愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり   作:パッタリ

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110話 中途半端であるということ

 地下の空間は、異様なほど静かだった。

 上では確実に戦闘が続いているはずなのに、ここまで音は届かない。

 瓦礫の隙間から差し込む淡い光の中で、黒い髪に琥珀色の瞳を持つ少女は、ネアの正面に立っていた。

 魔神の器。

 そう呼ばれる存在。

 けれど今の彼女は、城の外の大通りでぶつかった、どこにでもいそうな少女と変わらない。

 

 「改めて、聞くね」

 

 少女は、指を一本立てた。

 

 「もし、神様と戦うことになったら。あなたは──戦う?」

 

 ネアは即答しなかった。

 剣を構えたまま、呼吸を整える。

 

 「……状況次第、かな」

 「逃げ道を残す答えだね」

 

 少女はくすっと笑った。

 

 「じゃあ、こう聞こう。神様を止めなきゃ、誰かが死ぬとしても?」

 

 胸の奥が、きしんだ。

 ネアは思い浮かべてしまう。

 これまで出会った人々を。

 その中でも、器と鍵となる者たちを。

 そして、自分の魔剣であるレセルを。

 

 「その場合は……止められるなら、止めたい。とは思う」

 

 それでも言葉は慎重だった。

 思いはあっても、実際の行動に移せるかどうかは別であるから。

 

 「でも、神様って言われる存在を、本当に止められるのかは……わからない」

 

 少女はほんのわずかに目を細める。

 

 「正直だね」

 

 そのまま壁にもたれかかった。

 

 「私はさ。“選ばれた”って言われた時、嬉しかった」

 「……え?」

 「意味があるって思えたから」

 

 琥珀色の瞳が、遠くを見る。

 

 「誰にも期待されてなくて、誰の役にも立ってなくて。でも、魔神教に見つけられて、器になれるって言われた」

 

 少女は肩をすくめる。

 

 「世界を変える役目だって。すごいでしょ?」

 

 誇らしさと、諦めと、どこか空虚な感情が混じった声。

 ネアは何を言うべきか迷ったが、なんとか声を出す。

 

 「……それで、いいの?」

 「いいかどうかなんて、考えても仕方ない」

 

 少女は即答した。

 

 「だって、もう決まってる。私は器。神が降りる。私は──消える」

 

 あまりにも軽く、自らの死を口にする。

 ネアの手は、無意識に剣を強く握る。

 

 「……怖くないの?」

 

 その質問に、少女は少しだけ考えた。

 

 「怖いよ」

 

 あっさりと認める。

 

 「でもね、怖いまま何もせず消えるより、意味がある方がいい」

 

 視線がネアに戻る。

 

 「あなたは、違うでしょ?」

 「……」

 「魔剣と一緒に生きて、守りたいものがあって、選ぶ余地がある」

 

 少女は一歩近づく。

 

 「だから、聞きたかった」

 

 声がわずかに低くなる。

 

 「あなたみたいな人が、それでも神と戦わないって言うなら」

 

 琥珀色の瞳が揺れる。

 

 「私が消えるのは、当然なのかなって」

 

 ネアの胸が強く締めつけられた。

 正解なんて、ない。

 けれど、逃げることはできなかった。

 

 「……私は」

 

 ネアはゆっくりと言葉を選ぶ。

 

 「誰かが死ぬことで成り立つ奇跡は、できるなら、選びたくない」

 

 少女の目がわずかに見開かれる。

 

 「女神だろうと、魔神だろうと、誰かを犠牲にするなら、それは救いじゃないと思う」

 

 ネアは、はっきりと告げた。

 訪れる沈黙。

 地下の空気がぴんと張りつめる。

 しばらくして、ネアはどうしても気になっていた疑問を口にした。

 

 「……神が降臨したら、どうなるの?」

 

 戦いでも、計画でもない。

 もっと根本的な問い。

 少女は足を止め、少しだけ振り返る。

 

 「どうなるか、か」

 

 すぐには答えず、天井の暗がりを見上げる。

 

 「世界は変わると思うよ。世界中の歴史の本に載るくらいには」

 「……じゃあ、人々は? 毎日を生きてる人たちは、急に全部が変わったりするの?」

 

 少女は、ふっと肩の力を抜いて微笑む。

 

 「そこまでは変わらないんじゃないかな」

 「え?」

 「畑を耕して、商売して、喧嘩して、恋して。そういうのは、たぶん続く」

 

 どこか現実的な言葉だった。

 

 「神様が降りたからって、明日から急に幸せになる人ばかりじゃないし、逆に、全員が不幸になるわけでもない」

 

 琥珀色の瞳が、ネアを見つめる。

 

 「ただ、世界の“ルール”が少し変わるだけ。それに気づく人は少なくて、困る人と、得する人が出てくるくらい」

 

 ネアはその言葉を噛みしめる。

 

 「……それでも、誰かは死ぬ」

 「うん。器も、鍵も、神様を呼ぶための人は確実に消える」

 

 少女は否定しない。

 そして、少しだけ困ったように笑う。

 肩をすくめつつ、軽い調子で言った。

 

 「まあ……実際どうなるかは、神様に直接聞いてみないと、わからないけどね」

 

 あまりにも投げやりで、あまりにも正直な答えだった。

 ネアは、胸の奥に重たいものを感じながらも、それ以上は何も言えなくなる。

 少女は背を向けた。

 

 「ありがとう。答え、聞けてよかった」

 「……待って!」

 

 ネアが声を上げる。

 

 「君は、どうするつもりなの?」

 

 少女は振り返らなかった。

 

 「それはね」

 

 代わりに、静かな声だけが返ってくる。

 

 「次に会った時、教えてあげる」

 

 闇の向こうへ、少女の気配が遠ざかる。

 残されたネアは、その場に立ち尽くした。

 これは勝敗のつかない戦いだ。

 そして、選択を迫られる戦いが、もう始まっている。

 ネアは、レセルを強く握りしめた。

 次に会う時、剣を交えるのか。

 それとも。

 答えは、まだ見えなかった。

 

 ◇◇◇

 

 決着は唐突に訪れた。

 大教会の内外で、ほぼ同時に発動した魔法。

 それは戦闘用ではなく、あまりにも異質なものだった。

 回復魔法。

 傷ついた女神教の兵士。

 倒れていた騎士。

 魔神教側でさえ、瀕死だった者の息が、はっきりと戻っていく。

 

 「……なんだ、これは……?」

 

 誰もが動きを止めるほどの、圧倒的な治癒。

 魔力の流れは、大教会の中心から広がっていた。

 原因はすぐに判明する。

 魔神の器たる少女が、大教会に保管されていた希少な魔導具を、許可もなく使用したのだ。

 その事実が伝わると、魔神教の者たちは顔を歪めた。

 

 「……これは、合図か」

 「撤退だ」

 

 誰かが、苦々しく吐き捨てる。

 彼らは理解していた。

 この回復魔法は、戦闘を継続するためのものではない。

 終わらせるための合図。

 不服そうな視線を残し、魔神教の者たちは退いていった。

 

 ◇◇◇

 

 混乱が収まり、教会内が一時的な静けさを取り戻した頃。

 ネアは、連行される少女の前に立っていた。

 少女は抵抗しない。

 縄も、枷もない。

 まるで、自分から捕まりに来たかのようだった。

 

 「……どうして?」

 

 ネアは率直に問いかける。

 

 「どうして、わざと捕まったの? それに……あんな回復魔法まで使って」

 

 少女は足を止めた。

 そして、ゆっくりと振り返る。

 琥珀色の瞳に、あの時と同じ穏やかな光を宿して。

 

 「だって、あなたは中途半端だから」

 「……え?」

 

 ネアは言葉を失う。

 

 「だから、その中途半端さが──」

 

 少女はどこか楽しそうに続けた。

 

 「何もかもを、台無しにすることを信じてる」

 

 一見、意味不明な言葉。

 だがその時。

 腰の鞘から、レセルの声がした。

 剣の状態のまま、呆れたように。

 

 『要するにね。中途半端に冷酷で、中途半端に優しい。そう言いたいんでしょ』

 「……会っていきなり、そう言われるのは……」

 

 ネアは、さすがに困惑した声を漏らす。

 レセルはやれやれといった様子で続ける。

 

 『まあ、中途半端がどうこうってのは、気取った物言いがしたいだけだから無視するとして……重要なのは“何もかもを台無しにする”って部分よ』

 「台無しにする……」

 

 少女はネアの反応を見て、満足そうに頷いた。

 

 「そういうこと」

 

 そして、教皇の待つ方角へと歩き出す。

 

 「完全な英雄でも、完全な敵でもない人はね。神様にとって、いちばん厄介なの」

 

 振り返らずに言ったその背中は、どこか軽やかだった。

 捕らわれる者のそれではなく、自分で選んだ場所へ向かう者の歩き方。

 ネアはその姿を見送る。

 戦いは終わった。

 けれど、少女の言葉が胸の奥に残り続けていた。

 中途半端。

 だからこそ、台無しにする。

 それが救いになるのか、さらなる混乱を呼ぶのか。

 答えはまだ誰にもわからない。

 ただ、一つだけ確かなことがあった。

 女神や魔神が進めている計画は、少しずつ狂い始めている。

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