愛が重すぎる魔剣の主となった、生贄少女の成り上がり 作:パッタリ
整備された街道を、二頭立ての馬車がゆっくりと進む。
城壁を抜けてからしばらくは農地や牧草地が広がっていたが、今は道の両脇に背の高い木々が連なり、街の喧騒はもう遠い。
「……もう戻れないんだね」
荷台の端に腰を下ろしたネアが、遠ざかる街を振り返りながら呟く。
馬車を操る御者台にはカイランが座り、その隣では妹のリサナが膝を抱えていた。
「怖気づいたか?」
カイランが笑い混じりに言葉を投げる。
「別に。ちょっと実感が湧いただけ」
「まあ、街を出りゃ誰だってそうだ。例え帰る場所があってもな」
軽口を叩きながらも、手綱を操る仕草は慣れていて無駄がない。
ネアは近くの幌を見やり、その次はぎっしり詰まった荷物へ目をやった。
木箱、袋、見慣れない道具のようなもの。
ただの盗人兄妹にしては持ちすぎな荷物。
『……油断しちゃダメよ』
背中に隠したレセルの声が、ひときわ低く響く。
ネアは小さく頷き、聞こえないふりをして荷台に座り直した。
街道は予想以上に静かだった。
時々、行き交う旅人の一団や馬車などもあったが、数は少なく、誰もが急ぎ足で通り過ぎていく。
「王都までは、三日って言ってたよね」
ネアが尋ねると、御者台のカイランが頷く。
「ああ。道中に村や宿場もあるが、泊まるかどうかは荷物と馬の調子次第だな。あとは天候もか」
「馬車の旅って、思ったより大変そう」
「ま、のんびり構えときゃいいさ。大変なのは馬と俺だ」
リサナが横目で兄を睨み、ぼそりと呟く。
「はいはい、兄貴は口だけは軽いんだから」
そのやり取りに、ネアは思わず笑みをこぼした。
少しだけ緊張が解けていく。
初めての旅路は、まだ始まったばかり。
◇◇◇
昼を少し過ぎた頃。
馬車は森の中へ入り、木陰が濃くなった。
鳥の声も減り、どこか張り詰めた空気が漂い始める。
「……静かすぎる」
御者台のカイランは呟き、手綱を握る手を強める。
リサナも眉をひそめ、荷台の後ろへ目をやった。
ガサッ、と茂みが揺れる。
次の瞬間、大きな獣が飛び出してきた。
それは灰色の毛並みに長い牙を持つ、オオカミのような魔物。
「グルルルル……!」
馬がいななき、馬車が揺れる。
ネアは反射的に剣に手を伸ばしたが、それより先にカイランが叫んだ。
「リサナ、クロスボウだ!」
「わかってる!」
リサナが荷の隅から素早くクロスボウを引き出し、矢と一緒に兄へ手渡す。
カイランは御者台に立ち上がり、魔物へ狙いを定めた。
──シュッ。
矢が放たれ、魔物の肩へ突き刺さる。
しかし、ネアの目を驚かせたのは矢そのものだった。
命中した矢はすぐ崩れていき、土色の欠片となっていく。
「え……土?」
魔物が怯んだ隙に、カイランがもう一本、指先で空をなぞるようにして矢を作り出す。
手に集まった土がみるみる細長く伸び、あっという間に矢の形となった。
それをクロスボウへ装填し、再び射抜く。
今度は首元に命中。
魔物は悲鳴を上げ、森の奥へと逃げ去った。
「ふう……こいつは牙の鋭い魔物のようだが、数は少なそうで助かった」
カイランが息を吐き、クロスボウを肩に担ぐ。
荷台にいるネアは、驚きに目を丸くしていた。
「今の……魔法?」
「おう。俺の魔法は“土を好きな形に変える”ってやつだ。便利だろ? ま、大きさや時間とかに制限あるんだが」
土の欠片が矢の残骸となって地面に散らばっている。
それは普通の矢とは違い、形を保てなくなれば土へ戻ってしまうようだった。
「さて、早めに出ないとな。俺たちが魔物を相手にしても金にならねえ」
森を抜けた街道に再び陽が差し込み、馬車はのんびりと進み始めた。
その段階になってようやく、カイランはクロスボウを荷へ戻し、御者台で軽く伸びをする。
「ところでどうだ、俺の魔法。ちょっとカッコよかったろ?」
「え、いやまあ……便利だとは思う」
突然質問を振られてネアは苦笑しつつも、土から矢を作り出す様子を思い返していた。
必要な時に必要な道具を用意できるのは、耐久性に問題があるとしても、かなり便利。
「でも、形を維持できるのは長くて数分だからな。そこまで頑丈じゃないから崩れやすいし、使い方を考えないと大した武器にはならない」
そう言いながら、カイランは肩をすくめる。
「兄貴のは応用力があるからまだマシ。あたしの魔法は、使いどころが限られてる」
リサナはそう言うと手をかざし、指先に小さな火を灯した。
ほんの数秒、ろうそく程度の火が揺らめき、すぐに消える。
「火起こしくらいには使えるけど、戦闘じゃ役に立たない。火の出る時間がもう少し長ければ別なんだけど」
「でも便利だよ。野営の時とか、灯りとか」
ネアが慌ててフォローすると、リサナは少し目を細め、わずかに微笑んだ。
「で、嬢ちゃんは?」
カイランが振り返り、にやりと笑う。
次はそっちの番だ、とでも言いたげな様子で。
「誰もが生まれつき持つ魔法。その内容を一人だけまだ言ってないだろ?」
「そんな大したものじゃないよ。……私は、水を弾くだけ」
「へえ? 水を弾く?」
「うん。水滴とか雨を避けられる。それだけ」
リサナが少し考えるように言葉を探し、やがて小さく頷いた。
「でも、旅じゃ便利だと思う。濡れないって、意外と助かるよ」
「そうそう。ずぶ濡れになって風邪ひくよりはマシだ」
カイランも笑って頷く。
三人の会話が続くうちに、馬車の上は不思議な温かさに包まれていった。
誰もが生まれつき一つだけ持つ魔法。
それは人によっては戦う力となり、あるいは生活の中で少しばかり役立つ。
『……魔法には個人差がある。けれど、魔法だけが全部じゃない』
鞘の中からレセルの声が不意に届く。
ネアは思わず返事をしかけたが、すぐに続く言葉で口をつぐむ。
『今は黙ってて。怪しまれると厄介よ。人の姿になってないわたしの声は、他人には聞こえないんだから』
レセルという魔剣の声は、ネアにしか届かない。
カイランもリサナも、彼女の声など聞こえていない様子で、街道の先を眺めていた。
ネアは小さく息を吐き、荷台の板に背を預けた。
自分だけが聞くことのできる声と、隣で笑う兄妹。
その間にある見えない境界を、初めて強く意識した瞬間だった。
「おい、あれを見ろ」
しばらくすると、御者台のカイランが街道脇を指差す。
背の高い草の奥、苔むした石の根元に、わかりにくいが一本の短剣が突き刺さっていた。
刃は鈍く光を反射し、柄は半ば土に埋もれているのに、なぜか錆びていない。
「……ただの剣には見えないな」
カイランは馬車を止め、近づいていく。
「魔剣かもしれん。抜けたら儲けもんだ」
深呼吸のあと柄を握り、力を込めた。
だが、短剣はびくともしない。
「ちっ、ダメか……。リサナ、お前も試せ」
「えー、やだよ、こういうの気味悪い」
兄に促され妹であるリサナは渋々引き抜こうとするも、やはり抜けなかった。
「……私もちょっと試したい」
「おう、いけいけ」
ネアはレセルが収まった腰の鞘を外し、近くに置いて短剣へ手を伸ばした。
柄は冷たく、妙に重い。
全身で力を込めても、まるで大地と一体になっているかのように動かない。
「うーん、やっぱりダメか……」
「まあ、こればかりはな。だから、あの商団みたいに、魔剣を売ってくれるところは需要があるわけだ」
「兄貴、早く馬車に戻るよ。魔剣を引き抜こうとする者を狙った泥棒がいないとも限らない」
馬車に戻ろうとしたその瞬間、鞘の中からレセルの声が響いた。
『──ネア。そんなものに触れる必要はないわ』
声は普段より低く、わずかに嫉妬の色が混じっている。
『あれは、使い手の資格がなければ決して抜けない。魔剣の中には、人の手を渡り歩いて使い手を探すものもいれば、意地でもそこから動かない頑固者もいるの。……わたしは前者で、あの剣は後者ね。どれだけでも待ち続ける気なんでしょう』
ネアは思わず短剣の方を振り返る。
草に半ば埋もれたそれは、寂しげに沈黙を保っていた。
レセルが小さくため息をつく。
『いいこと? わたしがいるのに、他の魔剣なんかに構う必要はないの。……わかるわよね?』
ネアは苦笑しつつ立ち上がり、レセルの収まった鞘を拾い上げ、軽く引き抜く。
その刃は、短剣とは違って温かい光を宿しているように感じられた。
「……うん。わかってるよ」
馬車は再び街道を進み始める。
草むらに残された短剣は、誰にも抜かれぬまま、静かにそこに存在し続けていた。