愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり 作:パッタリ
呼び出しは、あっさりとしたものだった。
戦闘の後始末や、報告書の山がようやく落ち着いた頃、ネアは王城の一室へと案内される。
部屋の奥で待っていたのは、教皇フェリシア。
今日は教皇としての正装ではなく、少しだけ格式を落とした落ち着いた服装だった。
「来てくれてありがとう、ネア団長」
柔らかな声。
だが、その場を支配する雰囲気は変わらない。
「まずは……今回の件についての感謝を」
フェリシアは真面目な様子でそう言うと、机の上に小さな袋を置いた。
中身を確認するまでもない。
ずっしりとした重みが伝わってくる。
「お礼、ですか?」
「ええ。騎士団以外に、あなた個人にもね」
金額は、はっきり言って破格だった。
新設された騎士団の団長に与えられる報酬としても、個人に渡す額としても。
「……ありがとうございます」
ネアは礼を言いながらも、胸の奥に小さな違和感を覚える。
これは感謝というより、手切れ金に近いのではないか、と。
だからこそ、ネアは切り出した。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
「もちろん」
フェリシアは、真面目な態度を崩してにこやかに頷く。
「教皇であるあなたなら、神が降臨したら、世界がどうなるのか……本当のところを知ってるんじゃないかと思って」
一瞬。
本当に一瞬だけ、フェリシアの笑みが止まった。
「よりよい世の中になる」
すぐにいつもの柔らかな表情に戻る。
答えはそれだけだった。
「……それだけ、ですか?」
「ええ」
フェリシアは紅茶に口をつける。
「争いは減り、秩序は整い、多くの人が正しい方向へ導かれる」
言葉は美しい。内容は立派で、否定すべき部分はないように思える。
だが、具体性がまるでない。
「それ以上のことは?」
ネアが食い下がると、フェリシアは困ったように肩をすくめた。
「秘密、というやつね」
穏やかながらも明確な拒絶。
「ここから先は、あなたが知る必要のない領域よ」
それは教皇としての線引きだった。
「……わかりました」
納得したわけではない。
これ以上踏み込めないことは理解した。
フェリシアは立ち上がり、ネアに向かって言った。
「じゃあ、最後に一つだけ。降臨は五日後」
ネアの心臓が、わずかに跳ねる。
「場所は、城内の広間。王城の中心」
「……そんな大事なこと、どうして私に?」
フェリシアは意味ありげに微笑んだ。
「言っておいた方が、面白いと思ったから」
それ以上は何も語らず、手を軽く振る。
「今日はここまで。もう行っていいわ」
事実上の追い出しだった。
部屋を出て廊下を歩きながら、ネアは何度もさっきの言葉を思い返す。
五日後の、城内の広間。
(……わざわざ、場所まで教えるなんて)
それは警告なのか、誘いなのか。
それとも──。
ネアは無意識に腰の剣に触れた。
フェリシア自身が、何かを起こさせたいように見えたからだ。
神の降臨は、もう予定表の上の出来事になっている。
そしてその舞台は、誰もが逃げられない王城の中心。
『ああいう、悪巧みする生意気なガキって好きになれないのよね』
「……そういう言い方はさすがにどうかと思うけど」
ネアは小さく息を吐いた。
フェリシアは、表面上は感謝と報酬を与えてきた。
だけどその裏で、確実に次の幕が準備されている。
五日後。
その日が、この国と、神と、そして自分自身の分岐点になる。
そんな予感だけが、胸の奥に重く残っていた。
◇◇◇
王城を出たあと、ネアは王都の通りを歩く。
頭の中では、フェリシアの言葉がまだ渦を巻いている。
五日後。城内の広間。
よりよい世の中になる。
それ以上は、何も語られなかった。
「……考えても仕方ない、か」
そう呟いた直後だった。
「おやおやおやぁ?」
聞き覚えのある、やけに調子のいい声。
「これはこれは、黄昏の剣騎士団の団長様ではございませんかぁ」
振り向くと、狐の獣人の女性商人であるシャーラが、いつも以上に艶やかな笑顔で立っていた。
「久しぶり……でもないか」
「ええ、ええ。王都は狭うございますから」
シャーラは扇子をぱちりと閉じ、ネアにぐっと距離を詰める。
「ところで団長様。以前お話しした騎士団専属の商人の件ですが……」
にこにことした笑顔。
だが、その奥には明確な圧がある。
「そろそろ、決めていただけませんかしら?」
「……ずいぶん、はっきり言うね」
「ええ。今は席が空いておりますので」
言外に、今決めなければ他が入る、と告げている。
ネアは少し考えたあと言った。
「専属にするのは、いいと思ってる」
シャーラの狐耳がぴくりと動いた。
「ただし、あとで聞きたいことがある」
「ほう?」
「シャーラさんは、何でも知ってるんでしょ?」
わずかに、探るような視線。
シャーラは一瞬だけ目を細め、そして誇らしげに胸を張った。
「もちろんでございますわ。王都の裏も、宗教の噂も、表に出ない話も……それなりに把握しておりますの」
怪しいくらいに自信満々なその言い方は、信用できなくもない。
「じゃあ、詳しい話は騎士団の宿舎で」
「承知いたしましたわ。では、少し経ってから向かいます」
そう言って去っていく背中は、まるでこれで逃げ場はないと言わんばかりだった。
その日の夕方。
ネアは騎士団の宿舎にある一室に、ガルド、ユニス、リュナを集めていた。
「我々だけを集めるとなると、何かの会議だろうか?」
ガルドが腕を組みながら言う。
「会議、ってほどじゃないけど」
ネアはそう前置きしてから、全員の顔を順に見た。
自然と部屋の空気が引き締まる。
「みんなに一つ聞きたいことがある。女神や魔神が降臨したら、世界がどうなるか。それを具体的に知ってる人はいる?」
室内には沈黙が満ちる。
最初に口を開いたのは、ガルドだった。
「……少なくとも、我々のような現場の人間には詳しい話は降りてこない。一度、女神教の知り合いに聞いてみたことはあるが“よりよくなる”としか言わん。牢に入れた魔神教の者に聞く機会もあったが“世界が変わる”と言うだけで、その中身は誰も語らん」
ユニスも静かに頷く。
「貴族社会でも同じ。噂や推測はあっても、確証はない。選ばれた者が犠牲になる程度の話は出回ってるけど……それ以上は、意図的に伏せられている気がする」
リュナは、腕を組んだまま短く言った。
「つまり、本当にどうなるかは誰も知らないってことだねえ」
ネアは小さく息を吐いた。
「……そう、だよね」
教皇ですら、核心は語らなかった。
この場にいる誰も、確かな答えを持っていない。
それが何よりの答えだった。
ネアは腰の剣に手を置く。
(だからこそ……知っている人を、探さないと)
五日後までに残された時間は少ない。
一度全員と別れたあと、次はシャーラに会う。
話をする場所は、宿舎の奥にある小部屋だった。
人払いをした、完全に内輪の空間。
向かいに座るのは、狐の獣人にして商人のシャーラ。
先ほど会った時とは違い、真剣な表情だ。
「……で、どうなの?」
ネアは率直に聞いた。
「魔神教でそれなりの立場にいたシャーラさんなら、女神や魔神が降臨したらどうなるか、何か知ってるんじゃないかと思ったんだけど」
シャーラは、耳をぺたんと伏せるようにして小さく息を吐いた。
「期待させてしまって申し訳ありませんわね。詳しいことは……わかりません」
「……やっぱり?」
「ええ。魔神教でも、核心はごく一部にしか共有されませんの」
扇子で口元を隠しながら、続ける。
「ただ、一つ言えるのは、魔神は女神が降臨することを望んでいない、ということですわ」
ネアは、はっとする。
「じゃあ……」
「逆に、女神も魔神の降臨を望んでいないはず」
あまりにもシンプルな理屈。
でも確かに筋は通っている。
「結局、互いに相手の一手を潰したいだけ。その過程で人がどうなるかは……二の次、ですわね」
ネアは椅子にもたれ、天井を仰いだ。
「……あんまり、有用な話は聞けなかったな」
「まあまあ。お話は、まだ終わっておりませんことよ?」
シャーラが、にやりと笑う。
「……どういう意味?」
「簡単な話ですわ。盗み聞きすればよろしいのです」
「……は?」
ネアは思わず間の抜けた声を出した。
シャーラは平然と続ける。
「城内の警備、実はそれほど厳しくありませんの。女神教の者が張り付いている場所は確かに堅い。ですが……それ以外は、まだ付け入る隙がございます」
ネアは、嫌な予感を覚え始める。
「教皇が過ごしている部屋のすぐ近くに、使われていない物置があるのですわ」
「……なんでそんなこと知ってるの?」
「うふふ、商人ですもの。情報と情報を繋ぎ合わせれば、これくらいは当然」
当然のように胸を張る。尻尾もふりふりと揺れている。
「そして、獣人の聴覚を使えば、壁越しでも会話の要点くらいは拾えます」
やけに自信満々だった。
ネアは少し考え、腰の剣に触れる。
「……レセル」
『ええ。わたしの魔剣としての力で聴覚を強化すれば、同じことできるわ。それに教皇が何を考えてるのか、盗み聞きでもしないと聞けないだろうし』
ネアはゆっくりと息を吐く。
「……やるしかない、か」
シャーラは満足そうに頷いた。
「善は急げ、ですわね」
「いつやるつもり?」
「もちろん、今夜ですわ」
ネアは苦笑する。
「決断が早すぎない?」
「こういう時は、迷った時点で負けですのよ」
シャーラの狐耳が、ぴんと立つ。
「五日後の降臨を前に、教皇が誰にも何も話さずに眠るはずがありません」
もっともな話だった。
なにせ、神が降臨すれば自分の意思は消えて、実質的な死が訪れる。
最後の日が迫る中、誰かと話をしたくなってもおかしくはない。
ネアは立ち上がり、決意を固める。
「わかった。今夜、潜入しよう」
この一歩が、取り返しのつかないものになるかもしれない。
それでも、何も知らないまま五日後を迎えるわけにはいかない。
夜はもうすぐそこまで来ていた。