魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜   作:ろくさん

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今のご時世、魔法少女もおカネにシビアじゃないとね。


プロローグ

プロローグ

 

夕暮れのスーパーマーケット。

ひんやりとした空気が、無数の冷蔵ケースから絶え間なく吐き出され、羽川みりあの制服の袖口から忍び込んでくる。均一な白色で商品を照らし出す天井の蛍光灯は、どこか無機質で、世界の全てに値段がついているのだと、静かに語りかけてくるようだった。

 

「――豚コマ切れ肉、30%オフ…よしっ」

 

買い物カゴのプラスチックの持ち手を、きゅっと強く握りしめる。みりあは、まるで百戦錬磨の狩人のように、目の前の獲物――もとい、特売品――を睨みつけた。

ラップの上に貼られた、血のように鮮やかな赤色のシール。その上に、黒々と太いゴシック体で印字された『30% OFF』の文字は、今の彼女にとって、どんな宝石よりも魅力的な輝きを放っていた。今日の夕飯は、これともやしで野菜炒めに決まりだ。カゴの中にはすでに、見切り品ワゴンの主であったキャベツ半玉と、本日の目玉商品である一袋30円のもやしが三袋、鎮座している。

 

(よし、これで今週も乗り切れる…はず)

 

レジへ向かう途中、ふと、色とりどりのパッケージが並ぶ製菓コーナーが目に入った。新発売の、苺とピスタチオのチョコレート菓子。キラキラしたホログラム加工が施された箱が、まるで「買って」と、みりあを誘惑している。クラスメイトの間では、発売と同時に「めっちゃ美味しい」と評判になっていた。

友達が、スマホで撮ったその菓子の写真を、楽しそうに見せ合っていた昼休みの光景が、脳裏をよぎる。

 

(…だめだめ、贅沢は敵!)

 

ブルブルと、犬のように頭を振って邪念を追い払う。みりあは、長年使い込んで、角が擦り切れて丸くなった、古びたがま口財布を取り出した。パチン、と乾いた音を立てて開いたその中には、数枚の千円札と、なけなしの小銭たち。今日の夕飯代を引いた残高を脳内で素早く計算し、小さく、本当に小さく、ため息をつく。

 

「あぅあぅぁ〜…」

 

いつもの口癖が、無意識に漏れた。

父さんの会社が倒産してから、羽川家の家計は、常に燃え盛る火の車だ。優しいお母さんは、無理してパートの時間を増やし、その目元にはいつも、隠しきれない疲れの色が浮かんでいる。お父さんも、病身を押して、必死で次の仕事を探している。二人に心配をかけたくない。その一心で、みりあも学校と、本当は続けたかった部活の合間を縫って、必死にアルバイトをしている。

 

(もっとお金があれば…お母さんに楽をさせてあげられるのに。お父さんだって、あんなに思い詰めた顔をしなくて済むのに)

 

お金が全てじゃない、なんて、きっと、お金に困ったことのない人間の言う綺麗事だ。

お金がないと、好きなものも我慢しなくちゃいけない。お金がないと、大好きな家族が、悲しい顔をする。

その、あまりにも単純で、残酷な現実を、彼女はもう、嫌というほど知っていた。

 

スーパーの自動ドアを抜けると、むわりとした生温かい夜気と、排気ガスの匂いが、みりあを包んだ。

夕焼けの最後の名残である茜色と、商店街のネオンサインのけばけばしい光が混じり合う、曖昧な時間の空の下。そこに、太陽みたいな笑顔が、ぽつんと立っていた。

 

「おつかれ、みりあ! 今日のバイトも一緒だね!」

親友の、雪代まりんだった。

ふわふわとした栗色のショートボブが、風に優しく揺れている。制服のリボンは、少しだけふっくらと結ばれていて、彼女らしい、ささやかなお洒落が施されていた。

 

「うん。まりんこそ、お母さんのお手伝い、毎日えらいよ」

「えへへ、好きでやってるからね! それより見て、商店街の福引でジュース当たっちゃった! オレンジ味とブドウ味、どっちがいい?」

 

屈託なく笑うまりんは、本当に太陽みたいだ。貧しいのは同じはずなのに、彼女はいつも、まるで宝探しでもするかのように、楽しそうに節約生活を送っている。その底抜けの明るさに救われる一方で、みりあの心は、少しだけ、チクリと痛んだ。

 

「…じゃあ、ブドウ味」

「はい、どうぞ! 半分こしよ!」

 

差し出された缶ジュースを受け取った、その時だった。

道の向こう側、雑居ビルの影が、不自然に、まるで陽炎のように、ぐにゃりと揺らめいたのを、みりあは見た。一瞬だけ、誰かの、深く、疲れたため息が、黒いモヤとなってフワリと立ち上ったような、そんな気がした。

 

「…? どうしたの、みりあ? ぼーっとして」

「ううん、なんでもない…」

 

気のせいだろうか。

みりあは、首を横に振ると、ぬるくなった缶ジュースのプルタブに、そっと指をかけた。

気のせいだろうか。

みりあは、首を横に振ると、ぬるくなった缶ジュースのプルタブに、そっと指をかけた。

バイト先へと急ぐ道すがら、賑やかな商店街の光を背に、二人は人通りの少ない裏路地へと入っていく。ラーメン屋の換気扇から漏れる豚骨の匂いと、パチンコ屋のけたたましいファンファーレが、少しずつ遠ざかっていく。

 

その時だった。

「…ぅ…」

暗がりの中から、か細い、呻き声が聞こえたのは。

それは、まるで、魂が抜け落ちていく時のかすかな音のようだった。

 

「…今の、なに?」

「え? 何か聞こえた?」

まりんは、きょとんと首を傾げる。彼女の耳には、届かなかったらしい。

だが、みりあの耳には、はっきりと聞こえていた。助けを求める、最後の悲鳴が。

彼女は、ジュースをまりんに押し付けると、音のした方へと、恐る恐る足を向けた。

 

そこは、古い雑居ビルと駐車場の壁に挟まれた、ゴミ捨て場のようになってしまった路地裏だった。湿ったコンクリートと、生ゴミの腐敗臭が、鼻をつく。積み上げられた黒いゴミ袋の山、壁に殴り書きされた意味不明のグラフィティ、そして、割れた酒瓶の破片が、街灯の頼りない光を鈍く反射していた。

その、世界の掃き溜めのような場所に、それはいた。

 

壁にもたれかかるようにして、一人のサラリーマンが、ぐったりと座り込んでいる。着古した安物のスーツは汚れ、傍らには、中身が散乱したビジネスバッグが、口を開けて転がっていた。その顔は、まるで蝋人形のように生気がなく、色を失った灰色の瞳が、虚空を見つめている。

そして、その男の傍らで。

ズルズル、と音を立てて、黒い泥のような**『何か』**が、蠢いていた。

それは、まだ、明確な形を持っていない。人の形をした、黒い染み。顔があるべき場所には、ただ、ぽっかりと穴が空いており、そこから、男の魂の色を、瞳の輝きを、生きる気力そのものを、まるでストローで吸うかのように、吸い上げていた。

プアーズの、なりかけだった。

 

(なに、あれ…っ!?)

 

全身の血が、凍りついた。

足が、まるでコンクリートで固められたかのように、動かない。逃げなきゃ。見てはいけない。本能が、全身で警鐘を鳴らしている。

でも。

あの人を、放っておけない。

みりあは、咄嗟に制服のポケットからスマホを握りしめ、警察に電話をしようと、震える親指を画面に滑らせた。その、110という数字をタップしようとした、瞬間。

 

カチリ。

 

世界から、音が消えた。

吹き抜けていたはずの風が止み、遠くで聞こえていたはずのパトカーのサイレンが途絶え、瞬いていたネオンサインの光が、空中で静止する。世界が、一枚の、色褪せた写真になった。

 

「――そこまでだ」

 

凛とした、しかし体温を全く感じさせない声が、静寂を切り裂いた。

気づけば、みりあの隣には、いつの間にか、一人の美しい青年が立っていた。

完璧に仕立てられた、イタリア製の高級そうなスーツ。磨き上げられ、黒い鏡のように夜景を映し込む革靴。月光を浴びて、銀糸のように輝く髪。その、完璧すぎるほどに整った顔に浮かんでいるのは、人間的な温かみなど一切感じさせない、完璧なビジネススマイルだった。ミスター・リッチだ。

 

「羽川みりあ君。君の正義感、リスクを恐れないその行動力。査定させてもらった。なかなか興味深い投資対象だ」

彼は、みりあに微笑みかけると、一枚の電子契約書を、彼女のスマホの画面に、音もなく表示させた。

 

「君には、世界を救う仕事(プロジェクト)への参加資格を与えよう。もちろん、これはビジネスだ。クライアントである君には、成果に応じた相応の対価(報酬)を支払う。契約するかね?」

 

世界を救う? 投資? 報酬…?

混乱するみりあの耳に、彼の最後の言葉が、悪魔の囁きのように、突き刺さる。

 

「――君の望むだけのお金を与える、と言ったら?」

 

お金。

 

その言葉に、脳裏に、愛する家族の顔が、フラッシュバックした。

お金のことで、声を殺して言い争っていた、両親の悲しい背中。

自分のせいで、無理をさせてしまっているという、胸を締め付けるような罪悪感。

もう、あんな顔は、させたくない。

 

みりあは、顔を上げた。その黒い瞳に、決意の光が、強く、強く、宿っていた。

 

「…やります!」

 

それは、祈りであり、呪いであり、そして、一人の少女が、自らの運命に値札を付けた、始まりの合図だった。

こうして、羽川みりあの、お金に縛られ、お金に振り回される、ちょっぴり切実で、壮大な魔法少女の物語が、今、静かに幕を開けた。

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