魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜   作:ろくさん

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第20話 赤い血の雨

 

熱い。痛い。苦しい。

五感が、死んでいく。

焦げ付いた鉄の匂いと、自分の血の匂いが混じり合って、思考を麻痺させる。ぼやけた視界に映るのは、灼熱の炎に赤く染められた、巨大な絶望の影。

ギルティ・タイラントが、その半壊した巨体を引きずりながら、ゆっくりと、しかし確実に、こちらへ近づいてくる。

 

(あ…もう、だめだ…)

 

全財産を注ぎ込んだ最後の一撃は、届かなかった。財布の残高はゼロ。もう、指一本動かす魔力も、立ち上がる気力も残ってはいない。

ボロボロに焼け焦げ、無残に引き裂かれた黄金のドレスが、もはや何の価値も持たない残骸のように、熱風に虚しく揺れている。

 

(ごめん…なさい…お父さん…お母さん…)

家族の顔が、脳裏に浮かんで、霞んで消える。

そして、最後に思い浮かんだのは、泣きながら自分を止めようとしてくれた、たった一人の親友の顔だった。

 

(…まりん…)

 

心の中で、その名を呟いた、その瞬間だった。

 

「――みりあちゃんっ!!!!」

 

地獄の轟音を切り裂いて、空から、聞き慣れた、泣き声に濡れた声が降ってきた。

ハッと顔を上げると、夜空を切り裂く一筋の、桜色の流星。

それは、黒い煙と赤い炎しか存在しなかったこの絶望の空間に、あり得ないほどの生命力と温かさを持って、舞い降りてきた。

 

ドンッ! という着地の衝撃と共に、桜色の光が爆ぜる。

その光の中心に立っていたのは、純白と桜色を基調とした、フリルとリボンが舞うドレスを纏った魔法少女――マギラティオだった。

その蜂蜜色の瞳は涙で潤み、いつも浮かべている優しい笑顔は、今は固い決意と悲痛な覚悟に塗り替えられている。彼女の pristine な衣装と、この地獄のような惨状との対比が、あまりにも、あまりにも鮮やかだった。

 

「まり…ん…? どう、して…」

「当たり前でしょ…! 置いていけるわけ、ないじゃない…!」

マギラティオは、タイラントの威嚇も意に介さず、一直線にみりあへと駆け寄る。そして、その傷だらけの身体を、壊れ物を抱きしめるように、優しく、しかし強く、抱きしめた。

 

「ごめん…! ごめんね、みりあちゃん…! 一人にさせて、ごめんね…!」

「ううん…私が、悪い…私が、まりんの言うこと、聞かなかったから…」

温かい光が、みりあの身体を包み込む。それは、まりんの回復魔法。傷口が癒えるよりも早く、凍てついていたみりあの心が、その温もりで、ゆっくりと溶けていくのが分かった。涙が、止めどなく溢れた。

 

二人の再会を、邪魔をするかのように、ギルティ・タイラントの鉄鎖が、唸りを上げて襲いかかる。

しかし、それを阻んだのは、桜色の光で形成された、巨大なドーム状の障壁だった。

「もう、みりあちゃんは、一人じゃない…!」

「…うん…!」

 

マギラティオの回復魔法で、最低限の魔力を取り戻したマギアリエルは、親友に支えられながら、ゆっくりと立ち上がる。その瞳には、再び、黄金の闘志が宿っていた。

ボロボロに傷ついた黄金の魔法少女と、彼女を庇うように立つ桜色の魔法少女。

二人は、視線を交わし、強く、頷き合った。

 

ここからが、本当の戦いだ。

一人は、分析と最適化を。もう一人は、想いと絆を。

それぞれの弱点を補い合い、それぞれの強みを最大限に活かす、二人だけの戦術。

 

「まりん、左後方のパイプを狙って!」

「わかった!」

マギラティオが放った光の矢『カクテル・アロー』が、タイラントの背後にある配管を破壊する。噴き出した高圧の蒸気が、タイラントの視界を一瞬だけ奪った。

その、コンマ数秒の隙。

「ペイオフ・ショット!」

マギアリエルが、回復したけなげな魔力から放った黄金の光線が、視界を失い、一瞬だけ動きの止まったタイラントの膝を、正確に撃ち抜いた。

 

巨体が、バランスを崩して、ガクリと膝をつく。

「今だよ!」

「コネクト・ケージ!」

まりんの魔法が、タイラントの巨体を、桜色の光の檻で完全に拘束する。

 

歯車が、完璧に噛み合った。

これこそが、羽川みりあと雪代まりん、二人の魔法少女が紡ぎ出す、最強の連携。

追い詰められたタイラントが、断末魔の雄叫びを上げる。

あと、一撃。

二人で力を合わせれば、この絶望を、終わらせることができる。

その、希望に満ちた瞬間を、第三者の、冷たい声が、打ち砕いた。

 

「――まあまあ、見れるようにはなったじゃない。…素人芸だけど」

 

声のした方角、巨大なガスタンクの頂上に、いつの間にか、一人の影が立っていた。

夜の闇よりも深い、黒紫色のドレス。

月光を浴びて、妖しく輝く、ネオンパープルの瞳。

その手には、巨大なコインを模した、漆黒のチャクラムが握られている。

 

「マギ…モネータ…!」

 

女王は、眼下の死闘を、まるで舞台の上の演劇でも眺めるかのように、ただ、冷ややかに見下ろしていた。

 

その戦場から少し離れた、半壊したコンクリートの柱の上。二匹の妖精が、その光景を眺めていた。

 

「さんびゃくまんえんがぁっ! ボクの300万円が、水の泡だにゅ〜っ!」

ピンク色の毛玉、マギたんが、地団駄を踏んで絶叫する。

「あれは、あいつらの案件だったはずだにゅ! 横取りなんて、契約違反だにゅ! ミスター・リッチに報告してやるにゅ!」

 

その隣で、歪んだ笑顔のピエロ、フラたんは、ゆらりと揺れながら、下卑た笑い声を漏らした。

「くふふふ…いやいや、これはボロ儲けだノン」

「どこがだにゅ! どう計算しても、マイナスだにゅ!」

「お前には分からんのんよ、毛玉」

フラたんは、うっとりと、その恍惚とした瞳で、眼下の女王を見つめた。

「あの絶望に染まった顔! 圧倒的な力を見せつけられた時の、あの無力感! 金なんぞより、よっぽど価値がある、最高のエンターテイメントだノン! これぞ、ボクの育てた最高の『作品』の晴れ舞台だノン!」

 

女王は、眼下の死闘を、まるで舞台の上の演劇でも眺めるかのように、ただ、冷ややかに見下ろしていた。

 

ガスタンクの頂上に君臨する、夜の女王。

その絶対的な存在感を前に、みりあとまりんは息をのんだ。灼熱の鉄とオイルの匂いが立ち込めるこの戦場で、彼女だけが、まるで穢れを知らないかのように、完璧な美しさを保っている。

 

女王は、眼下の死闘を、まるで舞台の上の出来の悪い演劇でも眺めるかのように、ただ、冷ややかに見下ろしていた。そのネオンパープルの瞳には、感心も、同情も、何の色も浮かんでいない。

 

「…まあまあ、見れるようにはなったじゃない。素人芸の馴れ合いにしては、上出来よ」

彼女は、まるで自分こそがこの場の支配者であると宣言するかのように、音もなく、ふわりと地上に舞い降りた。ピンヒールのブーツが、焼け焦げたコンクリートの上に、コツン、と冷たい音を立てる。

 

「どきなさい。不愉快だから、さっさと終わらせる」

マギモネータは、光の檻に拘束され、もがいているギルティ・タイラントを一瞥すると、まるで邪魔なゴミを払いのけるかのように、チャクラムを構えた。

 

「待って! これは私たちの…!」

みりあが制止の声を上げるよりも早く、女王は動いていた。

彼女は自らも奈落へと身を投じるかのように、崩落した床の穴へと跳躍する。そして、落下していく鉄塊を追い越し、その無防備な背後を取ると、黒紫色の魔力を凝縮させた一撃を、何の躊躇もなく叩き込んだ。

 

「ブラック・ジャックポット」

 

その声は、囁くように静かだった。

黒紫色の螺旋を描く一閃が、タイラントの核を、心臓を抉るかのように貫く。断末魔の悲鳴を上げる暇もなく、災害級プアーズは、光の粒子となって、完全に消滅した。

 

圧倒的な、力の差。

みりあとまりんは、ただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

戦いが終わり、マギモネータは、まるで何もなかったかのように、その完璧な衣装についた僅かな埃を、優雅に払い落とす。そして、ボロボロになった二人を一瞥すると、興味を失ったように、踵を返した。

 

その、冷たい背中に、まりんが、震える声で呼びかけた。

「待って…! お願い、待ってください!」

「…何?」

「助けてくれて、ありがとう…! あの…!」

 

まりんは、必死で言葉を探した。

この人を、救いたい。その、冷たい仮面の下にある、本当の心を。

その、純粋な、あまりにも無防備な善意が、最悪の引き金を引いてしまった。

 

「一人で、戦わないで! あなたにはまだ…あなたにはまだ、私たちがいる!」

 

その言葉が、マギモネータの耳に届いた瞬間。

世界から、再び、音が消えた。

 

ぴたり、と彼女の動きが止まる。

まりんの、純粋な、あまりにも無防備な善意の言葉。それが、彼女が心の最も深い場所に鍵をかけ、何重もの分厚い壁で覆い隠していた、古傷の扉を、いとも容易くこじ開けてしまった。

 

――やめろ。

 

脳の奥で、誰かが叫んだ。

 

――その言葉を、言うな。

 

目の前の世界が、ぐにゃりと歪む。

灼熱のコンビナートの光景は、色褪せたセピア色の悪夢へと塗り替えられていく。鼻腔を刺すのは、鉄の匂いではない。あの日の、忘れようとしても忘れられない、病院の消毒液の匂い。肌を撫でるのは、潮風ではない。白いシーツの、生命を感じさせない、氷のような冷たさ。

 

耳の奥で、単調な電子音が鳴り響いている。ピッ…ピッ…ピッ…。か細く、今にも消え入りそうな、命の音。

握りしめた親友の手は、驚くほどに軽く、そして、ぞっとするほどに冷たかった。その手のぬくもりを、自分はもう、永遠に思い出すことすらできないのだと、悟った。

 

病室の隅で、嗚咽を殺して泣き崩れる、親友の両親の背中が見える。「お金さえあれば…」「あの子を、助けてやれたのに…」。その、絶望に歪んだ背中が、今も、るなの罪悪感を苛み続ける。

 

そして、目の前で、痩せ細ってしまった親友が、最後の力を振り絞るように、無理に、本当に無理に、微笑んでみせた。

 

『…るな…泣かないで…大丈夫…。あなたにはまだ…私が、いる…』

 

やめろ。

やめてくれ。

 

あの日、そう言って、すぐに冷たくなってしまった親友の顔が、目の前の、涙を浮かべて自分を心配するまりんの顔と、残酷なまでに、重なって見えた。

 

違う、違う、違う、違うッ!

お前なんかが、あいつと同じ顔で、同じ声で、同じ言葉を、私に言うなァッ!!

 

守れなかった、約束。

間に合わなかった、お金。

この手から、こぼれ落ちていった、命。

 

綺麗事(ゆうじょう)なんて、無力だった。

善意(きずな)なんて、何の役にも立たなかった。

結局、このクソみたいな世界では、金だけが真実で、金だけが力で、金だけが、命の値段を決めるのだ。

そうやって、自分に言い聞かせて、心を殺して、今まで戦ってきたのに。

 

「…あ…」

 

マギモネータの唇から、か細い、空気の漏れるような声がこぼれた。

「…あ……ああ……ああああああああああああああああああああああっ!!!!」

 

絶叫。

それは、もはや人間の声ではなかった。

心の奥底に封じ込めていた、全ての悲しみ、後悔、怒り、絶望。その、ドス黒い感情の全てが、ダムが決壊したかのように溢れ出し、彼女の魂そのものが、絶叫しているかのようだった。

 

彼女の身体から、黒紫色のオーラが、もはや魔力というより呪いの奔流のように噴き出した。

それは、これまで彼女が使っていた、洗練された制御下の力などではない。もっと、混沌とした、ただ純粋な破壊の衝動。

 

「やめて! るなさんっ!」

まりんの悲鳴も、もう届かない。

マギモネータの衣装が、悲鳴を上げるように変質していく。黒いレザーが肉体に食い込むように歪み、腰に巻かれていたはずの万札のベルトは、血に濡れたような赤い鎖へと変わる。紫色の網タイツには、茨のような黒い紋様が、血管のようにじわりと浮かび上がっていた。

 

その瞳は、もはやネオンパープルではない。憎悪と狂気に濡れた、血のような深紅。

彼女は、もはや鬼道院るなではない。

親友を救えなかった罪悪感(ギルティ)に魂を喰われた、ただの、悲しき怪物。

 

「――殺す」

 

その、絶望の化身と化した女王が、憎しみに濡れた深紅の瞳を、ゆっくりと、みりあとまりんへと向けた。

 

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