あの男の腕を最初に斬り落としたのは、彼を殺さないためだったんでしょう?」
「傷を塞いだのはお前だ。俺は何も考えず、俺のやり方で罰を与えただけだ」
「それでも、彼の為に一両一文も使ったわ。道涓のためにも祈ってたし。罪人の為にそこまでできる人はそうはいないわ」
「人は正しく弔わなければ禍になる。罪の有無に関わらずな。今は人を殺していない人間を探すほうが難しい世の中だ。罪は消えないが、生きていればできることはある」
そう言うと、彼はこちらを見て何かを投げつけた。咄嗟に受け取ると、煤けた銀貨だった。よく見ると、それは夜叉に初日の酒場で渡したものだった。
「これって……」
「お前の真似がしたくなった。奴の欲しいものではなかったようだが」
「彼もまた、仲間の魂を救おうとしたの。それを思い起こさせたのは貴方よ」
「いや、お前のおかげだ。お前が居なければ、この件には関わらなかったし、連中を追いかけようとも思わなかった。あの桜をもう一度見ることも」
「あそこに来たことがあるの?」
「あぁ。昔、まだ夜叉でなかった頃に、乳母と従者と三人で桜を見に行った」
夜叉は重力魔法のスクロールの入った袋を取り出し、懐かしそうな目で思い出話を始めた。
「元々は、守り袋だった。従者がどうしてもと言って渡してきたんだ。葵に見せたら怒られたものだ。『願掛けなら私のところですれば良い』と」
「葵さんって?」
私がそう聞くと、夜叉は少し黙り込む。そして足元に置いた断魔刀を指さす。
「……この刀の元の持ち主だ」
「飛燕って言ってたわね」
「刀の銘だ。赤いのが紅鵺。俺の魂、飛燕は葵の形見だ」
夜叉が飛燕を命のように大事にしているのは知っての通りだ。余程大切な人だったのだろう。
「すごい切れ味だったわ。刃が見えなかった」
「葵の剣はあんなものじゃない。風切り音が刃の後から来る」
「……冗談よね?」
「本当だ。弓も剣も侍より強かった。ただの人でな」
話を盛ってるとしかこのときは思えなかったが、青木という怪物を昼に見ているので侍の基準も分からなくなる。
「侍って、ここでは青木みたいなのが普通なの? 馬鹿みたいな膂力に抗魔力まであったように見えたけど」
「あれは特別だ。四職位の名族は血が濃いから、若くてもあの力がある。あれで症状も出てないとは末恐ろしい」
(症状? 回帰が起きるのかしら)
このとき私はそう解釈した。
「魔力があるなら、魔術も才能があるはずよ」
「それはないな。奴らは魔術は使えない。そう作られてる」
「作られてるって、ミュータントじゃあるまいし」
「侍も、夜叉と同じく菅原太学が創ったミュータントだ」
「!?」
今日は色々とショッキングなものを見た私だが、このときが一番びっくりして思わず湯船から立ち上がった。
「ちょちょちょっと待ってよ! 侍って身分のことよね。それも騎士とか領主みたいな。そんなのが全部ミュータントだって言うの?」
「そうだ。奴らは魔術を使えないが、魔力を身体強化と回復に使い、生殖能力も持っている。戦い支配するために作られた種族だ」
「ありえないわ! ミュータントの製造自体が殆ど成功例がないのよ。それを軍隊になるほど量産するなんて。それに、ミュータントは急速な回帰で確実に生殖能力を喪うのよ。そんな都合の良い種族が居るわけないし、仮に本当だとしても、国ぐるみでそんなことをしようとして神々が介入しないわけないわ!!」
ミュータント研究はそれ自体が禁忌だ。倫理規定で禁止されている夜教は勿論、昼教、いや昼神自身がミュータントやアンデットに関して強い嫌悪感を示している。教団を使って軍隊を召集したり、自ら天罰を下した例もある。なのに、この国ではミュータントが国を支配しながら、昼教が国教として崇拝されている。
「落ち着け」
「だって!」
「落ち着けよ。見られてるぞ」
頭に血が上って捲し立てていたが、夜叉の言葉で自分が裸で大声を出してることに気付く。お湯の世話をしてくれてた若い女中は私の体を見て口をパクパクさせてるし、丁稚達がこっちを覗き見ようとして女将さんに追い散らされる。私は恥ずかしくてお湯に頭を沈めた。身体は熱いし顔も赤くなるが肝は冷える。それから風呂釜から上がってお湯を冷やすための水桶を頭から被って体を冷やすと、血管が膨張して頭がスッキリする。まだ熱いのは、ずっと握りしめていた銀貨だけだ。指先に未だ伝わる熱が私に冷静さを取り戻させた。湯冷めしないように体を拭いて肌着を着て、魔術で温風を当てて髪を乾かす。以前は伸ばしていたが、少しでも旅費の足しにしようと売ってショートヘアになっていたので、乾くのはあっという間にだった。
「落ち着いたか?」
「納得いかないけど……」
まだ出会って数日だが、この銀貨一枚で夜叉との関係が始まって、紆余曲折あって金貨十八枚も儲けて人助けもした。取り敢えず関係は上手くいっている。一時の興味や思い込みに左右されるべからず。疑問は時間をかけて何度も検証すべし。その為の魔女の体なのだ。私はアカデミーで耳にタコができる程聞かされた言葉を思い起こす。
今は夜叉との関係を良くすることを考えるべきだろう。そう思って私は彼の冷たい右手に溶けた銀貨の変わりに小判を握らせて、両手で包み込む。
「まぁ、今日のことはありがとうね。私だけじゃこの結末は選べなかった。これは私からの報酬よ」
「……必要ない」
夜叉は少し受け取るのをためらう。なのできちんと理由を言った。
「貴方が依頼主に返した分の補償でもあるわ。それと貴方、後始末を頼むのは判るけれど、報酬の中から戻されるのは向こうからしたらいい気分じゃないわよ。それに刀の修理の為にお金を貯めないといけないんでしょう?」
「……」
彼は実直で思いやりもあるのだが、金銭面では少々不躾でデリカシーに欠ける行動を取ることがある。この点で反感を買うことは多かっただろうし、それがますますお金に依存した付き合いに走らせていたのだろう。
しかし、夜叉の本心は別にあったようだった。
「なら銀貨を返してほしい」
「もう貨幣としては使えないわよ」
表面の刻印は溶けていて、もうお金としては価値はない。
「だからこそだ。鋳つぶして刀の材料にする」
「え?」
「断魔刀は、昔は銀貨を集めて作っていたと聞いている。だから、お前が最初にくれた一枚で、飛燕を打ち直したいんだ」
夜叉は私を見据えて淀みなくそう言った。
「えっと……それって……」
冷えたはずの頭がまたのぼせてきた。彼の右手に重ねた私の手にさらに彼の左手がかさなる。剣を振るってごつごつの力強い、しかし、老人のように冷たい手だ。洗濯したからでなく、もとから結構冷たい。それがかえって、早くなる自分の脈拍を自覚させる。
「いいの? 大切な人の形見なんでしょう」
「あぁ、俺が生きてる限り、背負うべきものだ。生まれ変わらせるなら、お前のことも抱えていきたい」
「ッ!!!!!!」
多分このとき、彼を男性として意識し始めたのだと思う。この不愛想な男が、こんなロマンティックな思考をしていたなんて、考えてもみなかった。
「うれしいこと言ってくれるじゃない。わかったわ。でも、早く服を脱ぎなさい。手もこんなに冷えちゃってるし。先ずは背中から洗わないとね」
「俺は別に……」
「良いの、明日は都に入るからしっかり手入れするわよ。爪の先まで生まれ変わらせてあげるわ!」
すっかり機嫌が良くなった私は、女中さんと二人がかりで彼を脱がせるのだった。
お疲れ様です。
この章はあと1話ありますが、次は日常会という名の設定開示回なので、夜叉の活劇が目的の方は最悪読み飛ばしても問題ありません。
そういう事なので、おまけの登場人物紹介はここでさせて頂きます。
・道涓
道涓は飢饉による地方の荒廃で都に流入した流民の一人で、犬肉商だった。犬の飼育の腕を買われて所司代の高多忠篤に取り立てられ、新たに導入された鱗犬の飼育を任され、警吏としても実績を上げた。應神の乱が起ると、彼も所司代と共に東軍として鱗犬を率いて西軍と戦ったが、都を巻き込んだ長期戦で兵糧が底をついた。彼はスラム街でそうしていたように戦いの犠牲者を犬に食わせて何とか部隊を維持したが、それすら足りずにやむなく自分の犬を捌いて東軍兵たちに差し出した。これによって軍は崩壊を免れ、その日の戦いに勝利できたが、人を食わせた犬を出されたことを知った所司代は翌日首を括って自害し、道涓とその部下は略奪罪で両軍から追われる身となった。「高田様は功を妬む者に殺されたんだ。生きていれば、必ず、必ずもう一度成り上がれる……」彼はその日を穴蔵で待ち続けた。
・青木正則
彼は没落した四職の一つ、青木氏の忘れ形見であり、その遺臣たちによって育てられた。
彼の祖父は、当時『万人恐怖』と呼ばれていた公方を誅殺すべく、友と呼んだ夜叉を引き入れ、自邸に招いた公方を暗殺しようとした。しかし、その夜叉は公方を見ると「彼は『くるい』ではない!」と騒ぎ、暗殺が露呈したため、止む無く夜叉諸共公方を弑した。
その場に居合わせた守護達は、当初は彼を支持し、事件は表向きには夜叉と公方の相打ちとされたが、殺された夜叉と別に独自に公方を調査していた他流派の夜叉が事件の真相を明るみにすると、諸侯は保身の為に掌を返して青木一族討伐を決定した。青木一族は自領で必死に抵抗したが敗れ、敗走中に殺された夜叉の仲間達の追撃を受けて壊滅した。
数少ない生き残りと遺臣たちは、鯨漁の漁船団に身をやつして全国を回りながら活動し、時には傭兵として活動しながら武功を建てお家再興の為に働いた。そんな彼らに育てられた正則は、船乗り、相撲取り、そして賞金稼ぎとして、彼を信じる部下たちに報いるため今日も戦う。