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若木となった耳の胸から、奇怪な声が漏れ出した。
花の中心に浮かぶ「耳の顔」が口を動かしている。
「……ハァ、ハァ……見ろよ……ほら、俺は手に入れた……」
「う、嘘だろ……耳?」
鼻が後ずさるのが見える。
「こいつらは全部……俺のもんだ。ダイヤモンドの歯も、樹の力も……永遠に尽きねぇ富だ……!」
声は確かに耳の声だった。でも、どこか甘ったるく、脳の奥を撫でるような響きを持っている。
鼻と目の瞳が、不意に揺らぎ始めたのがわかる。
「おい……お前たち、しっかりしろ!」
俺は肩に力を込め、声を張る。
だがマンドラドの「耳」は、さらに囁きを強める。
「……わかるだろ?お前らだって欲しいはずだ……富も、名声も、力も……全部ここにあるんだ……」
鼻の額に汗が滲むのがわかる。
「俺だって……こんな大金、一生かかっても……」
「バカ野郎、耳の二の舞になるぞ!」
俺は鼻の肩を掴んで揺さぶる。
だが、視線はもう中央の種子に釘付けになっている。
「……レオ。もしかして、お前が独り占めする気なんじゃないのか?」
目が鋭く睨んでくる。
「俺たちを利用してここまで連れてきて、最後に全部かっさらうつもりだったんだろ……?」
「おい……待てよ」
否定しようと口を開いた瞬間、マンドラドの「耳」の笑い声がその言葉をかき消す。
「そうだ……疑え……憎め……仲間なんて要らない……欲を手にした者だけが、生き残るんだ……」
耳の顔が歪んで笑うと、周囲の若木たちが一斉にざわめき、葉を震わせた。
――俺の背筋を冷たいものが駆け抜ける。
人の欲望を餌に、あいつらはさらに根を張ろうとしている。
やばい……このままじゃ目も鼻も、マンドラドに取り込まれる。
奴らの声に呑まれる前に、何か手を打たなきゃ――俺は必死で考えを巡らせた。
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歯を食いしばり、腰のナイフを握りしめる。
だが、次の瞬間には決断していた。
「……チッ、埒があかねぇ」
広間のざわめきと、耳マンドラドの甘い誘惑に酔う目と鼻を振り切り、俺は音を殺して後退した。
茨を抜け、暗い根の通路を転がるように駆け抜ける。
背後から笑い声が響く。
「逃げるのか、レオォ……? お前も欲しいはずだろう……?」
耳の声と、マンドラドの葉擦れが重なり、背筋に氷の刃を突きつけられたような寒気が走る。
やがて外へ出ると、茨の森の切れ目から広間を覗ける位置を見つけた。
膝をつき、息を整えながら様子を窺う。
――広間では、耳の顔をしたマンドラドが不気味に咲き誇っていた。
目と鼻は、既にその周囲をぐるぐる徘徊しており、瞳が濁っている。まるで夢遊病者のように、耳の囁きに導かれていた。
「くそ……予想通りだ。マンドラドは人の欲を利用して、自らの苗床にする……」
舌打ちをして荷物を漁る。
デイジーの爆弾がまだ数個残っている。
だが――下手に投げ込めば、目と鼻ごと吹き飛ばしかねない。
「……どうする……?」
広間に渦巻く声と葉擦れの音を耳にしながら、俺は闇の中で思案を巡らせる。
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深く息を吸い、心を静める。
「……見捨てるのは簡単だ。だが……」
荷物から取り出したのは、細いワイヤーと小型の閃光弾。
直接突っ込むのは自殺行為――ならば、幻惑して連れ出すしかない。
慎重にワイヤーを茨にかけ、音を立てないように移動する。
広間の入口付近に閃光弾をセットし、石を投げてワイヤーを引いた。
――カンッ!
閃光弾が炸裂し、真っ白な光が広間を満たす。
「ぐわぁっ!」
「目が、目がぁ!」
目と鼻が悲鳴をあげて蹲るその瞬間を逃さず、俺は飛び込んで二人の腕を掴み、茨の方へ引きずった。
「しっかりしろ!立て!」
「レ……レオか……?」
「くそっ、まだ耳の声が……頭ん中で響く……」
背後では、耳マンドラドがのたうつように茎を伸ばし、葉をばさりと広げている。
「逃がさんぞぉ……レオ……お前も苗床になるんだ……!」
振り返らずに、俺は二人を引きずりながら走った。
茨を抜けたとき、鼻がようやく正気を取り戻す。
「……危なかった。あのままじゃ……俺も、耳みてぇになってた」
「まだ油断すんな。奴の囁きは追ってくる……ここから先、頭を守れ」
俺は背負い袋から銀紙で覆った耳栓とゴーグルを取り出し、二人に押しつける。
「即席の護符だ。少なくとも、直接見たり聞いたりは防げる」
広間の奥では、なおも耳マンドラドが笑い声を響かせていた。
「欲を手放せぬ限り……お前たちは逃げられんぞぉ……」
だが、俺たちはもう振り返らなかった。
耳マンドラドの死体を見下ろす。
胸に突き刺さった種子が異様に膨れ上がり、完全に人面花として成長していたが、もう動かない。
「……利用するしかない」
俺は呟き、目と鼻に指示を出す。
「耳を盾にする。種子の中心まで手を伸ばすぞ。無駄に動かすな」
三人は慎重に動き、死体の背中を支点にしながら、周囲の種子を引き寄せる。
若木は小さいとはいえ、人面花としての生命力を感じさせ、触れるとかすかに痙攣するように揺れる。
「よし、これを……束ねる」
ナイフとロープを使い、俺は若木をまとめて束にする。
人面花たちはまだかすかにうめくような声を上げるが、束ねて黙らせることができた。
「……これで、静かになったな」
鼻が吐息を漏らす。
「束ねた若木と種子を一気に持ち出す。数は減るが、これなら逃げられる」
目が周囲を警戒しながら呟く。
「くそ……耳みたいになったらたまらん。手早く、そして冷静に」
俺は死体を盾にして、種子と若木を慎重に持ち上げる。
外の光を目指し、匍匐で茨を抜け、爆弾キノコ地帯を再びくぐり抜ける。
――マンドラドの欲望と危険を利用し、俺たちは静かに、しかし確実に宝を奪い取った。
広間の奥では、まだ残る若木が風に揺れ、かすかな人面の声を漏らしている。
だが、俺たちは振り返らず、闇を抜けて外の光へと進んでいった。
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俺は慎重に種子を袋に入れ、若木の束は鼻に背負わせたまま、根の洞窟の入り口まで戻った。
安堵の息をつく間もなく、突然、銃声が響く。
「……さあ、袋の中の種を渡してもらいましょうか」
目の前にはエリザベスが立っていた。
銃を手に、冷徹な笑みを浮かべている。
「親樹のありかを知っている人間を、生かしておくはずがないでしょう」
「ほらな。目、鼻――お前たちを雇う連中なんて、結局みんなこんなものよ」
銃口が鼻たちに突き付けられる。俺は肩をすくめる。
「……ダイヤの魅力か……持ってけよ」
「ホホホ……」
エリザベスは笑いながら袋の中を覗き込む。
その瞬間だった。
袋の中のマンドラドの種子が突然弾けた。
光とともに小さな根が飛び出し、勢いよくエリザベスの胸に突き刺さる。
「……ぐっ……!?」
銃を構えた腕が震え、冷笑は一瞬にして絶叫に変わった。
「地獄までな……」
俺は背後で低くつぶやき、目と鼻の背中を押すように洞窟の外へ駆け出した。
振り返る暇もなく、胸に種子が突き刺さったエリザベスはわずかに震え、そして力なく倒れ込む。
銃は手から滑り落ち、森の暗がりに金属音が響いた。
その瞬間、どこからともなく光の渦が現れた。
俺は思わず目を見張る。
「……デイジー?」
低く、震える声が漏れる。
かつてエリザベスの亜空間牢に捕えられていたデイジーが、光とともに姿を現す。
小さな体が宙に浮かび、周囲の闇を押しのけるように輝いていた。
「レオ!助けてくれたのね!」
デイジーの瞳には、涙と喜びが混ざった光が宿っている。
俺は深く息をつき、駆け寄った。
「無事か、デイジー!もう大丈夫だ、こっちに来い!」
目と鼻もすぐに駆け寄り、デイジーを囲むようにして守る。
「危なかったな……あんな奴に独占されるところだった」
目が息をつき、鼻も力なくうなずく。
デイジーは笑顔で両腕を広げ、俺にしがみつく。
「ありがとう……レオ、信じてた!」
俺は小さく微笑む。
「俺たちが諦めなかったからな。これでようやく、全員無事だ」
振り返ると、エリザベスはもう動かない。
その冷酷な微笑みは消え、ただ静かに倒れている。
「……あの女のせいで、どれだけ危険な目に遭ったか……」
俺は心の中で呟きつつ、デイジーを抱きしめる。
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森の中に差し込む光の中で、俺たちは深く息を整えた。デイジーも含めて四人。危険は去った――しかし、伝説のマンドラドの種子と若木はまだ手元にある。これからの航海も、また俺たちに試練をもたらすに違いない。
慎重にマンドラドの種子と束ねた若木を車に積み込み、俺たちはようやく一息ついた。ナスカ星の湿った空気と、巨大な森の影が、背後にゆっくりと遠ざかっていく。
「……よし、これで一安心だな」
俺は運転席に座り、深く息を吐いた。
デイジーは助手席でまだ少し震えているが、安堵の笑みを浮かべている。
目が後ろの荷物を見やり、口を開いた。
「……種子、どうする?俺は正直、いらない」
鼻も肩越しに種子を見やり、渋い顔をする。
「俺もだ。あんな危険をくぐり抜けてまで欲しいとは思わないな」
俺は運転しながら微笑む。
「お前ら正直でいいな。まあ、俺は……ちょっと興味あるが、まずは安全に持ち帰るのが先決だ」
車はナスカ星の大地を滑るように進み、空には巨大な翼竜たちがまだ飛び交っている。
「まさか、あんな森で生き延びるとは思わなかったぜ」
目が小さく笑い、鼻も同意する。
デイジーは小さく手を握りしめ、俺を見上げた。
「ありがとう、レオ……本当に」
俺は小さくうなずき、前方に目を向ける。
――ナスカ星の危険は去った。
――だが、これから待つ冒険も、決して楽なものではないだろう。
車のエンジン音が森の静寂を切り裂き、俺たちは次なる旅路へと進み出した。
闇を切り裂くように滑る車内で、後ろの荷物が微かに揺れる。束ねられた若木と袋に入った種子だ。
だが、心の片隅には、あの不気味な森と、人面花として成長した耳の姿がまだ鮮明に残っていた。
――マンドラドの種子は、人間の欲を糧として動く。
誰かが「手に入れたい」と思うたび、その存在を求め、探させ、そしてまた寄生する。
耳やエリザベスのように、欲に突き動かされた者たちは、知らず知らず自らの体を花床に差し出す。
そしてマンドラドの花は咲き、人間に残した痕跡を、次の欲深き者へと繋げていく。
どこかの星で、誰かがこの種子を見つけるだろう。
欲望に導かれ、再び探し、奪い、そしてまた命を危険に晒す……
――マンドラドは終わることのない輪の中で、静かに、その繁殖を続ける。
人間の欲が、それを生かし、また次の冒険者を呼ぶのだ。
宇宙は広く、星々は数えきれないほどある。
だが、欲望という名の種は、決して滅びることはない。
俺はアクセルを踏み込み、車は闇の中を滑るように走る。
後ろの荷物には、束ねられた若木と袋に入った種子が揺れている。
――その一つ一つが、また新たな物語を呼ぶことを、誰も知らずに。