愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり   作:パッタリ

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120話 これからのために

 騒動から数日後。

 団長室の天井は、やけに白く見える。

 ネアはベッドの上で仰向けのまま、ぼんやりと手を伸ばす。

 指先が空を掴むだけで、何も掴めない。

 

 (……魔神の力、もうないんだよね)

 

 あの時の冷たい残滓は、体の奥からすっかり抜けていた。

 代わりに残ったのは、怠さと、やけに現実的な疲労と──。

 

 「起きてる?」

 

 覗き込んできたのは、人の姿のレセルだった。

 白い髪が、朝の光を柔らかく弾く。赤い瞳が近い。

 

 「……起きてる。たぶん」

 「たぶん、じゃないの」

 

 レセルは小さく笑い、ネアの茶色い前髪にそっと触れる。

 指先が優しく通るたびに、心臓が落ち着いていくのがわかった。

 ネアも、つい手を伸ばしてレセルの髪に触れる。

 さらりとした感触が指に絡んで、なんだか安心する。

 

 「神様って……恐ろしいね」

 

 独り言みたいにこぼすと、レセルは目を細めた。

 

 「ええ、そうね」

 

 けれど、レセルはそこで少しだけ口角を上げる。

 

 「それでも、わたしたちの繋がりには勝てないわ」

 

 そう言って、頬にちゅっ、と軽いキスを落とした。

 

 「……っ」

 

 ネアが何か言おうと口を開いた瞬間、扉が軽くノックされる。

 

 「団長殿。報告があるが、よろしいか?」

 

 聞こえてくるのはガルドの声。

 ネアは一瞬固まり、レセルは平然とした顔でネアの頬をもう一度撫でた。

 

 「急いで整えなさい」

 「い、今!?」

 

 慌てて髪を直し、上着を引き寄せ、深呼吸してから扉を開ける。

 廊下に立っていたガルドは、いつも通り真面目な様子でいた。

 だが、その目はどこか柔らかい。

 

 「……宰相閣下からの伝言がある」

 

 ガルドは簡潔に告げる。

 

 「降臨の中断は、魔神教の妨害として処理する。団長殿は当面、静養と待機。余計な動きはするな、と」

 「……そっか」

 

 安堵が胸に落ちる。

 少なくとも、あの場の責任が、すべてネアに降りかかる形にはならない。

 そしてガルドは、懐から折り畳まれた小さな紙を取り出した。

 

 「宰相閣下が書いたメモだ。……団長殿に渡せと」

 

 君のおかげで、大陸を巻き込む戦争は防がれた。

 国の宰相として、また一個人としてお礼を言わせてもらう。ありがとう。

 

 「…………」

 

 ネアが受け取った紙に書かれていたのは、短い文章だった。

 言葉が出ない。

 ただ、握った紙が少しだけ震えた。

 

 「用件は終わったでしょう? 早く帰って」

 

 ガルドは、一瞬だけ目を丸くし、そのあと口元が緩んだ。

 

 「……む」

 

 そして、珍しく、笑い混じりに言う。

 

 「魔剣と使い手の濃密な朝を邪魔してしまい申し訳ない」

 「ちょっと!?」

 「なにせ副団長だからな。少しは空気を読まねばな」

 

 ガルドは肩を揺らすように笑った。

 

 「それでは失礼する」

 

 そう言って踵を返し、廊下の向こうへ去っていった。

 扉が閉まる。

 ネアが顔を赤くしつつ振り返ると、レセルは悪びれもせず、むしろ機嫌がいい。

 

 「あら、どうしたの、その顔」

 「だって、あんなこと言うなんて……」

 「事実でしょう」

 「それは……」

 

 結局、しばらくは触る触られるの応酬になって、ネアは諦めた。

 

 ◇◇◇

 

 しばらくして、ネアは宿舎の中を歩けるくらいには精神が回復していた。

 団長室を出て、まず向かったのは、リュミナとミリアがいる部屋。

 ノックして、そっと扉を開ける。

 そこにあるのは、まさかの光景だった。

 リュミナが椅子に座り、自分の膝の上にミリアの頭を乗せている。

 耳かきをしていた。

 

 「…………」

 

 ネアは無言で固まる。

 ミリアがびくっとして顔を上げ、耳かきが刺さりそうになるのをリュミナが器用に止めた。

 ミリアは真っ赤になり、強がるように言う。

 

 「な、なんか文句ある!?」

 「……ない、けど……」

 「というか、ノックしてすぐ開けるな!」

 

 リュミナは小さく微笑み、ミリアの髪を優しく撫でた。

 

 「落ち着いて、ミリア。耳かき中に暴れるのは危ない」

 

 ミリアは「うぅ……」とうめいて黙る。

 撫でられて、素直におとなしくなるのが余計にわかりやすい。

 ネアは静かに扉を閉めた。

 

 「……お邪魔しました」

 

 背後でレセルが小声で言う。

 

 「平和ね」

 「うん……平和……なのかな……」

 

 ◇◇◇

 

 次に向かったのは、騎士団付き商人として宿舎に出入りしているシャーラのところ。

 扉を開けると、狐の獣人である彼女は机に広げた帳面と地図の前で、にやにやしていた。

 指先で金貨の袋を弾いている。

 

 「おやおやおや。団長様。回復されましたのね」

 「おかげで助かったよ」

 「そうでしょうそうでしょう!」

 

 胸を張る勢いがすごい。

 

 「ところで。何をどうやったの?」

 「はい?」

 

 シャーラは一瞬だけ“知らない顔”をしたが、すぐにわざとらしくため息をついた。

 

 「もう、団長様は詮索が好きですわねぇ。……実はですね」

 

 少し身を乗り出して、声をひそめる。

 

 「わたくし、天井に潜んでおりましたの」

 「……天井」

 「はい。上から見ながら、仕込んだ代物を発動させました」

 

 ネアは唖然とした。

 広間は結構な高さがあるからだ。

 

 「危なくない? 落ちたら死ぬよ?」

 「落ちませんわ。落ちないようにするのが商人の腕でございます」

 

 まったく意味がわからないが、自信だけは満点だ。

 ネアはさらに聞く。

 

 「で、その仕込んだ代物って結局なに?」

 「商人の秘密でございますわ」

 「教えてよ」

 「教えませんわ」

 

 シャーラは狐っぽく目を細めて、にこりと笑った。

 

 「秘密があるから価値がある。価値があるから、儲かる。これが世の理でございます」

 

 ネアは深く息を吐き、諦めた。

 

 「……もういい。ありがとう」

 「どういたしまして。次の“儲け話”も、任せてくださいませ」

 

 その言い方が一番怖い。

 けれど今は、怖さより、どこか頼もしさの方が勝っていた。

 ネアは宿舎の廊下へ戻り、窓から外を見る。

 王都はまだ落ち着かない。

 でも、人の世界は神の世界になることなく、どうにか繋ぎ止められている。

 

 (……ここからだ)

 

 ネアは小さく拳を握り直した。

 

 ◇◇◇

 

 とある街道沿いの酒場。

 湿った空気と、焦げた油の匂いと、安酒の酸味が混ざっていた。

 赤褐色の髪をした兄妹、カイランとリサナは隅の席で食事をしている。

 木の皿に盛られた肉とパン。派手さはないが、腹は満たせる。

 その時、近くの卓で酔っぱらいが声を張り上げた。

 

 「おいおい、聞けよ! 王都でよ、とんでもねぇ騒ぎがあったらしいぞ!」

 周囲は「へえ」「またか」と適当に流す。

 酒場での噂話なんて、だいたい大げさで、だいたい明日には忘れられる。

 だが、酔っぱらいは引き下がらない。

 

 「いやいや、聞けって! まず王都の城壁の門! 東西南北の大通りに通じてるやつがぶっ壊れた! しかも死者なし! とんでもねえことやった奴がいて、兵士も女神教の皆さんも大騒ぎさ!」

 「……死者なし?」

 

 誰かが面白がって聞き返す。

 酔っぱらいは満足そうに頷いた。

 

 「そうだ! そんでよ、兵士とかが減ったからか、城の中でもなんかいろいろあって、女神の降臨が取り止めになったんだとよ!」

 

 ざわり、と空気が揺れる。

 面白そうに耳を傾ける者もいれば、「降臨? なんだそれ」と笑う者もいる。

 所詮は遠い王都の話。ここでは酒の肴だ。

 だが、カイランは口の端を上げ、にやりと笑った。

 

 「……向こうは向こうで、上手くやったみたいだな」

 

 向かいのリサナは、切り分けた肉を黙々と口に運びながら、呆れたように言う。

 

 「いろいろと蓄えを使ってしまったんだけど?」

 「蓄えの使いどころってのがあるんだよ」

 

 カイランは肩をすくめ、酒場の喧騒をよそに声を落とす。

 

 「女神が降臨したら、女神教を信仰しない奴は大変なことになる。信仰を広めるために戦争だってあったろうな。だからよ、蓄えを使う価値があるのさ。ネアを手伝うのは俺たちのためでもあるわけだ」

 

 リサナは軽く息を吐き、パンの欠片で皿の脂を拭う。

 

 「……まあ、そうだけど」

 

 ほんの少しだけ、目を伏せる。

 

 「あの子、これからどうなるかな?」

 

 カイランはあっけらかんと笑った。

 

 「なあに。ほとぼりが冷めたら会いに行けばいい」

 

 そして、楽しそうに続ける。

 

 「ちょいと危ない商品を売りつけに行ったりな」

 

 リサナは手を止め、カイランを睨んだ。

 

 「それ、余計な火種になるやつでしょ」

 「火があるなら、ちょっとくらい煽った方が暖かいってもんだ」

 「うざい」

 

 いつも通りのやりとり。

 酒場の噂はまた別の話題に流れていき、笑い声が上がる。

 遠い王都の大騒動は、この街ではただの噂で終わる。

 けれど兄妹だけは、違う温度でその話を聞いていた。

 

 ◇◇◇

 

 夕方。

 宿舎の廊下には、まだ昼の慌ただしさの余韻が残っていた。人の出入りは減ったのに、空気だけが落ち着かない。

 ネアが角を曲がると、ちょうど向こうから二人が歩いてくる。

 ユニスとリュナだ。

 ユニスはいつもの整った姿勢を保っているが、目の下に疲れがにじんでいる。手には書類の束。

 あちこちに付箋が貼られ、見るだけで頭が痛くなる量だ。

 

 「……やっと見つけた」

 

 声は淡々としているものの、どこか恨み言に近い温度があった。

 

 「ひどい第一声……」

 「当主として、やることが山積みなの。それに、騎士団関連の計算もしないといけないし。あなたは休めてた。その差だから」

 

 ユニスはそう言いながらも、最後に小さく笑った。

 怒りきれない、というより怒っても仕方ないと思っている顔。

 ネアは苦笑して肩をすくめる。

 

 「ごめん。……でも、ありがとう」

 「礼は聞いておく。次は、もう少し自分の身を大事にして」

 

 その隣で、リュナが妙に晴れやかな顔をしていた。

 いや、晴れやかすぎる。

 

 「ねえねえ聞いてよ。バゼム様、大笑いして私を解雇した!」

 「……え?」

 「“いやあ、君はもう自由にしなさい。その方が引っ掻き回せるから”って。意味わかんないでしょ? でもおかげで裏表なしで団員になれたよ」

 

 リュナは胸を張り、腰にある魔剣ヴァニティアを軽く叩く。

 

 「だからさ、団長。私って、魔剣持ちじゃん?」

 「うん」

 「お姉さん、給金に追加がほしいな~って」

 

 露骨なおねだり。

 ネアは思わず吹き出しそうになった。

 

 「……少しは増やすよ」

 「うおおおお! 団長大好き!」

 

 リュナが勢いよく抱きつこうとした瞬間。

 すっ、と前に出た影がある。

 人の姿のレセルが、無言でリュナの進路を遮った。

 

 「……ん?」

 「だめ」

 「え、なんで?」

 「だめ」

 

 二回言った。

 リュナは口を尖らせる。

 

 「え~、いいじゃん。給金増やしてくれたんだよ?」

 「だめなものはだめ」

 「んもう、理不尽」

 

 ユニスは疲れた顔のまま、けれど少し楽しそうに息を吐いた。

 

 「はぁ、平和でなにより」

 「うん、平和だね……」

 

 ネアは苦笑しつつ、レセルの袖を軽く引く。

 

 「レセル、落ち着いて」

 「わたしは落ち着いてるわ」

 「それ、落ち着いてる人の言い方じゃないよ」

 

 リュナは諦めが悪く、レセルの背後から顔を出してネアに訴える。

 

 「団長~、この魔剣、独占欲つよすぎ!」

 「当然よ」

 「うわ、当然って言った!」

 

 馬鹿馬鹿しい騒ぎ。

 けれど、こういう会話ができることが、今はありがたかった。

 

 ◇◇◇

 

 ユニスとリュナを見送ったあと、ネアは廊下を歩きながら、ふと団員が増えたという現実を噛みしめていた。

 守るべきものが増えた、という意味でもある。

 そんな中、宿舎の一角。

 訓練用に割り当てられた小さな部屋から、乾いた音が聞こえた。

 木剣が空を切る音。

 一定の呼吸。

 繰り返される踏み込み。

 ネアが扉を軽くノックすると、音が止まった。

 

 「入っていいよ」

 

 中にいたのは、琥珀色の瞳をした黒髪の少女ノエル。

 一般的な動きやすい服のまま、額に薄い汗を浮かべている。

 彼女は木剣を肩に担ぐようにして、ネアを見た。

 その表情は相変わらず落ち着いているが、瞳の奥だけが妙に楽しそうだ。

 

 「団長、来たんだ」

 「訓練してた?」

 「うん。暇だと頭が余計なことを考えるから」

 

 言い方が不穏なのに、声色は軽い。

 ネアは苦笑して壁際に寄り、ノエルを観察する。全体的に荒いけど、真面目に積み上げるタイプだとわかる。

 ノエルは木剣を床に置き、ネアにまっすぐ言った。

 

 「ねえ、団長」

 「なに?」

 「私の名前が歴史に残るくらい、この騎士団を有名にして?」

 

 さらっと言う。

 冗談みたいな言葉なのに、本人は本気っぽい。

 ネアは思わず正直に返した。

 

 「騎士団が有名になっても……ノエルの名前が残るかどうかは、ノエルの頑張り次第じゃない?」

 「そう?」

 

 ノエルは少しだけ首をかしげ、そして静かに微笑んだ。

 

 「そうだね」

 

 その微笑みは、どこか納得したようで、同時に楽しみにしている顔でもあった。

 

 「団長と一緒にいれば、大きな騒動に出会えるだろうし」

 「それ、褒めてる?」

 「褒めてる褒めてる」

 

 軽い調子のまま、ノエルは再び木剣を握る。

 

 「それまでの間に鍛えておかなくちゃ。どうせ、平穏は長続きしない」

 

 ネアは、返す言葉に一瞬迷った。

 否定したいのに、否定できない。

 

 「……あまり縁起の悪いこと言わないでよ」

 「大丈夫。縁起が悪いのは、だいたい当たるから」

 

 さらっと言って、ノエルはまた木剣を振った。

 乾いた音が、宿舎の空気を切り裂く。

 ネアは扉のところで立ち止まり、最後に一言だけ投げる。

 

 「怪我しない程度にね」

 「うん。怪我しない程度に……死なない程度に」

 

 その言い方が、やっぱり少しだけ怖い。

 

 「魔神教の方は、私に接触しに来る者がいるだろうけど、おとなしくしておくよう言っておく」

 「ずいぶん影響力あるんだね」

 「なにせ、魔神の器ですから」

 

 わざとらしく威張ってみせるノエルに、ネアは苦笑しながら扉を閉め、廊下へ戻った。

 背後から聞こえる木剣の音が、なぜか頼もしくもあった。

 

 ◇◇◇

 

 その夜。

 団長室の窓辺には、薄い月明かりが落ちていた。

 ネアは窓枠にもたれ、外を見ているふりをしながら、背後の気配を感じていた。

 レセルが近くにいる。

 それだけで、部屋の空気が柔らかい。

 

 「……今後、周囲があなたを見る目は大変なことになるでしょうね」

 

 レセルが、くすりと笑う声で言った。

 ネアは肩を落とす。

 

 「……なんだか心配になってきた」

 「今さら?」

 

 背中に、ふわりと温度が重なる。

 レセルが後ろから抱きしめてきた。

 細い腕が、確かな力でネアを囲う。

 ネアは抵抗せず、そのまま重ねるようにレセルの手を握った。

 

 「大丈夫よ。いろいろとやりようはあるもの」

 

 耳元でささやく声は甘いのに、次に話す内容は現実的だった。

 

 「とりあえず宰相との繋がりを強化して……あのクソ……んん、教皇との繋がりも強化しておくと、人脈的に便利よ」

 「今、クソガキって言おうとしたよね」

 「気のせいよ」

 「気のせいじゃない」

 

 ネアは苦笑して、指を絡め直す。

 

 「……数十年後は、どうなるかな?」

 「さあ?」

 

 レセルは少しだけ間を置き、ネアの髪に頬を寄せた。

 

 「わたしたちの出番がないことを願いたいわ」

 

 ネアは小さく頷く。

 祈るみたいに、指先に力を込めた。

 

 「うん……」

 「それでも、もし出番が来たら」

 

 レセルが、ささやくように続ける。

 

 「その時も、わたしはあなたと一緒にいる」

 

 ネアは振り返ろうとして振り返れなかった。

 抱きしめられたまま、胸の奥が熱くなる。

 

 「……ずるい」

 「ずるくない。事実よ」

 

 そして、レセルの唇がネアの頬に触れた。

 軽く、確かめるように。

 ネアは笑って、今度は自分から顔を向けた。

 

 「……じゃあ、もう一回」

 「いいわ」

 

 窓辺の月明かりの中で、二人はキスを交わす。

 世界は相変わらず厄介で、明日も面倒ごとは尽きない。

 それでも、今この瞬間だけは、確かに穏やかだった。

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