愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり   作:パッタリ

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22話 不穏な空気

 それから数日。

 王都の空気は、ゆっくりと、しかし確実にざわつき始めていた。

 屋敷の兵士たちは、昼の警備を終えたあと、広間の隅で水を飲みながら言葉を交わしている。

 ネアは通りかかった際に、ふと足を止めて耳を傾けた。

 

 「──聞いたか? 衛兵隊がまた大規模に動員されたそうだ」

 「盗賊退治か?」

 「いや、市場で刃傷沙汰だの、倉庫荒らしだの……小競り合いが増えすぎてるんだと。とても人手が足りないらしい」

 

 兵士の声には苛立ちが混じっており、別の兵は肩をすくめる。

 

 「まったく。衛兵どもが駆り出されりゃ、この貴族街も手薄になる。オルヴィク家の屋敷は、雇われてる俺たちが守りを固めなきゃならんが……」

 「いざという時、数で押されたらどうにもならねえだろうなあ」

 「要するに、仕掛ける側からすりゃあ今が好機ってわけだ。嫌だねえ」

 

 その言葉に、短い沈黙が落ちた。

 誰もが、いざ何かが起きればという想像をしてしまったのだろう。

 彼らは慌てて笑い合っていたが、その声に明るさはない。

 

 (……仕掛ける側、か)

 

 ネアは胸の奥に冷たい感覚を抱えながら、その場を離れた。

 どこかで、大きな歯車が音を立てて回り始めている。

 そんな不安が拭いきれないでいた。

 

 ◇◇◇

 

 翌日、情報収集ついでに買い出しのため市場へ向かったネアは、人々の噂話をあちこちで耳にした。

 香草の匂いが漂う露店の前では、主婦たちが声をひそめる。

 

 「ねえ、知ってる? 昨夜、あの裏通りで若い男の人が倒れてたんだって」

 「血を抜かれて、真っ青な顔で……吸血鬼の仕業らしいとか」

 

 また、肉屋の前では休憩中の労働者たちが顔を寄せ合う。

 

 「家畜がやられたそうだ。首筋に噛み跡が残っててな」

 「人ならず、家畜まで……ますます物騒じゃねえか」

 

 さらに裏路地の古びた井戸の近くでは、子どもたちが不安げにささやいていた。

 

 「……亡くなったおじさんを見たんだ。夜に歩いてたんだよ」

 「うそだろ? でも、血まみれで笑ってたって……」

 

 子ども特有の尾ひれがついているのかもしれない。

 けれども、大人たちの顔に浮かぶ怯えは作りものではなかった。

 

 (……吸血鬼の噂が広まってる)

 

 村を滅ぼされた夜の光景がよみがえる。

 あの赤い瞳と、血の匂い。

 ネアの指先は無意識に震え、腰の剣の柄を握りしめる。

 

 『落ち着いて。まだ“噂”にすぎない。だけど、火種にはなるわね』

 

 レセルの冷ややかな声が耳に届く。

 それでも胸のざわめきは収まらなかった。

 

 (噂だけじゃない。きっと……本物も)

 

 そう思わずにはいられなかった。

 子どもたちの怯えた声をあとにして、市場を歩いていると、さらに妙な喧騒が耳に入ってきた。

 

 「さあさあ! 吸血鬼も退散! これさえあれば安心だ!」

 

 通りの一角で声を張り上げる露店商。

 台の上には粗末な銀のペンダント、乾燥させた草束、袋に詰められたにんにくが山のように並んでいる。

 どれも見慣れない装飾をされていたが、目の肥えた者が見れば、安物を急ごしらえで飾り立てただけだとすぐにわかる代物だった。

 

 「ほんとに効くのか?」

 「効くに決まってる! 古い伝承にある“吸血鬼を祓う品”だ! 銀貨一枚で命が助かるなら安いもんだろう!」

 

 露店商の口上に、買い物客たちは血相を変えて群がる。

 銀の首飾りを奪い合い、にんにく袋を抱え込む姿は、恐怖に駆られた滑稽さと必死さを同時に映していた。

 

 「……効くのかな、あれ」

 

 思わず呟くネアに、腰の鞘からレセルのため息が返ってくる。

 

 『効くわけないでしょ。にんにくで怯む吸血鬼なんて聞いたことがないもの。まあ、どろどろになるまで磨り潰したにんにくを目にかければさすがに効果ありそうだけど。銀だって、本当に効くのは祝福を受けたものくらい』

 「やっぱり……」

 

 それでも群衆は、露店商の声にすがりつくように品を買い求めていた。

 ネアはその光景に、ぞくりとした。

 

 (……恐怖って、人をここまで動かすんだ……)

 

 冷や汗を拭いながら、ネアは市場のざわめきの中をあとにした。

 夕刻、屋敷に戻ったネアは、帳簿を広げて数字と格闘しているユニスに声をかける。

 銀の瞳がちらりとこちらを向き、彼女は静かに羽ペンを置く。

 

 「……何かあった?」

 「うん。市場や路地で、人からいろいろ聞いたんだけど……吸血鬼の噂が広まってる」

 

 ネアは昼間に耳にした話を順に伝えた。

 倒れていた若者、血を抜かれた家畜、夜を歩く死人。

 語りながら胸の奥が重くなっていくのを自覚する。

 ユニスはしばらく黙ったまま耳を傾けていた。

 そして帳簿を閉じ、深く息を吐く。

 

 「……やっぱり」

 「やっぱり?」

 

 ネアが問い返すと、ユニスは椅子の背にもたれ、冷ややかに告げた。

 

 「おそらくは工作。王都に混乱を引き起こすために、誰かが吸血鬼という存在を利用している」

 「工作って……」

 

 ネアは思わず声を上げる。

 あの夜、村を滅ぼした存在がただの噂で済むとは思えない。

 レセルの声がすぐに重なる。

 

 『ネア、ユニスの言う通りよ。実際に吸血鬼を放ったかどうかはわからない。でも、噂を広めるだけでも効果はある。人々は怯え、治安は乱れる』

 「でも……本物がいるかもしれない」

 『ええ。あの優男──バゼムが絡んでいるなら、噂だけで終わるはずがない。その可能性も考えないと』

 

 ネアはぐっと唇を噛みしめた。

 ユニスは机に片肘をつき、鋭く銀の瞳を向けてくる。

 

 「誰が仕掛けているかは、言うまでもないでしょう」

 

 その言葉に、バゼム・グラニエの人懐っこい笑顔が脳裏に浮かぶ。

 そして、その奥に潜んでいた冷たい影も。

 

 (……やっぱり、あの人が)

 

 胸の奥に広がる不安は、もう見過ごせないほどに大きくなっていた。

 重苦しい沈黙が流れる中、ネアは思わず問いかけた。

 

 「……この国では、吸血鬼ってどう扱われてるの?」

 

 ユニスは少しだけ目を細め、考えるように視線を逸らす。

 

 「“災厄”として、だいたいの国と同じ。討伐対象でしかない。昔から記録はあるけれど、人々が実際に目にすることは滅多にない。だからこそ、伝承や恐怖心ばかりが膨れ上がっている」

 

 ネアは小さく頷き、膝の上で手を握りしめる。

 

 「……私の村じゃ、“いるらしい”って噂話の存在だった。魔物がいるんだから、吸血鬼だっていても不思議じゃない、って……。実際に会ったことのある人はいなかった」

 

 声が少し震える。村を滅ぼされた夜の記憶が、喉を締めつけてくる。

 ユニスは淡々とした声で返す。

 

 「そういう場所の方が多い。けれど王都は違う。大勢の人がいて、その中には吸血鬼と会ったことのある人もいる。あとはそこから“噂が本当かもしれない”と広がるだけで、人々の動きが変わる。恐怖は連鎖するものだから」

 『つまり、混乱を狙うには最適の題材ってこと』

 

 レセルの言葉に、ネアは頷いた。

 人々の怯えた顔を思い出すと、確かに噂だけでも都市を揺さぶる力になるのだろう。

 ユニスは帳簿を指先で軽く叩き、短く言い切った。

 

 「吸血鬼の仕業が嘘でも本当でも、備えるしかない。どちらにせよ、襲撃があるのは時間の問題」

 

 ネアは唇を引き結び、腰の剣に触れた。

 その冷たい感触が、逆に心を落ち着けてくれる。

 

 『大丈夫。あなたとわたしなら、吸血鬼が相手でも退けられるわ。あの時、返り討ちにしたでしょ?』

 

 レセルの心強い声が胸に響き、ネアは小さく息を吐いた。

 

 「……うん。絶対に、負けない」

 

 夕暮れが窓から差し込み、薄暗い室内を赤く染める。

 迫り来る不穏の影に備え、ネアの決意は静かに固まっていった。

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