愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり   作:パッタリ

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39話 魔神教からの勧誘

 ここ数日、ネアとレセルは王都のあちこちを歩き回っていた。

 赤い線で囲まれた区域が記されている地図を広げ、広場やごちゃごちゃしている路地などを一つ一つ確かめていく。

 

 「ここは見通しがいい割に狭いから……魔物が逃げ込むには不向きかな」

 「逆に言えば、観客に見せ場を作るには最適よ。だから戦いに集中できるはず」

 

 そんなやりとりを重ねながら、石畳の道を何度も往復する。

 おかげでネアは王都の地理を、より正確には狩猟祭の舞台を、少しずつ自分のものにしつつあった。

 

 ◇◇◇

 

 ある日の午後。

 人気のない小さな路地を通り抜けようとした時、不意に背後から声がかかった。

 

 「──あなたも狩猟祭に出るのかしら?」

 

 振り返ると、そこに立っていたのはフードを目深にかぶった女性だった。

 年の頃は二十代半ばほど。

 薄い唇に浮かんだ微笑みはどこか柔らかいが、その目の奥には冷たい光が潜んでいる。

 

 「……そう、いい顔をしているわ。まだ伸び代がある。力があれば、きっと大きな注目を集められる」

 

 女性はゆっくりと歩み寄り、ささやくように続けた。

 

 「ねえ、力が欲しいでしょ? 簡単な方法があるのよ。魔神に祈りを捧げれば、誰にでも力は与えられる。あなたのような若い子なら、なおさらね」

 

 ──魔神教。

 その響きを悟った瞬間、ネアは無意識に剣の柄に触れる。

 横に立つレセルがわずかに震え、低く警戒の声を耳に落とす。

 

 「深入りしないで。罠よ」

 

 けれど、ネアは一歩も引かなかった。

 逆に、女性の瞳を見据えて問いかける。

 

 「……まだ王都に、魔神教の人はたくさんいるの?」

 

 その瞬間、女性の表情がわずかに変わった。

 微笑みはそのままなのに、瞳だけが鋭く細められる。

 

 「……ふふ。子どもにしては、妙に勘がいいのね。それとも、あの騒ぎの当事者だったりするのかしら?」

 

 声色が、ほんの少しだけ低くなった。

 路地にひんやりとした空気が漂い始める。

 女性は薄く笑ったまま、静かに首を横に振った。

 

 「……残念なことに、そんなに多くはないわ。表立って動けば、女神教にすぐ目をつけられるから。今はわずかな者が潜んでいるだけ」

 

 その答えに、ネアはほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 けれど、すぐに小さな苦笑を浮かべてみせる。

 

 「興味はあるけど、女神教に目をつけられそうだからちょっと。私は遠慮しておきます」

 

 拒絶の言葉を柔らかく包んで返す。

 女性は観察するようにネアを見つめた。

 沈黙のあと、ネアは一歩踏み込むように問いかける。

 

 「……あなたは、どっちなんですか?」

 「どういう意味かしら?」

 「魔神を本気で復活させようとする人? それとも……ただ力が欲しいだけだから入ってる人?」

 

 その言葉に、女性の笑みがぴたりと止まった。

 路地に、重い沈黙が落ちる。

 しばしの間、彼女はネアをじっと見据えたまま動かなかった。

 やがて、口元に再び笑みを浮かべる。

 だが、それは最初の柔らかなものではなく、どこか冷たく張り付いたような笑みだった。

 

 「……ずいぶん危ない質問をするのね、あなた」

 

 声がひんやりと低くなり、フードの奥の瞳がさらに細められる。

 

 「魔神教のこと、あまり知らないから」

 

 ネアが正直にそう答えると、女性はふっと口元を緩め、くすくすと笑った。

 

 「そうでしょうね。女神教が広めているのは“光と闇の二柱”だけだから。……なら、簡単に教えてあげる」

 

 声色が柔らかくなり、まるで子どもに物語を聞かせるような調子で続ける。

 

 「この世界を形作ったのは、光と闇だけじゃない。均衡を保つ“対”の存在として、魔神がいるの。光があるから影が生まれるように、女神と魔神は切り離せない関係なのよ」

 

 フードの奥から覗く瞳が、じわりと熱を帯びる。

 

 「女神が与えるのは秩序と束縛。死後の選択すら“光か闇か”で縛りつける。だけど魔神は違う。欲望も怒りも憎しみも──すべてを力に変える。……ねえ、どちらが本当の自由だと思う?」

 

 女性の言葉は、甘く誘うように響いた。

 ネアは唇を引き結び、黙って耳を傾ける。

 

 「……危ないわよ。耳を貸すべきじゃない」

 

 レセルは小さく注意するも、ネアはそれに頷かない。

 

 「……でも」

 

 少しばかり首をかしげて、率直な疑問を口にした。

 

 「女神は光と闇の二柱なのに、どうして魔神は一人だけなの? それで“対”になるの?」

 

 女性は一瞬だけ黙り、やがて楽しげに口元を歪めた。

 

 「鋭いわね」

 

 くすくすと笑い、声を潜めて続ける。

 

 「女神が光と闇に分かたれたのは、人が理解しやすいように姿を変えたからだと私たちは教わっているわ。秩序と安寧を象徴する光、休息と終わりを象徴する闇。二つに分けて見せかけた“演出”よ」

 「……見せかけ?」

 「ええ。対して、魔神はただ一柱。欲望も破壊も創造も──すべてを一身に抱く存在。分ける必要がないから分かれない。ただ一人で、すべてを包み込むからこそ“対”たり得るの」

 

 淡々と語るその声音には、奇妙な熱が混じっていた。

 聞いているだけで、背筋に薄い寒気が走る。

 

 「詭弁だわ」

 

 レセルの声が、いつもより硬く鋭い。

 けれどネアはすぐには返事せず、女性の瞳を見据えたまま黙り込む。

 それからしばし考え、口を開いた。

 

 「……女神教の教会で、教えを聞いてみてもいい? あなたが言ったことと比べて、どっちが正しいのか確かめたい」

 

 女性はわずかに目を細め、ふっと微笑んだ。

 

 「ええ、もちろん。むしろ歓迎するわ。女神教の語る“光と闇の物語”は、子守唄みたいに耳障りがいいから」

 

 喉の奥で笑い、わずかに首をかしげる。

 

 「でもね……耳に心地よいものほど、真実から遠ざかるものよ。人は甘い言葉にすがりたいから」

 

 その言いぶりは、あくまで余裕に満ちていた。

 けれどその笑みの奥には、かすかな棘が潜んでいる。

 

 「……これ以上は危ない。ここで引きなさい」

 

 レセルが低い声で警告する。

 ネアは小さく頷き、女性に一礼した。

 

 「ありがとう。……でも私は、自分の目と耳で確かめるから」

 「すべては、力を欲する者の自由。それを私は妨げない。ふふふ」

 

 女性は意味深に笑ったままフードを深くかぶり、石畳の路地に紛れるように去っていった

 フードの女性が去ったあとも、ネアの胸には薄いざわめきが残っていた。

 石畳を歩いていると、隣からレセルの声がそっと届く。

 

 「少しとはいえ魔神教は潜んでいた。放っておける話じゃないわ」

 「……そうだね」

 

 ネアは小さく答え、しばらく考え込んだ。

 

 「ユニスに話した方がいいかな?」

 「それが一番安全ね。彼女なら冷静に判断するだろうし」

 「でも……バゼムには?」

 

 その名を口にした瞬間、レセルがかすかに震えた。驚きと警戒が混ざった様子で。

 

 「あの男に知らせる? もちろん、彼も動くだろうけど……利用される可能性が高い。あなたを“駒”として扱うために」

 「やっぱり、そう思う?」

 「ええ。だから、もし伝えるならユニスだけにした方がいい。もちろん、こっそりとだけど」

 

 ネアは足を止め、深く息を吐いた。

 ユニスは信じられる。バゼムに比べればよっぽど。

 けれど、あの女性が言っていた“力を欲する者の自由”という言葉が、妙に耳に残っていた。

 

 「……伝えるにしても、私もちゃんと知っておきたい。女神教の教えと、魔神教の言い分を比べて」

 「わかったわ。なら一緒に確かめましょう。……でも約束して。あの連中に深入りはしないって」

 

 レセルの声は、ほんの少しだけ震えていた。

 ネアはその優しい警戒に頷き、そっと手を添えた。

 

 「うん。約束する」

 

 ──魔神教の影は、まだ王都に残っている。

 その不穏な事実を胸に刻みつつ、ネアは歩く。

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