闇が凝縮し、角の影が伸びた。
角は“刺さる”んじゃない。空間そのものを、ゆっくり折り曲げてくる。
胎内の洞窟が、船の内部じゃなく、ひとつの異界へ変わっていく。
結晶の淡い光が、瞬きみたいに揺れた。
その揺れに合わせて、壁の脈動が速くなる。鼓動だ。戦艦の鼓動。
アーマーロイド・レディが淡々と告げる。
「内部構造、再編成。通路が変化。敵性反応、拡大」
ミスティが舌打ちした。
「迷路にして閉じ込める気ね」
ホークが肩を回す。
「だったら迷路ごと切り裂けば良い」
ドブスンは震えを飲み込んで笑う。
「ワシ、迷路は嫌いだが……出口を見つけるのは得意だ。人生がそうだったからな」
コブラはサイコガンを構えたまま、前へ歩き出した。
「いいね。じゃあ行くぜ。黒い山羊さん、歓迎の角は間に合ってる」
闇の角が、音もなく降りてきた。
触れた空間が凍る。凍るというより、“絶望”が置かれる。
次の瞬間、角の影が裂け、そこから黒い獣が出た。
山羊の形に似ている。だが、山羊じゃない。
角は二本じゃない。何本もある。絡み合った角が輪になって、輪の内側で“夜”が回っている。
毛並みは宇宙の闇そのもの。そこに無数の白い目が浮いて、こちらを「数える」ように眺めていた。
クリスタルボーイの声が、胎内全体に響いた。
「見せてやろう。黒い山羊の正体を。これは神話級の存在だ。暗黒神アーリマンの力で顕現した、闇の化身」
ミスティが吐き捨てる。
「神話? ふざけてるの」
「ふざけているのは貴様らの希望だ」
クリスタルボーイは笑っている。笑っているのに、温度がない。
「狙いは単純だ。六人の勇士を闇に染める。貴様らが光である限り、闇は完成しない。だから貴様らを闇にして、光と闇の戦いを終わらせる」
コブラは軽く首を鳴らした。
「終わらせる? いいね。だが、終わるのはお前の講義のほうだ、ボーイ」
黒い山羊が、角の輪を回した。
回転に合わせて、六つの“影”が床に落ちる。
影はそれぞれ、人の形になり始めた。顔は見えない。だが、声だけはやけに鮮明だった。
まず、ミスティの影が囁く。
「怖いでしょう? やめなさい。帰りましょう。ここで死ぬ必要なんてない」
ミスティは歯を見せて笑った。
「怖いから来たのよ。怖くないなら、あたしの仕事じゃない」
次に、ホークの影が囁く。
「力が欲しいか。殴っても殴っても壊れない壁に、うんざりしてるだろ?」
ホークは剣を構える。
「壊れない壁? なら壊れるまで切るだけだ。計算は嫌いでな」
ドブスンの影が囁く。
「お前はいつも滑稽だ。だから誰も本気で評価しない。楽になれ。笑いをやめろ」
ドブスンは一瞬だけ目を伏せ、次の瞬間、肩をすくめた。
「笑いをやめたら、ワシはワシじゃなくなる。評価なんて後でいいわい。今は、ここを抜けるんじゃ」
アーマーロイド・レディの影が囁く。
「最適解は撤退。勝率は低い。撤退すれば損失は最小」
レディは変わらず淡々と返す。
「損失の最小化には、コブラの生存が含まれるわ。よって、前進よ」
最後に、コブラの影が囁く。
「笑え。笑えなくなったら終わりだ。膝をつけ。楽になれ」
コブラはニヤリとする。
「楽になったら、退屈で死ぬ。オレは面白い方を選ぶ」
六つの影が、同時に牙を剥いた。
影は“心”を折れないと悟ると、今度は“体”を折りに来る。
闇の山羊が一歩踏み出す。
踏み出した場所に、重力が落ちる。甲板が沈む。膝が落ちそうになる。
コブラが叫んだ。
「レディ、姿勢保持!」
「了解。反重力補正、最大」
船体がきしみ、沈みかけた床が、ぎりぎりで持ち直す。
ホークが前へ出た。
「来いよ、黒ヤギ! 角の数だけ殴ってやる!」
拳が闇を殴る。
殴った瞬間、手応えがない。だが、衝撃だけは返ってくる。心を撫でてくる冷たさが、腕から胸へ染みる。
ミスティが咄嗟に投げた閃光弾が、結晶の光と共鳴した。
一瞬、胎内が昼みたいに明るくなり、闇の目が一斉に瞬いた。
その“瞬き”の隙間を、コブラが撃ち抜く。
サイコガンの火線が闇の角を貫き、角の輪の回転を止める。
止まった角の輪が悲鳴みたいに鳴り、胎内の壁が痙攣した。
クリスタルボーイが低く笑う。
「貴様は確かに強い。だが外はどうだ?」
その言葉と同時に、回線が割り込む。
ロシナンテ。レオの声が荒い。
「内部の揺れがこっちにも来てる! へこみが安定しない!」
そして次の瞬間、ロシナンテのサイコ・フレームが、嫌な唸りを上げた。
サイコ・フレームは増幅器だ。
心の波を、艦全体に広げる。だからこそ、闇にも敏感だ。
レオの呼吸が乱れる。
「……くそ……なんだこれ……頭の奥が……」
ドクター・ヤマの声が、すぐ横から飛んだ。
「レオ、聞け。今は思考を止めるな。飲まれたらフレームが“闇の形”を固定する!」
「わかってる……わかってるのに……!」
闇が、レオの中に“痛点”を探り当てる。
視界が一瞬、宇宙から切り替わった。
蛍光灯の白い天井。鳴り続けるチャット音。未読の赤。締切。締切。締切。
「改善案を出せ」
出した。
「却下」
出した。
「却下。現場感がない」
出した。
「余計なことをするな」
部下を守った。
「甘やかしてる」
取引先の無茶を止めた。
「協調性がない」
夜が明けた。
「まだ終わってないだろ」
自分が悪い。自分が足りない。自分が――
レオの手が震え、ロシナンテの操舵が一瞬ぶれた。
へこみが歪む。タートル号の胎内が、ぐらりと傾く。
ミスティが叫ぶ。
「外が揺れた!」
レディが即答する。
「外部安定の低下してる!」
コブラは舌打ちし、回線に怒鳴った。
「レオ! 落ちるな! 落ちたらこっちも潰れる!」
レオは返事ができない。
喉が詰まる。あの頃の言葉が、今の言葉を奪っていく。
そのとき、ドクター・ヤマがレオの肩を掴んだ。
「フラッシュバックの中で、ひとつだけ真実がある。思い出せ。誰が貴様を評価した?」
レオの脳裏に、別の顔が浮かぶ。
疲れ切った部下が、最後に言った「助かりました」。
無茶な案件の中で、取引先の担当が頭を下げた「あなたがいてくれて良かった」。
誰も褒めない世界で、それでも“誰か”は見ていた。
ドクター・ヤマが畳みかける。
「貴様は、認められなくても守った。今も同じだ。守れ。コブラたちを。貴様の心でフレームを支配しろ!」
レオの目が開く。
震える手が、操縦桿を掴み直す。
「……そうだ。オレは……守る側だ」
その言葉が、サイコ・フレームを叩いた。
ロシナンテの内部に、透明な“波”が広がる。
闇を消す光じゃない。闇を通す、濁らない水みたいな感触。
へこみが、再び安定する。
レオが息を吐き、声を絞り出す。
「コブラ……こっちは持ち直した。外から支える。だから中で決めろ!」
コブラは笑った。
「よくやった。幽霊なんか、あとでオレが撃ってやる。今は黒い山羊だ」
クリスタルボーイの声が少しだけ硬くなる。
「……ほう。フレームを逆に使ったか。だが無駄だ、貴様らは核へ辿り着けない。闇が通路を食う」
コブラは周囲を見回す。
確かに通路は変化し続けている。だが、結晶の光が、一定のリズムで“核”の方向を指していた。
ミスティが気づく。
「結晶……あれ、道標になってる。船の中の“光”が核を嫌がってる」
ドブスンが頷く。
「生き物なら当然や。病巣を避けるように、痛い場所を知らせとるわい」
ホークがニヤリとする。
「なら、光の方につっ走ればいいな。わかりやすい」
コブラが言う。
「決まりだ。レディ、結晶の脈動に合わせて推進。ミスティは電撃、ホークは壁ぶち抜き。ドブスン、後ろを見ろ。背中は任せた」
ドブスンが胸を叩いた。
「ワシは一度も英雄じゃなかったが、背中を守る役ならやれる」
突入戦が始まった。
闇の山羊が角の影を伸ばし、通路そのものを折り曲げてくる。
だがタートル号は、レディの操舵で“折り目”を滑るように避けた。
船が船じゃなく、剣みたいに突き進む。
ミスティの電撃が闇の目を潰し、
ホークが緊急隔壁を切り裂いて新しい道を作り、
ドブスンが背後から迫る影の触手を氷結させ、
コブラのサイコガンが、要所の角を叩き折る。
闇が叫ぶ。
叫びは音じゃなく、心の温度を下げる感触だった。
クリスタルボーイが囁く。
「無駄だ。貴様らは疲れる。闇は疲れない。闇は増える。闇は――」
「うるさいな」
コブラが遮った。
「オレは疲れる前に終わらせる」
核が見えた。
黒い“心臓”。
壁の向こうに透けていたものが、今は剥き出しになって脈打っている。
周囲には角の輪が何重にも巻き付き、結晶の光を締め上げていた。
その核の上に、影が立った。
クリスタルボーイ本人ではない。だが、本人の意志が入った“像”だ。
「ここが終点だ、コブラ。貴様が核を壊せば、ブラックシープは死ぬ。だが同時に、貴様らもここで死ぬ。六人まとめて闇に沈めば、俺の勝ちだ」
コブラは肩をすくめる。
「死ぬ死ぬ詐欺は聞き飽きた」
ミスティが小さく笑う。
「いつも通りね」
ホークが拳を鳴らす。
「やろうぜ。終点なら、終わらせるだけだ」
ドブスンが息を吐き、銃口を上げる。
「ワシは逃げるのが得意だ。だからこそ言える。逃げ道は作る。壊してからな」
レディが告げる。
「脱出経路、計算開始。核破壊後、最短で外部へ」
コブラは回線を開く。
「レオ。ドクター・ヤマ。核が見えた。外のへこみを最大で固定できるか?」
レオの声はもう揺れていない。
「できる。サイコ・フレームを“支える”方に回してる。へこみは固定する。時間は……長くは持たない!」
ドクター・ヤマが付け加える。
「核を撃つなら一撃で決めろ。中途半端に削ると闇が暴走する!」
コブラは笑った。
「一撃で決める。得意分野だ」
クリスタルボーイの像が、核の上で腕を広げる。
「なら来い。貴様の精神力が本当に惑星を砕けるなら、ここで証明しろ。だが忘れるな。精神力とは、心だ。心は闇に染まる」
核の周囲の角が一斉に回転する。
六人の足元に、さっきより濃い影が落ちた。今度は誘惑じゃない。圧迫だ。否定だ。自分を自分で壊させる刃だ。
レオのフレームが、外から透明な波を流し込む。
闇の圧が少しだけ薄まる。
それでも、核の目がこちらを見てくる。
「貴様は無意味だ」と言ってくる。
コブラは、その視線に歯を見せた。
「無意味? 上等。意味なんて後から付く。オレは今、撃ちたいから撃つ」
サイコガンが光る。
光は火線になる前に、空間を震わせた。
タートル号の結晶が共鳴し、ロシナンテのサイコ・フレームが共振し、二隻の“心”が同じ方向を向く。
ミスティが叫ぶ。
「今よ、コブラ!」
ホークが角の輪へ突っ込む。
「どけえええっ!」
拳が角の輪を一瞬だけ止めた。止めたのは物理じゃない。気迫だ。
その隙間に、ドブスンが正確に撃ち込み、角の結び目をほどく。
核が露出する。
コブラが呟いた。
「これで十分だ」
そして撃った。
サイコガンの火線が、核へ一直線に走る。
火線は途中で闇に食われかけたが、レオの波が“道”を保ち、結晶の光が“芯”を通し、コブラの笑いが“最後”を押し切った。
核に命中。
黒い心臓が、脈動を止める。
止めた瞬間、船全体が息を吸うみたいに膨らんで――次に、吐いた。
吐き出されたのは、闇じゃない。
闇が燃え尽きるときの、冷たい火花だった。
クリスタルボーイの像が揺らぎ、苛立ちが混じる。
「馬鹿な……アーリマンの顕現が……!」
コブラが言う。
「顕現ってのはな。呼んだやつが責任取るんだよ」
核がひび割れ、角の輪が崩れ、胎内の壁が裂け始めた。
裂け目の向こうに、さっきの“へこみ”が見える。出口だ。
レディが即座に宣言する。
「脱出経路確定。推進、最大」
タートル号が飛ぶ。
船が胎内を滑り、崩れる通路を抜け、落ちてくる闇の破片をかすめる。
ミスティが振り返り、叫んだ。
「コブラ、後ろ!」
黒い山羊が最後の抵抗を見せた。
崩れた角の輪が、巨大な一本の角になって伸びる。六人をまとめて貫くための“否定”の槍。
コブラは振り向きざまに撃った。
サイコガンの火線が角の槍を折る。
折れた先端が霧になり、胎内に散った。
ホークが笑う。
「いいぞ! 折れた!」
ドブスンが叫ぶ。
「出口、見えた! 今だ!」
回線にレオの声が飛ぶ。
「へこみ、限界だ! あと数秒で潰れる!」
ドクター・ヤマが怒鳴る。
「飛び込め! 今だ!」
タートル号が“へこみ”に突っ込んだ瞬間、視界がまた反転した。
上下が戻り、遠近が戻り、星が外側へ散った。
次の瞬間、二隻は宇宙空間に戻っていた。
背後でブラックシープが、静かに崩壊を始める。
爆発じゃない。黒い毛の闇がほどけ、船体が“空っぽ”になっていく。器だったものが、器としての役目を終える。
その中心で、最後に残った闇が、ひとつの目になり――クリスタルボーイの声だけが、冷たく響いた。
「覚えておけ、コブラ。貴様らは今回、闇に勝ったのではない。闇に染まらなかっただけだ。次はどうかな」
コブラはサイコガンを肩に乗せ、笑った。
「次も同じさ。オレはしぶとい。あと、仲間がいる」
ロシナンテ側で、レオが長く息を吐く。
「……デスマーチよりマシだった。いや、違うな。こっちは守れた。だから勝ちだ」
ドクター・ヤマが短く笑う。
「それでいい。サイコ・フレームは心の鏡だ。鏡は曇るが、拭けば戻る」
タートル号の艦内でミスティが肩を落とす。
「生きて帰れた。今日はそれで十分ね」
ホークが腕を組む。
「また足りないが、次の楽しみにしておく」
ドブスンが星を見上げて言う。
「……ワシら、ちゃんと英雄っぽいことをしたな」
アーマーロイド・レディが淡々と締める。
「コブラ、次回も同様に進行可能よ」
コブラは口笛を吹いた。
「聞いたか、ボーイ。六人の勇士は闇に染まらなかった。むしろ、闇の器をぶっ壊して帰ってきた。痛快だろ?」
ブラックシープが消えていく。
その跡に残ったのは、やけに澄んだ星の光だった。