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サイコガンの火線が、漆黒の船体に三つの“傷口”を刻んだ瞬間――
重戦艦ブラックシープは、普通の戦艦みたいに火花を散らして怒ることはしなかった。
代わりに。
傷の縁から、黒い“毛”みたいなものが、ふわりと溢れ出した。煙でも蒸気でもない。宇宙空間なのに揺れる。揺れてるのに散らない。粘り気のある闇。
反対側から、ロシナンテの重粒子砲が追い討ちをかける。
船体を横薙ぎに削る一撃。削れたはずの装甲の断面が――なぜか、肉の断面みたいに脈打った。
タートル号の甲板で、コブラが口笛を吹く。
「へえ。戦艦のくせに、内臓があるとはな」
通信越しに、クリスタルボーイの笑い声が薄く響いた。
「そうだ、コブラ。いい目だ。ブラックシープは“船”じゃない。器だ。……封じてあるもののためのな」
ロシナンテ側の回線に、レオの低い声が割り込む。
「封じてある? 何を――」
「黒い山羊さ」
その単語が出た瞬間、周囲の星の光が、ほんの一拍だけ遠のいた気がした。
光が薄くなったんじゃない。こちらの“目”が、見えなくなったみたいな――妙な感覚。
コブラは片目を細める。
いつもの軽口の温度を、わざと下げない。
「山羊? 牧場でも始めたのか、ボーイ。似合わないな。お前の性格だと、角の手入れが神経質すぎて毎朝キレそうだ」
「くく……貴様は相変わらずだ。なら見せてやろう。貴様の“精神力”とやらが、どれだけ持つか」
ブラックシープの船腹が、ゆっくりと開いた。
爆発でもハッチでもない。裂ける、という言葉が一番近い。
裂け目の奥は、暗闇じゃなかった。
暗闇より、もっと“濃い”もの。
そこから、黒い毛のような闇が伸び、宇宙空間へ枝みたいに広がっていく。枝の先に、白い点がいくつも灯る。星じゃない。目だ。
タートル号の艦内で、ミスティが息を飲む気配がした。
ホークが舌打ちする。「目玉だらけかよ……」
ドブスンは逆に笑ってしまい、慌てて咳払いで誤魔化した。
ロシナンテ側から、レオの悪態が飛ぶ。
「……冗談だろ。あれ、目玉じゃねえか」
コブラはサイコガンを構え直す。
義手の感触が、いつもより“軽い”。軽いというより、持っているのが自分の手じゃないような感覚。
(――やる気を吸われる。いい手だ、ボーイ)
背後でタートル号が微かに軋んだ。
船体が恐怖で震えたみたいに。
コクピットにいるアーマーロイド・レディの声が、短く冷たく入る。
「船体応力、微増。艦内に寒気。……不快ね」
クリスタルボーイの声は、妙に優しかった。
「コブラ。貴様の武器は精神力。だが精神力は、心の産物だ。心は揺れる。心は闇を恐れる。闇を恐れれば、出力は落ちる」
「へえ、講義か? 授業料は高いぜ」
コブラは、わざと笑って見せた。
笑うことで、自分に言い聞かせる。――怖がるな、と。
「オレはね、怖いもんがあると逆に燃えるタイプなのさ。燃えすぎて惑星砕いちまったら、あとで謝ってやるよ」
サイコガンが光る。
今度の火線は、まっすぐ裂け目へ――ではなく、裂け目の周囲にまとわりつく闇の“枝”を、一本ずつ切り落とすように薙いだ。
パッ、と“目”が消える。
消えた瞬間、視界の濁りがわずかに晴れた。
ロシナンテ側で、レオが叫ぶ。
「効いてる! でも――数が多すぎる!」
闇の枝が増える。
ブラックシープの周囲に、黒い森が生えるみたいに広がる。
レオは操縦桿を切り、ロシナンテを滑らせながら重粒子砲を撃つ。
砲撃は闇を削るが、削れた先からまた生える。再生というより、繁殖だ。
クリスタルボーイが、静かに言った。
「それが“黒い山羊”だ。闇を餌にするのではない。闇そのものを、増やす。貴様らの火力では、刈っても刈っても森は育つ」
コブラは肩をすくめた。
「森が育つなら、火をつければいい。――宇宙の焚き火ってやつだ」
ミスティが小声で言う。「また無茶を……」
ホークが苦笑する。「それがコブラだ」
ドブスンは頷きすぎて首を痛めた。
コブラは回線を開く。
「レオ、聞こえるか。重粒子砲を“船体じゃなく空間”に撃て。座標はオレが出す」
レオが一瞬黙り、すぐに返す。
「空間に? 何言って――」
「いいからやれ。海賊の勘ってやつだ」
「……チッ。わかった、座標よこせ」
通信が飛び、ロシナンテの砲身がわずかに上がる。
次の一撃はブラックシープではなく、闇の森の“根元”――裂け目の少し外側、何もない空間へ。
ズン、と宇宙が沈んだ。
空間が一瞬だけ、へこんだように見えた。
闇の枝が、そのへこみに向かって引っ張られる。
コブラが叫ぶ。
「レディ! 突っ込め! “へこみ”の中心に!」
アーマーロイド・レディの声は淡々としている。
「了解。操舵最適化。衝撃、許容範囲内に抑制」
タートル号が闇の森の中へ飛び込む。
黒い枝が甲板を舐める。触れた瞬間、金属が冷たくなる。冷えるというより、生きる気力を奪う冷え。
艦内でミスティが歯を食いしばり、ホークが壁に手をつき、ドブスンが「うわっ」と声を上げた直後に、恥ずかしそうに口を塞いだ。
その中で、コブラは笑っていた。
「ほらな、ボーイ。闇が増えるなら、増えたぶんだけ“入口”も増える。つまり――」
クリスタルボーイの声が鋭くなる。
「……まさか、内部へ?」
「正解。外から壊せないなら、中でコルク抜くまでだ」
タートル号が“へこみ”を突き抜けた瞬間、視界が反転した。
上下が入れ替わり、遠近が潰れ、星が内側に落ちる。
次の瞬間、コブラは――宇宙ではなく、巨大な洞窟の中に立っていた。
いや、甲板の上にいるのに、洞窟だ。
壁は黒い装甲のはずなのに、湿って脈打ち、ところどころに白い結晶が生えている。結晶は光を反射しているのではない。内側から淡く光っている。
クリスタルボーイが、低く笑う。
「歓迎しよう、コブラ。そこはブラックシープの胎内。貴様が好きな“近距離戦”の舞台だ」
ミスティが吐き捨てるように言う。「最悪の趣味ね……」
ホークは目を細めた。「生きてる船ってのは、だいたいロクでもない」
ドブスンは結晶を見て「……綺麗やな」と言いかけて、全員に睨まれて黙る。
コブラは、結晶の光に目を細めた。
その光が、どこか懐かしい。――人の心に似た光だ。
「生きてるなら、話が早い。生き物はな、弱点がある。心臓とか、脳とか、痛いとこがな」
闇の枝が、胎内の空間から伸びる。
枝の先の“目”が、こちらを見ている。
だが――外より少ない。
ここでは、闇は無限じゃない。
コブラはサイコガンを軽く回し、肩を鳴らす。
「さあて。黒い山羊さんよ。オレの精神力で、角をへし折ってやる」
そのとき、胎内の奥で――“鳴き声”がした。
山羊の鳴き声じゃない。
もっと大きく、もっと深く、言葉にならない音。
音が来た瞬間、コブラの脳裏に“映像”が刺さる。
黒い森、無数の目、角の影、増え続ける闇。
そして――自分が笑うのをやめる未来。
(……へえ。脅しじゃなく、誘惑か)
クリスタルボーイの声が囁く。
「コブラ。貴様が笑いを失えば、貴様の武器は死ぬ。貴様が闇に膝をつけば、貴様の光はここで終わる」
コブラは、ゆっくり息を吐き――
ニヤッと、いつもより悪い笑いを浮かべた。
「残念だな、ボーイ。オレは“笑い”を失うほど真面目じゃない」
サイコガンが眩い光を吐く。
狙いは、闇でも結晶でもない。胎内の奥、脈打つ壁の向こう――そこに透けて見える、黒い“核”。
コブラは回線を開く。
「レディ、船を支えろ。ミスティ、ホーク、ドブスン、衝撃に備えろ。――当てる場所を間違えるなよ。心臓を撃つんだ」
レディが即答する。
「船体姿勢保持。衝撃吸収、最大化」
外では、レオがロシナンテで“へこみ”を維持するように空間へ砲撃を重ね、内部と外部が噛み合った瞬間――
ブラックシープの胎内が悲鳴を上げた。
黒い核が、こちらを見返す。
目ではない。意志そのものが、こちらを“見て”くる。
コブラは、肩越しに言った。
「――光と闇の戦いってのはな。闇を消すことじゃない。闇に飲まれないことだ」
そして、もう一発。
サイコガンの火線が、黒い核に突き刺さる。
その瞬間、闇の森が一斉に揺れた。
クリスタルボーイの声が、初めて苛立ちを含む。
「馬鹿な……貴様ごときが、黒い山羊に触れられるはずが――!」
コブラは笑う。
「触れるさ。オレはいつだって“厄介ごと”に触れて生きてきた」
胎内の壁が裂け、光が逆流する。
闇の枝が、焼けるように縮む。
だが――黒い核は、まだ死んでいない。
むしろ、怒りで“角”を立てるように、闇が凝縮していく。
艦内に、レオの声が飛ぶ。
「コブラ! 反応が変わった! そいつ、まだ来るぞ!」
アーマーロイド・レディが淡々と報告する。
「敵性エネルギー、収束。衝撃予測、上昇」
ミスティが短く笑う。「本番ってやつね」
ホークは指を鳴らした。「やれやれだ」
ドブスンは腹を括ったように頷く。「……やるしかないわな」
コブラはサイコガンを構え直し、歯を見せた。
「上等。……ボーイ、次は“本番”だ。オレの精神力がどこまで行くか、証明してやる」
ブラックシープの胎内で、光と闇がぶつかり合う。
“黒い山羊”が、ついにその正体を――角の影を、こちらに伸ばし始めた。