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ドミンゴ伯爵の私室――いや、舞踏会場と勘違いしているらしい“玉座の間”は、赤色警報と警報音で真っ赤に染まっていた。
床にはさっきまで要塞を支配していた戦術AIのコアが転がり、硝子のような破片を撒き散らして沈黙している。
その瓦礫と光の中で、優雅に立っている男がひとり。
顔の上半分を黒いマスクで隠し、口元にはいつもの気障な笑み。
片手には深紅の薔薇、もう一方の手には細身のレイピア。
ドミンゴ伯爵だった。
彼は薔薇の花弁を一本指でいじりながら、ふっと鼻で笑う。
「見事だよ、コブラ。AIを黙らせ、ここまで舞台を登りつめてくるとは。
――惜しいな、君が海賊などでなければ、うちの“専属ゲスト”に招いていたところだ」
「悪いな。俺は椅子取りゲームが好きなんだ。
座らされる椅子じゃなくて、ひっくり返す方がな」
コブラは半眼で笑い、左腕を持ち上げる。
サイコガンの銃口が、伯爵の胸元――薔薇の少し下あたりに真っ直ぐ向いた。
ドミンゴは肩をすくめてみせ、指先で薔薇を軽く弾く。
花がふわりと舞い、その瞬間、彼は空中に白い線を描いた。
レイピアが鞘から抜けたのだ。
抜刀の音すら聞こえないほどの速さ。
コブラの頬に、一本の切り傷が走る。
「……やるじゃねぇか」
「第一歩のステップですよ、セニョール。
本番のダンスはこれからだ」
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同じ頃、要塞外壁ではタートル号が腹に食らいつくように張り付いていた。
爆散したドックからは、千切れたスラスターと配管がむき出しになり、油の霧が宇宙空間に漂っている。
「見事なまでのジャンクだな……」
外装ハーネスを付けたレオが、ヘルメット越しに呟く。
隣でホークが腕を組み、顔をしかめた。
「生きてるノズルが、笑えるくらい少ねえ」
「笑えないけどな。……あそこだ」
レオが指差した先、要塞下部リングの一角に、まだ白く冷えたスラスター群が残っていた。
『スラスターCブロック、Dブロック、電源ラインは生きてる!
でもメインAIが死んだせいで、制御信号がどこにも届かない!』
ミスティーの声がヘッドセットに飛び込んでくる。
「だったら、電気系女子の出番だ」
『だからその呼び方やめなさいってば! やるけど!』
ミスティーはサービスハッチから要塞内部に滑り込み、指先に電流を走らせながら闇の配線地獄へ消えていった。
レオはタブレットを開き、要塞と惑星ダストの軌道データを叩き込む。
数字の奔流が、彼の頭の中で立体軌道図に変わっていく。
「……ホーク」
「なんだ」
「安全に落とすには、大気圏再突入角をここだ。
急すぎれば空中分解して破片が街に降る。浅すぎれば、ゾンビ衛星コースだ」
「で?」
「生き残りスラスターの向きと推力を全部合わせて……この線に乗せる」
タブレットに描かれた軌道は、正気を疑うほど細い“セーフゾーン”だった。
「理屈の上では、ってやつだな」
「俺たち、“理屈を現実にする係”だろ?」
ホークはフンと息を吐き、タートル号側面のマグネットフックを蹴って宇宙空間へ身を投げ出す。
「じゃあ俺は、“風向き”を変える係だ」
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玉座の間では、別種の“ダンス”が続いていた。
銀の閃光が、視界の端をかすめるたびに火花が散る。
ドミンゴ伯爵のレイピアは、正面から切り結ぶ武器ではなく、こちらのスキを誘い、撫でるように急所を突く蛇だった。
「星の海賊にしては、なかなかの足さばきだ」
「女と撃ち合う時は、もう少し優雅なんだがな」
コブラはソファを蹴り、ひっくり返ったテーブルの陰に滑り込むように身を滑らせる。
飛び込んできたレイピアを紙一重で避け、サイコガンを撃つ。
光弾が床を抉り、伯爵のマントの裾を焼き裂いた。
ドミンゴはひらりと宙返りして着地し、マントの焦げた端を指でつまんだ。
「……これはお気に入りなんですよ? 今期コレクションなんです」
「じゃあ次は、“今季で最後”の顔をもらおうか」
コブラが踏み出そうとした瞬間――床が大きく揺れた。
要塞全体が軋み、人工重力が一瞬ふらつく。
ドミンゴはヨロめきながらも、すぐに片足でバランスを取り、笑みを深めた。
「どうやら外でも、ダンスの相手がいるようだ。
だが、ここは我々二人の舞台――幕が下りるまで邪魔は許さん」
レイピアの切っ先が、薔薇の茎をなぞるように持ち上がる。
そのまま、コブラの喉元へ一直線に突き込まれた。
ギュイン、と空気が鳴るような殺気。
コブラは身をひねり、レイピアの軌道ギリギリに自分の肩を滑り込ませる。
鋼が肉を裂く感触。肩口から血が噴き、それでも彼は笑った。
「……リードは譲ってやるよ、伯爵。
でも、リードした女を最後まで踊らせた男を、俺は一人も見たことがねえ」
「それは君の交友関係が悪いのだ」
ドミンゴは一歩引き、その場で軽くターンする。
レイピアがくるりと回り、今度は逆サイドからコブラの視界を切り裂く。
だが――その時。
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『C4、C5、D1、D2――指令受信ラインの再接続完了!』
要塞内部、むき出しの配電盤を前に、ミスティーが額に汗を浮かべて叫ぶ。
指先からほとばしる電流が、露出した回路に心臓マッサージをかけ続けていた。
『コマンドラインが死んでるところは、あたしが直接ショートさせて繋いでる!
やれることはやったわ!』
「上出来だ。あとは――」
外では、ホークが両腕を広げていた。
宇宙の真空の中、彼の周囲だけ、ありえない“流れ”が生まれる。
「――竜巻《トルネード》!」
微細な粒子と残骸が渦を巻き、その流れがスラスターの噴射方向をわずかに捻じ曲げていく。
『ミスティー、今だ! 指定したシーケンスで点火!』
「行くわよ――!」
ミスティーが配電盤に掌を叩きつける。
全身から放たれた雷撃が、要塞の奥深くまで走り抜けた。
次の瞬間――
要塞下部リングのスラスター群が、一斉に青白い光を吹いた。
巨体がゆっくりと傾き、その軌道を変える。
レオのタブレットに表示された計算上のラインと、実際の軌道がぴたりと重なった。
「……入った。完璧だ。
このまま行けば、街から遠い岩砂漠に“静かに”墜ちる」
『“静かに”って言わないでよ! 相当派手よこれ!』
『コブラ、聞こえるか? 要塞は落とす。お前はさっさと逃げろ』
「了解。こっちも、そろそろ“曲の終わり”だ」
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玉座の間。
揺れる床の上で、二人の距離が一瞬だけ崩れる。
その隙を、先に掴んだのはコブラの方だった。
レイピアの突きがわずかに上ずり、マスクの端をかすめる。
マスクの片側が裂け、ドミンゴの片目が露わになる。
その瞳は、予想外の事態にもなお楽しげだった。
「さあ、最終楽章といこうか、コブラ」
「あいにく俺は、アンコールはやらない主義でね」
コブラは左腕を伯爵の胸元――薔薇のすぐ下に押し当てる。
サイコガンの銃口が、布越しに硬い骨と心臓の鼓動を感じた。
ドミンゴは微笑み、レイピアの切っ先をコブラの喉に押し当てる。
「この距離なら、相打ちだ」
「いや、違うな」
コブラの視線が一瞬、床の薔薇へと落ちる。
さっきの揺れで、花は伯爵の足元からわずかに滑っていた。
「ダンスの終わりは、レディにキスするんだろ?
――悪いが、俺は花の方が好みでね」
サイコガンが低く唸った。
発射の衝撃と同時に、要塞全体が大きく傾く。
無重力へと切り替わる一瞬、コブラは自分の体をあえて流し、レイピアの切っ先から喉を外す。
光弾がドミンゴの胸部を内側から炸裂させた。
マントがはじけ、血と空気が破れた隔壁へと吸い込まれていく。
伯爵の手からレイピアが離れ、その後を追うように薔薇の花がふわりと浮かぶ。
顔の半分だけを隠したマスクが、ひらひらと宙に踊る。
「……見事だ。
君こそ――真の……」
最後の言葉は、真空に奪われた。
ドミンゴ伯爵の身体は破れた隔壁の向こう、星々の闇に溶けていく。
残されたのは、割れたマスクと、床に落ちた一本の薔薇の花弁だけだった。
「さよならだ、伯爵。
お前の舞踏会は、ここでお開きだ」
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タートル号のコクピット。
窓の外では、巨大な軌道要塞が炎の尾を引いて惑星ダストの大気圏へ突入していく。
装甲が剥がれ、火の粉が流星の雨のように散る。
やがて見えない地平線の向こう――海も街もない岩砂漠に、新しいクレーターが刻まれるだろう。
「……これで、ゲリラの頭上から“貴族の気まぐれ”が降ってくる事はなくなったな」
ホークがどさりと座席に座り込み、ヘルメットを脱ぎながら言う。
レオは端末を確認し、大きく頷いた。
「海賊ギルドの船も、要塞も、ドミンゴ伯爵も――全滅。
惑星ダストの空は、やっと本当に空になった」
ミスティーが後ろからぴょこっと顔を出す。髪の先でまだ小さな放電がパチパチと弾けていた。
「ふっふーん。要塞動かしたの、ほぼあたしの手柄よね? ね?」
「はいはい、ありがとよ。相変わらずビリビリのキスだったぜ」
「誰があんたにキスしたってのよ!」
タートル号の船内に、緊張のほどけた笑い声が広がる。
窓の外では、燃え尽きていく光条が一筋、星空の中へと消えていった。
惑星ダストの地上。
砂漠のゲリラたちは、空を横切る巨大な流星を見上げていた。
「……終わった、のか?」
誰かが呟く。
答えは、その後の静けさがすべて物語っていた。
海賊ギルドの旗印は、もうどの空にも、どの電波にも現れない。
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タートル号は静かに反転し、星々の海へと戻っていく。
コブラは背もたれにふんぞり返り、煙草に火をつけた。
「さて――次はどこのお貴族様の夢をぶち壊してやるかな」
「頼むから、一晩くらいは休ませてくれ」レオがうんざりした声で言う。
「休憩するさ。ホークの酒が尽きるまでな」
「それ、休憩じゃなくて拷問だろ……」
笑い声と共に、タートル号は加速を始める。
海賊ギルドが消えた空の下で、惑星ダストのゲリラたちは、ようやく“明日の準備”だけを考えて眠ることができるようになった。
ドミンゴ伯爵の薔薇は、燃え落ちた要塞と共に砂に還る。
だが、その夜空に開いた小さな自由だけは、確かに生き残っていた。