あれから、色々あった。
まぁ、色々は色々だ。
まず、『先生』と私はあの後、永遠亭に向かった。
あの上白沢慧音に背負われて、だ。
あの時は『先生』が背負われて、私は横抱きだった、と、思う。
正直、意識が朦朧としていたんだ。
死ぬレベルの怪我からの病み上がりで、あれだけの無茶をしたのだから、死んでいない方が不思議だったと今でも思う。
あと、慧音の視線が妙に柔らかかった、気がする。
ただ、藤原妹紅にも連れられて永遠亭に着いた後、地獄が始まった。
八意永琳の処置の後にベットに寝かされたと思えば、『先生』と上白沢慧音が言葉で殴られていたのだ。
『先生』は青い顔で目を閉じ、マシンガンの様な説教に耐え、慧音に至っては正座で土下座していた。
やれ、死んでいたかも知れない、や、友人でもやって良い事と悪い事がある、や、せめて一言通しなさい、やら。
あの時は凄かった。
何というか、凄かった。
『先生』は無菌室に連れてかれるまでずっと怒られていたし、慧音はその倍は怒鳴られていた。
意識が混濁していても、鮮明に覚えてる。
私の身体は妖怪の身であるが故に治りが早く、更にあの八意永琳の治療もあって、数日後には早々に歩ける様になっていた。
兎に角『先生』を一目見ようと、私は無菌室まで足を運んでいた。
ガラス越しで直接声をかける事は出来なかったけれど、彼は私に手を振ってくれた。
心底、安心して、ガラスの前でへたり込んだ覚えがある。
それから一週間もすれば、『先生』は歩き回っても良い状態まで回復したし、私も万全では無いが出歩けるくらいには回復した。
やがて『先生』は私の一緒の病室に移されて、カーテン越しに私達は話せる様になった。
正直言って、何を言えば良いのかわからなかった。
気まずかった。
『天邪鬼』を目指しているとしても、『天邪鬼』じゃない自分を否定しなくてもいい、正直な事を言ったっていい。
頭では分かってる。
けど、これまでの習慣とも言えるこの思考回路は、私を正直な少女にはしなかった。
退屈、病院ならではの苦痛、溜まったストレスをぶつけるかの様に、私は『先生』に話して、話して、話した。
聞いていて面白くもない話だ。
『先生』に謝罪とか感謝とか、そういうのはついぞ出来なかった。
いや、『先生』がそれらを求めていないのは分かっている。
義理的にしておくべき事なのだ、だけど、出来なかった。
出来なくても、もっと柔らかい言葉を掛けるべきだった。
『先生』は嫌な顔もせずに聞いていた。
それが、辛かった。
少しの日が経って、問題が起こった。
その日は、朝の検診に八意永琳が来ていた。
もう退院は直ぐだということや、様々な忠告、血液検査や血圧測定など、ついでに病院食の配膳、その日はいやに多くの時間を取られた。
そして検査が終わり、彼女が去る直前、ある言葉を漏らしたのだ。
『腕の調子はどう?』
それをカーテン越しに聞いていた私だったが、疑念がどんどん大きな渦を巻いて、気付けば目の前の質素な病院食の味が分からなくなっていった。
なんで、腕なんだ?
頭じゃないのか?
やがて、疑念は筋を凍らせる恐怖へと変わっていく。
脳裏に浮かんだのは———
「…後遺、症…?」
「…」
彼は、『先生』は何も答えなかった。
それが、答えだった。
取り返しの付かない傷跡が、私の罪を詳らかににしていた。
「…っ何、でだよ…何で黙ってた…!何で隠してたんだよ…っ…」
「…ごめんね」
何が『ごめんね』なのか、私には分からなかった。
でも、どうせ『心配させたくない』だとか、『負い目に感じてほしくない』とか、そんな理由なんだろう。
———ああ、イラつく。
「ふざ…っけんなよ…!!…くそ………」
『先生』の怪我を察することも出来なかった、自分に。
心配も、負い目も感じてしまっている自分に。
腹が立ってしょうがなかった。
「…本当に気にしなくて良いからね、リハビリすれば治るみたいだし」
「…うるさい」
『リハビリすれば治る』、それを聞いた瞬間、私は口とは裏腹に安心を感じていた。
それでも、『後遺症が残った』という事実は直視出来なくて。
布団を頭から被って、私は目を閉じた。
それから、退院するまでの間、頭の片隅に『私はどうすればいいのだろうか』という疑問が残り続けた。
隣に過ごす『先生』は、確かに利き腕を使っていなかった。
なんで、こんな事にも気付かなかった。
最早愚痴なんて言えなかった。
時折『先生』を見て、目を逸らす、それが、何回も続く。
『先生』は私に何回か話しかけていたが、曖昧な返事しかできなかった。
ぼんやりとしか集中出来なくて、霞が流れる様に時間が過ぎていく。
そんな調子が、退院するその日まで続いた。
この身一つの私は、準備という準備も無く、あっという間に退院の用意が整って、八意永琳が私のベットを片付けている。
その隣のベットでは、『先生』が起き上がっていそいそと用意していた。
毛布を畳んだり、片付けたり。
永琳に無理しなくていいと諌められながらも、やりにくそうにしている。
手伝うべきだったが、体が動かなかった。
ここに居るべきじゃないような居心地の悪さの中、彼の所作を見つめる事しか出来なかった。
何かしなきゃ、何かしなきゃ。
言葉が頭の中でくるくる回って、帰着点を見失っている。
言いようのない不安が募って、喉元が気持ち悪かった。
気付けば時間は直ぐに経って、『先生』の用意も終わっていた。
「それじゃあ、用意も終わったし、退院してもいいわよ」
『先生』の永琳が歩いていく。
私はそれに付いて行く。
私の視線は、『先生』の腕に固定されていた。
◆◆
「それじゃあ…最後に一応聞くけど、貴方はどうする?入院を続けて、完治するまで居てもいいけど」
「いえ…迷惑になるでしょうし、このまま退院させてもらいますよ、ありがとうございました」
私は、怯えていた。
そう気付いたのは、だらんと力の入っていない腕を揺らした『先生』と共に病院の出口を出た瞬間だ。
穏やかに笑う彼の姿を見ていると、うっすらと、分かったのだ。
それは一生続くかもしれない傷を負わせた罪悪感と、何も行動出来ない自分への無力感。
それらに裏打ちされた不安や恐怖から来る怯えだった。
自分の罪を再確認するという事は、どうしようもなく辛かった。
「そう?貴方は独り身でしょう?リハビリしながら生活はしにくいんじゃないかしら」
「はは、お気になさらず」
私は、何をすればいい…?
ただ、怖かった。
彼を失うのも、彼に見限られるのも。
そのどちらも。
何かする資格はあるのか?
もしかしたら、無いのかも知れない。
免罪符の様に、『先生』を贖罪の道具として扱っているのかも知れない。
けど、クズで、嘘吐きで、力も弱い私だけど。
何とかしなきゃって、それだけは本当だから。
だから、誰かに責められたって、こうしたいと思っているから———
自問の果てに。
遂に私は、答えを出した。
「…私が、世話するから」
言った瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。
これでいいのか? 勝手な押しつけじゃないのか?
疑念が喉を掻きむしる。
「…?」
「…うん?」
二人の視線が絡んで、足の先から冷たくなった。
でも、逃げたくなくて、思わず声を荒らげた。
「っ私が! お前の世話をするから!!」
沈黙。
『先生』の瞳に映るのは、驚きと、迷いと、少しの安堵。
……だけど、喜びの色なんて一つもない。
それが逆に、私を突き動かした。
「……いいのかい?」
「っいいから!」
震える指先で裾を掴む。
離したら、この決意ごと消えてしまいそうで。
胸の中は荒れ狂っていた。
恥ずかしいのか、怖いのか、よく分からない。
ただ一つ分かるのは———私はもう、放してほしくなかった。
「っほら!行くぞ!!」
「あっ!っちょ!引っ張らないで…!ゆっ、ゆっくり…」
強引に、離さない様に彼の裾を握る。
何故だろう、顔が熱い、『先生』の顔が見れない。
体が強張って、優しく出来ない。
視界の端で、八意永琳が写った。
———素直じゃないわね。
確かに、そう言っていた。
◆◆
迷いの竹林を抜け、人里を避け、魔法の森へ向かい、遂に彼の家に着く。
短い様で、長い道のりだった。
殺意と後悔の果てに、罪と赦しを抱えて歩いてきた、その心の道のりも。
『先生』が常用する胞子避けの巫女札のおかげか、キノコの瘴気は問題無かった。
家の中は『先生』の血が散乱している筈だと思っていたが、上白沢慧音が定期的に掃除していたおかげか、ゴミ一つ見当たらない。
「さて、どうしようか?何か作ろうか?」
私が手を引いていた『先生』が、私の横を通り抜ける。
『先生』は病床に伏せていた頃の面影の感じない、柔らかい笑みを私に向けていた。
そして『先生』は———
————『先生』。
言葉の響きに、疑問を覚える。
なんでずっと、私は彼の事を『先生』と呼んでいるのだろうか。
いつから、『先生』と呼んでいたのだろうか。
単に教師だからとか、尊敬しているからそう呼んでいる訳じゃないのは確実だ。
一番最初に彼が、彼自身を『先生』だと呼称していたからそう呼んでいるだけなのか。
だったら何故、私は彼の名前を聞かなかったのだろうか。
簡単だ。
名前を聞く気が無かった。
私は彼を下に見ていた。
偽善者、愚か者、ただのバカ。
知った所で、意味が無いと思っていた。
だから、名前なんて聞かなかったし、彼を殴った瞬間まで、『先生』と呼ぶことも無かった。
心の中で『先生』と言っていたとしても、それはただの突き放しと変わらなかった。
じゃあ、何で彼は自分の名前を名乗らなかったのか。
私は曲がりなりにも『正邪』と、そう答えたのに、彼はついぞ名乗らなかった。
…多分、多分だ。
彼も、足掻いているからだ。
『先生』と言う理想に、少しでも近付くために、理想の輪郭を掴む為にそう名乗っているのだろう。
「…?…正邪?」
あぁ、何だか、それは嫌だ。
私はもう、『先生』を認めてる。
嫌いになれないんだ。
彼はずっと、ずっと。
私と同じ位置で目線を合わせていた。
対等であろうとしていた。
そんな彼を、『先生』と呼ぶのは。
何だか、見えない壁がある様な気がして、嫌だ。
対等でありたい。
同じ高さで向き合いたい。
あの出逢いから続いた関係を、今、新しく始めたい。
例えそれが、後戻り出来ない不可逆の選択だろうと。
———だから。
「なぁ」
彼が不思議そうに私を見つめる。
お前は、私に新しい生き方を教えてくれた。
妖怪として、それが正しい事なのかは分からない。
けど、お前は『天邪鬼』を殺して、『私』を産んだ。
その責任は取ってもらうからな。
知らない事だって沢山ある。
『先生』なら、教えてくれよ?
「————名前、教えてくれよ」
懇願でも、命令でも無い。
ただ、対等でありたいと叫ぶ一人の存在の叫び。
『先生』は、彼は目を見開いていた。
やがて、困った様ににこりと笑うと、始めて逢った時の様な優しい目をして、口を開いた。
おしまい。
お付き合いして頂き、ありがとうございました。
正邪の自己矛盾と愚かさと可愛さを書けて満足です。
逆さまのこころの『こころ』は、夏目漱石著の『こころ』のオマージュだったり。
良ければ評価と感想を頂けると幸いです。