愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり 作:パッタリ
広間は、落ち着くどころか逆に騒がしさを増していた。
女神教の兵が叫び、王国側の騎士が指示を飛ばし、倒れた者を運ぶための担架が運び込まれる。
土の壁が崩れた場所では瓦礫の撤去が始まり、折れた柱の下でうめく声が聞こえるたび、空気が硬くなる。
──降臨が、止められた。
それがどれほど異常な事態なのか、ここにいる全員が理解していた。
「静粛に」
澄んだ声が広間に響く。
声の主は、教皇フェリシア。
衣装は乱れていない。髪も整ったまま。
周囲の混乱が彼女だけを避けていくように、空気が一瞬だけ整列する。
「負傷者の搬送を優先。動ける者は、倒れている者を踏まぬように距離を取りなさい。勝手に叫ばない。命令系統は一つに」
厳かな命令。
なのに、口調は不思議と柔らかい。
だからこそ従ってしまう、という恐ろしさがあった。
それでも完全に落ち着きはしない。
誰もが視線の置き場を失っている。
そんな中で、足音が一つ、前へ出る。
国王だった。
怠惰な雰囲気はない。
目に力があり、背筋も伸びている。
王国の者たちは、緊張で固まった。
女神教の兵ですら、反射的に姿勢を正す。
国王は、まっすぐにネアを見る。
「君が止めたのかね」
問いは短い。
次の言葉は、もっと鋭い。
「なぜ止めた?」
ネアは、喉が鳴るのを抑えた。
周囲の空気が、答えを待っている。
答え次第で、何かが決まる。
(……どう言えばいい)
レセルが鞘の中で息を潜めているのがわかる。
リュナはヴァニティアを構えたまま、目を細めている。
ユニスもガルドもいない。ここは、自分が立つしかない。
ネアは、少しだけ考えた。
それから、正直に言った。
「……死なせたくなかったんです」
国王の眉が、わずかに動く。
ネアは続ける。
「この三人も。……それから、今後犠牲になるだろう大勢の人々も」
その言葉を聞いた国王は、一度だけ目を閉じた。
広間が沈黙に包まれ、より静かになる。
やがて国王は、低い声で言う。
「青いな」
青い。
理想論だ、と言われたのに近い。
国王は目を開き、ネアを見据えたまま言葉を重ねる。
「君のせいで、生きている間に女神を見ることは叶わなくなった」
その瞬間、空気が凍った。
責める声ではない。恨みでもない。
ただ、事実を述べるだけの声。
ネアの背中を冷たい汗が伝う。
そこへ、フェリシアが横から割り込んだ。
「まあまあ。その辺で」
にこり、と笑って言う。
「女神の姿は……どちらも少女のように見えました」
慰めのようでいて、火に油を注いでいるようにも思える。
国王はわずかに首を振った。
「自らの目で見たかったのだよ」
淡々としていながらも、深い執着のある声。
「降臨すれば、わずかな間とはいえ、依り代ではない真実の姿が……」
そして国王は、息を吐いた。
「……まあいい」
すっと、肩の力が落ちる。
「余は疲れた。後始末は任せる」
それだけ告げると、国王は護衛を伴って歩き出した。
広間のざわめきが、背中に吸い込まれていく。
残されたネアは、言葉を失ったままフェリシアを見る。
(……怒って、ない? いや、怒ってるのかな)
フェリシアは、いつもの微笑みのまま──視線だけで状況を測るように動かした。
器の少女。
リュミナとミリア。
そしてネア。
それから、魔剣ヴァニティアを構えたままのリュナ。
「ついてきなさい」
命令ではない。
けれど逆らえる空気でもない。
フェリシアは軽く手を振ると、迷いなく広間の奥へ向かった。
誰かが扉を開け、静かな廊下へと出る。
器の少女は無表情で歩き出し、リュミナはミリアの肩を支えながら続く。
ネアも、レセルの重みを確かめてから足を動かした。
リュナは最後までヴァニティアを下ろさず、周囲を警戒しながら、ネアの斜め後ろにつく。
広間の喧騒が遠ざかる。
扉が閉まると、音が急に遠くなった。
フェリシアは振り返らないまま、淡々と言う。
「別室で話をしましょう。今度こそ、落ち着いてね」
その声は柔らかい。
だからこそ、ネアの胸の奥の不安は消えなかった。
別室は、広間とは別世界みたいに静かだった。
分厚い扉が閉まる音がした瞬間、空気が切り替わる。
フェリシアが振り返り、まずネアを見る。
「あなたのせいで、大勢の目論見が崩れた」
「…………」
ネアは何も言えず、喉が動くだけ。
レセルは鞘の中で息を吐く。
『言い方が最悪ね』
フェリシアは次に視線を移す。
リュミナと、ミリア。
「やれやれ」
肩をすくめ、少し笑う。
「愛する先輩のためになんでもやる後輩に」
ミリアの肩がびくっと揺れる。
「その後輩が好き勝手できるようにした先輩にして司教」
リュミナは一拍置いて、静かに口を開いた。
「責任は……負います」
その声は震えていない。
覚悟の重みだけがあった。
ミリアは、唇を噛みしめて一歩踏み出す。
「ちょっと、待っ──!」
だがフェリシアは、しっしっと手を振る。
「はいはい。あなたはあと」
そして、リュミナへ淡々と言う。
「鍵が鍵として効果を発揮するのは一度だけ。残念ながら、地位を与えて女神教に置いておく意味はなくなった」
リュミナのまつげが、わずかに揺れる。
「だから──追放処分とします」
部屋が静まり返る。
ミリアの顔が、信じられないという色に染まった。
リュミナは、ただ頭を下げる。
「……はい」
ミリアが爆発しそうになって、息を吸う。
「ふざ──」
そこにフェリシアが言葉を被せた。声は相変わらず軽い。
「とはいえ。魔神教からのちょっかいもあるだろうし……あら?」
わざとらしく首をかしげる。
「ちょうどいいところに、黄昏の剣騎士団の団長がいるではありませんか」
嫌な予感に、ネアの胃がきゅっと縮む。
フェリシアは、当然のように続けた。
「リュミナとミリア、両名は黄昏の剣騎士団に入りなさい。こちらの団長の世話になるように」
「……は?」
ネアの声が裏返る。
リュミナは、驚くほど穏やかに微笑んで頷いた。
「承知しました。ネア団長、よろしくお願いします」
「いや、待って、リュミナさん……追放って、そんな軽く受け入れるの!?」
「受け入れるしかないから。……それに」
リュミナはミリアをちらりと見て、声を落とした。
「生きて、守れる方がいい」
優しく、儚い笑みが浮かぶ。
ミリアは唖然として、口をパクパクさせている。
「え、あ、え? え? 私も? 騎士団? え??」
フェリシアは満足そうにうなずき、次に器の少女──黒髪に琥珀の瞳をした少女へと視線を向けた。
少女は一歩前へ出て、やけに神妙な顔を作る。
「ネア団長」
「……なに?」
「責任、取って?」
「……へ?」
ネアが固まった次の瞬間、少女の口元がぷるぷる震えた。
「……っ、ふ、ふふ……」
こらえきれず、肩を揺らして笑い出す。
「っ、ははっ……ごめん、無理、笑う……」
「責任って、何の!?」
少女は涙を拭いながら、笑い混じりに言う。
「私はね、魔神と女神、どっちの依り代になってもよかった。どうあっても歴史に名前が残るから」
「その発想は怖いよ」
「それを邪魔したのどこの誰だろうね?」
にこっと笑う。
「なら責任取るべきだよね?」
ネアは恐る恐るながら尋ねる。
「……どういう風に?」
「私も団員になる。よろしくね」
「ええええ……」
「あと、言ってなかった」
少女は指を一本立てて、明るく言った。
「私の名前は、ノエル」
『……なんなの、この流れ』
鞘の中のレセルは、苛立っているのか唸る。
リュナは横でヴァニティアを握ったまま、彫像のように動かない。
団長が面倒事を引き受けているのに、自分が動いて狙いが移るのは得策ではないといった様子。
「……団員が増えるのはいいんだけど」
ネアは頭を抱えた。
「増え方が、想定の斜め上すぎる……」
フェリシアは、全員を見回して微笑む。
「決まりね。あ、異論は?」
ミリアが反射的に手を上げる。
「ありま──」
「却下」
「……ひどっ!」
「ひどいのはあなたのやったことよ。乱入して、魔法をとにかく放ちまくって……。死者が出なかったから、いろいろ楽だけど」
フェリシアは平然と言う。
「それとネア。あなたも覚えておきなさい。今日の件は“止められた”ではなく、“中断した”にしておくのが一番丸い」
「……丸い?」
「丸く収まる。世界が」
フェリシアはさらっと言い、扉の方へ向き直った。
「さて。外はまだ混乱してる。後始末の演出をしないとね」
扉が開かれ、廊下の喧騒が薄く流れ込む。
フェリシアは、去り際に振り返ると一言。
「黄昏の剣騎士団。これから忙しくなるでしょう。頑張って」
扉が閉まる。
室内に残ったのは、場違いなくらい増えた身内と、言葉にできない疲労だけだった。
「……とりあえず」
ネアは深く息を吐く。
「帰ろう。宿舎に」
リュミナが微笑む。
「はい、団長」
ミリアがうめく。
「先輩が生きてるからいいけど……なんでこうなるの……」
ノエルは楽しそうに言った。
「面白くなってきたね」
『面白くないわよ』
レセルの不機嫌な声が、やけに頼もしく響いた。
◇◇◇
その後は、さすがに一筋縄ではいかなかった。
降臨が“中断した”という事実をどう扱うかで、女神教も王国も神経質になり、事情聴取や確認、警備の組み直しが雪崩のように降ってくる。
けれど、フェリシアが表面上は混乱を抑え、国王が「後始末は任せる」と早々に退いたことで、少なくともその場で血が流れる事態は避けられた。
黄昏の剣騎士団の宿舎へ戻る頃には、王都全体がまだざわつきながらも、ゆっくりと表面上は落ち着きを取り戻し始めていた。