高空は薄い。
雲の白が足元に沈み、空は青黒く、星が昼間から刺さる。
ロシナンテの皮膚が震え、鼓動が速い。怖がってる。だが逃げない。
前方にブラックシープが見える。
雷の残光を引きずり、まだ上がっている。
根を引きちぎられた腹から、黒い糸みたいなものが垂れて、空にほどけていく。
ヤマが息を荒くしながら叫んだ。
「いいか! 石はブラックシープの中じゃ! 割るなら石を直接……いや、器ごと割るしかない!」
ドブスンが河内弁で怒鳴る。
「ほな、どうやって割るんや?」
俺は操縦席で唇を噛む。
計器はない。あるのは鼓動と、サイコ・フレームの脈と、黒い戦艦の気配。
正解なんてどこにもない。けど、手は止めない。
「体当たりかなぁ」
ドブスンが即座にキレる。
「かー! ここまでしといて行き当たりばったりかい! お前、さっきまで合理的やったやろ!」
ヤマが笑う。こういう時だけ楽しそうだ。
「落ち着け、ドブスン。行き当たりばったりと即興は違う。理屈は今からでも立つ!」
俺は呼吸を整えた。
ブラック企業の悪夢が首を伸ばす。
「改善案を出せ」「却下」
だが今回は違う。却下する上司はいない。死ぬだけだ。
俺はブラックシープの気配を“触って”確かめる。
あいつは石の核を抱え、星の中心になろうとしていた。
つまり核は心臓だ。
心臓を割るなら外から叩くんじゃない。拍動のタイミングに合わせる。
「……ドブスン」
「なんや」
「ブラックシープの鼓動、感じるか」
ドブスンは一瞬黙って、ロシナンテの内壁に掌を置いた。皮膚が震える。そこを通して遠い脈が伝わる。
「……うっすら来る。気持ち悪い拍動やな」
ヤマが低く言う。
「石の核の脈じゃ。光と闇の結合体が、生命を撒き散らしながら自分を安定させようとしておる。拍動は周期。周期には窓がある」
俺は頷く。
「体当たりはする。ただし、いつでもいいじゃない。拍動が最大になる瞬間に合わせる」
ドブスンが眉を吊り上げる。
「ほな、タイミング外したら?」
「ロシナンテが砕ける」
ヤマが即答した。
「ほぼ確実にな」
ドブスンが叫ぶ。
「最悪やないか!」
俺は歯を見せた。
「最悪を避けるために、最悪の手段を正確にやる」
ロシナンテの鼓動が速くなる。
怖い。
それでも進む。
俺はロシナンテに語りかけた。
「怖いか。怖いよな。でも今逃げたら、地上が吹き飛ぶ。……だから行く。俺が守る。お前も俺たちを守れ」
ロシナンテが低く唸った。
返事だ。覚悟の唸りだ。
ヤマが叫ぶ。
「レオ! サイコ・フレームを使え! お前の心でロシナンテを一つにまとめろ! 生命になった船は、お前の迷いを増幅するぞ!」
俺は息を吐いた。
迷いを吐く。
決める。
「行くぞ。ドブスン、冷気を切るな。冷やせ。衝突熱を少しでも抑える。衝撃を受け止めるのはロシナンテの皮膚だ」
ドブスンが歯を食いしばる。
「わかったわ。冬、握り続けたる。手ぇちぎれても冷やしたる」
ロシナンテの背中が再び開き、冷気が尾を引く。
その冷気が、ロシナンテの周りに薄い霜の鎧を作る。
氷晶の粒が、皮膚の上で鳴る。
俺が加速する。
ブラックシープが近づく。
船体は黒い。だがその黒の奥に、白い脈が見える。
石の核が生を撒き散らしている。
その中心の拍動だけが、妙に規則正しい。
俺は数えた。
一、二、三……
ドクン――
一、二、三……
ドクン――
「来るぞ」
ヤマが息を呑む。
「次が窓じゃ。脈が最大になる。そこへ打ち込め!」
ドブスンが叫ぶ。
「外すなよ! 外したらワシ、お前殺してから死ぬで!」
「順番が変だ!」
俺は叫び返しながら、操縦を固定した。
そして――
ブラックシープの腹が、光った。
拍動が最大になった瞬間。
核が膨らみ、外殻が一瞬だけ緩む。
裂けるための隙間が生まれる。
俺は歯を食いしばる。
「今だ!」
ロシナンテが突っ込んだ。
衝突は音じゃなかった。
世界が白くなる衝撃だった。
ロシナンテの皮膚が裂けそうになる。
だが霜の鎧が一拍だけ持ちこたえる。
冷気が衝撃熱を吸い、蒸気が花火みたいに散る。
ブラックシープの船体が、内側から鳴った。
金属じゃない。肉が裂ける低い音。
裂け目の向こうに、白と黒が絡み合った核が見えた。
銀でも黒でもない。
光と闇が絡まって、互いを食い合っている。
ヤマが狂ったように笑う。
「見えたぞ! あれが結合体じゃ! 割れ! 割れぇ!」
ドブスンが叫ぶ。
「割るってどうやってや! 見えたからって終わりちゃうぞ!」
俺は喉の奥で笑った。
「ここまで来たら、二段目だ」
ロシナンテの胸――いや、サイコ・フレームの脈を一気に上げる。
増幅。
恐怖も増える。
だが同時に、意志も増える。
「ロシナンテ。噛め」
ロシナンテが唸り、裂け目に牙を立てる。
船が生き物になった意味がここで出る。
噛む。引き裂く。こじ開ける。
ブラックシープの裂け目が広がる。
結合体の核が外気に触れて暴れた。
光と闇が噛み合い、世界を生む力が漏れ出す。
宇宙に逃がすはずの余剰が、ここで漏れたら――
俺は歯を食いしばった。
「……最後は、やっぱり体当たりだ」
ドブスンが怒鳴る。
「またかい!」
「今度はブラックシープじゃない。核だ。核の中心をねじる」
ヤマが目を見開く。
「ねじる……! 分離の起点を作るのか!」
俺は頷いた。
「結合体は均衡で保ってる。均衡を崩して、光と闇を別々に逃がす道を作る。真空に逃がす。地上に落とさない」
ドブスンが唸る。
「ほな、ねじれ。外すなよ。次外したらほんまに終わるで」
俺は笑った。
「外さない。却下されない。俺が通す」
ロシナンテが裂け目の中へさらに突っ込んだ。
核の中心へ――
白と黒が、渦を巻いて迫ってくる。
次の瞬間、世界はまた白くなった。