愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり 作:パッタリ
地下の空間は、異様なほど静かだった。
上では確実に戦闘が続いているはずなのに、ここまで音は届かない。
瓦礫の隙間から差し込む淡い光の中で、黒い髪に琥珀色の瞳を持つ少女は、ネアの正面に立っていた。
魔神の器。
そう呼ばれる存在。
けれど今の彼女は、城の外の大通りでぶつかった、どこにでもいそうな少女と変わらない。
「改めて、聞くね」
少女は、指を一本立てた。
「もし、神様と戦うことになったら。あなたは──戦う?」
ネアは即答しなかった。
剣を構えたまま、呼吸を整える。
「……状況次第、かな」
「逃げ道を残す答えだね」
少女はくすっと笑った。
「じゃあ、こう聞こう。神様を止めなきゃ、誰かが死ぬとしても?」
胸の奥が、きしんだ。
ネアは思い浮かべてしまう。
これまで出会った人々を。
その中でも、器と鍵となる者たちを。
そして、自分の魔剣であるレセルを。
「その場合は……止められるなら、止めたい。とは思う」
それでも言葉は慎重だった。
思いはあっても、実際の行動に移せるかどうかは別であるから。
「でも、神様って言われる存在を、本当に止められるのかは……わからない」
少女はほんのわずかに目を細める。
「正直だね」
そのまま壁にもたれかかった。
「私はさ。“選ばれた”って言われた時、嬉しかった」
「……え?」
「意味があるって思えたから」
琥珀色の瞳が、遠くを見る。
「誰にも期待されてなくて、誰の役にも立ってなくて。でも、魔神教に見つけられて、器になれるって言われた」
少女は肩をすくめる。
「世界を変える役目だって。すごいでしょ?」
誇らしさと、諦めと、どこか空虚な感情が混じった声。
ネアは何を言うべきか迷ったが、なんとか声を出す。
「……それで、いいの?」
「いいかどうかなんて、考えても仕方ない」
少女は即答した。
「だって、もう決まってる。私は器。神が降りる。私は──消える」
あまりにも軽く、自らの死を口にする。
ネアの手は、無意識に剣を強く握る。
「……怖くないの?」
その質問に、少女は少しだけ考えた。
「怖いよ」
あっさりと認める。
「でもね、怖いまま何もせず消えるより、意味がある方がいい」
視線がネアに戻る。
「あなたは、違うでしょ?」
「……」
「魔剣と一緒に生きて、守りたいものがあって、選ぶ余地がある」
少女は一歩近づく。
「だから、聞きたかった」
声がわずかに低くなる。
「あなたみたいな人が、それでも神と戦わないって言うなら」
琥珀色の瞳が揺れる。
「私が消えるのは、当然なのかなって」
ネアの胸が強く締めつけられた。
正解なんて、ない。
けれど、逃げることはできなかった。
「……私は」
ネアはゆっくりと言葉を選ぶ。
「誰かが死ぬことで成り立つ奇跡は、できるなら、選びたくない」
少女の目がわずかに見開かれる。
「女神だろうと、魔神だろうと、誰かを犠牲にするなら、それは救いじゃないと思う」
ネアは、はっきりと告げた。
訪れる沈黙。
地下の空気がぴんと張りつめる。
しばらくして、ネアはどうしても気になっていた疑問を口にした。
「……神が降臨したら、どうなるの?」
戦いでも、計画でもない。
もっと根本的な問い。
少女は足を止め、少しだけ振り返る。
「どうなるか、か」
すぐには答えず、天井の暗がりを見上げる。
「世界は変わると思うよ。世界中の歴史の本に載るくらいには」
「……じゃあ、人々は? 毎日を生きてる人たちは、急に全部が変わったりするの?」
少女は、ふっと肩の力を抜いて微笑む。
「そこまでは変わらないんじゃないかな」
「え?」
「畑を耕して、商売して、喧嘩して、恋して。そういうのは、たぶん続く」
どこか現実的な言葉だった。
「神様が降りたからって、明日から急に幸せになる人ばかりじゃないし、逆に、全員が不幸になるわけでもない」
琥珀色の瞳が、ネアを見つめる。
「ただ、世界の“ルール”が少し変わるだけ。それに気づく人は少なくて、困る人と、得する人が出てくるくらい」
ネアはその言葉を噛みしめる。
「……それでも、誰かは死ぬ」
「うん。器も、鍵も、神様を呼ぶための人は確実に消える」
少女は否定しない。
そして、少しだけ困ったように笑う。
肩をすくめつつ、軽い調子で言った。
「まあ……実際どうなるかは、神様に直接聞いてみないと、わからないけどね」
あまりにも投げやりで、あまりにも正直な答えだった。
ネアは、胸の奥に重たいものを感じながらも、それ以上は何も言えなくなる。
少女は背を向けた。
「ありがとう。答え、聞けてよかった」
「……待って!」
ネアが声を上げる。
「君は、どうするつもりなの?」
少女は振り返らなかった。
「それはね」
代わりに、静かな声だけが返ってくる。
「次に会った時、教えてあげる」
闇の向こうへ、少女の気配が遠ざかる。
残されたネアは、その場に立ち尽くした。
これは勝敗のつかない戦いだ。
そして、選択を迫られる戦いが、もう始まっている。
ネアは、レセルを強く握りしめた。
次に会う時、剣を交えるのか。
それとも。
答えは、まだ見えなかった。
◇◇◇
決着は唐突に訪れた。
大教会の内外で、ほぼ同時に発動した魔法。
それは戦闘用ではなく、あまりにも異質なものだった。
回復魔法。
傷ついた女神教の兵士。
倒れていた騎士。
魔神教側でさえ、瀕死だった者の息が、はっきりと戻っていく。
「……なんだ、これは……?」
誰もが動きを止めるほどの、圧倒的な治癒。
魔力の流れは、大教会の中心から広がっていた。
原因はすぐに判明する。
魔神の器たる少女が、大教会に保管されていた希少な魔導具を、許可もなく使用したのだ。
その事実が伝わると、魔神教の者たちは顔を歪めた。
「……これは、合図か」
「撤退だ」
誰かが、苦々しく吐き捨てる。
彼らは理解していた。
この回復魔法は、戦闘を継続するためのものではない。
終わらせるための合図。
不服そうな視線を残し、魔神教の者たちは退いていった。
◇◇◇
混乱が収まり、教会内が一時的な静けさを取り戻した頃。
ネアは、連行される少女の前に立っていた。
少女は抵抗しない。
縄も、枷もない。
まるで、自分から捕まりに来たかのようだった。
「……どうして?」
ネアは率直に問いかける。
「どうして、わざと捕まったの? それに……あんな回復魔法まで使って」
少女は足を止めた。
そして、ゆっくりと振り返る。
琥珀色の瞳に、あの時と同じ穏やかな光を宿して。
「だって、あなたは中途半端だから」
「……え?」
ネアは言葉を失う。
「だから、その中途半端さが──」
少女はどこか楽しそうに続けた。
「何もかもを、台無しにすることを信じてる」
一見、意味不明な言葉。
だがその時。
腰の鞘から、レセルの声がした。
剣の状態のまま、呆れたように。
『要するにね。中途半端に冷酷で、中途半端に優しい。そう言いたいんでしょ』
「……会っていきなり、そう言われるのは……」
ネアは、さすがに困惑した声を漏らす。
レセルはやれやれといった様子で続ける。
『まあ、中途半端がどうこうってのは、気取った物言いがしたいだけだから無視するとして……重要なのは“何もかもを台無しにする”って部分よ』
「台無しにする……」
少女はネアの反応を見て、満足そうに頷いた。
「そういうこと」
そして、教皇の待つ方角へと歩き出す。
「完全な英雄でも、完全な敵でもない人はね。神様にとって、いちばん厄介なの」
振り返らずに言ったその背中は、どこか軽やかだった。
捕らわれる者のそれではなく、自分で選んだ場所へ向かう者の歩き方。
ネアはその姿を見送る。
戦いは終わった。
けれど、少女の言葉が胸の奥に残り続けていた。
中途半端。
だからこそ、台無しにする。
それが救いになるのか、さらなる混乱を呼ぶのか。
答えはまだ誰にもわからない。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
女神や魔神が進めている計画は、少しずつ狂い始めている。