愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり 作:パッタリ
石畳を踏みしめて鍛冶屋へ向かう。
通りには朝市の屋台が並び、食欲を刺激する香りが漂い、ついそちらに向かいそうになる。
ネアは背中の包みを軽く叩きながら、少し浮き足立っていた。
今日は、注文していた鞘の受け取り日だ。
鍛冶屋の店先では、分厚い腕をした店主が炉の火を弄っている最中だった。
「おお、来たな。ほら、出来とるぞ」
差し出されたのは、黒革と金具で作られた立派な鞘。
口金には簡素な彫り込みがあり、全体がしっかりと補強されている。
ネアは布を解き、レセルをそっと抜き出す。
鍛冶屋の視線が剣身をちらりと舐め、職人らしい唸り声を上げた。
「寸法を図った時も思ったが、こいつは……ずいぶん古い剣だ。なのに刃こぼれ一つない。大事にするんだぞ」
「はい」
ネアは頷き、少し離れたところで鞘にレセルを収める。
吸い込まれるようにぴたりと収まり、軽く腰に吊るしてみると、見た目にもぐっと様になった。
『……ふふ、悪くないわ。わたしのために作ったものだと思うと、嬉しくなる』
耳元に甘い声が響く。
レセルはいつもより柔らかい声で、少し照れているようにも聞こえた。
「うん。これでようやく一人前っぽくなったかも」
『そうね。……それに、あなたがわたしを持ち歩く姿が、より絵になるわ』
残りの支払いを済ませ、鍛冶屋をあとにする。
腰に下がる鞘が歩くたびに揺れ、金具が小さく鳴った。
通りの人々の視線が一瞬だけ腰の剣に向かうと、ネアは少し背筋を伸ばし、胸を張る。
「さて、このあとどうする?」
『昼前に戻れば、宿で少し休めるわ。ただ……』
「ただ?」
『新しい鞘のお披露目に、人通りの少ない道をただ歩くのはちょっと退屈ね。どうせ人の少ないところを歩くなら、裏通りでも回って、珍しい店を探してみない?』
「まあ、いいんじゃない」
『そこは元気に頷いてほしいのだけれど?』
「えー、そう言われても困る」
軽口を叩き合いながら、ネアは人混みを避け、裏通りへと足を向けた。
「近くに露店とかは……」
人通りがまばらな裏通りを歩いていると、遠くから怒号と金属のぶつかる音が響いてきた。
ネアは足を止め、音のする方へ視線を向ける。
路地の奥で、数人の人々が慌ただしく叫びながら駆け回っているのが見えた。
「……何かあった?」
『これは……金属の檻が破損したような音ね。何かが逃げ出したのかも』
角を曲がると、そこは商団の荷馬車が並ぶ裏の搬入口だった。
鎖が外れた鉄製の檻が地面に転がり、木箱や麻袋が散乱している。
その近くでは、毛並みの荒い四足の獣らしき存在が背を丸め、唸り声を上げていた。
「グルルルル……!」
獅子や熊が混ざったような外見をしていて、瞳は赤く濁り、涎を垂らしながら地面を掻きむしっている。
背丈は人間の大人ほどもあり、明らかに普通の野生動物ではない。
『いくつもの動物が混ざったような姿……あれは魔物よ。どこかで捕まえてきたみたいね。しかも、相当荒れてる』
「どうしてこんな街中で……」
『あの商団が運び込んだ、密輸品の一部でしょう。檻が壊れたのは事故か、それとも』
その時、荷馬車の影から二つの影が現れた。
革鎧を着た細身の男性と、短髪で軽装の女性。
二人とも二十代半ばほどで、息を潜めるように馬車の積み荷へ近づいていく。
「盗むの、やめた方がいいんじゃない?」
「おいおい、こんな美味しい事故、見逃すわけにゃいかねえだろ」
「はぁ……兄貴、急いでよ。街の衛兵や商団の護衛が来る前に」
「わーってるって。お、こっちは高く売れそうな品物が──」
しかし、男性が箱に手をかけた瞬間、ガタッと小さな音が鳴り、魔物の耳がぴくりと動いた。
唸り声が一段と深くなり、魔物は荷馬車を回り込んで兄妹に向かって突進していく。
「やべやべやべ、ミスった!」
「兄貴さあ……何やってんの!」
慌てて飛び退く二人。しかし、魔物は止まらず、鋭い爪で木箱を粉砕しながら距離を詰めてくる。
その迫力に、周囲の商団員は恐怖に凍りつき、誰も手を出せない。
「そこの嬢ちゃん、どいてくれ! というか逃げろ!」
『……ネア、どうする?』
「戦わないと誰か死ぬかも」
『そうね。でも今回は、あなたが自分の力でやってみなさい。あの兄妹、少しは戦えるみたいだし』
「えっ?」
『危なくなれば、わたしが代わりに動く。だから……信じてやってみなさい』
ネアは息を吸い込み、腰の鞘からレセルを抜いた。
刃が光を反射し、空気がわずかに震える。
「私が経験を積むために?」
『ええ。わたしという剣の使い手として、あなた自身の実力を高めるのは大事でしょう? ほら……もう来るわ』
次の瞬間、魔物が咆哮を上げ、一気に飛びかかってきた。
魔物が迫る瞬間、ネアは地面を蹴り、横に飛んで爪を避けた。風圧だけで頬が切れ、鈍い痛みが走る。
同時に、兄妹の妹の方が短剣を抜き、魔物の横腹を狙って突き込んだ。
金属が肉に沈み、黒い血が飛び散る。
「くそっ、硬い!」
「後ろに回れ!」
兄は叫ぶと同時に、腰から投げ縄を取り出して魔物の首に引っかけようとする。
だが、魔物は素早く首を振って縄を弾き飛ばした。
『魔物の注意が逸れた。足元を狙って。そう簡単には避けられないから』
「わかった!」
ネアは足首を狙って低く踏み込み、レセルを振り抜いた。
肉を斬り、刃が骨に触れ、魔物が苦痛の唸りを上げる。
「ガアァッッ!!」
隙を突いて、兄妹が左右から攻め込む。
妹は鋭く刃を振るい、兄は短い槍で突きを連続して放った。
三人の連携が少しずつ形になり、獅子や熊が混ざったような魔物は、後退を余儀なくされる。
だが、次の瞬間、太く頑丈な前足が地面を叩き、石片が飛び散った。
その破片がネアの脇腹をかすめ、息が詰まる。
『まだ平気? そろそろ代わる?』
「……大丈夫!」
痛みを押し殺し、ネアは再び構えを取る。
「兄貴、正面抑えて! 一秒か二秒でいいから!」
「あれを止めろってか!? ああくそっ、任せろ!」
盗人兄妹の兄が落ちている盾を拾って突進を受け止める間に、ネアと妹が左右から同時に斬りかかった。刃が深く入り、魔物が悲鳴を上げてよろめく。
『今よ、仕留めて!』
ネアは渾身の力でレセルを振り下ろし、毛皮に守られた首筋を断ち切った。
重い音を立てて魔物は崩れ落ち、黒い血が石畳を染める。
短い沈黙のあと、妹が肩で息をしながら笑った。
「やるじゃん、あんた」
「……そっちこそ」
兄は槍を引き抜きながら、苦笑いで頭をかいた。
「いやー、ちょっと積み荷を覗いただけなんだが……まさか魔物に絡まれるとはな」
「兄貴さあ……だから言ったじゃん、こういう時は慎重にって」
そのやり取りに、ネアは思わず口元を緩めた。
ただの厄介な盗人かと思えば、意外にも頼りになる戦力だったらしい。
「──あらあら。ずいぶん派手にやってくれたわねぇ」
息を整える間もなく、背後から落ち着いた女性の声が響いた。
振り向くと、豪奢な緋色のドレスをまとった妙齢の女性が、数人の屈強な護衛を従えて立っていた。
黒髪を高く結い上げ、金の耳飾りが陽光を反射する。
商団の幹部に違いないその女性は、足元にいる魔物の死骸を一瞥すると、ゆっくりと微笑んだ。
「三人のうち、二人ほど混乱に乗じる不届き者がいたけど、おかげで死者は出ず、被害は最小限で済んだ。……助かった、と言っておくべきかしら」
「別にお礼はいらないです。偶然居合わせただけで」
そう答えるネアに、女性は小さく肩をすくめる。
「偶然、ね。まあ、理由はどうあれ……こういうことはあまり表沙汰にしない方がいい。そうでしょう?」
その場に控えていた護衛が、ずしりと重い袋を差し出す。硬貨の鈍い音が耳に届いた。
「これは、あなたたち三人に対する“感謝の気持ち”よ。……ついでに忠告。ここで見たことや聞いたことを、他の誰かに言いふらしたりしないこと」
その声色は優しく、笑顔のままなのに、どこか背筋を冷やすような圧があった。
感謝の気持ちというのは表向きだけ。
実際には口止め以外の何物でもない。
兄妹は顔を見合わせ、兄が先に袋を受け取る。
「へいへい、わかってますよ。な?」
「うん。お金持ちを敵に回すことはしない。……情けないけど」
妹は口を尖らせつつも、視線を逸らす。
ネアは袋を受け取らずに、じっと女性を見返した。
「あら、どうしたの? おちびちゃん」
「事故を見てる人はそこそこいます」
「あなたが心配することではないわ。死者が出なかったから、街を黙らせることは簡単。……口が軽い者を永遠に黙らせることも、ね」
少しだけ、幹部である女性の視線が鋭くなる。
『……ここは受け取っておきなさい。いらない敵を作るより賢いわ』
レセルのささやきにネアは小さくため息をつき、お金の詰まった袋を手に取った。
それを確認した女性は満足げに頷くと、護衛を伴い、この場から去っていく。
「なあ、嬢ちゃん」
その時、声をかけられ、気安く肩を叩かれる。
「はい?」
「さっきは助かった。小柄なのに結構やるじゃねえか」
「兄貴がもっと慎重だったらこんな苦労はなかったのに」
「う、うるせー」
長居はせずに別れると、ネアは人気のない路地へと入った。
『……面白い、いえ、愉快な人たちね』
「事故に便乗して盗もうとしてた盗人でしょ?」
『でも、腕は悪くない。ああいう者は使い道がある』
ネアは遠くにある兄妹の背中を見ながら、無意識に袋を握りしめた。
この街で何が動いているのか、ますますわからなくなっていく。
そしてそれが、きっと自分の身にも関わってくる。そんな予感が、胸をかすめた。