愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり 作:パッタリ
夜更けの王都。
灯りを落とした大教会の裏手には、女神教の一団が静かに姿を現す。
教皇とその護衛たちである。
教皇としての正装に身を包んだフェリシアは、誰にも気づかれぬように中へと入る。
迎えたのは、司教であるリュミナだった。
「……聖下」
深く頭を下げる。
その声には、緊張と、覚悟と、わずかな震えが混じっていた。
奥の小部屋へ案内し、人払いをしようとしたところで、リュミナの背後にぴたりと張りつく少女がいた。
「えっと……私は……」
ミリアだった。
見習いがいるのは場違いだとはわかっていても、離れたくなさそうにリュミナの袖を掴んでいる。
「ミリア、今日は……」
「そのままでいいわ」
フェリシアはあっさりと言った。
リュミナが驚いたように顔を上げる。
「ですが、聖下……」
「いいの。彼女も、ある意味関係者だから」
ミリアは首をかしげる。
「……関係者?」
フェリシアは、穏やかな微笑みのままミリアを見た。
「あなたのことは、事前に調べさせてもらってる。魔法学校では落ちこぼれ。才能もなく、評価も低かった」
ミリアの肩が、びくりと跳ねる。
「でも魔神教に“頼る”ことで、力を得た。すべては、愛する先輩であるリュミナを手に入れるため」
空気が凍る。
「……ただし」
フェリシアは気にすることなく淡々と続けた。
「それは途中で邪魔された。ネア・ブランシュ……当時はただのネア。あとは人になれる魔剣のレセルもか。そんな一人と一本という想定外の存在に、あなたは阻まれた」
ミリアは唇を噛みしめた。
だが、反論はしない。
「これからする話を、あなたにも聞かせる。その上で、どうするか……判断しなさい」
「……?」
意味がわからず、ミリアは首をかしげる。
「……今は、黙って聞いていればいいの?」
「ええ。その通り」
フェリシアは視線をリュミナへ戻した。
そして本題に入る。
「女神の降臨を行うにあたり。“鍵”としての覚悟はできていますか?」
部屋が、しんと静まり返る。
リュミナは一瞬だけ目を伏せ、そしてゆっくりと頷いた。
「……はい」
震えながらも、はっきりと。
しかし、そのあと彼女は声を絞り出すように問い返した。
「……聖下は。あなたは覚悟が、できているのですか……?」
フェリシアは、少し困ったように笑うと、肩の力を抜くように一瞬だけ教皇の仮面を外す。
「未練はある。後悔も、たくさんある」
静かな声だった。
「でもね、一国の権力者として、思うがままに振る舞うことができた。周囲は、私のことを大目に見てくれた」
銀の瞳が、遠くを見る。
ここではない過去、そして、近く訪れるだろう未来を。
「だから……これ以上の生を、諦めることができる」
その言葉の意味を、一番に理解したのはミリアだった。
「……どういう、ことですか」
フェリシアは、あまりにも軽い調子で答えた。
「神の器となる者は、降臨の瞬間に死ぬの」
「……っ」
「正確には、肉体を完全に乗っ取られる。人としての意識は消える。死と同じ」
言葉を選ばない。
淡々と事実を伝えていく。
「そして鍵も死ぬ。神の力に、人の身は耐えられないから」
ミリアの思考が、完全に止まった。
「……死、ぬ……? 先輩が……」
フェリシアは、そんな彼女を見て肩をすくめる。
「止めたい? 私を殺せば、女神の降臨は数十年は防げるわ。まあ……代わりとなる器は、それなりに確保されてるけどね。それとも」
フェリシアは、わざとらしく首をかしげた。
笑みは浮かべずに、表情のないまま。
「鍵である彼女と一緒に、逃避行をする? 女神教は私が抑えられても、魔神教が見逃してくれるとは思えないけど」
部屋に、答えは落ちなかった。
ミリアは何も言えない。
そんな彼女に、フェリシアは再び教皇の顔で語りかける。
「今日から、リュミナ司教には休みを与えます」
優しい声だった。慈愛に満ちてすらいた。
「降臨の日まで。……思い残すことがないように」
それは慈悲の言葉であり、遠回しな死刑宣告でもあった。
◇◇◇
王都のどこか。
地上か地下かすら定かでない、古い建物の一室。
灯りは最低限。
壁には簡易的な結界が張られ、外界の気配は遮断されている。
そこに集うのは、魔神教の幹部たちと、選りすぐりの配下。
そして、部屋の隅には静かに座る一人の少女がいた。
彼女は、魔神の依り代として器になる存在。
「状況は悪いな」
幹部の一人が、ため息混じりに口を開いた。
「女神教は、こちらが“鍵”を狙うことをほぼ把握している。動きも早い。あの教皇……やはり厄介だ」
別の幹部が、苦笑混じりに応じる。
「とはいえ、こちらが打てる手は多くない。鍵を奪うか、無理なら破壊する。それで女神の降臨を阻止するしかないだろう」
「奪えれば、そのまま魔神の降臨へ。破壊できれば、女神教の計画はしばらく頓挫する」
作戦自体は単純だ。
しかし、単純であるがゆえに難しい。
「果たして……そう上手くいくもんかね」
ぼそりと呟く声。
これに対し、すぐに答える声もあった。
「そうは言うがな、この機会を逃せば、我々は長い停滞に入る。力を蓄え、時を待つしかないわけだ」
「それは……短命な人間にとっては実質的な終わり、だな。エルフやドワーフといった長命な者ならばまだしも」
「いっそ魔神の力で寿命を長くしてもらうのは?」
別の者が肩をすくめる。
「あれは、若いうちじゃないと。老いてからじゃ、苦しみとも一緒だ。曲がった腰と、ずっと付き合うはめになる」
長生きはそこまで難しくない。
しかし健康で元気に、となると難しくなっていく。
「話を戻すが、動きを読まれている前提でやるしかない。何もしなければ、確実に終わる」
部屋に重い沈黙が落ちる。
やがて、年老いた幹部の一人がぽつりと呟いた。
「いやはや、神の手駒同士で争うのは、空しいもんですなあ」
誰も否定はしなかった。
その時、配下の一人が慌てて駆け込んでくる。
「報告です。女神教が、二柱の女神の降臨を行うという情報が入りました」
「……何?」
空気が、一瞬で張り詰めた。
「光と闇、二つ同時にとは。前例がないぞ……」
ざわめきが広がる。
「光の依り代が教皇なのはわかる。だが……闇の依り代は誰になる?」
問いが投げられる。
「……わからん」
「情報がない」
「候補すら掴めていない」
出てくる答えは、どれも同じだった。
「向こうが魔神の器を奪えば、闇の依り代に転用される可能性は高いが……」
「もし、他に選ばれる者がいたら?」
誰かが言ったが、結局、結論は出ない。
その沈黙を破ったのは、これまで黙っていた器の少女だった。
「……一つ、確認したい」
全員の視線が集まる。
「明日、自由な行動をさせて。どうしても、確かめたいことがある」
「単独行動か?」
「危険すぎる」
意見は割れた。
だが、少女は静かに続ける。
「……ネア・ブランシュ」
その名が出た瞬間、幹部たちの表情がわずかに変わった。
「……あの魔剣の使い手か。閉会式で、剣が人になるのを見た」
「シャーラという裏切り者が、本部に連れてきた子どもだな」
「女神教からしても興味があるのか、教皇自身が接触しているという……」
短い沈黙ののち、結論が出る。
「……よかろう。ただし、ひっそりと護衛をつける」
少女はわずかに頷いた。
いくらかの焦りはある。
だが、切羽詰まってはいない。
彼らは知っている。
これは最後の賭けではなく、今打てる、大きな一手だということを。
魔神教は、静かに動き出そうとしていた。