ちっちゃくてデカくて可愛い七瀬さんを勘違い元カレから奪って幸せにする 作:烏丸英
「っっ……!?」
視線を向けられた良光さんが息を飲む。
彼を見つめる尾上くんは感情を押し殺した声で、話を続けていった。
「あなたは今、ひよりさんはこれっぽっちも傷付きもせずにもう次の恋人を作ったと言った。ですが、それは違う。彼女は誰よりも深く傷付いて、悲しんできたんです。その姿をご家族に見せないよう、一生懸命に強がっていたんですよ」
テーブルの上に乗っている尾上くんの拳は、強く握りしめられたままだった。
私が微かに震えているその拳を見つめる中、彼は自分が見てきたものを語っていく。
「江間くんに裏切られたひよりさんは、静かに泣いていました。それでもその痛みをごまかすように笑って、周りの人たちに心配をかけないようにしていた。でも……やっぱり心には深い傷が残っていて、それがトラウマにもなっていたんです」
きっと、尾上くんは私たちが見ていないひよりの一面を知っているのだろう。
ひよりも、私たちには見せなかった涙を彼の前では見せていた。それは偶然なのか、あるいは重ねられた信頼の果てにそうなったのかはわからないが、二人が恋人という関係になるまでには私が想像もできないドラマがあったのだと、そう気付かされた。
「浮気を知った時だって、ご両親に本当のことを話した時だって、今だって……ひよりさんは苦しんでいた。家族やあなたたちが本当のことを知ってショックを受けないように気を張っていたんです。ひよりさんは傷付いていないんじゃない。強くあろうと苦しみながらもがいていた。僕は、その姿を誰よりも近くで見ていました。だからこそ――」
大きく開いた瞳で、良光さんを捉える。
明らかに狼狽している彼の姿を映し出しながら、尾上くんははっきりとした口調でこう述べた。
「――彼女が傷付いていないだなんて発言を許すわけにはいかない。絶対にです。今すぐに……取り消してください」
「うっ……」
尾上くんの言葉を受けた良光さんが呻きを漏らす。
彼だけでなく夫や自分の妻からも厳しい視線を向けられていることに気付いた彼は、先ほどまでの勢いを完全に殺されると共に項垂れ、口を開いた。
「も、申し訳、ありませんでした……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「本当に申し訳ない。大人である私たちが、子供である君の世話になってしまった。それに、話し合いもまともに進まなかったし……」
「大丈夫です。僕が少しでもお役に立てたのなら、それで構いません。それに、この問題が簡単に解決するとも思ってはいなかったので」
「そうだな……もう少し、時間や話し合いが必要のようだ」
――結局、あの後はまともな話し合いにはならなかった。
江間さんたちは仁秀くんから無理にでも事情を聞く必要があると認識を改めてくれて、私たちに謝罪した後で帰っていった。
一時暴走してしまった良光さんの落ち込み様と、彼を引っ張る和子さんの申し訳なさそうな表情が今も目に焼き付いているが……それよりも気にするべきことがあるのだろう。
私のその思いを代弁するように、夫が尾上くんに頭を下げながら口を開いた。
「本当に……申し訳なかった。そして、ありがとう」
「そんな、頭を上げてください。そこまでされるようなことは、何も――」
「してくれていたよ、君は。話し合いの場で冷静さを失ったこともそうだが、今日ほど親として自分を情けなく思ったことはない」
吾郎さんのその言葉は、私の思いをこれ以上なく完璧に表していた。
娘が幼馴染であった男の子に裏切られ、捨てられたというのに、そのことに気付かないばかりか逆に気を遣われている始末。
あの日、偶然尾上くんと出会い、彼からひよりと付き合っていることを報告されなければ……私たちは何も知らないままだった。
「親である私たちが娘の変化に気付くべきだった。いや、気付かなければならなかったんだ。それなのに、私たちは仕事にかまけて娘を見ず、ひよりの苦しみに気付いてもやれなかった。心底、情けないとしか言いようがない」
首を振り、伏し目がちになりながらそう呟いた夫だが、私はそれ以上の情けなさを感じてもいる。
ひよりの口から全てを聞いたあの日……私は娘に寄り添うこともできず、ただただ呆然としていた。
現実を受け止められずにいたあの時の私の姿を見て、ひよりは何を思っただろうか?
情けない母親だと思っていただけならばまだいい。あの時の私の態度は、娘の話を信じていない薄情な母親として映っていてもおかしくなかった。
私がこんな母親だから、仁秀くんに裏切られた時もひよりは何も言えなかったのだろう。
自分は娘の異変にも気付かず、傷付きながら大事なことを伝えてくれた時も自分の感情を優先してしまった情けない母親だと、そう自覚しながら俯く私の傍で、夫は尾上くんへと改めて感謝を伝えていた。
「娘が今、笑顔でいられるのは、君が傍で支えてくれたおかげだと思う。本当に……ありがとう」
「……僕の手助けなんて大して役に立っていません。ひよりさんが強い人だった、それだけです」
そんなことを話す夫と尾上くんの会話を聞いていた私は、その邪魔をしないように静かに階段を上っていった。
娘の部屋の前に立ち、ノックをして、ゆっくりと扉を開けてから驚いた様子のひよりと顔を合わせた私は、無言で娘を抱き締める。
「お母さん? どうしたの?」
「ごめんね、ごめんね……!」
謝罪の言葉を繰り返しながら、涙を流し続けながら、私は思う。もっと強い母親にならなくてはならない、と。
娘に気を遣われるような情けない母親は今日で卒業して、この腕に抱き締める大切なものを守れるようにならなければと思いながら、私はひよりを抱き締め続けるのであった。