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俺たちは城の外壁に張り付くようにして、干し場からの砂煙をやり過ごした。
竜たちが馬小屋へ入っていくのを見て、コブラが唇を噛む。
「探るか、レオ」
「ああ、行こう」
鎖は軽い。拘束の演出だと分かっている分だけ、冷静さも保てる。
俺たちは互いに合図を交わし、干し場の陰から城壁を伝って裏手の小窓まで忍び寄った。
小窓は高く、二人で手を掛けてよじ登るしかない。コブラが先に窓枠に足をかけ、俺が肩を貸す。
金属の冷たさが掌に伝わるが、それはすぐに砂の熱で和らいだ。
窓から覗くと、広間は昼間のくすんだ光と酒の蒸気で霞んでいた。竜たちの宴はまだ続いている。
長机に並んだのは肉塊と裂かれた果実、そして山のような宝飾品。黄金と宝石が影を跳ね返している。
だが、そこにあるのはただの饗宴ではない。悦楽と搾取と、もう一つ――厭世的な高笑いだ。
玉座の上には、先ほど砂原で見た紅蓮の竜とは別の、より巨大で威圧的な竜が座していた。
白金に近い鱗が陽光を反射し、眼は琥珀のように光る。
その前に、ミーシャが連れて来られていた。彼女は縛られているが、鎖は相変わらず軽そうだ。薄絹と宝石の衣は宴の光でちらつき、周囲の竜どもの視線を釘付けにしている。
「ぐわっはっは、この宝石。お前の邑(むら)はよほど豊かと見えるな。楽しみにしておる、今度はお前の邑を襲って根こそぎ奪ってくれるわ」
玉座の竜がそう叫ぶと、広間からどっと嘲笑が起きる。盃が打ち鳴らされ、若い竜の一匹が手招きする。
「グフフフ、財宝も良いがお前も気に入った」
別の竜が瞳を細め、好色な笑みを浮かべて片手を伸ばした。ミーシャの肩に触れようとするその瞬間、彼女は嗚咽を押し殺し、視線を合わせないようにした。
窓の陰で、俺は拳を固めた。腹の底で何かが燃え上がるのを感じる。だが、声を荒らげるのは得策じゃない。ここは力の差がはっきりしている――正面から殴りこめば、即座に潰されるだけだ。
コブラが小さく息を吐く。手元のナイフを指で転がしながら、低く囁いた。
「どうする、レオ。正面殴り込み? それとも、かいつまんで奪って出る?」
俺はミーシャの細い首筋、宝石の冠の下に刻まれた小さな傷を見た。――戦火の跡だ。
奴らは玩具を弄ぶように女を扱っている。もし放っておけば、あの冠も、あの村も、明日には灰になるだろう。
視線を窓の隅へ滑らせると、広間の床には幾つかの石板が嵌め込まれているのが見える。石板と石板の間に、薄く溝が走り、そこから白い粉のような微かな残滓が散っていた。祭祀か、あるいは――罠か。
「分かった」俺は囁く。
「まずは周りの雑音を消す。こいつらの“宴”は音と光で隠れてる。音を断てば、混乱が生まれる」
コブラの唇が歪む。
「相変わらず、あんたは映画のヒーローっぽいな」
俺は小窓に体を預け、下方の一角にいる若い竜を見定める。盃を持つその爪が、酔いで緩んでいる。狙いはそこだ。
ゆっくりと、俺は持ってきた小さな装置を取り出す。兵器でも魔法でもない――簡素な爆薬だ。火薬の代わりに使えるものを、昔の商人から拝借してある。重さは僅かで、爆発も小さく、だが十分に混乱を起こす。
「合図で一発だ」俺はコブラに合図を送る。
彼は頷き、窓枠越しに笑みを返した。目の端に、ミーシャの肩が微かに震えるのが見える。彼女は抵抗を試みているのか、それともただ耐えているのか。どちらにせよ、今度は俺らが動く番だ。
窓の外の石壁に、俺は装置をしがみつかせる。指先が砂でざらつく。胸の鼓動が規則正しく打ち鳴る。
広間の竜が歌い、盃が触れ合う音が高まる。今だ。
コブラが小さく息を吸い込み、俺に合図を送る。
俺は指を引き、装置がささやかな炎を吐いた――だが、それはただの合図でしかない。爆音が起きる前の、ほんの一瞬。窓の向こうで、宴の空気が変わった。
玉座の竜が眉を寄せ、ミーシャを更に引き寄せる。彼は満足そうに笑い、手を伸ばした。
指先が、宝石の縁に触れる――その瞬間、俺は跳んだ
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ホークの声が広間のざわめきを断ち切った。背後からの一撃――いや、襲撃だ。窓枠のすぐ後ろで、彼が音もなく現れた。黒覆面の目が冷たく光る。
「どうやってあの戒めを抜けたか知らんが、逃亡を図った捕虜は切る!」
刃の閃きが窓辺の光を引き裂く。反射で俺の肩に冷たい痛みが走った――ホークが窓際を蹴って中に滑り込み、体勢を崩した俺たちを狙う。奴の剣先は速い。無駄のない動きだ。
「くそっ、裏取りか!」コブラが低く呻く。彼は反射でナイフを引き、覆面へ手を伸ばす。だがホークの足は確かで、狭い窓の中での殺し合いは一瞬で苛烈になった。俺は咄嗟に装置を押さえ、もう一度合図を送る余裕を奪われた。
ホークがコブラの腕を一閃する。布が裂け、血がじわりとにじむ。コブラが短く唸り、崩れ落ちかける。奴の目に微かな驚きが走る――やはり、そう簡単な相手じゃない。
「出て来い、見せ物は終いだ」ホークの声は狭間を震わせる。だが広間の方は――爆発の合図を待っていた俺たちの小さな炎よりずっと大きな混乱に変わりつつあった。宴席の連中が一斉に騒ぎ、盃が転げ、竜の怒声と人間の悲鳴が入り交じる。俺の小さな装置がもたらすのは“混乱の口火”だ。今が最短の隙だと本能が告げる。
ホークが、窓の内側にいる俺に向かって突進してくる。俺は片手で窓枠を蹴り、体をひねって回避しながら、反対の腕で彼の剣を弾いた。鋼と鋼が擦れる音。爪先が窓枠に当たり、砂が飛ぶ。コブラは血を拭いながら体勢を立て直し、ホークの背後を狙う。
「下へ飛ぶぞ、今だ!」俺は叫んだ。声は小窓の中でかき消されそうだったが、コブラは合図を察して頷く。ホークの片手がわずかに狂った瞬間、俺は窓から身体を投げ出した。下方の宴席へ向けて一気に落ちる。砂煙と歓声と怒声の渦に飛び込む。
着地は雑だった。皿と肉片が飛び散り、盃が砕ける音を耳にして、俺は即座に前へ走った。玉座とミーシャの間を遮るはホークの黒い影――奴は既に広間に飛び込んで、俺たちの脱出を阻んでいた。けれど宴は既に混乱に包まれている。白金の竜が怒鳴り声を上げ、若い竜が喚き散らし、隣席の竜が盃を投げつける。騒ぎは俺たちの盾だ。
「どけ!」コブラが低く叫び、ホークに飛びかかる。二人の間で剣とナイフが交錯する。俺はその隙にミーシャまで突進する。彼女は縛られているが、目の奥に刃のような決意が宿っていた。薄絹が血で赤く染まりかけている。
「ミーシャ!」俺は叫びながら手を伸ばし、鎖の結び目を掴む。細い手首を引っ張ると、鍵は無いが結びは粗い。指先が滑り、血が手に付く。彼女がこちらを見た――その瞳には驚きと、はかない安堵が混じっていた。
だがホークの刃が俺たちの間を二度と通り抜けるのを許さなかった。コブラの踏み込みが彼の肩をかすめ、ホークは体勢を崩しかける。俺はミーシャの鎖を引きちぎるために腕に力を込めた――その時、広間の一角で鈍い衝撃が起き、板床がきしんだ。
小さな爆発だ――俺の仕掛けた装置が遅れて作動したらしい。煙と火花が上がり、宴席の一角がぱっと白い閃光に染まる。竜も人間も驚愕と恐怖で身を固める。ホークの顔が一瞬歪んだ。それが決定的だった。
「今だ!」コブラの声。ホークの注意が散り、俺は全力で鎖を引く。金属がきしみ、鎖の節が折れる音がした。ミーシャが自由になり、すぐさま俺の腕に巻き付いた。彼女の呼吸は早く、砂の匂いと血の匂いが混じっている。
「行け、ここから飛び降りるんだ」俺は囁く。だが振り向くと、玉座の竜が立ち上がっていた。白金の巨躯が立ち、宴の喧噪を押し潰すような低い唸りが広間を満たす。玉座の竜の瞳が、俺たちに向けられた。
ホークは一歩下がり、背筋を伸ばした。彼の覆面の下で、唇が僅かにほころんだように見えた――達成感か、それとも何か別の、もっと冷たい満足か。
「面白い遊戯だ。捕らえた獲物が暴れるのを見るのは」玉座の竜の声は人間の言葉で、けれどもその響きは鉛のように重かった。
ミーシャが俺の胸に顔を埋め、小さな声で「行って」と囁く。俺はコブラと目を合わせ、二人で即座に策を練った――逃げるのは一瞬の勇気。だが相手は、まだこの城の“主”だ。
広間の混乱は、俺たちに一分の猶予をくれた。だがその一分が、運命の分かれ目になる。