魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜   作:ろくさん

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第18話 家族のための契約(ディール)

 

「――先週のプアーズ討伐任務報告書、最終収支、プラス18,500円」

 

放課後、みりあの部屋。彼女は、自室の机で愛用の家計簿と『魔法少女 損益分岐点レポート』を広げ、スマホの画面に表示された数字を、満足げに読み上げた。その声には、以前のような切迫感はない。確かな手応えと、かすかな自信が宿っていた。

 

ベッドの上では、まりんが麦茶を飲みながら、嬉しそうに足をぶらぶらさせている。

「やったね! これで三回連続の黒字達成だよ!」

「ええ。まりんの『サンクス・バースト』で敵の動きを鈍らせたタイミングが完璧だった。おかげで私が最小コストの魔法でコアを破壊できた。被弾コストゼロ、器物損壊ゼロ。これが、今回の黒字の最大の勝因よ」

みりあは、まるで経営コンサルタントのように、冷静に分析してみせる。

 

美術室での大赤字以来、二人の戦いは、より慎重に、そして的確になっていた。

みりあは、ただコストを切り詰めるのではなく、まりんの「心の価値」を活かした戦術を、その天才的な計算能力で最適化し始めた。まりんもまた、みりあの的確な指示を信じ、その力を最大限に発揮する。

二人の連携は、ようやく一つの完成形を見つけ、魔法少女としての経営状況は、少しずつ、しかし着実に上向き始めていた。

 

「ちぇっ、最近の戦いは綺麗すぎて面白みに欠けるにゅ」

部屋の隅でポテチを食べていたマギたんが、不満そうに口を挟む。

「もっとハプニングがないと、配信してもスパチャは見込めないのにゅ」

「配信はもうこりごりよ」

みりあは、マギたんをぴしゃりと黙らせると、ペンを走らせていた手を止め、ふぅ、と息をついた。そして、少しだけ、本当に少しだけ、口元を緩ませる。

 

「…よし。今日の夕飯、もやしをもう一袋、追加しましょう」

「え、いいの!?」

「ええ。たまには、必要経費よ」

「やったー! 今日はもやし祭りだね!」

屈託なく笑うまりんを見て、みりあの心も、ぽかぽかと温かくなる。

通帳の残高は、まだ心許ない。けれど、この確かな手応えがあれば、いつかきっと――。

 

その、ささやかな希望の光が、音を立てて消し飛んだのは、秋風が冷たくなってきた、ある日の午後だった。

 

一本の電話。

それは、父が定期検診で訪れていた病院からのものだった。

受話器を置いた母の顔から、血の気が引いている。その震える肩を、みりあは嫌な予感と共に、ただ見つめることしかできなかった。

 

病院の、白い廊下。

消毒液のツンとした匂いが、空気に張り付いている。等間隔で並んだ蛍光灯が、感情のない光で、リノリウムの床を照らしていた。

診察室の扉の前で、母と二人、固いプラスチックの椅子に座って待つ時間は、永遠のように長かった。

 

「――羽川さん、どうぞ」

 

呼ばれて入った診察室で、医師は、レントゲン写真が掲げられたパネルを背に、重い口を開いた。

父の病状が、悪化していること。

このままでは、危険な状態であること。

そして、助かるためには、最新の医療技術を用いた、非常に高額な外科手術が必要であること。

 

その金額を聞いた瞬間、みりあの頭の中は、真っ白になった。

数百万。それは、今の羽川家が、いや、普通の女子中学生がアルバイトと魔法少女の報酬で、どうにかできる額を、遥かに、絶望的に超えていた。

 

帰り道、母は、何も言わなかった。ただ、いつもより深く腰を曲げ、その背中が、ひどく小さく見えた。

家に帰ると、まりんが心配そうな顔で待っていた。事情を話すと、彼女は自分のことのように涙を浮かべ、二人の手を固く握りしめてくれた。

「大丈夫だよ…きっと、何か方法があるはずだから…!」

 

その、まりんの優しさが、今は、痛かった。

綺麗事だ、と思った。友情も、善意も、この、あまりにも巨大な金額の前では、無力だ。

マギモネータの、あの乾いた声が、脳裏に蘇る。

『金がなきゃ、親友一人、救えないのよ』

 

その夜、みりあは自室のベッドで、眠れないまま、ただ天井を見つめていた。

(どうすれば…どうすれば、あんな大金が…)

思考は、暗く、出口のない迷路を彷徨う。

その、絶望の闇の中で、彼女のスマホが、ピロリン、と場違いなほど軽快な音を立てた。

ミスター・リッチからの、ダイレクトメッセージだった。

 

画面に表示されたのは、これまでに見たこともない、禍々しいプアーズの画像。そして、その下に添えられた、悪魔の囁き。

 

『超ハイリスク案件:災害級プアーズ『ギルティ・タイラント』単独討伐』

『成功報酬:3,000,000円』

 

さんびゃくまんえん。

それは、父の手術費用と、ほぼ同額だった。

まるで、みりあの絶望を見透かしたかのような、あまりにもタイミングが良すぎる、悪魔の契約(ディール)。

その数字が、みりあの瞳を、危険な光でギラつかせた。

 

「…やる」

 

みりあの口から、乾いた、決意の声が漏れた。

その隣で、スマホの画面を覗き込んでいたまりんが、悲鳴に近い声を上げる。

 

「みりあちゃん、ダメだよ! そんなの、無茶だよ!」

画面には、『単独討伐』の文字が、血のように赤い色で強調されている。これまでのプアーズとは、危険度が桁違いなのだ。下手をすれば、死ぬ。

 

「無茶じゃない。これしか、ないのよ」

「そんなことない! 他にもきっと…!」

 

その、二人の緊迫したやり取りに、のんきな声が割り込んできた。

「ほにゅ? これはまたとないビッグチャンスだにゅ!」

いつの間にか、みりあの枕元に陣取っていたマギたんが、スマホの画面を覗き込み、キラキラと目を輝かせている。

 

「見てみろにゅ! 成功報酬300万! これぞハイリスク・ハイリターン! まさに、起死回生の一大投資案件だにゅ!」

「投資なんかじゃない! みりあちゃんが死んじゃうかもしれないんだよ!」

まりんが、マギたんに食ってかかる。しかし、ピンクの毛玉は、やれやれといった様子で首を振った。

 

「だから甘いんだにゅ、まりんは。ビジネスに感情論を持ち込むのは三流のやることだにゅ。泣いてお父さんの病気が治るのかにゅ? 治らないのにゅよ」

「なっ…!」

 

マギたんの、あまりにも正論で、あまりにも無慈悲な言葉。それが、みりあの心の最後の閂(かんぬき)を、外してしまった。

 

「まりんには、分からないよ! お金がないせいで、大切な家族が死んじゃうかもしれないっていう、この気持ち…!」

みりあの声が、荒くなる。

 

「わかるよ!」

まりんも、目に涙を浮かべて叫び返した。

「わかるから、言ってるんじゃん! お金のために、みりあちゃんまでいなくなっちゃったら、私はどうすればいいの!? そんなやり方は、絶対に間違ってる!」

 

友情が、初めて正面から激しくぶつかり合う。

しかし、その声は、もうみりあには届いていなかった。

彼女は、スマホの画面に表示された『契約しますか? YES / NO』のボタンを、ただ、一心に見つめていた。

 

(ごめん、まりん)

心の中で、たった一度だけ謝る。

(でも、私は…もう、失いたくないの)

 

ピアノを諦めた、あの日の夜。

お金のことで、声を殺して言い争っていた、両親の悲しい背中。

もう、二度と、あんな顔はさせない。

そのためなら。

 

「私は、家族のためなら、何だってする!」

 

それは、祈りであり、呪いであり、そして、少女がたった一人で背負うことを決めた、悲痛な覚悟の叫びだった。

みりあは、震える指で、『YES』のボタンを、強く、強く、タップした。

 

契約は、成立した。

スマホの画面が、契約完了を示す冷たい光を放ち、決戦の場所と時間を、無慈悲に表示する。

「…みりあちゃん…」

まりんの、すがるような、悲しみに濡れた声。

 

みりあは、一度も親友の方を振り返らなかった。

今、その顔を見てしまえば、きっと、この覚悟が揺らいでしまうから。

彼女は、黙って立ち上がると、静かに部屋を出て行った。

 

パタン、と。

背後で閉ざされたドアの音が、まるで、二人の間にできてしまった、深く、冷たい亀裂の始まりを、告げているようだった。

 

決戦の場所は、満月が冷たく照らす、湾岸のコンビナート地帯。

入り組んだパイプラインが、まるで巨大な獣の肋骨のように、夜空にそのシルエットを浮かび上がらせている。潮風が、鉄の錆びた匂いを運び、どこかの配管から漏れる水蒸気が、白い亡霊のように立ち上っては消えていく。

 

その中央、最も開けた場所で、みりあは、たった一人、静かにその時を待っていた。

潮風が、ダークブラウンの髪を、そっと揺らす。

その瞳には、恐怖も、迷いもなかった。

 

(大丈夫。これは、ビジネス。300万円の、大きな取引)

 

自分にそう、何度も言い聞かせる。

ただ、家族の顔だけを思い浮かべ、彼女は、これから始まる死闘に向けて、自らの財布を、まるで最後の命綱のように、強く、強く、握りしめた。

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