魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜 作:ろくさん
マギモネータの圧倒的な存在感は、二人の心に濃い影を落としていた。
みりあは、コスト計算と「効率」という言葉に、以前にも増して囚われるようになった。まりんは、るなのやり方への反発からか、「心の価値」をより強く信じようとしていた。
同じ場所で戦いながらも、二人の視線は、微妙に違う方向を向いている。その連携の綻びは、まるで時限爆弾のように、静かに時を刻んでいた。
その夜、プアーズが出現したのは、再開発の波から取り残された、巨大な立体駐車場だった。
コンクリートが剥き出しの壁、等間隔に並ぶ太い柱、そして床に散らばるガラスの破片。全ての音が不気味に反響する、無機質な迷宮。天井の非常灯だけが、薄気味悪い緑色の光で、静まり返った空間を照らしている。
その最上階、月明かりが差し込む吹き抜けのスペースに、それはいた。
これまでのプアーズとは、明らかに格が違う。
売れないバンドマンの夢への嫉妬、リストラされた中年男性の社会への憎悪、恋に破れた少女の自己嫌悪。複数の、種類の違う強力な負の感情が混ざり合い、一つの醜悪な形を成した怪物――『デスペア・キマイラ』。
その身体は、見る角度によって、泣き叫ぶ女の顔にも、怒りに歪む男の顔にも見えた。
「…やるしかない」
「うん…!」
ぎこちない決意と共に、二人は変身する。
だが、キマイラは、これまでの敵のように単調な攻撃はしてこなかった。
嫉妬の感情が、拘束力の高い粘着弾となり、憎悪の感情が、コンクリートの柱をも砕く重い一撃となる。そして、自己嫌悪の感情が、こちらの精神を蝕む悪意の波動を放ってくるのだ。
「きゃっ!」
粘着弾に片足を捕らわれたマギアリエルに、憎悪の鉄拳が迫る。
「させない!」
マギラティオが『コネクト・シールド』を割り込ませ、ギリギリで防ぐ。しかし、その防御の隙を突いて、精神攻撃の波動がマギラティオを襲った。
「――っ!」
一瞬、動きが鈍る。その脳裏に、「本当に自分はみりあの役に立っているのだろうか」という、心の奥底に押し込めていた不安がよぎったのだ。
「まりん!」
マギアリエルが、今度はマギラティオを庇う。
完全に、後手に回っていた。二人の連携は噛み合わず、ただお互いを庇い合い、じりじりと消耗していくだけ。魔法コストだけが、無情に積み重なっていく。
そして、ついに最悪の瞬間が訪れた。
キマイラが、その全ての負の感情を凝縮させた、極太の破壊光線を放ったのだ。
逃げ場はない。二人分の防御魔法を展開するほどの資金も、時間も残されていなかった。
(…ダメだ)
みりあが、死を覚悟して、ぎゅっと目を閉じた、その時。
「――いつまで、そんな非効率な馴れ合いを演じているつもり?」
夜空を切り裂いて、氷のように冷たい声が響いた。
破壊光線の先に、黒紫色の影が舞い降りる。
ピンヒールのロングブーツが、コンクリートの床に、コツン、と冷たい音を立てた。
その背中には、金貨を鎖で繋いだような、みりあのそれとは対照的な、漆黒のマントが揺れている。
「マギ…モネータ…!」
「雑魚が二匹いても、所詮は雑魚。見ているだけで、こちらの投資効率が下がるわ」
女王は、絶望の化身であるキマイラを、まるで路傍の石でも見るかのように一瞥すると、心底うんざりしたように、ため息をついた。
「どきなさい。五分で終わらせる」
マギモネータは、有無を言わせぬ覇気を放ち、単身キマイラへと躍り出た。
その戦い方は、みりあたちのそれとは次元が違った。まるで、精密機械と感情論の戦い。彼女の動きには、恐怖や焦りといった感情のノイズが一切存在しない。ただ、冷徹なまでの最適解を、最短時間で実行していくのみ。
憎悪の感情が生み出した、コンクリートを砕く剛腕の連撃。マギモネータはそれを、バレエダンサーのように軽やかなステップでいなし、最小限の動きで回避していく。回避と同時に、その巨腕を駆け上がり、敵の懐深くに潜り込む。
嫉妬の感情が、拘束力の高い粘着弾を周囲に撒き散らす。しかし、それが放たれるよりも早く、マギモネータは発生源である肩口の泣き顔を、投擲したチャクラムで的確に破壊していた。一切の無駄がない。全ての動きが、敵の機能を停止させるという一点のためだけに、完璧に計算され尽くしていた。
だが、デスペア・キマイラもまた、複数の絶望が融合した、これまでで最強の敵だった。
物理攻撃が通用しないと悟るや、その戦術を切り替える。自己嫌悪の感情が生み出す、指向性を持った精神攻撃の波動。それを、ただ一人、マギモネータだけに集中させたのだ。
「――っ!」
刹那、マギモネータの完璧な動きが、コンマ数秒だけ鈍った。
その鉄の仮面の裏で、どんな悪夢がよぎったのか。それは、誰にも分からない。ただ、ほんの一瞬だけ、彼女のネオンパープルの瞳が、深い苦痛の色に揺らめいたのを、みりあは見逃さなかった。
好機。
その、ほんのわずかな隙を、キマイラは見逃さなかった。
残る全ての負の感情を振り絞り、三人を同時に葬り去ろうと、周囲一帯を巻き込む自爆攻撃の予備動作に入る。
ゴゴゴゴゴゴ…!
コンクリートの床に亀裂が走り、凄まじいエネルギーが、まるでブラックホールのように、怪物の身体の中心に渦を巻いていく。空間そのものが、絶望の重さに軋みを上げていた。
「まずい! 吹き飛ばされる!」
マギラティオが叫ぶ。
絶体絶命。その、時間が引き伸ばされたような感覚の中で、三人の魔法少女は、一瞬だけ、同じものを見た。
それは、あまりにもか細い、勝機という名の蜘蛛の糸。
「まりん、バリア!」
みりあの絶叫が、轟音の中で響いた。
「あの女を、守るの!?」
「いいから、早く!」
親友の、なりふり構わぬ必死の形相。まりんは一瞬ためらう。しかし、その瞳の奥にある覚悟を信じ、最後の力を振り絞った。
「コネクト・シールド!」
桜色の光の盾が、精神攻撃で動きの鈍っているマギモネータの前に、滑り込むように展開される。
その盾が、自爆の衝撃波の第一波を受け、ガラスのように砕け散った、コンマ数秒。
マギアリエルは、自分の全財産を、そして未来を賭ける覚悟で、黄金の光線を放った。
「ペイオフ・ショット!」
だが、その狙いは、敵の中心核ではない。キマイラの巨体が立つ、ひび割れたコンクリートの床、その一点だった。
黄金の光が炸裂し、凄まじい衝撃で床が崩落する。足場を失ったキマイラの巨体が、下の階層へと、無防備な背中を晒しながら落下していく。
「――もらったわ」
落下する絶望の塊。マギモネータが、その一瞬の好機を逃すはずもなかった。
回復した彼女は、自らも奈落へと身を躍らせる。その姿は、獲物を追う、美しき猛禽。
「メレトリクス・ディール!」
黒紫色の閃光が、落下するキマイラの核を、寸分の狂いもなく貫いた。
凄まじい爆音と衝撃。
煙が晴れた後、そこには、巨大なクレーターと化した立体駐車場と、月明かりの下、ボロボロになって佇む三人の魔法少女の姿だけが残されていた。
「…なぜ、私を庇った」
マギモネータが、低い声で問う。その完璧な衣装のあちこちが破れ、白い肌が覗いていた。
「別に…あなたのためじゃない。そうするのが、一番効率的だと思っただけよ」
みりあは、精一杯の強がりで答えた。
「ふん、くだらない」
マギモネータが背を向け、去ろうとする。その時だった。
「待って!」
まりんが、傷ついた身体を引きずりながら、彼女に問いかけた。
「どうして、あなたはそんな戦い方をするの!? 身体を張ってまで、心をすり減らしてまで…どうして、そんなにお金が必要なの!?」
純粋な、あまりにも真っ直ぐな問い。
その言葉にマギモネータの足がぴたりと止まった。
彼女は、ゆっくりと振り返る。そのネオンパープルの瞳には、いつも宿っているはずの冷徹な光はなく、深い底なしの闇が広がっていた。
「…綺麗事ね」
彼女は、吐き捨てるように言った。
「あんたみたいなお花畑の頭じゃ、到底理解できないでしょうね」
そして、彼女は、まるで自分自身に言い聞かせるかのように、ぽつり、ぽつりと、言葉を紡いだ。
「…昔、私にもいたのよ。たった一人だけ、信じられる友達が…」
「…え…」
「そいつが、病気になった。手術すれば助かる、簡単な病気だった。…ただ、金が、なかった」
その声は、乾いていた。感情というものが、全て抜け落ちてしまったかのように。
「私が、汚い仕事をして、必死で金を集めている間に…あいつは死んだわ。金がなかったから、ただ、それだけで」
マギモネータは、自嘲するように、ふっと笑った。
その笑顔は、みりあがこれまで見た、どんな悲しい顔よりも、痛々しく見えた。
「金がなきゃ、親友一人、救えないのよ。…この、クソみたいな世界ではね」
それだけを言い残し、彼女は今度こそ、闇の中へと姿を消した。
後には、ただ、呆然と立ち尽くす二人だけが残された。
まりんは、彼女の悲痛な言葉に、返す言葉を見つけられずにいた。
そして、みりあは――。
(お金で、家族を幸せにしたい…)
その、自分の戦う理由が、ガラガラと音を立てて崩れていくような感覚に、ただ、打ちのめされていた。
お金があっても、守れないものがある。
そして、お金がなかったせいで、守れなかった者がいる。