逆さまのこころ   作:おんせんまんじう

10 / 13
おまえになにがわかる

 目的も、意味も無い逃避行の末、私は薄暗い路地の陰に座り込んでいた。

 人々の喧騒は、遠くて近い。

 耳の奥でざわめいては、膜越しの音のようにぼやけている。

 

 狭い空間には、古びた木箱や錆びた空きビン、役目を失ったゴミが積もり、ネズミがちらと顔を覗かせた。

 ここは、日差しも人の視線も届かない。

 穢れた、忘れ去られた場所。

 

 それでいいと思った。

 誰も私を見ないなら、それはちょうどいい。

 誰にも気づかれず、ここで朽ちるにはふさわしい。

 

「……」

 

 私は力なく体育座りになり、額を膝に押し付けた。

 胸が空洞になっていく感覚。

 何もない。

 価値もない。

 生きている意味なんて、もうどこにもない。

 

 だったら、死ねばいい。

 その人混みに飛び込んで、アリの様に誰かに踏み潰されて終わればいい。

 それなのに———

 それができない。

 

 なぜだ。

 私は生きたいと思っているのか?

 生きて、何になるんだ?

 

 抜け殻の私が、何を望んでいるというんだ。

 考えれば考えるほど、頭がぐらつく。

 『天邪鬼』だからこうする———

 そんな理由は、もう使えない。

 

 分からない。

 どうすればいいのか分からない。

 前は一本道だった。

 嫌いなものを否定し、ひっくり返して、ただ進めば良かった。

 でも今は———どこも真っ暗で、道が見えない。

 

 立ち止まるしかなかった。

 ここで蹲り、終わりを待つしかなかった。

 

「……」

 

 ———じゃあ、なんで『先生』を助けたんだ?

 私は誰に聞かせるでもなく、呟いた。

 

 分からない。

 理由なんて分からない。

 身体が動いていたんだ。

 仕方なかったんだ。

 

 ああ、もう分からない。

 何が正しい? 何が間違い?

 誰か教えてくれ。

 この矛盾を、終わらせてくれ。

 

「誰か、私を———全部終わらせてくれ」

 

 誰かに殺されて欲しいのか、それとも、救って欲しいのか。

 それすら分からなかった。

 

 言葉が落ちた直後の空気は、あまりに静か。

 

 鼓膜に響くのは、自分の呼吸音だけ。

 吐くたびに、胸の奥から冷たいものがこみ上げてくる。

 さっきまで走っていた身体はすっかり冷え切って、汗はもう乾き、ただ寒いだけになっていた。

 

 ———時間が止まったような感覚。

 

 けれどその沈黙の中に、ふと、何かが違うと感じた。

 

 風が通った。

 

 それまではじっとりと澱んでいた空気が、急に肌を撫でるように動いた。

 誰かが近づいてくる———そんな確信のない確信だけが、背筋を撫でた。

 

 音は、しない。

 

 それでも分かる。

 誰かが、こっちに向かって歩いている。

 迷いのない、まっすぐな足取りで。

 

 私は、顔を上げなかった。

 振り向く気力もなかった。

 それでも、来たのだ。

 

「ねぇ」

 

 殺してくれる人が。

 

「通報があって来たんだけど」

「…殺せよ」

 

 自分でも驚くほど、乾いた声だった。

 命令とも懇願ともつかない。

 ただ、すべてを投げ出したような一言。

 

 ———私を、終わらせてくれと。

 

「あんた、随分と変わったわね」

「…」

 

 その声は、やる気のなさそうな抑揚のない声。

 博麗霊夢だとすぐにわかった。

 

 けれども、そいつはその手を下さず、呑気に私に語り掛ける。

 『随分と変わった』、その一言に、全てを見透かされている様な、不躾に覗き見られている様な気持ち悪さを感じた。

 

 こんな奴に、私の苦しみを理解されている様な気がして、喉を掻きむしりたくなった。

 

 こんなやつに、何が分かる?

 いくら勘が鋭かろうが、あんたの想像で、私のこの感情を理解出来る訳が無い。

 

 苛立ちが募る。

 今度は語気を強めて言った。

 

「だから、さっさと殺せよ」

「なんで?」

 

 間を置かずに帰って来たのは、短い三文字だった。

 了承、拒否、そのどちらでも無い、疑問。

 

 さも当たり前のように放たれた言葉。

 理解に至るには、私は些か遠すぎた。

 

「は?」

 

 意味が形を成して。

 遅れて、言葉が漏れる。

 

「何、言ってんだよ…お前は博麗の巫女だろ、何が『何で』だよ、ふざけんてんじゃねぇぞ!!」

 

 意味が分からなくて、それを吐き出す様に怒鳴る。

 癇癪の様な叫びだった。

 博麗の巫女の無機物な瞳は変わらない、暖簾に腕押しだった。

 

 私の気持ちなんて知ったことかと言わんばかりに、博麗の巫女は言葉を続ける。

 

「だってあんた、妖怪じゃないし」

 

 それは、処刑宣告だった。

 粉々のアイデンティティを、更に吹き消す様な追い討ち。

 心の奥に、静かな破裂音が響く。

 怒りでも、悲しみでもない。

 

 首が刎ねられたかの様に、四肢の感覚が消える。

 惨めにも、じっと蹲るのみ。

 

 それは『私』を否定された絶望というよりは、こんな奴にすら私は妖怪じゃないと言われるのかという、諦めが産んだ物だった。

 

 分かってる、もう分かっているんだ。

 私みたいな半端者は、何者でも無いことは。

 

 でも、お前には。

 私の葛藤も、苦しみも知らない、会ったことすら、数回しかない。

 私を無条件に信じた『先生』とは、比べ物にもならないお前には。

 

 言われたくない。

 

 マグマの様に迫り上がる激情。

 溢れて、零れ落ちた。

 

「…だったら…だったら、何なんだよ!!私はなんだって言うんだよ!!ふざけんなよ…!情けのつもりかよ…!!…クソ…!…クソ…」

 

 怒号が喉をすべって、涙が滲んだ。

 『天邪鬼』だから、毒を吐いた訳じゃない。

 しかし、吐き出さないと何かに溺れそうだった。

 

 感情という感情が溶けたマグマは直ぐに冷え固まり、どろどろと私の心の中でこびり付く。

 それを吐き出そうと言葉を尽くしても、喘ぐように息を漏らすのみ。

 どうしようもない苦しさに、涙が溢れた。

 膝に顔を押し付けて、震えながら泣いた。

 誰にも聞かれたくない、誰にも見られたくない、醜くて、弱くて、壊れた泣き声だった。

 

「知らない、私が知る訳ないでしょ」

 

 霊夢の声は、まるでゴミ箱を蹴るように無機質だった。

 そのまま、足音が遠ざかっていく。

 背を向け、去っていった。

 

 私を、殺さずに。

 

 ———今度こそ、私は一人きりだった。

 

 上から、冷たいものが頬を撫でた。

 

 暗い路地裏に、ポツポツと雨が差し込む。

 直ぐに雨脚が強くなって、私の汚い服を濡らして、肌に張り付いて体温を奪う。

 私の頬に、幾重もの水が流れていく。

 寒くて、苦しくて、どうしようもなくて。

 私はぎゅっと、手のひらを握って、誰にも見られない様に身体を縮こめた。

 

「………『先生』…」

 

 気付けば、その名前を呼んでいた。

 その資格なんて、ある訳が無いのに。




博麗霊夢が正邪を見つけた理由、それは勘です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。