彼の後を追って、トハは足元を照らしながら、変わり映えしないコンクリート製の階段を一段一段、慎重に降っていく。
階段のすぐ左手側はザラザラとした垂直な壁であり、足元に異変が起きた場合は、直ぐに壁を支えに退く事を意識した。一つ、また一つと段を下っていく。地下へ進むごとに、むせ返る様な量の埃が舞い上がり、鉄の匂いが濃くなっていく。
好奇心を杖に、やっとの思いで階段を降り切ると、左手で支えにしている壁に突起のようなものが有ると分かった。本能的にそれを掴み、下に向かって引いたそれは電灯のレバーであった。激しい点滅の後、照明が灯され、宙に舞うダストと左右に広がる通路が視界に晒される。無遠慮に舞っている埃を手で払いながら、左手にはもはや見飽きた鋼鉄製のドアが二つ。右手に延びる通路は、突き当たりのも含めて三つある。
気の赴くままに、トハは左の通路から探索することにした。左端に位置する、一つ目のドアを開ける。中は無人で、室内の両端に簡素な鉄パイプで構成された二段ベッドがあった。それらが挟む、部屋の中央には老朽化したウッドデスク。部屋の奥には無線機らしき、ダイヤルと受話器の様な器具が備え付けられている装置があった。
試しに二つの連なるダイヤルの片方を弄ってみるが、なんの反応も示さない。糸でも切れているかの様に、静かだった。
隣の部屋も、そのまた隣も同じ様な状態だった。唯一の異なる点があるとすれば、二段ベッドが室内に二つあったか、四つあったかぐらいのものだった。
彼は、私に見せたいものがあったのではなかったか?残った二部屋に、諦め混じりの微かな期待を寄せて、突き当たりのドアの、一つ手前にあるやつの方の取っ手を、私は引いた……のだが、まるでびくともしない。耳を当て、コンコンと拳を当てる。打響音の反射からして、この扉は他のよりも頑丈に造られている気がした。
それが、私の尽きかけの好奇心に火を焚べる。ドアを分厚い設計にしたのには、相応の理由がある筈だ。少なくとも、私の様な子供が気安く触れられてはならない様な何かを、この分厚い鋼鉄が隔てている。
両手で取っ手を握ることから始まり、私はあらゆる姿勢と体勢で扉の解放を試みた。錆を浮かばせた無機質と、もんどり打つような勢いで30分或いは一時間弱程格闘したと思った頃、扉は断末魔に似た破断音を上げて、かっぴらいた。
扉の抵抗を突然失ったので、張り合い相手を無くした全力状態の私は、背後の壁に向かって転ぶような勢いで突っ込む。
コンクリートが砕け散り、一部が天井に当たってパラパラと、頭上に降り注ぐ。数粒、汗を伝ってシャツと皮膚の間に入り込んで不快だったが、より一層濃くなった鉄の匂いに、私の意識は鷲掴みにされたように、目線を上げた。
床と平行に走る目線の先──ー開かれた扉の向こうには、ガラスについた汚れで、茶白く電灯に照らせられる銃器の数々だった。
目を凝らす必要もない。目を左右にやれば、人の数だけ視界に存在するそれを、愛銃こそ持たぬが、キヴォトス人であるトハが見間違える訳がなかった。
壁を支えに起き上がり、体の節々を叩いて、コンクリの粉を払い落とす。一歩、一歩、恐れに似た感情を滲ませた歩調で、分厚いコンクリートの壁に守られたそれに、脚を踏み入れた。正面、左右、そして室内の床面積の半分以上を占める作業台と思しき物の上に至るまで、ありとあらゆる銃がひしめき合うように、取り揃えられてあった。
空気は重く沈み込み、鉄の匂いが肺を満たした。壁一面に並ぶ黒い影──銃の群れは、ただの兵器ではなく、儀式に用いられる祭具のように整然と鎮座している。油に濡れた鉄の輝きは、薄汚れた照明の中でも美しく反射し、グレーな輝きを放っている。祈りを捧げることを強いるような雰囲気を醸しているためか、私は無意識に息を潜め、まるで古の儀式に立ち会う信徒のように、その列の前に立ち尽くしていた。
目に映る銃は全て、ゲヘナ或いはトリニティで目にした事のある物だったが、それらとは、似ても似つかぬような気がしてならなかった。異質……とでも言うのだろうか。
トハは、目の前の一丁を手に取った。木製のガンスタンドに立てかけられ、銃口を天井に向けていた黒光りするマシンピストーレ40を丁重に取り扱った。いや、円柱状のレシーバーに溝が彫られているから、より古いMP38かもしれない。所々に擦り傷があって、草臥れたような印象があるが、マガジンに弾を込め、ボルトを落とし、引き金を引いてやれば問題無く発射できるだろう。
銃にあまり縁のない筈のトハは、直感的にそう感じた。一時期、バイトで銃砲店に勤めていたせいか?銃身をなぞる様に触れ、銃把に右手をやるが、特に違和感はなかった。過敏なまでに感じ取れていた銃の威圧感と、鉄の匂いに慣れてしまった為か、瞳の奥に激らせていた好奇心の火は、段々と冷え込む様に光を失っていった。
手に取っているサブマシンガンも、室内の雰囲気に順応してしまったトハにしてみれば、そこらのちょっと値の張る銃砲店で販売されている代物と大差ない一品に思えた。MP38を、木製の立てかけに嵌めるように戻すと、トハは部屋を後にし、自身が突っ込み、窪んだコンクリの壁を背もたれのようにして、ズルズルと地面に座り込んだ。
残りの一部屋──通路の突き当たりに目をやる。その表情には、最早好奇心など浮かんでいなかった。眉をピクつかせて、苛立っていることを隠そうともしない。隠す必要もないのだろう。鉄臭いこの地下にはトハと、これから理不尽に破壊される最後のドアしか存在していないのだから。
苦労に見合わぬ肩透かしを食らったトハは、怒り任せに扉へ突進する。好奇心の薄れた今頃になって、頭の中で、早朝に出会ったヘルメット団のことがチラついたのである。粘る鋼鉄製を、彼らに見立ててトハは乱暴に扱った。蹴り破ろうとドロップキックをしかけたり、拳で殴った箇所の錆が剥離し、くの字に内側へ凹むほどの勢いで、何度も殴りつけた。
そうして幾度と暴行を加えた結果、扉は遂に悲鳴をあげて、室内に向かって倒れた。地面に当たって僅かに跳ね、撓むような音を響かせた。
「何……これ?」
ベッドと簡素な卓しかなかった部屋と比べて、明らかに格式が違った。床は毒々しくも鮮やかな赤の絨毯が広げられ、一面を隙間なく占めている。蹴破った扉の左手には──部屋の隅には、クラシックなウッド製の事務机が置かれ、中央には応接のための、滑らかに照明を反射する黒革のヴィンテージなソファが、低姿勢の横長な木机を挟んで対となっている。
銃の園とは違う、此方を圧し潰すような空間だった。客をもてなす紳士的な一室に見えるが、気を許せば喰らい付いてくるような、油断ならない空気が漂っていた。
しかし、濃厚な空気や香りに生き物は誘われる。鵜城トハも例外ではない。かつての支配人が腰を据えて、書類を捌いていた机の縁に触れる。角どりされていて、疲れ果てた指先を癒すように滑らかだった。縁をなぞりながら座り手側に周り、事務机よりも簡素な造りの椅子をどかし、香りの源に手を伸ばす。3段状に連なる抽出しの3段目──最も引口の大きい抽出しだ。利き手で慎重に引くと、源が晒さられた。
それは、容積をいっぱいに占める木箱であった。黒に塗装されているが、所々色褪せていて、使用感がある。底を掬い上げるように、手を忍び込ませ、なるべく箱を傷つけないように、出し口から取り出す。
手に持ってみると、見かけによらず中々の重量があるように感じた。厚みと横幅の広さからして、拳銃を収納するガンケースのようだ。かつての勤め先にも、似たようなものがオプションで販売されていた。
机上の砂埃を一息で散らし、清浄な面に木箱を置いた。爆発物でも取り扱うような手つきで、両端近くに取り付けられた、パッチン錠を開錠する。
真鍮製のそれは天井に向かって跳ね上がり、照明を反射して輝いた後、箱はトハの両手に身を委ねるよう、その中身を晒した。
「ッ」
彼女は思わず息を呑んだ。一瞬、自分が見下ろすように向けた眼に、何が映ったのか理解できなかったのだ。武器庫に林立していた物よりも濃厚で、しかし滑らかな黒を示す拳銃が三丁、納められていた。トハ以外の人間がみれば、ゲヘナでよくみる類のものだと歯牙にもかけぬだろうが、トハはその三丁に異様な程に動じない視線を向けていた。見つめてからそれ程長く経っていない筈なのに、眼は早くも乾いて潤いだした。目が痛み、閉じてしまいたい筈なのにそれも叶わない。銃と瞳孔の奥が、目には見えないが、決して断つことのできない糸で結ばれているかのように、トハは拳銃に焦点を当て続ける。
やがて彼女は、眼下にある三つのうちの一つを手に取った。滑らかな曲線を描くトリガーガードに人差し指をさするようにかけ、ベルベットで内張りされた、銃を保持する枠から釣りあげる。それぞれの中で最も銃身が短く、コンパクトで携帯性に優れている。
トハはそれをより近く、しかし息吹が掛かって曇り付かない位置に寄せ、愛でるような目でフレームを見尽くした。
コルトやヴァルキューレの正式拳銃に採用されているティルトバレル式、ゲヘナの生徒会「万魔殿」の正式拳銃が持つプロップアップ式と比較して、何処か原子的だ。古めかしい機構のように見えた。その物珍しい機構によって成り立つ、骨組みのような、独特な外見がトハの心の臓を鷲掴んだのだろうか。
拳銃に触れる。職人技巧の細部の凹凸やデザインを皮膚を通して感じるたびに、全身が総毛立ち、心臓の鼓動が痛みを伴うほどに速まる。
胸の奥を、分厚い針が抉り取るような感覚。それが極限にまで強まる直前に、トハは我に帰った。拳銃に当てられていた焦点は、それ以外の要素を朧げにしてしまう程、視界に強く作用していた。
焦点が飛散して、頭が冷えたように冷静になったトハは、全身の力みが抜けたかのように、だらんと拳銃を右手にぶら下げて、壁際にやった椅子に倒れる勢いで座り込んだ。
文字通り冷えたのか、額から冷気の煙を出していたことにトハは気づかない。何故なら気付く間も与えぬ程の勢いで立ち上がり、次の瞬間には行動を起こしていたからだ。
ぶら下げた拳銃を、空いたベルベットの枠にフレームを撫でるように挿し入れ、上蓋を、破裂音がする程の勢いで閉じた。
誰かに見られていないか、そんな唐突な疑念が湧き出て、部屋の四隅へ頭を回す。人はいない。強いて言えば、「彼」が応接用のソファの上に寝転んでいた。
しかし、今の彼女はそんな彼すら眼中に無さそうで、目線を手元に移すと、安定しない手つきでガンケースに錠をし、トハは奔るように廃墟を後にした。
外は夜で、トハにとってこの上なく煩わしく自身を照りつけた太陽は、とっくに地平線の底へ沈んでいた。
スラムの街は、僅かに生き残ったインフラが機能していた。点灯と消灯を不規則に繰り返す街頭のもとを、トハは歓喜の涙と汗を滴らせながら、ガンケースを胸に自宅へ走り抜けていく。
道中に昼間のヘルメット団と遭遇しないことを祈りながら、彼女は帰宅した。三度すれ違った鍵を鍵穴に差し込み、一階の寝室に駆け込む。しゃがんでベッドの下縁と床との僅かな空間に、ケースを隠すように流すと、彼女は土足で家内に上がり込んだことに気付かないままベッドに沈み、溺れるように眠りについた。
そして翌日、発生した早朝の霧によって、昨日よりもいく分か和らいだ日差しがカーテンの隙間を通って、トハの寝顔を照らす。
彼女は昨晩、目覚まし時計をセットすることすら忘れていた為、普段の起床時間を大きく超過した時間帯に目覚めた。外出時にクーラーを切らず、そのままにしていたことが幸いして、トハは冷房の効いた空間でぐっすりと寝過ごしたのだ。
本日は月曜日で、学校もあるのだが……昨晩の熱が冷めきらぬトハは欠席することにした。事務係に形式的な連絡を入れ、適当な事情を作り上げて、休むことを伝えた。
ゲヘナは自由奔放な生徒が多い為か、トハのような調子で休む生徒は多い。寧ろ、連絡を入れるだけ、ゲヘナの一般的な生徒よりも常識的で、携帯の向こうの事務員は、そんなトハに関心すらしているかもしれない。
「拳銃……」
片耳をシートフローリングされた床に押し付けるようにして、トハはベッド下の僅かな空間に追いやられたガンケースを、手繰り寄せる。
夢ではなかった。そう心の中で呟くと、わずかではあるが、心臓の鼓動が速まるのを感じた。それが目の前の拳銃が現実であることに歓喜しているからなのか、あるいは恐怖しているためなのか、自分でも判断がつかなかった。
ただハッキリとしている事は、私は昨日、「彼」の導きでホテルに辿りつき、その地下で、これを見つけて此処へ持ち帰ったということだ。
錠を開け、絹を掬うような指先で、上扉を上げる。霧が晴れ、日光が裏庭に面した掃き出し窓のレースのカーテンを透かして、ベルベット張りの溝に横たわる拳銃を照らした。
モダンな拳銃と比べて、洗練されきれていないフレームは意外にも日光を均一に反射し、美しく輝く。ブルーイングされた銃のフレームは、深い黒から透き通るような白を浮かべ、トハは暫く、窓際で銃を傾けたりして、悦楽の混ざった眼差しでその反射を味わった。
ケースに収められている三丁は、それぞれの構造に大きな差異はない。しかし、各々の銃身に焦点を置くとそうではなくなる。
トハが手に持った一丁は、フレームから突き出た銃身が最も短い。残りの二丁のうち一丁は、フレームと同程度の銃身を持ち、最後の一丁は、「ピストル」と言うには無理がある長銃身を備えていて、最もインパクトがある。銃把に木製の銃床をセットしてやれば、カービン銃のような姿形となるだろう。
残りの二丁へ手を伸ばしたその時、見計らったようにスマホが鳴った。銃へ向けられた意識が逸れ、ベッドに置いてあったそれに向けられる。
「五月蝿いな」
苛立ちを滲ませながらも、トハはそれに対応した。そして、電話の相手が空崎ヒナだと分かると、気分を一転させて心地よく応答した。
『トハ……今日はどうしたの?学校に居ないようだけど』
空崎ヒナ。鵜城トハと同じクラスに在籍し、彼女がゲヘナへ入学する前から交流を続けてきた、唯一無二の親友である。
「えーっと……大した事じゃないわ。昨晩、目覚まし時計をセットし忘れちゃったのよ。それで今朝寝坊してね?」
拳銃や廃墟のことを、彼女は話さなかった。話す必要は無いと判断したのか、無意識に秘密にしようとしているのか
『そう。その調子だと、風邪というわけでもなさそうね。良かった』
「私が風邪をひくと思う?そんなにヤワじゃないわ」
『それもそうね。バカは風邪を引かないって言うし』
「誰がバカよ誰が!」
空崎ヒナと鵜城トハの関わりは、トハがゲヘナの洗礼を受けたその日から始まった。
彼女のマンションが温泉開発部によって基礎ごと爆破されたその日、彼女は頼るあてもなく、公園のベンチで力無く項垂れていた。そんなトハを見かね、手を差し伸べたのが、彼女の向かいのマンションに引越していた空崎ヒナだったのだ。
当時のヒナは、トハと同じく入学式前に引っ越しを済ませた新入生であった。入学後も二人は同じクラスに配されたこともあって、長く交流が続いている。そして今や、こうして電話で軽口を叩け合うぐらいの付き合いになっている。
「それより、そっちの調子はどう。風紀委員の仕事には慣れた?」
『ええ。仕事といっても、書類整理や雑用ぐらいだけど』
「そう。意外だけど、面倒くさがりな貴方にピッタリじゃない。適度にサボるといいわ」
『そうするわ。貴方に至っては学校をサボってるんだし、私もそれくらい良いかもね』
「そうね。それじゃあ、また明日」
『バイバイ』
電話を終えると、トハは何かを思いついたように左手で持つスマホを、右手で握りっぱなしの拳銃に向けた。
パシャっとシャッター音を鳴らし、拳銃の写真を画像検索にかけた。すると、それに該当或いは類似する銃の写真がずらずらと並ぶように表示され、そのうちの一つをタップする。
「……ルガー、P08」
とある銃砲店のサイトには、そう記されていた。そこから、トハはのめり込むようにルガーP08について検索を続けた。指を踊らせ、下へ下へとサイトを読み尽くす。
スマホから意識が外れたのは、午後六時頃。チャイムが、トハに来訪者を知らせた時だった。
「?……誰?」
右手のルガーをケースに収め、ベッドの下へ戻す。
おそるおそるといった足取りで、玄関へ向かい、ドアスコープを覗く。彼女はまだ、自身が靴を脱ぎ忘れていることに気が付いていない。ドアを開錠し、自宅に授業の配布物を届けにきたヒナを、トハは快く土足のまま居間へ招き入れた。そこをヒナに指摘され、漸くトハは自分が昨日より靴を脱いでいないことに気づいた。ベッドへと続く通路は、猫が散らしたように土や砂が点在していて、それにヒナは目を顰める。
「……狂犬病にでもかかったの?」
「言いたいことは……まあ分かるわ。でもどうして狂犬病なのよ?」
「なんとなく。トハならそこらの野良犬に咬まれても不思議じゃないし。あとこれプリント」
片手で差し出された数枚の書類を、トハは手短に「ありがとう」と、受け取った。これ以上、ヒナに長居されると、彼女に通路の惨状から伝って昨晩、何があったのかまで追究されかねない、と判断したためだ。
そんな無意識の拒絶の中で、そこまでして拳銃の件を隠したいのかとトハは自身に疑問を投じるが、ヒナは側壁とトハの間を縫うように、寝室へ進んだ。
彼女の友達は「お邪魔するわ」と言って、慣れた足取りで奥へと進んでいく。それをトハは遅れながらに静止しようとするが、ここで更に動揺を見せたらヒナの訝しみを後押しするようなものだと考え、口を紡ぐ。
「酷く汚れてる。何があったの?」
ヒナが訊く。
「昨晩、ヘルメット団の連中に絡まれたのよ。そこからもうてんやわんやでね。銃弾の雨を掻い潜って家につくと、溺れるように寝たってわけ」
「そう。確かにそうでもないと納得できない荒れ様ね」
丁度いいわ、とヒナが続ける。
「掃除しましょう。泊まるつもりだったし」
「……え?、泊まるの?」
はてなマークを浮かべるトハに、ヒナ淡々とした口調で返す
「そうよ。…………もしかして邪魔?」
「いえ、貴方と私の仲だし、別に構わないけれども」
と言ったところで、ヒナの上半身に目をやる。風紀委員会に属することを示す、襟やポケット口を淡いグレーで縁取りされた紺色の制服。それは所々黒ずんでいて、銃弾による擦れ傷が見える。戦闘の痕跡であることは明確だった。
「……その様子だと、また治安維持に駆り出されたみたいね」
「ええ。風紀委員の先輩達は、後輩に優しくない。正確には、優しくできる暇がないだけだろうけど」
「情報部の貴方が矢面に立たなきゃいけない程、風紀委員には余裕がないの?」
上着をハンガーにかけ、クローゼットに仕舞うヒナに訊く
「そうみたいね。先輩曰く、万年人手不足らしいから」
「……確かに、そうなっても不思議じゃないものね。此処は」
まあ、とトハは続ける。キッチンに向かい、掃き出し窓に面するリビングとの境壁に設置された、風呂の給湯器リモコンをタップする。
「お風呂、先に入ってて良いわよ」
「ありがとう……でも掃除は?」
「気にしなくて良いわ。貴方が湯船に浸かってる間に済ませておくから」
それに、とトハを覗くヒナに彼女は続ける
「貴方の先輩方と違って、私は常識的だもの。銃弾を山ほど浴びた子に、掃除なんてさせない」
トハにそう言われても、ヒナは何処か尾を引いている面持ちだった。ヒナはトハの家にお邪魔した身である。しかし、トハはそんな彼女に痺れを切らし、「入った入った」とヒナを洗面室に押し込み、掃除に取り掛かった。
砂は掃除機と箒、泥汚れは雑巾で簡単に取り除けたが、問題は拳銃の入ったガンケースである。ベッドの下に隠し続けるのも良いが、万が一にもヒナに発見された場合、怪しまれるのは目に見えている。発見された場合に備え、高品質な木製ケースが置かれていても、違和感のない場所に隠さなければならないのだ。
「クローゼットの中なら……」
クローゼットの上棚ならば、ヒナは低い身長が足枷となるし、万が一に見つかったとしても、小物の収納箱とでも勘違いしてくれるだろう。左手を伸ばし、ケースをカーテンクローゼットの最も高い上棚の、左奥に押し込む。コンッとクローゼットの内壁とケースが接触する。
それから数秒して、浴室から着替えを忘れたヒナに呼ばれるのだが、パジャマを持ち運ぶトハの足取りは靴を脱いだからなのか、幾分か軽くなったようである。