/*/エルラド教聖都・大聖堂/*/
大聖堂の石張りは冷たかった。ステンドグラス越しの光がミラールの髪を金に縁取り、窓の外の宇宙港では女神像が悠々と浮かんでいる。ラシッド大司教とソフィア司教が俺の左右に立ち、礼を重ねるたびに教会内の空気がきゅっと締まる。
「レオ・ゴルドン、今日から我が教の兄弟だ」
ラシッドの言葉が静かに落ちた瞬間、俺の内心は自嘲で笑った。原作の筋書きが頭の中で勝手に再生される──ラシッドとソフィア、表向きは聖職者、裏では海賊ギルドの一員。奴らが“兄弟”を口にした時の誠実さを真に受けるほど俺は木っ端ではない。
表情には一切出さず、ただ短く会釈した。ミラールは優しく俺の手を取る。指先に触れた温もりが、冷え切った胸の一部をじんわりと溶かす。だが、その温もりに浸っている余裕はない。奴らは祝福の言葉で仮面を固め、別の刃を握っている。
海賊ギルドはまだ野望を捨てていない。サラマンダーは生きている。誘拐未遂は序章に過ぎず、目的は諸惑星の政府を分断して覇権を取ることだ。ミラールの笑顔が、いつの間にか政治的な切り札にされかねない。
彼女が話す「シドの女神」は尊いものだった。父サドロン・ジェドの遺志を継ぎ、各惑星の軌道に灯台のような女神像を置くことで、航路を照らし、平和の象徴にしたいという。確かに崇高な夢だ。だが光は向け方次第で自由を照らす灯にも、監視の目にもなる。
ラシッドは真剣な顔で言った。「教団は重要な時を迎えている。出来る限りのことをする。貴方も力があれば力を貸して欲しい」
その言葉の裏側にあるものを俺は知っている。彼の“我々”という言葉に含まれるのは、教団の名で動く裏の勢力かもしれない。ソフィアの穏やかな頷きも、慈悲の仮面だと分かっている。だがミラールの手が俺の肩にそっと触れると、その温度が俺をここに縛り付ける。信頼か、絶望か。どちらにせよ、今はどちらでも構わない。
「力か……探検家としても?それとも――」
ラシッドの目が、俺の顔を鋭く捉える。原作の地図は頭に叩き込んである。だが知っているだけで突っ込めるほど無責任ではない。聖都の守りは堅く、単騎の突入はミラールの安全を危うくする。策と仲間が必要だ。
外ではクレーンが星を引っかくように動いている。遠い軌道に並ぶ女神たちが瞬く日が近づいている──その光が誰かの手で歪められれば、一つの夢が圧制の器具に変わる。サラマンダーの名が、どこかでまた囁かれるとき、銀河は簡単に燃え上がるだろう。
俺は肩越しにミラールを見る。彼女の瞳には父の声が残っている。怖れと感謝、そして期待が混じっていた。
「父の夢を一緒に見てくれる?」
問いは戦いの同意だ。俺は息を吸い、冷たい空気をゆっくり吐く。決意が肺の奥で固まるのを感じた。
「約束する」
言葉は短く、でも重かった。ラシッドとソフィアの表情に一瞬だけ変化が走る。ミラールの瞳に小さな涙が光る。教団が俺を兄弟と呼んだのは、裏の計算かもしれない。だが今この瞬間、俺の選択は単純だ。誰かの灯を守るか、灯を盗む者を潰すか。
外では建造が続く。女神の影が軌道へと伸びる日まで、時間はあるようでない。サラマンダーの影は動いている。奴が動くたび、俺は獅子として吼えるだろう──だがそれは本能だけの吼えではない。ミラールの手の温度が、俺をまた前へ押すのだ。
/*/大聖堂・夕暮れ/*/
薄暗がりの中、ステンドグラスがぼんやりと色を落としている。ミラールの横顔を見ながら、俺は火をつけた。最近はデイジーがうるさくて落ち着かない。ここでの一本が妙に貴重だ。
「君の親父さん、サドロン・ジェドが亡くなったのは三年前だったな」
「ええ……あんなに元気だった父が急に――今でも信じられません」
「当時は確か、病死か他殺かで新聞を賑わせたもんだったな」
彼女の言葉に俺はふうと煙を吐いた。ミラールが顔を曇らせるのを見て、悪いが一瞬だけ笑う。コブラだったら今ごろキスで誤魔化してるだろうな、なんて。
その時、床を伝う固い足音がカツーン、カツーンと近づいてきた。三人分だ。礼拝帰りの足取りとは違う、刺客のそれ。
咄嗟に俺はミラールを柱の陰に滑り込ませた。見つからないように、まず守る。彼女が柱の陰に沈むと、小さく息を呑んだ。それでいい。あとは俺がやる。
灰皿に吸い殻をねじ込み、蓋をカチリと閉める。煙の匂いを残さない。ミラールの手が柱越しに俺の指をぎゅっと握るのを確認したら、俺はゆっくりと柱の外へ出た。
世間知らずの観光客みたいに、無頓着に。手にはまだ火の消えかけたタバコ。肩を竦めて、あえてこちらを見せつける。見つかりたくない連中に「どうぞ此処にいるよ」と囁くようなもんだ。
三つの影が止まる。教徒の衣に紛れているが、歩き方がぎこちない。俺は軽く笑って、声を少し張る。
「おや、こんな時間に祈りかい? 礼拝は済んだのか?」
その声だけで注意は全部こっちへ向く。俺の顔に浮かべた無頓着さが、狙い通りの餌になっているとわかる。ミラールは安全な影の中だ。あとは俺が囮を続ける番だ。
/*/大聖堂・夕暮れ/*/
教徒三人がゆっくりと近づいてきた。礼拝帰りの振りをしているが、その歩き方は祈りとは違う。先頭が小声で言う。
「誠に恐れ入りますが、火を貸して頂けますか」
彼はタバコを取り出した。俺は軽く肩をすくめて、右手でオイルライターを差し出す。ライターに指が触れ、スッと火がついた。タバコに火をやりながら、相手の反対の手が懐に伸びるのが見えた。
――まずい。
「やめとけ」俺は声を落として制した。声は静かだったが、響きに鋭さがあった。
奴は片方の口元を吊り上げて、鼻で笑った。「早撃ちには自信があってな。おたくが抜く前におたくの頭が吹っ飛ぶぜ――試してみるか?」
言い終わるや否や、奴は銃を抜いた。その瞬間、俺は利き手の左で454スカール・カスタムオートマチックを抜いていた。静かな動作に見えて――速度だけは誰にも負けない。
銃声は石造りの大聖堂に鋭く跳ね返った。最初の男の頭部を撃ち抜く。弾が命中した瞬間、彼の身体がぐにゃりと崩れ落ちる。たしかに酷い音がしたが、俺にとってはそれが合図でしかない。
「う……う、くそー!」
残る二人も反応が遅かった。次々に頭部を撃ち抜く。連続する銃声が、ステンドグラスにいびつな光の乱れを作る。逆サイドから、へたくそなレイガンの銃撃が飛んできた。閃光とともに瓦礫の破片が散る。
「まだいたか」
声が叫ばれる。床を蹴って俺は走り出した。礼拝堂の石段を飛び降り、廊下を全力で駆け抜ける。背後で足音と銃声が追ってくる。二人が追いすがる――必死に撃ちながら、俺を追いかけてくる。
俺はエレベーターの扉に飛び込み、ボタンを押す。だが追い手も迷わず突っ込んでくる。「奴はエレベータで逃げる気だ、追え!」という怒声がどこかで飛ぶ。
二人がエレベーターに飛び込んだ。だがその中にあったのは空っぽの空間だけだった。扉が閉まる直前、俺は天井のパネルに手をかけて押し上げる。メンテ用のハッチを蹴破り、すっと外へ這い出す。エレベーターの天井から顔だけを出して二人を見下ろすと、彼らの視線が一瞬固まった。
「う…ど、どこだ!」
「ここだよ」
俺は小さな爆弾を二つ、手早く投げ落とした。床に触れた瞬間、重い音と共に――ドムッ、と鈍い衝撃が鳴る。閃光と衝撃波。二人はそのままよろめき、血の匂いが薄く混ざった爆発の煙がゆらりと上がる。
静寂が戻る。石造りの廊下に、倒れた二人の影と、散った装飾品の欠片が散らばっている。俺は天井のハッチから体を引き戻し、もう一度顔を上げた。心臓は早鐘だが、呼吸は制御できている。
火のついたタバコはまだ指先に残っていた。俺はそれを指先でつまんで、靴の裏で軽く潰す。灰が小さく散り、煙はゆっくりと消えていく。
「大聖堂での礼拝は、もう少し静かにやるもんだな」
小さくそう呟いて、俺はミラールのいる柱の陰へと戻った。彼女は無言で安堵の表情を浮かべている。見つからなければそれでいい。――今日のところは。
/*/大聖堂・夕暮れ/*/
ミラールの元に戻ると、彼女の顔は青ざめていた。震える声で呟く。
「この者たちは一体……」
安全なはずの大聖堂で、教徒に襲われた。驚愕がその声に乗っているのが分かる。仕方ない。こっちはまだ冷静を装う。
「兄弟さ」
ひざをついて、俺は倒れた男たちの手のひらを確かめる。汗ばんだ手の平の奥、肉の下に線が走っている。案の定、そこには小さく、だがはっきりとした入れ墨――サラマンダーの紋章があった。
「サラマンダーの手の者だ」
ミラールは一瞬、理解が追いつかずに口を開ける。
「え? でも、サラマンダーは貴方のお友達が倒した、と――」
彼女の言葉を切って、俺はしゃがんだまま肩をすくめる。
「どうやら影武者だったらしい」
男たちの服にはベタリと黒光りするオイルがついている。鼻に強く訴えかける匂い――宇宙船の打ち上げに使うあのオイルの匂いだ。ほんの一瞬で、あらゆるピースが合致する。
「シドの女神か」
ミラールの声は小さかった。父の夢の象徴が、利用されようとしている可能性。顔に広がる恐れを俺は見逃さない。
「どういうこと、なぜサラマンダーの部下がこんなところに」
問いは当然だ。だが答えは簡単じゃない。立ち上がって彼女の目をまっすぐ見る。
「ここが奴らの住処だからさ……このエルラド教国がサラマンダーの基地なのさ」
言葉の重さを噛み締めさせる余裕はない。次の動きが必要だ。
「なんですって……そ、そんな馬鹿な!」
ミラールの驚きが震えになる。俺は急いで荷物とコートの位置を確認し、周囲を一瞥する。
「説明は道々する。それよりシドの女神の打ち上げ基地に案内してくれ」
言葉は命令じゃない。頼みだ。しかし背中越しに聞こえた足音は既に遠く、時間はぎりぎりだ。ミラールは一瞬ためらったが、やがて頷く。
俺たちは振り返らずに走り出した。大聖堂の石の通路を抜け、外へと向かう足音が二人分、夕暮れに溶けていく。
その背中を、司教ソフィアが静かに見送っていた。表情は読みづらい。だが瞳の奥に、何かしら計算めいたものがちらりと光ったのを俺は見逃さなかった。