昭和四十年代。
夏の夕立が通り過ぎたあとの港町は、濡れたアスファルトが照り返す光をまとい、どこか異様な熱気を帯びていた。
虎杖倭助は、タバコを咥えたまま、鼻で笑った。
「――なぁ、もうやめとけ。人が死ぬぞ」
その声に、港の倉庫裏で騒いでいた不良たちが、一斉にこちらを振り向いた。
目つきの鋭い男が、舌打ちをひとつ。
「おいジジイ、何様だよ。ここはテメェの遊び場じゃねぇ」
ジジイ――そう呼ばれても、倭助はまだ二十代の青年だった。
だが、町ではもう有名だった。“人間離れした何か”を抱えている、と。
倭助はポケットからライターを取り出し、火を点ける。
その動作のどこにも、急き立てられた様子はない。
ただ、湿った空気の中で紫煙がゆらめくのを眺めながら、ひとこと。
「――じゃあ、教えてやるよ。“どうして俺を見たら逃げろ”ってな」
不良たちは数秒の沈黙のあと、堰を切ったように笑い出した。
港の裏手に、若い男たちの下卑た声が響く。
「なんだよこのジジイ、いきなり説教かよ!」
「やべぇ、ヒーローごっこだぜ!」
倭助は煙を吐き出しながら、眉間を指で押さえた。
ああ、面倒くさい。だから来たくなかったんだ。
だが、見ちまったものは仕方ない。
倉庫の影には、さっきまで泣いていたガキが二人。
膝を抱えて震えている姿が、どうにも頭から離れなかった。
「忠告はしたぜ?」
倭助が言った瞬間、空気が弾けた。
――ドンッ。
誰も視認できない速さで、不良の一人が壁に叩きつけられた。
鉄パイプが手から離れ、ガランと乾いた音を立てて転がる。
「なっ、何だと……!?」
残りの連中が、何が起きたのか理解できないまま、じり、と後ずさる。
倭助は肩を回しながら、面倒くさそうに笑った。
「俺だってケンカなんざ好きじゃねえんだよ。
ただな――女子供を泣かすやつは、殴っていいって教わってんだ」
その言葉を合図に、また一人が吹き飛び、また一人が地面を転がった。
拳を振るうたび、コンクリートがひび割れ、路地裏の空気が震える。
やがて、残った不良たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
倭助はポケットから小銭を出して、駄菓子屋の袋を握らせるようにガキどもへ差し出した。
「ほら、これで帰りにアイスでも食え。忘れろ、今日のことは」
怯えながらも小さな手で袋を受け取る子どもたちを見て、倭助はふっと笑った。
煙草の煙が夕暮れの港町に溶けていく。
この日からしばらくして、町には新しい噂が流れた。
――港裏の倉庫に、怪物みたいに強い兄ちゃんがいる。
――悪さをすると、どこからともなく現れて、ボコボコにされる。
そうして虎杖倭助の“超人伝説”は、また一つ積み上がっていった。