魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜   作:ろくさん

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第15話 放課後の未完成なスケッチ

 

月曜日の昼休み。

高く、澄み渡った秋の空とは裏腹に、羽川みりあと雪代まりんの周りには、どんよりとした重たい空気が漂っていた。

金網フェンスに背中を預け、屋上の硬いコンクリートの上に並んで座る。手にしたコンビニのメロンパンを、二人とも、まるで味のしない砂を噛むように、ただ黙々と口に運んでいた。

 

「…次のプアーズ、大丈夫かな」

「うん、きっと大丈夫だよ」

 

お互いを気遣う言葉とは裏腹に、その会話は、薄いガラス板を一枚隔てた向こう側から聞こえてくるように、ひどく現実感を欠いていた。

週末の間、二人の頭の中は、数日前に見た、あの光景でいっぱいだったのだ。

廃墟で舞う、孤高の女王。金のために全てを捧げる、その壮絶な覚悟。そして、彼女が吐き出した「金がなきゃ、親友一人救えない」という、血を吐くような魂の絶叫。

 

(あの強さ…あの資金力…)

みりあは、マギモネータの戦い方を、その暴力的なまでの『正しさ』を、忘れようとしても忘れられなかった。自分たちの、ちっぽけな損得勘定など、児戯に等しい。あの冷徹なまでの合理性と、それを可能にする圧倒的な資金力。それこそが、このビジネスの世界における、唯一の正解なのではないか。その考えが、呪いのように彼女の思考を縛っていた。

 

(あの、悲しそうな目…)

まりんは、るなの強さよりも、その根底にある、深い孤独の匂いを、感じ取ってしまっていた。自分の信じる「心の価値」や「絆」という言葉が、彼女の絶望の前では、あまりにも無力で、綺麗事にしか聞こえないのではないか。その無力感が、太陽のような彼女の心を、じわじわと蝕んでいた。

 

二つの、すれ違う葛藤。

その、心ここにあらずの二人の様子を、教室の窓から、一人の生徒が、ぼんやりと見ていた。

クラスメイトの、佐々木彩。美術部に所属する、物静かで、少し儚げな雰囲気の少女だった。

 

放課後、美術室。

西陽が差し込み、イーゼルや石膏像の長い影を床に落としている。油絵の具とテレピン油の、ツンとした独特の匂いが満ちたその空間で、美術部員たちが、来月のコンクールに向けた作品の制作に励んでいた。

中でも、顧問の先生から最も期待を寄せられているのが、彩だった。その繊細な色彩感覚と、的確なデッサン力は、同級生の中でも群を抜いている、はずだった。

 

しかし、今の彼女は、深いスランプの泥沼に足を取られていた。

隣で、一年生の後輩が、何のてらいもなく、楽しそうにキャンバスに色を乗せている。その自由で、生命力に満ちた鮮やかな色彩が、自分の絵から、じわじわと色を奪っていくように感じる。パレットの上で混じり合う自分の絵の具が、全て、濁った灰色に見えた。

 

「佐々木さん、ちょっと迷いがあるかな? もっと大胆に、自分の色をぶつけていいんだよ」

背後からかけられた顧問の優しい励ましの言葉すら、今の彩には、自分の才能の無さを遠回しに指摘されているようにしか聞こえなかった。

(私の色って…何…? 私が描きたいものって、何…?)

彼女は唇を強く噛みしめ、握りしめていた鉛筆を、パキリ、と乾いた音を立てて折ってしまった。

 

部活動が終わり、他の生徒たちが賑やかに帰っていく中、彩は一人だけ美術室に残って、描きかけのキャンバスと向き合っていた。夕闇が、絵の具の匂いに混じり始める。

描けば描くほど、自分の絵が、誰かの模倣品(ニセモノ)に見えてくる。焦りと自己嫌悪が、黒い感情となって胸の中で渦を巻く。

 

「ダメだ…何を描いても、全部、嘘っぱちに見える…」

 

ついに、彼女の中で何かが切れた。

「こんなものっ!」

彩は、近くにあったカッターナイフを手に取ると、自らの作品であるはずのキャンバスを、一直線に、躊躇なく引き裂いた。

 

その、無残な裂け目から、黒い絵の具のような絶望が、どろりと溢れ出した。

それは、床に散らばった描き損じのスケッチや、折れた画材と融合し、ゆっくりと形を成していく。

 

キャンバスの裂け目を歪んだ顔にした、未完成のデッサン人形のようなプアーズ――『ミカンセイ・ノワール』が、静かな美術室に、音もなく、誕生した。

プアーズは、その不気味な腕を掲げると、周囲の美しい絵画から、次々と「色彩」を奪い、美術室をモノクロームの絶望で染め上げていく。

 

「彩ちゃん、先生が職員室で呼んでたよ! 急いで!」

 

まりんの、咄嗟の機転だった。

プアーズは、まだ生みの親である彩を襲うつもりはないのか、ただ、周囲の作品から色を奪うことに夢中になっている。その隙に、まりんは彩の手を引き、部屋の外へと誘導した。

 

「え、あ、でも…」

「いいから、早く!」

彩を廊下へ押し出すと、みりあがすかさず内側から、美術室の引き戸にカチャン、と重い金属音を立てて鍵をかけた。

これで、戦いの舞台は整った。誰にも見られることのない、二人だけの閉鎖空間。夕暮れの赤い光だけが、窓から差し込んでいる。

 

「キャッシュ・コンバート! アーン・アウト!」

「コネクト・ハート! シェイク・アップ!」

 

色彩を失った美術室で、二人の変身の光だけが、悲しいほどに鮮やかに輝く。黄金と白銀のドレス、桜色と純白のドレスが、灰色の世界の中で、まるで最後の希望のように、凛と浮かび上がった。

ミカンセイ・ノワールが、初めてその裂け目の顔を、二人へと向けた。

プアーズが放つ灰色の光線は、物体の「色彩」を奪い、同時に、対象の気力や自信をも削ぎ取っていく、厄介な能力を持っていた。

 

「まりん、援護お願い!」

「うん!」

 

しかし、るなとの一件が、心の棘となって突き刺さっている二人の連携は、どこか、致命的に噛み合わなかった。

みりあは、コストを気にするあまり、一撃の重い魔法を撃つのを躊躇してしまう。

(ここで『ペイオフ・ショット』を使えば、コストは一万円…。でも、もっと安く済ませられるはず…!)

その思考のコンマ数秒のラグが、攻撃の威力を鈍らせる。

 

まりんは、プアーズの奥にいる彩の絶望に同情し、非情な一撃を放つことを、無意識にためらってしまう。

(この子の苦しみを、力でねじ伏せていいの…?)

その慈愛が、光の矢の切っ先を、ほんのわずかに鈍らせる。

 

プアーズは、その隙を的確に突いてきた。

灰色の光線を避けようとしたマギアリエルと、彼女を庇おうとしたマギラティオの動きが、一瞬だけ交錯する。互いの思考が読めず、動きが、ぶつかる。

避けきれなかった光線が、二人の足元を掠めた。

バランスを崩した二人は、もつれ合うようにして、部屋の隅にある、デッサン用の石膏像が並んだ棚に、激しく激突してしまった。

 

ガシャーンッ!

 

凄まじい破壊音。

棚の上に置いてあった、デッサン用の高価な石膏像――古代ギリシャの傑作『ミロのヴィーナス』と、英雄『アリアス』の胸像が、無残にも床に落下し、白い粉塵を上げて砕け散った。

 

 

「「あ…」」

二人の顔から、サッと血の気が引く。

静まり返った美術室に、石膏の白い粉が、雪のように舞い落ちる。

石膏像一体、学校の備品価格で、最低でも数万円。それが、二体。

 

(べ、弁償…!? そんなお金、どこにも…!)

みりあの思考が、恐怖で真っ白になる。父の手術代、家のローン、日々の生活費…。その、現実の重みが、一気に彼女の肩にのしかかる。

その、強烈な金銭への恐怖と絶望を、プアーズは格好の餌として吸収した。

砕けた石膏の破片が、まるで磁石に吸い寄せられるように、ミカンセイ・ノワールの身体に集まっていく。白い鎧のように、その絶望の身体をコーティングし、さらに巨大に、そして凶暴に、その姿を変貌させていった。

 

「こうなったら、やるしかない…! やるしかないのよぉっ!」

半ばパニックに陥ったみりあは、コスト度外視で、自分の持てる最大火力の魔法を生成する。その瞳には、焦りと、恐怖の色が浮かんでいた。

「エンゲージメント・ブレードッ!」

まりんもまた、目の前の絶望を振り払うように、最大出力の防御魔法を展開する。

「コネクト・シールド・マキシマム!」

 

二人の、ヤケクソ気味な全力攻撃。

黄金に輝く札束の剣と、桜色の絆の盾が、凄まじい光と衝撃となって、ミカンセイ・ノワールを、その絶望ごと、完全に浄化した。

 

静寂が戻った、破壊の爪痕だけが生々しい美術室。

後日、砕けた石膏像は「原因不明の老朽化による破損」として処理されたが、みりあたちのスマホには、ミスター・リッチからの、あまりにも非情な通知が届いていた。

 

【プアーズ『ミカンセイ・ノワール』討伐任務報告書】

 

基本報酬: +45,000円

 

魔法消費コスト(過剰分): -65,000円

 

特別ペナルティ(器物損壊・非効率戦闘): -20,000円

 

収支合計: -40,000円

 

「よんまんえんの…あかじ…」

スマホを持つ手が、震える。

頭を抱え、いつもの「あぅあぅぁ〜」すら出てこないみりあの隣で、まりんが、静かに、しかし、強い意志を込めて言った。

 

「…でも、彩ちゃんの心は、守れたよ」

 

その言葉に、みりあは、はっと顔を上げた。

そうだ。お金は失った。でも、一番大切なものは、守れたはずだ。

るなを、「救う」ために。私たちは、もっと強くならなきゃいけない。

お金の面でも、そして、心も。

二人は、砕けた石膏像の残骸が広がる床の上で、改めて、その覚悟を静かに固めるのだった。

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