愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり 作:パッタリ
女神の降臨が近い。
その言葉が流れると、城内は目に見えて慌ただしくなっていた。
儀式の準備、動線の確保、警備の再編。
女神教と王国の人員が入り乱れ、廊下には常に誰かが走っている。
だというのに、黄昏の剣騎士団には、これといった任務がなかった。
「……いいのかな、こんなに暇で」
団長室の窓辺で、ネアは小さく呟いた。
訓練場からは、団員たちが自主的に剣を振る音が聞こえてくる。
緊張に耐えきれず、体を動かしているのだろう。
室内にいるのは、ネアと、人の姿のレセルだけだった。
「いいわけないでしょうね」
レセルは腕を組み、椅子に腰かけている。
「教皇は、フェリシアは、明らかに何か企んでる」
「……うん」
ネアも同意する。
「女神の降臨をするだけなら、あんなにわたしたちにちょっかいをかける必要はない」
フェリシアの顔が脳裏に浮かぶ。
試すような視線。
結びつきを確かめるような行動。
「魔神の器を奪う手伝いを求めてきたのも、変だよね」
「ええ。女神の降臨が成功すれば……」
レセルは言葉を区切る。
「鍵であるリュミナは、死ぬ」
ネアの胸が、きゅっと締め付けられる。
「……そうなると、魔神の降臨は不可能になる。わざわざ器を奪いに行く意味が、ない」
レセルは静かに続けた。
「女神教の女神は、二ついる。光と闇がね。教皇が片方の依り代になるなら……もう片方の依り代は、誰になる?」
ネアは、完全に固まった。
「……まさか……」
魔神の器を奪いに行く理由。
二柱同時の降臨。
前例のない儀式。
それらから浮かび上がるものは。
「……二つの女神を降ろすために、魔神の器すらも依り代として使う……?」
言葉にした瞬間、背筋が冷える。
女神も魔神も、人にとってはどちらも圧倒的な存在である。
器は入れ物でしかなく、神が変わっても役割は同じ。
「可能性としては、ね」
レセルは肩をすくめた。
「でも、証拠はない。今のところは、推測でしかないわ」
重い沈黙が落ちる。
怪しんだところで、協力すると決めたのでしかないが、気になるものは気になる。
「……部屋に閉じこもってても、答えは出ないよね」
「ええ。そうね」
レセルは立ち上がると、ネアの手を取った。
「だから、少し外を歩きましょう。見えるものもあるかもしれない」
城内の回廊を歩いていると、向こうから見覚えのある二人組がやって来た。
「……あ」
司教であるリュミナと、見習いとして付き従っているミリアだった。
リュミナはいつも通り静かな表情だが、ミリアの様子がおかしい。
目元が赤く、今にも泣き出しそうだ。
「ミリア? どうしたの?」
ネアが声をかけると、
ミリアは堪えていたものが溢れそうになった。
「せ、先輩が……鍵で……死ぬって……」
言い切る前に、リュミナが静かに遮る。
「ミリア」
低い声だった。
ミリアははっと口をつぐみ、慌てて涙を拭う。
「……ごめんなさい」
そう呟くと、
ミリアは俯いたまま、リュミナの後ろに回った。
「失礼します、ネアさん」
リュミナは丁寧に一礼し、そのままミリアを伴って去っていく。
残されたネアは、首をかしげた。
「……今の、どういう……」
その耳元で、レセルがごく小さな声でささやく。
「リュミナには、こっそり女神教の護衛がついてる」
「……え」
「しかも変装してる。場所は少し離れてる。守るというより、逃がさない感じね」
ネアは、去っていく二人の背中を見つめた。
(……女神の降臨って……なんのために行われるんだろう。神様が望んだから? でもどうして?)
答えは出ない。
けれど、何かが確実に動き出している気配だけは、はっきりと感じていた。
城の外へ出ると、王都の大通りは相変わらず人で溢れていた。
女神の降臨が近いという噂は広まっているが、生活そのものは止まらない。
屋台の呼び声。行き交う商人。観光気分の地方民。
あらゆるものが入り乱れている。
「……こうして見ると、平和だね」
ネアがぽつりと言うと、レセルは横目で見た。
「表面だけ、ね」
その言葉にネアは苦笑する。
そんな時だった。
どん、と軽い衝撃が。
「あ、ごめんなさい!」
ぶつかってきたのは、ネアと同じくらいか、少し年下に見える少女だった。
黒い髪に、琥珀色の目。
貴族でも宗教関係者でもなさそうな、どこにでもいるような服装。
「大丈夫ですか?」
ネアがそう言うと、少女は一瞬、まじまじとネアの顔を見る。
「あ……」
そして小さく声を漏らした。
「あなた、狩猟祭で優勝した……ネア?」
「え、うん。そうだけど……」
ネアが頷くと、少女はぱっと表情を明るくした。
「やっぱり! 本物だ。すごいね、王都じゃちょっとした有名人だよ」
屈託のない笑顔。
これといって悪意は感じられない。
「せっかくだから、少しお話してもいい?」
ネアは一瞬、レセルを見る。
「ええと」
「……いいんじゃないの」
レセルは表向きはそう言いながら、ネアの手の甲を、とんとんとん、と指先で軽く叩いた。
怪しい。
その合図に、ネアは内心で頷きつつも、表情には出さない。
「うん、少しなら」
「やった」
少女は嬉しそうに笑う。
「ねえ、率直に聞いていい?」
「なに?」
「女神教のこと、どう思う?」
いきなりだった。
ネアは一瞬だけ言葉を選ぶ。
「……大きな組織だな、って」
「ふーん」
少女は特に不満そうでもなく頷く。
「じゃあさ、魔神教ってのもあるけど、知ってる?」
「……名前くらいは」
「それについては?」
探るような視線。
だが、あからさまではない。
「……あんまり、いい印象はないかな」
「だよねー」
少女はあっさり同意した。
「なんか、どっちも面倒そうだよね。女神でも魔神でも」
その言い方に、ネアはわずかに引っかかりを覚える。
そして、少女は次の質問を投げてきた。
「じゃあさ。もし神様が本当にいるとして、何を願いたい?」
「……わからない」
ネアは正直に答えた。
「急に言われても、思いつかないし」
「だよねー」
少女はくすっと笑った。
「普通そうだと思う」
しばしの沈黙。
人の流れが、二人の横を通り過ぎていく。
やがて少女は、少しだけ声の調子を変えた。
「じゃあ、最後の質問」
その琥珀色の瞳が、ネアをまっすぐ見つめる。
「もし、神様と戦うことになったら……勝てると思う?」
「……え?」
予想外すぎて、ネアは間の抜けた声を出した。
「いや、難しいんじゃないかな」
「適当に答えないでよ」
少女は不満を示すため、わずかに頬を膨らませる。
「ちゃんと考えて」
そして、さらりと言った。
「魔剣なら、神様に怪我をさせられる。傷をつけられる。その前提で」
空気が、一瞬だけ張り詰めた。
ネアは無意識にレセルの気配を意識する。
「……それでも、難しいと思う。勝てるかどうかは、別の話だと思うし」
「そっか」
少女は、なぜか満足そうに頷いた。
「そういう考え方なんだ」
それだけ言うと、くるりと踵を返す。
「じゃあね。話してくれてありがとう」
名前も名乗らないまま、少女は人混みの中へと消えていった。
ネアは、しばらくその背中を見送ってから、ぽつりと呟く。
「……どこかで、会ったことある気がするんだけど……」
レセルは腕を組み、低い声で言った。
「さっきの子。あれ、ただの一般人じゃない」
ネアはごくりと喉を鳴らす。
「……誰だと思う?」
「そこまではわからない」
レセルは、遠ざかった人波を睨みつつ、静かに続けた。
「でもね、ネア。“神と戦えるか”なんて質問を、偶然出会った相手にする子はいない」
ネアは背中に冷たいものが走るのを感じた。
そして、はっきりとは言えない確信だけが残る。
今の出会いは、偶然ではない。