愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり 作:パッタリ
降臨の日。
王都の空気は朝から薄く張り詰めていた。
ネアは目を覚ました瞬間、まず体を確かめた。
怠さはない。重さもない。
「……動ける。今なら、走れる。戦える」
鞘の中に入っているレセルが静かに応じる。
『体は戻った。でも、状況は最悪ね』
最悪。
それは単なる比喩ではない。
儀式が行われる城内の広間は、国王とわずかな護衛以外、女神教の者しか入れない。
そして黄昏の剣騎士団は、立ち会いの名目で入ることは許されているが、立ち位置は端。
フェリシアたちのいる中央から、あまりにも遠すぎる。
団長として入れるのはネアのみ。
レセルは当然、鞘の中。
それ以外は一切入れない。
団長室で報告をまとめていたガルドは、苦い顔で頭を下げた。
「……すまぬ。証拠も正当性も、揃えられなかった」
「謝らないで。間に合わなかったのは、みんな同じだよ」
ネアがそう言っても、ガルドは眉間の皺を解かない。
「幸い、儀式への立ち会いだけは許された。だが……端だ。女神教がこちらを近づける気がないのは明白」
ユニスも横で腕を組み、息を吐く。
「女神教が本気で排除したいなら、団長の立ち会いすら許さない。つまり、許しているのも計算のうち。……嫌な話」
リュナは、腰のヴァニティアを確かめながら言った。
「城の中で混乱が起きたら、私はすぐ動ける位置で待機する。魔法相手ならヴァニティアは効くから」
役割は決まっている。
ガルドとユニスは、何も知らない新入りを含めた団員たちと巡回任務。
リュナは待機。
ネアとレセルだけが、広間へ行く。
(……二人きりで、女神と女神教を相手に?)
無茶だ。
でも、無茶でもやるしかない。
ネアは立ち上がり、剣の帯の位置を整えた、その時だった。
廊下がざわめいた。
そして団長室の扉が叩かれる。
「団長殿。面会希望者が……」
入ってきたのは、見習い神官のミリア。
いつもなら落ち着きのない雰囲気が先に来るのに、今日は違う。
目が決まっている。
顔色は悪いのに、腹を括った目だ。
「ネア。話がある」
ガルドが警戒するように一歩前へ出かけるが、ミリアはそれを手で制した。
「二人きりで」
ネアは頷いた。
「……わかった。みんな、少しだけ待ってて」
ユニスが小さく頷き、リュナは「何かあったら呼んで」と短く言う。
ガルドは渋い顔のまま席を外した。
扉が閉まった瞬間、ミリアは息を吸って、いきなり言った。
「儀式、止めるんでしょ」
「…………」
ネアが否定できずにいると、ミリアは続けた。
「私も手伝う」
あまりに直球で、ネアは目を見開く。
「どうして……?」
「わざわざ先輩のところまで行って、ごめんなさいって言ってたでしょ」
ミリアの声が少しだけ震える。
「明らかに、邪魔しに行きますってやつ。……それくらいわかるよ」
軽く唇を噛み、目元を拭った。
「先輩が死ぬの、嫌だよ。……綺麗な言い方とかできない。嫌なものは嫌」
「でも、広間は……」
「入れる。リュミナ先輩が教皇に働きかけた。私は……わずかな例外として通していいって」
「……どうして、そこまで」
「先輩が、私に何か残したいんじゃない?」
ミリアは笑いそうになって、笑えずに顔を歪めた。
「最悪な優しさだよ。ほんと」
ネアは返す言葉が見つからない。
ただ、頷くことしかできなかった。
『使える手は全部使いなさい』
レセルは言う。
不満もあるはずなのに、今はそれを飲み込んでいる声だ。
ネアはミリアを見た。
「……一緒に来て。危ないけど」
「最初から覚悟してる」
ミリアは頷いた。
その頷きが、怖いくらいまっすぐだった。
◇◇◇
広間へ向かう廊下は、女神教の白い衣装で埋まっていた。
視線が刺さる。
祈りの空気が、圧としてのしかかる。
そして広間に足を踏み入れた瞬間、ネアは息を呑んだ。
中央にいるのは三人。
正確には、三角形に立っている。
教皇フェリシア。
この日のために用意したと分かる衣装──白銀の光をまとったような装いで、顔の表情だけは神に仕える清らかさを完璧に演じている。
その隣に、魔神の器の少女。
黒髪に琥珀色の目。
一般人の服を着ていた時とは違う、儀式用の衣服。
なのに目は落ち着いていて、妙に慣れている。
そして、リュミナ。
いつも通りの静けさ。
ただ、その静けさが鋼みたいになっている。折れないための静けさ。
(……ついに、始まる)
周囲は期待と緊張に満ちている。
でも、全員が同じ顔じゃない。
祈りで酔っている者。焦っている者。目が笑っていない者。
その中に、聖騎士レティスがいた。
レティスはネアとミリアを見つけると、何も言わず、そっと手招きした。
誘導する場所は広間の隅。視線の届きにくい壁際。
「ミリア。ここに来たということは……止める気のようですね」
ミリアは答えない。
でも否定もしない。
その沈黙だけで十分だった。
レティスはネアへ視線を移す。
「私は、司教様……リュミナが小さい頃から護衛をしていました。あの子を支えるため、そして鍵を守るために」
そこで言葉が止まる。
彼女は一瞬だけ顔をしかめ、すぐ戻す。
「私は……いくつかのことに、気づかないかもしれません」
淡々と告げる声。
「それが降臨を妨害するようなことでも」
ネアの背筋に、冷たいものが走った。
見逃す、と言っている。
気づかない、という形で。
レティスはそれ以上、何も言わずに距離を取った。
壁際に立ち、ただリュミナだけを見つめる。
(……レティスさん……)
ネアが言葉を飲み込んだ、その時。
広間の空気が、さらに一段重くなった。
フェリシアが前へ出る。
教皇としての厳かな演説が始まった。
女神の慈悲、救済、導き、新たな時代。
表面上は美しい言葉が、整然と積み上がっていく。
それが恐ろしい。
(……女神教にとっては嘘じゃない。それが一番怖い)
演説が終わる。
あとは降臨をするだけ──その瞬間。
ぐらり、と広間が揺れた。
「──っ!?」
床がきしむ。装飾が鳴る。
困惑が広まる。
少し遅れて、慌てた女神教の兵士が駆け込んできた。
「教皇様! 報告です! 王都を囲む城壁の門……すべてが一時的に崩れ、大きな騒ぎが!」
広間の空気が一斉にざわつく。
フェリシアは眉一つ動かさず、淡々と命じた。
「急いで復旧作業を。騒ぎを広げないように」
それだけで、女神教の者たちが動く。
護衛も、儀式の補助をする者も、半分ほどが広間を出ていった。
(……人が減った)
ネアはごくりと唾を飲む。
これは、仕込み。
外で起きた“大きな騒ぎ”が、カイランとリサナが起こしたものだと、確信できてしまう。
鞘の中で、レセルが低く笑う。
『盤面が動いたわね。あの兄妹が何をどうしたのか気になるけれど』
儀式は止まらない。
でも、守りは薄くなった。
生まれた隙は、これ以上ない好機。
三人の周囲に光が集まり始めた。
ただ眩しいだけの光じゃない。
熱も、音もないのに、空気の密度だけが変わっていく。
祈りの言葉が折り重なり、広間そのものが儀式の器へ変わっていく感覚。
(……まずい)
ネアは一瞬で判断した。
止めるなら今。
今を逃せば、始まってしまう。
ネアは走った。
誰かの制止する声が遅れて響く。
「止めろ!」
「黄昏の剣の団長? 何をしている!」
聞いていられない。
どうすれば降臨を止められる?
どうやれば逃げられる?
答えはわからない。
だから、まず引き離す。
儀式の輪を壊す。
降臨そのものを、物理的にでも遅らせる。
ネアの足が床を叩く。
同時に、残った護衛たちが動いた。
女神教の精鋭。
加えて、王国側の騎士団長たちも、何か起きたと察して前へ出る。
(……二重の壁)
最悪の布陣だ。
狭い広間で、挟み撃ち。
しかし、その時。
「どいてぇぇぇっ!!」
ミリアの声が裂けるように響いた。
彼女から放たれる紫電と閃光は、狩猟祭の時に見せたのと同等の魔法。
いや、むしろ狙いが研ぎ澄まされている。
(……戻ってる。あの実力)
狩猟祭で優勝するため、ミリアは魔神教に頼って力を手に入れた。
けれどその後、力は封印されたはずだった。
それが今は解けている。
リュミナが解除したのだろう。ミリアの意思を尊重して。
雷撃による衝撃で護衛の足が止まる。
さらにそこへ、横から割って入る声が。
「ネア! 中に行って!」
リュナだった。
魔剣ヴァニティアを抜き、前に躍り出る。
「魔法は、全部潰す!」
一瞬、空気が抜けた。
魔法の気配が無効化される、あの感覚。
女神教側が魔法で牽制しようとした動きが鈍り、王国側の騎士が顔をしかめる。
「助かる!」
「お礼はお金でいいよ!」
その瞬間を逃さず、ネアはさらに踏み込む。
だが、まだ足りない。
護衛の数が多い、通路が細い、人の壁は魔法だけでは崩れない。
そこで、床が動いた。低く鈍い音と共に。
床板が割れるのではなく、盛り上がる。
土の壁が、せり上がった。
一本、二本──いや、次々と。
まるで迷路を作るみたいに、広間が分断されていく。
「……なっ!?」
騎士たちが声を上げる。
隊列が崩れ、連携が切れる。
(シャーラ……!)
仕込み、足止め、隔離。
シャーラに頼んだそれが、上手く機能している。
土の壁は完全な防御じゃない。
でも、集団をバラバラにするには十分だった。
ネアは壁と壁の隙間を縫うように走り、最後の直線に入る。
視界の奥で、三人が光に包まれている。
フェリシア。
リュミナ。
そして、魔神の器の少女。
光の柱が立ち上がる直前、ネアはそこへ飛び込んだ。
「間に合え!」
あと数歩で、伸ばした手が届く。
その瞬間、教皇たるフェリシアがこちらを見た。
笑っていた。
最初からこうなると知っていたみたいに。
いや、待っていたみたいに。
「……女神相手に逆らうつもり?」
甘い声。優しい声。なのに背中が凍る声。
ネアは息を切らしながらも、睨み返した。
「逆らうよ。魔神相手には逆らって、無事でいる」
フェリシアの笑みが、一瞬だけ止まった。
目がわずかに見開かれる。
作った表情じゃない、素の驚き。
「……へえ?」
次の瞬間、口角が上がる。
ぞっとするほど楽しげに。
「なら、少しは面白いものが見れるかも」
その呟きが終わる前に、光が爆ぜた。
眩しい。
熱はない。痛みもない。
ただ、世界の情報が上書きされるみたいに、視界が白に塗り潰されていく。
「くっ……!」
ネアはフェリシアに手を伸ばしたまま、身体が浮くような感覚に襲われる。
足元が消える。
音が消える。
最後に見えたのは、三角形の中心で静かに祈るリュミナの横顔と、なぜか満足そうに目を細めたフェリシアの笑み。器の少女の表情はわからない。
そしてネアの意識は、光に呑まれた。