愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり   作:パッタリ

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108話 名を名乗らぬ少女の問い

 女神の降臨が近い。

 その言葉が流れると、城内は目に見えて慌ただしくなっていた。

 儀式の準備、動線の確保、警備の再編。

 女神教と王国の人員が入り乱れ、廊下には常に誰かが走っている。

 だというのに、黄昏の剣騎士団には、これといった任務がなかった。

 

 「……いいのかな、こんなに暇で」

 

 団長室の窓辺で、ネアは小さく呟いた。

 訓練場からは、団員たちが自主的に剣を振る音が聞こえてくる。

 緊張に耐えきれず、体を動かしているのだろう。

 室内にいるのは、ネアと、人の姿のレセルだけだった。

 

 「いいわけないでしょうね」

 

 レセルは腕を組み、椅子に腰かけている。

 

 「教皇は、フェリシアは、明らかに何か企んでる」

 「……うん」

 

 ネアも同意する。

 

 「女神の降臨をするだけなら、あんなにわたしたちにちょっかいをかける必要はない」

 

 フェリシアの顔が脳裏に浮かぶ。

 試すような視線。

 結びつきを確かめるような行動。

 

 「魔神の器を奪う手伝いを求めてきたのも、変だよね」

 「ええ。女神の降臨が成功すれば……」

 

 レセルは言葉を区切る。

 

 「鍵であるリュミナは、死ぬ」

 

 ネアの胸が、きゅっと締め付けられる。

 

 「……そうなると、魔神の降臨は不可能になる。わざわざ器を奪いに行く意味が、ない」

 

 レセルは静かに続けた。

 

 「女神教の女神は、二ついる。光と闇がね。教皇が片方の依り代になるなら……もう片方の依り代は、誰になる?」

 

 ネアは、完全に固まった。

 

 「……まさか……」

 

 魔神の器を奪いに行く理由。

 二柱同時の降臨。

 前例のない儀式。

 それらから浮かび上がるものは。

 

 「……二つの女神を降ろすために、魔神の器すらも依り代として使う……?」

 

 言葉にした瞬間、背筋が冷える。

 女神も魔神も、人にとってはどちらも圧倒的な存在である。

 器は入れ物でしかなく、神が変わっても役割は同じ。

 

 「可能性としては、ね」

 

 レセルは肩をすくめた。

 

 「でも、証拠はない。今のところは、推測でしかないわ」

 

 重い沈黙が落ちる。

 怪しんだところで、協力すると決めたのでしかないが、気になるものは気になる。

 

 「……部屋に閉じこもってても、答えは出ないよね」

 「ええ。そうね」

 

 レセルは立ち上がると、ネアの手を取った。

 

 「だから、少し外を歩きましょう。見えるものもあるかもしれない」

 

 城内の回廊を歩いていると、向こうから見覚えのある二人組がやって来た。

 

 「……あ」

 

 司教であるリュミナと、見習いとして付き従っているミリアだった。

 リュミナはいつも通り静かな表情だが、ミリアの様子がおかしい。

 目元が赤く、今にも泣き出しそうだ。

 

 「ミリア? どうしたの?」

 

 ネアが声をかけると、

 ミリアは堪えていたものが溢れそうになった。

 

 「せ、先輩が……鍵で……死ぬって……」

 

 言い切る前に、リュミナが静かに遮る。

 

 「ミリア」

 

 低い声だった。

 ミリアははっと口をつぐみ、慌てて涙を拭う。

 

 「……ごめんなさい」

 

 そう呟くと、

 ミリアは俯いたまま、リュミナの後ろに回った。

 

 「失礼します、ネアさん」

 

 リュミナは丁寧に一礼し、そのままミリアを伴って去っていく。

 残されたネアは、首をかしげた。

 

 「……今の、どういう……」

 

 その耳元で、レセルがごく小さな声でささやく。

 

 「リュミナには、こっそり女神教の護衛がついてる」

 「……え」

 「しかも変装してる。場所は少し離れてる。守るというより、逃がさない感じね」

 

 ネアは、去っていく二人の背中を見つめた。

 

 (……女神の降臨って……なんのために行われるんだろう。神様が望んだから? でもどうして?)

 

 答えは出ない。

 けれど、何かが確実に動き出している気配だけは、はっきりと感じていた。

 城の外へ出ると、王都の大通りは相変わらず人で溢れていた。

 女神の降臨が近いという噂は広まっているが、生活そのものは止まらない。

 屋台の呼び声。行き交う商人。観光気分の地方民。

 あらゆるものが入り乱れている。

 

 「……こうして見ると、平和だね」

 

 ネアがぽつりと言うと、レセルは横目で見た。

 

 「表面だけ、ね」

 

 その言葉にネアは苦笑する。

 そんな時だった。

 どん、と軽い衝撃が。

 

 「あ、ごめんなさい!」

 

 ぶつかってきたのは、ネアと同じくらいか、少し年下に見える少女だった。

 黒い髪に、琥珀色の目。

 貴族でも宗教関係者でもなさそうな、どこにでもいるような服装。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 ネアがそう言うと、少女は一瞬、まじまじとネアの顔を見る。

 

 「あ……」

 

 そして小さく声を漏らした。

 

 「あなた、狩猟祭で優勝した……ネア?」

 「え、うん。そうだけど……」

 

 ネアが頷くと、少女はぱっと表情を明るくした。

 

 「やっぱり! 本物だ。すごいね、王都じゃちょっとした有名人だよ」

 

 屈託のない笑顔。

 これといって悪意は感じられない。

 

 「せっかくだから、少しお話してもいい?」

 

 ネアは一瞬、レセルを見る。

 

 「ええと」

 「……いいんじゃないの」

 

 レセルは表向きはそう言いながら、ネアの手の甲を、とんとんとん、と指先で軽く叩いた。

 怪しい。

 その合図に、ネアは内心で頷きつつも、表情には出さない。

 

 「うん、少しなら」

 「やった」

 

 少女は嬉しそうに笑う。

 

 「ねえ、率直に聞いていい?」

 「なに?」

 「女神教のこと、どう思う?」

 

 いきなりだった。

 ネアは一瞬だけ言葉を選ぶ。

 

 「……大きな組織だな、って」

 「ふーん」

 

 少女は特に不満そうでもなく頷く。

 

 「じゃあさ、魔神教ってのもあるけど、知ってる?」

 「……名前くらいは」

 「それについては?」

 

 探るような視線。

 だが、あからさまではない。

 

 「……あんまり、いい印象はないかな」

 「だよねー」

 

 少女はあっさり同意した。

 

 「なんか、どっちも面倒そうだよね。女神でも魔神でも」

 

 その言い方に、ネアはわずかに引っかかりを覚える。

 そして、少女は次の質問を投げてきた。

 

 「じゃあさ。もし神様が本当にいるとして、何を願いたい?」

 「……わからない」

 

 ネアは正直に答えた。

 

 「急に言われても、思いつかないし」

 「だよねー」

 

 少女はくすっと笑った。

 

 「普通そうだと思う」

 

 しばしの沈黙。

 人の流れが、二人の横を通り過ぎていく。

 やがて少女は、少しだけ声の調子を変えた。

 

 「じゃあ、最後の質問」

 

 その琥珀色の瞳が、ネアをまっすぐ見つめる。

 

 「もし、神様と戦うことになったら……勝てると思う?」

 「……え?」

 

 予想外すぎて、ネアは間の抜けた声を出した。

 

 「いや、難しいんじゃないかな」

 「適当に答えないでよ」

 

 少女は不満を示すため、わずかに頬を膨らませる。

 

 「ちゃんと考えて」

 

 そして、さらりと言った。

 

 「魔剣なら、神様に怪我をさせられる。傷をつけられる。その前提で」

 

 空気が、一瞬だけ張り詰めた。

 ネアは無意識にレセルの気配を意識する。

 

 「……それでも、難しいと思う。勝てるかどうかは、別の話だと思うし」

 「そっか」

 

 少女は、なぜか満足そうに頷いた。

 

 「そういう考え方なんだ」

 

 それだけ言うと、くるりと踵を返す。

 

 「じゃあね。話してくれてありがとう」

 

 名前も名乗らないまま、少女は人混みの中へと消えていった。

 ネアは、しばらくその背中を見送ってから、ぽつりと呟く。

 

 「……どこかで、会ったことある気がするんだけど……」

 

 レセルは腕を組み、低い声で言った。

 

 「さっきの子。あれ、ただの一般人じゃない」

 

 ネアはごくりと喉を鳴らす。

 

 「……誰だと思う?」

 「そこまではわからない」

 

 レセルは、遠ざかった人波を睨みつつ、静かに続けた。

 

 「でもね、ネア。“神と戦えるか”なんて質問を、偶然出会った相手にする子はいない」

 

 ネアは背中に冷たいものが走るのを感じた。

 そして、はっきりとは言えない確信だけが残る。

 今の出会いは、偶然ではない。

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