/*/ タートル号・船内・数日後 /*/
「……220ボルト、抵抗が44オームだから、電流は――」
ミスティーは頬杖をつきながら、空中に浮かぶホログラムノートに指を走らせた。
指がなぞった軌跡に合わせて、数式と回路図がするすると描かれていく。
「5アンペア。はいはい、オームの法則ね」
ぶつぶつ言いながらも、筆致は迷いがない。
足元には、レオが組んだ簡易実験台――ブレッドボードと呼ばれる穴だらけの板と、小さな抵抗やコンデンサが散らばっている。
「答えだけ合っても意味がない」
背後から声が降ってきた。
振り向くまでもなく、レオだと分かる。
「“どうして”5アンペアなのかを説明しろ」
「えぇ……」
ミスティーはわざとらしく椅子に背中を預け、大げさに天井を仰いだ。
「電圧と電流と抵抗の関係式が I=V/R だから。
電圧が220で、抵抗が44だから、割り算したら5。
回路全体を流れる電流は一つだから、ここのランプにも同じだけ流れる、でしょ?」
レオは彼女の書いた式に目を走らせ、満足げに頷く。
「よし。じゃあ実際に流してみろ」
「待ってました!」
途端にミスティーの声が一段明るくなる。
彼女は勢いよく椅子を回転させ、ブレッドボードの上で抵抗とLEDを手早く差し替えた。
「スイッチ、オン」
ぱちん、と小さな音。
次の瞬間、回路の先端に挿した小型ランプが、教科書通りの明るさでぱっと光を宿した。
「おおお……! ちゃんと計算通り!」
「計算通りに“させた”んだよ」
レオは腕を組む。
「間違った値を入れれば、ヒューズが飛ぶか、最悪船の配線まで巻き込んで燃える」
「それはそれで見てみたいけど」
「ダメだ」
即答だった。
「人の船で爆発実験するな。やるなら、廃棄予定のユニットでだ」
「けち」
口ではそう言いながら、ミスティーは楽しそうにランプを眺めている。
――最初の一日目、二日目は確かに“いやいや”だった。
数式だ、単位換算だ、と並ぶ文字列を見て「うぇぇ」とソファに沈み込んでいた少女は、
「この式が分かれば、このパーツの焼ける原因が分かる」
とレオに言われた瞬間、態度を変えた。
壊れた機械を直す。
そのために必要な“魔法の呪文”が、どうやら数学と工学らしい――と気付いてしまったからだ。
「じゃ、次。コンデンサ回路の過渡現象」
「え、過渡? 何それおいしいの?」
「放電の仕方で、センサーの“誤魔化し”方が変わる」
「……はいやりまーす」
ほんの数秒の逡巡で、ミスティーは再びホログラムにかじりついた。
指先でグラフをなぞりながら、充電カーブと放電カーブを覚えていく。
ブリッジ後方のソファでは、ホークがその様子を横目で眺めながら、缶コーヒーを揺らした。
「なあ、レオ」
「なんだ」
「“嫌々やってる”って言ってたの、あれ完全に嘘だよな」
「人はな、自分の好きなことを好きだと認めるのに時間がかかるんだ」
レオは淡々と答える。
「特にあの歳頃は、なおさらだ」
「なにこそこそ哲学してんのよ」
ミスティーがむっと振り返る。
「聞こえてるからね!」
「ほらな」
ホークが笑い、レオは肩をすくめた。
/*/
「――で、なんで銀河史ってこんなに退屈なの」
数時間後。
タートル号の昼サイクルを告げるチャイムが鳴った頃、ミスティーは机に突っ伏していた。
ホログラムには、延々と続く年表。
“○○標準暦何年、△△条約締結”“□□星系戦争勃発”といった文字列がびっしり並んでいる。
「お前がさっき夢中で計算してた“電力ライン”の、元締めたちの話だぞ」
ホークが教科書をつつく。
「銀河史を知らないと、どの星の発電所がどの組織の管理下か分からねぇ。
勝手にケーブル引っ張ったら、条約違反で撃たれるかもな」
「うっ……」
理屈は分かる。
でも、心がついてこない。
「せめてさ、もうちょっと面白く書けないわけ?」
「それは俺に言うな。著者に言え」
レオは苦笑しつつ、教科書表示を切り替えた。
すると、タートル号の立体マップの隣に、銀河の簡略図が浮かぶ。
星々の点と、その間を結ぶ航路。いくつかの星には、赤や青の印が付いている。
「ほら。これがお前がさっき計算してた電力ラインの“先”だ」
レオは赤い印の一つを指し示す。
「ここがダスト。で、ここが今から向かう予定の補給ステーション。
両方とも、名目上は同じ“銀河条約圏内”だ」
「ダストが? あの荒れ放題の星が?」
「名目上はな」
ホークが肩を揺らして笑う。
「条約に名前が載ってるからこそ、ギルドも“公には”好き勝手やれない。
そういう抜け道と穴だらけの歴史が、あの年表だ」
ミスティーはむむむ、と唸り、もう一度年表を見た。
「……つまり、“ここにこの線を引いたら怒られる”って地図?」
「おお、だいたい合ってる」
レオが頷く。
「その“怒られ方”の違いが、条約の中身と歴史だ」
「じゃあ、最低限そこだけ……」
「全部やれ」
「ですよねー!」
再び机に突っ伏しながらも、ミスティーの指は渋々年表の重要項目にマーカーを引き始める。
/*/
「次は銀河共通語の文法だ」
レオがそう言った瞬間、ミスティーの顔から血の気が引いた。
「数学よりキツい……」
「お前、現地の方言混じりで喋るからな」
ホークが茶化す。
「さっきのレポート、“~ッス”が三回も混じってたぞ」
「いいじゃん別に! 意味伝わってたでしょ!」
「“公式文書”ではダメだ」
レオがぴしゃりと切る。
「お前が将来、整備班長になって“事故報告書”を出す時、砲術士官や艦長が読んで一発で内容を把握できなきゃ困る」
「……将来?」
ミスティーの目が、ほんの少し揺れた。
ダストの地上では、一日先のことも分からなかった。
今、レオは平然と“将来”という単語を口にした。
「今のうちに変な癖を直しておけ」
レオはホログラムに“報告書・テンプレート”を表示する。
「さあ、“タートル号主機動力ライン・一時停止事案について”を、共通語の標準文で書いてみろ」
「えーと……“当該事案は、私、ミスティーが原因で発生しました”」
「主語がでかい」
コブラの声が、いつの間にかブリッジ入り口から飛んできた。
振り向くと、船長が煙草片手に壁にもたれている。
「“私が悪いです”じゃなくて、“どの装置の、どの操作が原因か”を書け。
じゃないと、読み手は“お前を殴る”以外の対処法を思いつかねぇ」
「ひどっ!」
言いながらも、ミスティーの口元には、少しだけ笑みが浮かんでいる。
「じゃあ……“主機動力ライン第3ユニットにおいて、負荷調整のための抵抗値設定を誤った結果――”」
「そうそう」
コブラがにやりと笑う。
「罪は具体的に書け。そうすりゃ“直し方”も一緒に見えてくる」
ミスティーは舌を出しながら、ホログラムに文字を打ち込む。
銀河史と文法の教科書は、相変わらず退屈だ。
けれど、その向こう側に“機械いじりに使える知識”や、“将来”という単語がぶら下がっていると気付いてしまった以上、完全に放り出すこともできない。
タートル号は、静かに星々の間を進む。
その船内の一角で、一人の少女が、数学には目を輝かせ、銀河史にはあくびをし、文法には悪態をつきながら――
確実に、“宇宙で生きるための頭”を鍛え始めていた。
そのうち、彼女の書いた最初の“まともな報告書”が、
誰かの命を救う日が来るかもしれないことを、今はまだ、誰も知らない。