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「ところで貴方、マンドラドという植物を聞いたことはある?」
車内の静寂を破るように、エリザベスがふと問いかけてきた。窓から差し込む淡い光が彼女の髪を縁取り、その瞳が俺をじっと射抜く。正直、また始まったか、と俺は内心ため息をついた。だけど、ここで冷たくあしらうわけにもいかない。
「知ってる。歯がダイヤモンドの、気味悪い人面花だろ」
俺は肩をすくめながら答えた。口に出した瞬間、あの森の暗い匂いや、耳やエリザベスに翻弄された一連の出来事が脳裏をかすめる。胸の奥で、まだざわざわとした感覚が残っていた。
「よくご存じね」
エリザベスはにっこりと微笑み、瞳を一層輝かせる。その笑顔には、ただの好奇心以上のものが宿っていることが分かる。いや、それは好奇心ですらない。欲望だ。冷徹で、計算された欲望。
「そして、マンドラドは若木の時にしかダイヤモンドの歯をつけないの。親樹に育つまでには、数百年かかると言われている、謎の植物よ」
俺は原作知識でその概要を大体理解していたが、ここでは彼女に合わせる。相手の期待に応える形で、少し興味深げに頷く。
「おい……まさか……」
俺の言葉を遮るように、彼女は口角を上げて笑った。
「そう、そのまさかよ。私の夫、ヘンリー・タッカーが一か月前、ついにナスカ星でその親樹を見つけたの!」
彼女は興奮を抑えきれない様子でアタッシュケースを開いた。中には、小さな若木が丁寧に保護されて収められている。人面花の口の中には確かに大粒のダイヤモンドが光を反射し、その顔には写真で見たヘンリー・タッカーの面影が残っていた。
俺は思わず息を呑む。光の加減でキラキラと揺れるその葉や茎は、ただの植物ではない。恐怖すら感じさせるはずの人面花が、今は神秘的な美しさを湛えている。その口元の微妙な表情や、ほんのわずかな揺れまでも、まるで意志を持っているかのようだった。
「で……これ、どうするつもりなんだ?」
俺は慎重に、しかし確かに問いかける。心の奥では警戒がぐるぐると回り、言葉を選ばずに済む状況ではないことを理解している。
「決まっているわ」
エリザベスは小さく頷き、声に確信を込めた。
「ナスカ星の親樹を独占すれば、巨万の富が手に入るのよ」
その頬はわずかに紅潮し、瞳はぎらぎらと光を放つ。だが、その光の奥に潜む冷徹さも、俺は見抜いている。微笑みの裏に計算と覚悟が隠されているのだと。
俺はゆっくりと息を吐き、視線を前方に向ける。心臓の鼓動は自然に早まる。これから始まる航海は、ただの冒険では済まない。マンドラドの伝説、無限の富、そして予測不能の危険――すべてが詰まった挑戦が俺を待ち受けているのだ。
――そして、それに巻き込まれるのは俺――レオ・ゴルドン。
俺は理解している。逃げ場はもう、どこにもない。ナスカ星で味わった恐怖、耳やエリザベスに翻弄された経験、そして人間の欲望が生む闇――すべてが今、目の前で形を成している。
車内の光が揺れ、荷物の影が揺らめく。アタッシュケースの中の小さな若木と種子が、まるで俺の心を映すかのように静かに揺れている。
――ゴルドン、逃げられない。
俺はアクセルに力を込め、闇に向かって車を走らせる。
だが心の片隅では、あの森、あの人面花、そして人間の欲が生み出す無限の輪廻を、決して忘れることはない――。