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カゲロウ山に向かう前に、もう一悶着あった。
……どうして、コブラってやつは毎度誰かに絡まれるんだろうな。
ニューヨークじゃちょっとした顔らしい女――リンダとか言ったか――が、妙に大物ぶってコブラに声をかけてきた。
「レディーに挨拶も無しかしら、コブラさん」
その声音は涼しいが、下心が滲み出てる。
コブラはというと、まるで舞台に立った役者みたいにウィンクしてみせた。
「これは失礼! おれはまたプードルかと思った」
……はい、これで火に油を注ぐ完成だ。
案の定、横にいた用心棒が切れた。ご丁寧に名乗りまで上げる。
「口の利き方に気をつけな! このレディーはニューヨークじゃ組織のちょっとした顔なんだぜ」
コブラの返しは流れるようだった。
「で、お宅はなんだ? 彼女の靴磨きか?」
フランクとかいう用心棒が「ヤロー!」と掴みかかろうとするが、リンダがそれを制した。
「よしなさい、フランク!」
その一言で、用心棒を完全に自分の掌の上に置いていると誇示する。――女ってのは、こういう時だけ妙に芝居がかる。
「どうやら皆さんがここへ来た目的は同じようね。こんな極寒の季節に雪原を渡ろうとする人がこんなにいるものですか」
リンダは口元に手を添えて、わざとらしく笑った。ほほほ、なんて上品ぶるが、瞳の奥には欲望がべったりと張り付いている。
「ここにいる人間の目的は一つ。あの山、カゲロウ山よ――何故なら、702便に20トンの金塊があった事をご存じだから」
そう言って、嵐しか映らない窓の外を指さした。
「その山の上の金塊が目的なのよ」
なるほど、最初に「目的」を言葉にして主導権を握るつもりか。
女狐め、やるじゃないか――そう思いながら、俺は黙って様子を眺めていた。
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リンダが最初に「目的」を口にしたのは、自然に主導権を握ろうとしたのだろう。
ああいう女は口にする順序さえも武器にする。
その言葉を聞いた途端、ジェロニモが立ち上がり、船を出す準備を始めた。
「おおい、ジェロニモ船長。まだ嵐はおさまっていないぜ」
コブラが声をかけると、ジェロニモはカタコト混じりに応じた。
「アナタタチ カゲロウ山サガシテル。アノ山 アラシノ時ニシカ アラワレナイ」
なるほど――嵐の中でしか現れない山、か。
オカルトじみてるが、目の前の光景を見れば否定する気にもなれない。
コブラとジェロニモがやり取りする横で、俺は黙って貨物のチェックに回った。
燃料、バッテリー、各種計測機器――異常なし。
バックパックを背負い、タクティカルベストのポケットに必要なものが収まっているか、指先で確かめる。
その時、嵐が一段と酷くなった。
船体が大きく揺れ、船縁を越えて甲板に雪が流れ込む。
何人かが足を取られて転んだが、雪に飲まれて放り出されるまではいってない。
「なにすんのよぉ! わたしたちを雪原に叩き込んで殺すきぃッ!」
爆弾魔のデイジーが喚き散らす。
ジェロニモが口を開くより先に、コブラが怒鳴った。
「進路を西にとれー! 山は近いぞ!」
「ナゼ アナタ ソンナ事ワカル?」
「いいから言う通りにしろ!」
コブラが操舵室に駆け込むと、その勢いに押されたのか、ジェロニモは西へ舵を切った。
次の瞬間――嵐の向こうに、それは姿を現した。
カゲロウ山。
ぼんやりと浮かび上がる山影は、蜃気楼のようでありながら、確かにそこに“存在していた”。
「フロート展開」
俺の声に応じて、ジェロニモの雪上船に取り付けていたフロートが展開する。
轟音と共に右舷のスタビライザーが吹き飛ぶ。
本来なら転覆していたはずの衝撃――だが、用意していたフロートが浮力を確保し、沈没を免れた。
「このまま山に接岸しろ!」
ジェロニモの腕前は確かだった。嵐の中でも、彼は船を見事に操り、カゲロウ山への接岸に成功する。
杭打機で岸壁に杭を打ち、ロープを結びつけ、船を固定した。
「上手いじゃないか、レオ」
振り返ったコブラが茶化すように笑う。
「ボーイスカウトに憧れてたのさ」
軽口で返しながらも、息を吐いた。まだ油断できる状況じゃない。
その時だ。
貨物コンテナから、計測センサーを満載した小型の多脚型思考戦車が数台、蜘蛛のように這い出してきた。
鋼鉄の脚をきしませながら、山肌をよじ登り始める。
「なんだぁ」
コブラの目が見開かれる。珍しい。あの男でも驚くことはあるらしい。
「驚いたか、コブラ。あいつらは俺が用意した探査機さ。……探検家ってのは嘘じゃない。大学の研究室と提携して、こういうオカルトじみた遺物の調査もやってるのさ」
「そして、あいつらに金塊を積み込むってわけだ」
コブラの口元に悪い笑みが浮かぶ。
俺は肩を竦めた。
「俺はリアリストなんだよ。身一つで山から何キロの金を持ち帰れると思う?」
――現実を知っているからこそ、用意をしてきたんだ。
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フランクが船から降りたまま、足を動かそうとしなかった。
「どうした、フランク」コブラが声をかける。
「だめだ……オレには山が見えない」
「なに…!」
「オレには山が見えないんだー!」
声が震えていた。足も震えていた。
正直、このまま船に置き去りにしていった方が安全なんじゃないかと俺は思った。
けれど、それじゃあ足手まといを捨てただけだ。どうせ山に入るなら、利用できるものは利用する。
「ちょっと試してみるか、フランク――これを見ろ」
俺はライターに火をつけ、炎をフランクの目の前に掲げた。
その揺らめきに意識が奪われた瞬間を狙って、声を落とす。
「……眠るんじゃない。だが意識は沈む。目の前には山がある。その山は実在する。ゴーグルを外しても変わらない。3、2、1――戻れ」
パン、と手を鳴らす。
「どうだ、山はあるだろう」
「……ああ、山がある。山だ。さっきまで見えなかったのに山がある」
フランクは頷いた。だが、顔から不安の影は消えていなかった。
(……単なる幻覚や認識の問題じゃねぇのかもしれねぇな)
ジェロニモが岩壁にハーケンを打ち込み、ロープを通して一歩一歩登っていく。
「ジェロニモも登るの? 分け前が減っちゃうよ」
バッキーがぼやいた。
「奴は登山のベテランだ。リードしてもらうのさ」
コブラがなだめ、バッキーも渋々ついていく。
俺は最後尾でフランクを見張った。
男の手は汗で滑り、ロープが震えていた。
「おい、落ちんなよ。下は船じゃなく地獄だぜ」
「わ、わかってる……でも、なんだ、耳の奥で……ずっと囁いてやがるんだ」
「囁き?」
「降りろ、降りろって……! 山の中から声がするんだよ!」
その言葉に、全員の動きが一瞬止まった。
風の音。砂が岩を這うざらつき。――その奥に、確かに何か蠢く響きが混ざっていた。
ジェロニモが鼻を鳴らした。
「フツウ ヤマ シャベラナイ。ココ フツウ ジャナイ」
「分かってるなら、なおさら足を止めるな」
コブラが低く呟き、俺もフランクの背中を押した。
「山はある。山は登れる。ただそれだけだ」
ハーケンの音が再び響き、隊列はゆっくりと上を目指した。
だがフランクの耳には、まだ「降りろ……降りろ……」という声がまとわりついていた。
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「
バッキーが弱々しい声で言った。
「バッキー、変なこと言うんじゃないよ! 変なこと言ってると――」
デイジーが言いかけた瞬間、バッキーの前から「山」が消えた。
視界の奥が、突然ガバッと抜け落ちるように真っ暗な虚空へ変わる。
「バッキー!!」
叫び声と同時に、バッキーの体が落ちていく。
だがロープで繋がっていた。
最後尾にいた俺は、咄嗟に体重をかけて受け止め、岩角にハーケンを打ち込みながら腕がちぎれそうな力で踏ん張った。
「ぐっ……! 持て!」
ロープがギシギシと悲鳴をあげる。
そこへ、するすると降りてきたコブラが俺の背を支え、ロープを一緒に引き上げてくれた。
「おいレオ、バッキーを落とすなよ!」
「言われなくても……ッ!」
どうにかバッキーを岩壁に引き戻す。
顔は真っ青で、虚ろな瞳が虚空を彷徨っていた。
「山が……山が消えたんだ……!」
掠れた声で繰り返すバッキー。
まるで狂気に呑まれる一歩手前だった。
「……仕方ねぇ」
俺はライターを取り出し、炎をパチリと灯す。
火に視線を向けた瞬間を狙って、再び瞬間催眠を仕掛ける。
「お前の前に山がある。ゴーグルは必要ない。山は実在している。3、2、1……戻れ」
パン、と指を鳴らす。
バッキーの瞳にわずかな光が戻り、「あ……山……見える。山は、ある……」と呟いた。
効果はあったようだ。だが、その表情はどこかぼんやりとしたままだった。
「おい、大丈夫か?」
「……ああ、たぶん」
そう答えながらも、焦点の合わない瞳のまま、口元には間延びした笑みが浮かんでいる。
俺は無意識に奥歯を噛みしめた。
(催眠は効いた。だが……何か別のものまで消しちまったんじゃないか? こいつの心の一部を……)
山は黙って聳え、風が不気味に唸りをあげていた。
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崖を登り続けて一日分。
指が痺れ、靴底の感覚がなくなるころ、ようやく平らな場所に出た。
岩壁の途中に、ちょうど人が数人入れるくらいの横穴が口を開けていた。
中に入ると天井は高く、壁はなぜか滑らかで、テントを張るにはうってつけの空間だった。
「おお……ここなら風も防げるな」
バッキーが早速エネルギーテントを展開する。
俺たちもそれぞれのスペースを確保していった。
だが、俺の心の中にひとつの違和感が芽生えていた。
(……都合が良すぎる。登山者が偶然見つけた自然の洞窟? いや違うな。この削られた壁の感じ……人為的だ。いや、人間かどうかすら怪しい)
ここに来るまで、何度も耳に「降りろ」という囁きがまとわりついてきた。
俺だけじゃない。フランクも、バッキーも、リンダまでも顔をしかめて耳を塞ぐ仕草をしていた。
だが――ジェロニモとコブラだけは平然としている。
「何が聞こえるって? 風の音だろうが」
コブラは鼻で笑った。ジェロニモに至っては、ただ黙々と荷物を整理している。
(つまり、この囁きは選ばれた奴らにしか届かない……?)
俺は横穴の天井を見上げた。
岩盤に走る筋が、どこか配線のように見える。
脳裏に浮かぶのは、俺が大学の研究室で見た古代火星遺跡の写真。
表面に意味不明の線刻がびっしり走り、解析不能の共鳴を発していた。
(……まさか。この山そのものが、古代火星人の遺跡か何かじゃないのか?)
火の光が壁に影を揺らす。
囁きは消えない。
降りろ、降りろ――。
俺は寝袋に潜り込んだが、瞼を閉じてもなお、山の奥底から這い上がるような声が耳を離れなかった。
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夜。
山の風が唸りを上げる中、個々のエネルギーテントに青白い光がぼんやりと灯っていた。
みんなが寝静まった頃――不意に、隣のテントから衣擦れの音がした。
耳を澄ますと、どうやらコブラのテントだ。
女の笑い声が小さく漏れる。
(……なるほどな。リンダがコブラを丸め込もうって腹か。原作通りってわけだ)
鼻で笑って寝袋に潜り直そうとした、そのとき。
俺のテントの入口がそっと開く気配があった。
「……誰だ?」
手を伸ばしてナイフの柄を掴んだ。
薄明かりに浮かんだのは――ネズミ顔のマスク。
その下から、デイジーの声が囁いた。
「レオ……弟を助けてくれてありがとう。礼ってわけじゃないけど……私」
マスク越しに感じる吐息。
女の体温が、夜気を切り裂くように近づいてくる。
「……色仕掛けで分け前増やす算段かい?」
わざと冷たく言った。
「そんなことしなくても、ちゃんと分け前はやるさ」
デイジーはピクリと肩を震わせた。
けれど、去るでもなく、さらに俺に滲み寄る。
マスクの奥の瞳が、火のように熱を帯びていた。
「違う……そうじゃないの。弟が死んでたら、私……もう、生きてられなかった。だから……」
声がかすれ、言葉の先は唇で塞がれそうなほど近い。
俺は反射的に息を呑んだ。
(……こいつ、本気で礼を言いに来たのか。それとも、自分自身に言い訳してるだけなのか)
答えは出ない。
ただ、デイジーのマスクが、目の前でかすかに震えていた。
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「それなら――仕事の時に必要なら爆弾、頼むぜ」
俺はにやりと笑って言った。
「お代は金塊でどうだ?」
デイジーが目を瞬く。
マスクの下で戸惑いの息が漏れた。
「……ほんと、アンタって調子者ね」
俺はそっと手を伸ばし、彼女のネズミ顔のマスクを外した。
そこに現れた素顔は、嵐の光に照らされ、思ったよりずっと年若く、必死に強がっているように見えた。
「ほら、仮面は仕事用に取っとけ。今は戦場じゃない」
言うと同時に、軽く額に唇を触れさせた。
一瞬、彼女の目が見開かれる。
「……っ」
それ以上はしない。
俺は寝袋を少し広げて、彼女を中に招き入れた。
デイジーは黙って潜り込み、肩を震わせながらも、やがて静かに落ち着いていった。
外では、山の風が「降りろ……降りろ……」と囁いている。
だが、テントの中だけは奇妙に安らかだった。
俺は彼女の体温を背に感じながら、目を閉じた。
つ、続いた!