過労死サラリーマン、銀河の無茶振りに挑む 〜地球の存亡は10年後の星間会議(ミーティング)で決まるそうです〜   作:パラレル・ゲーマー

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第70話 聖者たちの教室と光の宿題

 月面の観測ステーション『ヘブンズ・ドア』。

 その主である相馬巧は、コントロールルームの椅子に深く沈み込みながら、重い重い溜息をついていた。

 

 彼の目の前のスクリーンには、地球の現在の勢力図が映し出されている。西側のG7陣営はサイボーグ技術による「鋼鉄の繁栄」を謳歌し、東側の中国は地龍脈と神の穀物による「肉の楽園」を築き上げ、北のロシアは星の力を利用した「エネルギーの聖域」として君臨している。

 

 三すくみ。

 完璧なバランスだ。

 

 この数ヶ月、世界は奇妙なほどの安定を保っていた。大規模な戦争も起きず、人類はそれぞれの陣営が信じる「進化」の道を、夢中で駆け抜けている。

 

 プロジェクト・マネージャーとしての巧の仕事は、ひとまずの成功を収めたと言っていい。彼はようやく、あの胃の痛むような綱渡りの日々から解放され、安らかな休息を手に入れる……はずだった。

 

「……はずだったんだけどなぁ……」

 

 巧は天井を見上げて、ぼやいた。

 彼の傍らに浮かぶ光のAIイヴが、その美しくも無機質な声で、残酷な現実を告げる。

 

『マスター。……現在の地球文明における「精神的成熟度」のパラメータですが、技術的進歩のスピードに反比例して、著しく低下しております』

 

「……低下してるのか?」

 

『はい。物質的な豊かさと、肉体的な不老不死への渇望が満たされた結果、人々の関心は「魂」や「精神」といった内面的な価値から、急速に離れつつあります。……簡単に言えば、世界中が極めて即物的なマテリアリズム(物質主義)の塊になりつつあるということです』

 

 イヴは一つのシミュレーション結果を表示した。

 

『このまま物質文明だけが肥大化した場合、銀河コミュニティ加入時の適性審査において「精神性が未熟であり、高度な技術を制御する倫理観に欠ける」として不合格となる確率は89%です』

 

「……マジかよ」

 

 巧は頭を抱えた。

 あちらを立てればこちらが立たず。科学と肉体を進化させたら、今度は心が置いてけぼりになったというわけか。

 

 確かに最近の地球のニュースを見ても、サイボーグ化のスペック自慢や、どっちの国の食べ物が美味いかといった話題ばかりで、かつてのような哲学的な問いや、宗教的な敬虔さは鳴りを潜めている。

 

 宗教界もG7との「共犯関係」を結んで以来、社会の安定装置としては機能しているものの、その影響力は徐々に低下しつつあった。科学が神の奇跡(のようなもの)を日常的に量産してしまう時代に、古い教えは色あせて見えてしまうのだ。

 

「……どうする? また新しい技術をバラ撒くか?」

 

『いいえ。物質的なアプローチは逆効果です。……今必要なのは、彼らの「精神」そのものを強化し、物質文明に対抗しうるだけの「霊的な軸」を取り戻させることです』

 

「霊的な軸ねぇ……」

 

 巧は腕を組み、考え込んだ。

 そして、一つの結論に達した。

 

 科学生物自然。それぞれの分野には「力」を与えた。

 ならば最後のピースとして「宗教」にも相応の「力」を与えなければ、バランスが取れないのではないか。

 

 ただしそれは、機械や薬のような外から与えられる力ではない。

 もっと内側から湧き出るような、人間そのものの可能性を拡張するような力。

 

「……イヴ。銀河コミュニティには『精神主義』に分類される文明があったよな?」

 

『はい。ソラリス詩篇団などがそれに該当します。彼らは物質的な技術よりも、精神の修養と、それによる物理法則への干渉――いわゆる『サイオニック(超能力)』の技術を発達させています』

 

「……それだ」

 

 巧は指を鳴らした。

 

「宗教家たちにそれを教えよう。……ただ祈るだけじゃない。その祈りが現実に、物理的な干渉力を持つということを。……そうすれば、彼らもまたサイボーグや遺伝子改変人間と、対等に渡り合える『力』を持つことができる」

 

『……それはパンドラの箱を開ける行為に等しいかと存じますが? 人類が魔法(のようなもの)を使えるようになるということですよ?』

 

「毒を食らわば皿までだ。……それに、どうせ銀河に出たら、そういう連中とも付き合わなきゃいけないんだ。今のうちに免疫をつけておいた方がいい」

 

 巧は立ち上がった。

 その顔には、再び「神の仮面」を被る覚悟が決まっていた。

 

「……行くぞイヴ。……聖者たちに特別授業の時間だ」

 

***

 

 仮想対話空間『静寂の間』。

 普段はG7の政治指導者たちが集うこの場所に、今日は全く異なる顔ぶれが揃っていた。

 

 ローマ教皇、イスラム教の大イマーム、ユダヤ教の首席ラビ、ダライ・ラマ法王、ヒンドゥー教の高僧、そしてプロテスタントの代表者たち。

 

 かつてペンタゴンの地下で、人類の運命を共に背負うことを誓い合った、世界の宗教指導者たちである。

 

 彼らは突然の「介入者」からの呼び出しに、緊張と困惑の色を隠せずにいた。最近は政治家たちに主導権を握られ、自分たちの役割が単なる「民衆の鎮撫係」になりつつあることに、彼ら自身も忸怩たる思いを抱いていたからだ。

 

 定刻。

 円卓の中央に光の粒子が収束し、介入者(メディエーター)がその姿を現した。

 

 銀色の長髪、夜空の瞳。その神々しさは変わらないが、今日の彼はいつものような威厳ある指導者というよりは、どこか親しげで、そして申し訳なさそうな顔をしていた。

 

『――やあ皆様。……突然呼び立ててしまってすまないね。……私が来たせいで、色々と騒がしくなってしまっているようで』

 

 そのあまりにも人間臭い第一声。

 聖者たちは、虚を突かれたように顔を見合わせた。

 

 ローマ教皇が代表して、穏やかに答えた。

 

「……いいえ、介入者様。……貴殿のお導きにより、世界はかつてない繁栄を享受しております。……我々もまた、その新しい時代の激流の中で、信仰のあり方を問い直す貴重な機会をいただいておりますよ」

 

 それは半分は本音であり、半分は強がりだった。

 介入者は、ふっと微笑んだ。

 

『……そう言っていただけると助かるよ。……だが私は知っている。……君たちが今、心の中で感じている焦燥を。……科学という名の新しい光が強すぎて、信仰という名のロウソクの火が見えにくくなっていることをね』

 

 図星だった。

 大イマームが、重々しく頷いた。

 

「……お見通しですな。……確かに人々は、物質的な奇跡――切断された腕が生え変わり、砂漠が緑に覆われる――を目の当たりにして、目に見えぬ神への畏怖を忘れつつあります。……我々の説く『魂の救済』という言葉が、満腹になった人々にはどこか空虚に響くようになってしまった」

 

 ダライ・ラマも静かに言葉を継いだ。

 

「……科学は答えを与えます。ですが宗教は問いを与えます。……答えばかりが溢れる世界で、人々は『問う』ことをやめてしまった。……それは精神的な死に等しい」

 

 介入者は彼らの嘆きを、深く頷きながら聞いていた。

 そして、ゆっくりと口を開いた。

 

『……だからこそ今日は君たちを呼んだのだよ。……君たちに、宇宙における『宗教』の本当の姿を教えるためにね』

 

 その言葉に、聖者たちの目が一斉に彼に向けられた。

 

 宇宙の宗教。

 それは彼らが喉から手が出るほど知りたかった真実だった。

 

「……教えてください、介入者様」

 首席ラビが身を乗り出した。

 

「……星々の海にも神を崇める者たちがいるのですか? ……彼らは一体何を信じ、どのような教えを守っているのですか?」

 

『……そうだな』

 

 介入者は空中に、指で図形を描くように手を動かした。そこには複雑な幾何学模様が、光の軌跡として残った。

 

『……銀河コミュニティには、数え切れないほどの宗教や哲学が存在する。……だがそれらは概ね、『精神主義(スピリチュナリズム)』という一つの大きなカテゴリーとして分類されている』

 

「……精神主義ですか」

 

『ああ。……崇める神の名や教義の細部は、それぞれ違う。ある種族は宇宙そのものを神とし、ある種族は過去の英雄を神格化し、ある種族は純粋な数学的真理を信仰している。……だが、彼らには一つだけ共通する特徴がある』

 

 介入者はそこで言葉を切り、聖者たち一人一人の目を見つめた。

 

『……それは、彼らが『因果律改変能力』……つまり地球の言葉で言うところの『奇跡』あるいは『超能力』を、実際に使うことができるという点だ』

 

 …………。

 ……。

 

 一瞬の静寂の後、礼拝堂のような仮想空間に、どよめきが広がった。

 

「……き、奇跡が……使えるのですか?」

 プロテスタントの代表が、信じられないという顔で問い返した。

 

「……比喩ではなく? ……実際に、物理的な現象として?」

 

『ああ、そうだね』

 介入者は事もなげに言った。

 

『……主義主張はたくさんあるが、みんな奇跡を使えるね。……テレパシーで意思を疎通させたり、念動力で物体を動かしたり、あるいは予知夢で未来を垣間見たり。……高度な高僧クラスになれば、天候を操ったり、死にかけた肉体を精神の力だけで癒やしたりすることも珍しくはない』

 

「……そ、それは……」

 教皇が絶句した。

 

「……それはもはや、魔法ではありませんか……」

 

『魔法と呼んでもいいし、サイオニックと呼んでもいい。……だがその本質は一つだ』

 介入者の声が、厳かに響く。

 

『――信仰心が現実を改変する。……つまり、精神のエネルギーが物理法則に干渉し、因果律を書き換える。……それが宇宙における『信仰』の力なのだよ』

 

 信仰心が現実を変える。

 それは宗教家たちが常に説いてきた教えそのものだった。だが、それが物理的な現象として証明されているという事実は、彼らの想像を絶していた。

 

『そういう意味では』

 介入者は少し残念そうに首を振った。

 

『……地球の宗教家は、まだまだと言えるね。……君たちは祈ることは知っていても、その祈りを『力』に変える術(すべ)を忘れてしまっている』

 

 その指摘に、聖者たちは恥じ入るように俯いた。

 

 確かに今の彼らにできるのは、人々の心に寄り添うことだけだ。病人を治すことも、水をワインに変えることも、海を割ることもできない。だからこそ、科学という名の「目に見える奇跡」の前に、無力感を噛み締めているのだ。

 

『……だが君たちの宗教の創設者たち……イエスやモーセやブッダといった偉大な先人たちは、それを使いこなしていたはずだよ』

 

 その言葉に、聖者たちがはっと顔を上げた。

 

「……えっ?」

「……我々の始祖たちが……?」

 

『もちろんだ』

 介入者は頷いた。

 

『……彼らは生まれながらにして強力なサイオニックの素質を持っていた、あるいは過酷な修行の果てにその能力に目覚めた、偉大なる精神主義者たちだった。……彼らが起こした数々の奇跡。……病を癒やし、水の上を歩き、空からパンを降らせたあの物語。……あれは単なる寓話や誇張ではない。……彼らの強い信仰心が引き起こした、因果律改変の記録なのだよ』

 

 歴史的な解釈のコペルニクス的転回。

 神話だと思っていたものが、実は高度な精神物理学の実践記録だったというのか。

 

「……で、では!」

 大イマームが身を乗り出した。

 

「……なぜ我々にはそれができないのですか!? ……我々の信仰心が、始祖たちに比べて足りないとでも言うのですか!?」

 

 それは彼らにとって、最も恐ろしい問いだった。

 だが介入者は、優しく首を横に振った。

 

『いいや、違うね。……君たちの信仰心は十分に尊い。……問題はそこじゃないんだ』

 

 彼は自らのこめかみを指差した。

 

『……君たちが奇跡を使えない理由。……それは君たち自身が、心の底から『奇跡はある』と信じ切れていないからだ』

 

「……信じていない、ですと?」

「我々は神を信じております!」

 

『神は信じているだろう。……だが『自分が神の力を行使できる』とは、信じていないはずだ』

 介入者は鋭く指摘した。

 

『……君たちは無意識のうちに、こう思っている。『奇跡は神が起こすものであって、人間が起こせるものではない』と。……あるいは『物理法則という絶対的なルールの中で、そんな非科学的なことが起きるはずがない』と』

 

 聖者たちは言葉に詰まった。

 

 図星だった。彼らは現代人だ。科学の常識を知っている。だからこそ、聖書の奇跡を「象徴的な意味」として解釈し、現実には起こり得ないこととして、心の奥底で線を引いていたのだ。

 

『……それがブロックになっているんだ』

 介入者は言った。

 

『……精神が現実を変えるためには、一点の曇りもない『確信』が必要だ。……『奇跡はある!』……いや『私が奇跡を起こすのだ!』という、疑いを挟む余地のない絶対的な思い込み。……それこそが、量子的な確率の壁を突破し、不可能を可能にする唯一の鍵なのだよ』

 

 思い込み。

 プラシーボ効果の究極形。

 あるいはシュレディンガーの猫を、意志の力で生かす力。

 

『……君たちは奇跡を見たことがないから、信じられないのだ。……卵が先か鶏が先かのような話だがね』

 介入者は、少し厳しい顔になった。

 

『……だがこのままではマズい。……この先の時代、物質的な科学技術だけが暴走し、精神的なブレーキを持たない文明は必ず自滅する。……あるいは銀河の他の精神主義文明に取り込まれ、地球独自の精神文化は駆逐されてしまうだろう。……それは避けたいね』

 

 文明の精神的植民地化。

 それは宗教指導者たちにとって、死よりも恐ろしい未来だった。

 

『だから』

 介入者は、にこりと笑った。

 

『……練習することだ』

 

「……れ、練習……?」

 教皇が、間の抜けた声を出した。

 

『ああ。……奇跡を練習するんだ。……スポーツや楽器と同じだよ。……最初はできなくても、正しい理論を知り、信じて繰り返せば、必ずできるようになる』

 

 彼は右手をすっと前に出した。

 その掌(てのひら)の上には、何もない。

 

『……まずは一番基本的なやつからいこうか。……そうだな、聖書の最初にある言葉だ』

 

 介入者は、静かにしかし力強く言った。

 

『――“光あれ(Fiat Lux)”』

 

 その瞬間。

 カッと。

 

 彼の掌の上に、まばゆいばかりの白い光の球体が、音もなく出現した。

 

 それはLEDの光でも、ホログラムでもない。

 純粋な光子(フォトン)の塊。

 

 熱を持たず、燃料も必要とせず、ただ彼の意志の力だけでそこに存在し、輝き続ける小さな太陽。

 

「―――おお……!」

「……主よ……!」

 

 聖者たちは椅子から立ち上がり、その光に見入った。

 

 これだ。

 これこそが、彼らが追い求め、書物の中でしか知らなかった、本物の「奇跡」。

 

 介入者はその光を、フッと息で吹き消すように消滅させると、聖者たちに向かってウィンクした。

 

『……ほら、私でも出来る。……君等に出来ないはずがないよ』

 

 「私でも出来る」という言葉の重みが彼らには分からなかったが(相手は神のような宇宙人なのだから)、その気軽な態度は、彼らに奇妙な勇気を与えた。

 

『……君たちの脳には、すでにそのための回路はあるんだ。……ただ長い間使われていなかったから、錆びついているだけさ。……信じるんだ。自分の手のひらから光が生まれるイメージを。……疑うな。……ただ強く強く思うんだ』

 

 介入者は、まるで熱血コーチのように彼らを鼓舞した。

 

『……さあ、やってみようか。……君たちならできる。……君たちは選ばれた導き手なのだから』

 

 その言葉に押されるように。

 

 世界の宗教界の頂点に立つ老人たちが、真剣な顔で自分の手のひらをじっと見つめ始めた。

 

 教皇が目を閉じ、祈るように手をかざす。

 大イマームが神の名を唱えながら、精神を集中させる。

 ダライ・ラマが印を結び、マントラを唱える。

 

 傍から見れば、それはシュールで滑稽ですらある光景だったかもしれない。

 いい歳をした老人たちが、必死になって「かめはめ波」を出そうとしているようなものだ。

 

 だが彼らの表情は真剣そのものだった。

 これは遊びではない。

 

 人類の魂の尊厳を取り戻すための、必死の闘いなのだ。

 

 一分、五分、十分……。

 何も起きない。

 

 汗が流れ、息が荒くなる。

 やはり無理なのか。我々には才能がないのか。

 

 諦めの空気が漂い始めた、その時だった。

 

「…………あ」

 

 小さな声がした。

 声の主は、ダライ・ラマ法王だった。

 

 彼の合掌した手のひらの隙間から。

 ほんの蛍の光ほどの、弱々しい、しかし確かな金色の光が、漏れ出していた。

 

「……出た……。……出ましたぞ……!」

 隣にいたヒンドゥー教の高僧が叫んだ。

 

「おお……!」

「法王猊下、それは……!」

 

 全員が、その小さな奇跡に釘付けになった。

 

 ダライ・ラマは、無邪気な子供のような笑顔でその光を見つめていた。

 

「……温かい。……これは慈悲の光です……」

 

 その成功体験が、連鎖反応を引き起こした。

 「できるんだ」「本当にあるんだ」という確信が、他の者たちのブロックを次々と破壊していく。

 

 次に光ったのは教皇だった。彼の指先から、青白い清浄な光が灯る。

 続いて、大イマームの手から緑色の光が。

 ラビの手から、白い光が。

 

 仮想空間の礼拝堂は、色とりどりの小さな光で満たされていった。

 

 それはまだロウソクの火のように頼りないものだった。

 だがそれは確かに、物理法則を無視した精神の力による発光現象だった。

 

『……ブラボー!』

 介入者が拍手をした。

 

『……素晴らしいよ、君たち。……やはり素質があったんだね』

 

 聖者たちは互いの光を見せ合い、涙を流して喜び合った。

 

 彼らは取り戻したのだ。

 失われていた神との接続(リンク)を。

 そして、科学に対抗しうる信仰の「証」を。

 

『……今日はここまでにしておこう』

 介入者は満足げに言った。

 

『……だがこれはまだ第一歩だ。……光を出せるようになったら、次はそれを動かしてみよう。……その次は、病んだ細胞を活性化させるイメージを持とう。……その次は、離れた場所に思いを届ける練習だ』

 

 彼はこれからのカリキュラム(!)を、楽しそうに語った。

 

『……毎日練習することだ。……信者たちにも教えなさい。……特別な人間だけができることではない。……信じる心を持つ者なら、誰でもできるのだと』

 

 そして彼は最後に、力強く激励した。

 

『……応援しているよ。……頑張ってくれ』

 

 その言葉を残して、介入者は光の中に消えた。

 

 残された聖者たちは、もはや迷える老人たちではなかった。

 彼らの目には、新たな使命に燃える力強い光が宿っていた。

 

 彼らは知ったのだ。

 祈りは力になることを。

 そして、自分たちはこの科学万能の時代に、人々の魂に再び火を灯すことができる、魔法使い(ウィザード)となるのだと。

 

***

 

 月面のコントロールルーム。

 仮想空間から戻った巧は、ぐったりと椅子にもたれかかっていた。

 

「……はあ……。……疲れた……」

 

『お疲れ様でした、マスター』

 イヴが労うように言った。

 

『……素晴らしい演技指導でしたわ。……地球の精神主義レベル、わずか一時間で0.5ポイント上昇しました』

 

「……演技じゃねえよ……」

 巧は苦笑した。

 

「……あいつらが本当に光を出した時、俺が一番ビビったんだからな。……マジかよ、本当にできるのかよって」

 

『マスターが「できる」と定義し、彼らがそれを「信じた」。……その相互作用が、この宇宙の量子場に干渉し、確率を確定させたのです。……まさにマスターご自身が起こした奇跡ですわ』

 

「……やめてくれよ、そういう怖い言い方は」

 巧は身震いした。

 

「……俺はただ、彼らに自信を持たせてやりたかっただけだ。……これで宗教界も、少しは元気を取り戻すだろう」

 

 彼は窓の外の地球を見下ろした。

 

 そこでは今頃、聖者たちが興奮冷めやらぬまま、それぞれの聖地へと戻り、新たな「奇跡の修行」を始めていることだろう。

 

「……しかしこれ……。大丈夫かな……」

 巧はふと不安になった。

 

「……全人類が超能力使い始めたら、それはそれで収集がつかなくなるんじゃ……」

 

 隣人の心を読みすぎて喧嘩になる夫婦。

 念動力で万引きをする少年。

 宗教間の対立が、物理的な魔法大戦(サイキック・ウォー)に発展する未来。

 

『……その時はその時です、マスター』

 イヴはあっけらかんと言った。

 

『……それもまた文明の進化の過程で通らなければならない、麻疹(はしか)のようなものです。……彼らがその力に振り回されず、正しく制御できるようになるまで。……また長い長いお説教が必要になるかもしれませんね』

 

「……勘弁してくれよ……」

 

 巧は深いため息をついた。

 

 神の代理人の仕事は増える一方だ。

 科学の暴走を止め、欲望の暴走を抑え、そして今度は魔法の暴走を管理しなければならない。

 

 だがその彼の顔には、以前のような悲壮感はなかった。

 

 それは、手のかかるしかし可能性に満ちた部下たちを育てる、ベテラン管理職の諦めと愛情が入り混じった表情だった。

 

「……ま、とりあえず今日は寝るか」

 巧は伸びをした。

 

「……あのお爺ちゃんたちが元気になってくれただけでも、良しとしよう」

 

 月面には、再び静寂が戻った。

 

 だが地球では、目に見えない新たな波紋が広がり始めていた。

 

 物質文明の極致へと進むG7。

 生命の神秘を操る中国。

 大地の力を引き出すロシア。

 そして今、精神の力を覚醒させようとする宗教界。

 

 四つの異なる力が交錯する、混沌としたしかし輝かしい未来へと向かって。

 人類の進化の物語は、ますます加速していくのだった。

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