魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜 作:ろくさん
世界から、価値が消えていく。
それは、まるで世界の彩度とコントラストが、絶対的な『ゼロ』へと収束していくような、緩やかで、抗いようのない終焉だった。
鉄の匂いも、潮の香りも、熱さも、冷たさも、全ての意味が均一化され、ただの情報の羅列へと成り下がっていく。
「だめだ…! 私のシステムでは、この現象は定義できない…! 『無』という概念は、利益を生み出さない、ただのバグだ…!」
狼狽するミスター・リッチの絶叫が、価値を失った空間に虚しく響く。
その、世界の支配者の悲鳴を聞いて、一匹の毛玉が、ピーンと耳を立てた。
みりあの足元で、恐怖に震えていたはずのマギたん。彼の小さな脳みそが、この世界の終焉を、自分にとって、あまりにも都合のいい情報へと、瞬時に変換したのだ。
「…ほにゅ?」
マギたんのつぶらな瞳が、きょとんと大きく見開かれる。そして、次の瞬間。
「と、徳政令だにゅぅぅぅぅっ!? 助かったにゅぅぅぅぅっ!!」
マギたんは、瓦礫の上をぴょんぴょんと跳ね回り、狂喜乱舞する。
「借金が、あのマイナス285万が、チャラになったにゅ! もう取り立てに怯えなくていいにゅ! 毛皮を剥がされなくて済むにゅ! やったにゅ! やったにゅー!」
その、あまりにも場違いな狂喜を、冷ややかに見下ろす影があった。
近くの鉄骨の上に、いつの間にか、歪んだ笑顔のピエロ、フラたんが、ゆらりと姿を現していた。
「くふふ…この期に及んで、まだカネの話かノン。本当に、救いようのない毛玉だノンねぇ」
「な、なんだとぉ! お前には分からんだろうが、これは一大事だにゅ! 借金からの解放! 自由の始まりだにゅ!」
「だから救いようがないと言っているんだノンよ」
フラたんは、心底呆れ果てたように、やれやれと肩をすくめた。
「いいかい、毛玉。これは、お前の借金が『ゼロになった』んじゃない。『円』という価値そのものが、この世界から消滅したんだノン。お前の借金も、ボクの儲けも、あの女が稼いだはした金も、全てが等しく『無意味』になった。ただそれだけだノン」
「む、むいみ…?」
「そうさノン。お前が心配していた、そのプリチーな毛皮も、今や何の価値もないガラクタだノン。誰も買やしないノンよ。くふふふふ!」
フラたんの下卑た嘲笑。マギたんの、意味が分からず固まる顔。
その、低レベルなやり取りは、しかし、今の羽川みりあの耳には、もう届いていなかった。
彼女は、不思議なほどに穏やかだった。
隣で気を失っているるなの冷たい手を、両手でそっと包み込む。そして、不安げに自分を見つめるまりんに、力強く頷いてみせた。
(お金は、もうない)
(でも、ゼロじゃない)
みりあの胸の中心、心臓がある場所から、小さな、しかし消えることのない金色の光が、温かく灯る。
父の手術の成功を祈る、この気持ち。
母の疲れた肩を、楽にさせてあげたいと願う、この想い。
何よりも、目の前にいる、このかけがえのない親友たちを、絶対に失いたくないという、この覚悟。
それは、どんな大金にも換算できない、羽川みりあという人間の、根幹を成す『価値』そのものだった。
「…行くよ、まりん」
「うん…!」
まりんの胸からも、商店街の人々の笑顔、母との思い出、そしてみりあへの友情が編み込まれた、どこまでも温かい桜色の光が灯る。
二つの光は、色を失ったこの世界で、まるで原初の星のように、あまりにも鮮やかに輝いていた。
「な…なんだ、その光は…? 私のシステムが、未知の価値…『TP(トラストポイント)』を観測している…? 再起動、急げ…!」
ミスター・リッチが叫ぶ。
だが、もう、彼の許可も、彼のシステムも、必要ない。
少女たちは、自分たち自身の価値を対価に、最後の変身を遂げる。
みりあは、天を仰いだ。その瞳には、天頂で全てを喰らおうとする『虚無市場』が、はっきりと映っていた。
「お金(コスト)じゃない! 私の全て(かち)を、この想いを対価に!」
彼女の絶叫に、胸の金色の光が呼応する。
「――『家族への愛(ファミリー・クレジット)』! キャッシュ・コンバート!」
それは、もはや金銭を変換する呪文ではなかった。
黄金の光が、彼女の身体を包み込む。現れたのは、これまでの豪華絢爛なドレスとは全く違う、気高く、そして慈愛に満ちた姿だった。
ドレスは、磨き上げられた金塊ではなく、まるで夕陽の光をそのまま織り上げたかのような、温かいゴールドのシルクでできている。胸元には、家族の絆を象徴するかのように、三つの小さな宝石が、心臓のように優しく明滅していた。背中には、金貨のマントではなく、大切なものを守るための、純白のヴェールが、穏やかに揺れている。
その姿は、富の象徴ではなく、愛の守護者そのものだった。
隣で、まりんもまた、強く、そして優しく、その想いを叫ぶ。
「思い出(メモリー)じゃない! 今、ここにある、この繋がりを対価に!」
桜色の光が、奔流となって彼女の身体を包む。
「――『仲間との絆(コネクト・ハート)』! シェイク・アップ!」
現れたマギラティオの姿もまた、以前のそれとは一線を画していた。
ドレスにあしらわれた無数のリボンは、一本一本が、彼女がこれまで繋いできた人々の想いを象徴するかのように、淡い虹色の光を放っている。スカートのフリルは、桜の花びらから、決して枯れることのない、常緑樹の葉のモチーフへと変わっていた。その手に握られた杖からは、カクテルグラスの代わりに、決して尽きることのない温かい光を注ぐ、聖杯のような輝きが放たれている。
その姿は、刹那的な声援(エール)の結晶ではなく、永遠の絆の集合体だった。
新たな力をその身に宿した二人の魔法少女は、そっと、るなの身体を横たえると、真の敵――『虚無市場』へと、対峙した。
その、天頂に空いた『無』の穴から、第一波の攻撃が、音もなく、放たれる。
それは、光線でも、衝撃波でもない。
ただ、『意味を奪う、無色の霧』だった。
霧に触れた、コンビナートの鉄骨が、一瞬にしてその存在意義を失い、ただの原子の塊となって、砂のように崩れ落ちていく。
霧が、地面を覆う。アスファルトは、「道を舗装する」という価値を忘れ、ただの黒い砂利へと還っていく。
あまりにも静かで、あまりにも、絶対的な、終焉の力。
「――来なさい!」
マギアリエルは、その終焉の霧の前に、毅然として立ちはだかった。
彼女は、杖を構えない。ただ、両腕を広げ、自らの身体を盾にする。
「マネー・バリアじゃない…! 私の家族が、私を信じてくれる、この想いの盾! 『ファミリー・シールド』!」
彼女の身体から、夕陽のような温かい光が放たれ、無色の霧を真正面から受け止める。
ジュウウウウウッ、と、世界そのものが蒸発するような、凄まじい音が鳴り響いた。
『守る』という、あまりにも純粋な家族の愛の価値を、絶対的な虚無は、まだ、消し去ることができないでいる。
「すごい…これが、お金じゃない、本当の『価値』の力…!」
マギラティオが、息をのむ。
「まだよ! 私たちだけで、世界を元に戻す!」
マギアリエルが叫ぶ。
心そのものの光に照らし出された二人の姿は、灰色に褪せていく世界に残された、最後の価値の砦だった。
世界の魂の値段を決める、最後の戦いが、今、始まったのだ。
マギアリエルの『ファミリー・シールド』は、確かに虚無の侵食を防いでいた。
だが、それは、あまりにもか細い防衛線だった。世界の終わりという絶対的な濁流を、たった一枚の板で、必死に堰き止めているようなもの。
ジュウウウウウッ、と。
夕陽色の光の盾に、無色の亀裂が走る。その亀裂から、概念を消し去る霧が、じわり、じわりと、この世界に漏れ出してくる。
「くっ…! きりがない…!」
マギアリエルは、歯を食いしばる。防御するだけで、彼女の『家族への愛』という名の魔力(コスト)は、凄まじい勢いで削られていた。このままでは、ジリ貧だ。
「私が、攻撃する!」
マギラティオが、一歩前に出る。その聖杯のような杖の先端に、彼女がこれまで繋いできた、全ての絆の輝きが、桜色の光となって収束していく。
「この想い、ゼロになんてさせない! コネクト・アロー!」
放たれた光の矢は、天頂に空いた『無』の穴――虚無市場の心臓部へと、一直線に突き進む。
しかし。
桜色の光が、虚無に触れた瞬間、まるで黒い紙にインクが吸い込まれるように、音もなく、意味を失って霧散してしまった。
「そん…な…」
マギラティオの顔に、絶望の色が浮かぶ。
絆も、友情も、この絶対的な『無』の前では、届きすらしなかったのだ。
防戦一方のみりあ。攻撃の通じないまりん。
世界の終焉を前に、二人の少女の心が、再び絶望の灰色に染まりかけた、その時だった。
「――うるさい」
か細く、しかし、凛とした声が、二人の背後から響いた。
ハッと振り返ると、そこに、いつの間にか、鬼道院るなが、静かに立ち上がっていた。
そのネオンパープルの瞳には、もう狂気も、絶望もない。ただ、全てを受け入れたかのような、静かで、深い覚悟の色だけが、宿っていた。
「あんたたちのそのキラキラした光…眩しくて、反吐が出るほど、むかつくのよ」
るなは、ふらつく足で、一歩、また一歩と、二人の隣へと歩みを進める。
「でも…温かいのね。…忘れていたわ。あいつの手も、こんな風に、温かかった…」
彼女の瞳に、涙の膜が張る。しかし、それは、もう絶望の涙ではなかった。
みりあとまりんの光が、るなの凍てついていた心に、最後の種火を灯したのだ。
(ごめんね…まゆ)
心の中で、たった一人、守れなかった親友の名を呼ぶ。
(あんたの思い出まで、こんな『無』になんて、絶対にさせてやらない)
(だから、見てて。これが、私の――)
るなの、ボロボロになった制服の胸元から、白銀の光が、激しく溢れ出した。
「――『贖罪の覚悟(リデンプション・プライド)』! キャッシュ・コンバート!」
それは、彼女が、自分の罪と過去を全て背負い、それでも未来のために戦うと決めた、魂の絶叫。
白銀の光が、天を衝く柱となって、るなの身体を包み込む。
彼女を縛り付けていた、黒紫色の魔力の残滓が、光の中で浄化され、ガラスのように砕け散っていく。
現れたのは、もはや夜の女王ではない。
その身を包むのは、レザーのドレスではなく、罪を洗い流すかのように純白で、しかし、どんな攻撃も通さない鋼の意志を感じさせる、白銀の騎士甲冑。腰に巻かれていた万札のベルトは、自らを戒めるかのように、銀の鎖でできた、質素だが気品のあるベルトへと変わっている。その瞳は、もはやネオンパープルではない。犯した罪の紫色を、より気高く昇華させた、アメジストのような、澄んだ紫色に輝いていた。
「私は、マギモネータではない。過去の亡霊は、もう捨てた」
彼女は、その手に、白銀に輝く、巨大な断罪の剣を握りしめる。
「我が名は、マギアルゲントゥム。…ただの、罪人よ」
新たな魔法少女の誕生。その姿に、ミスター・リッチが、驚愕と、そして歓喜の入り混じった声で叫んだ。
「観測ッ! 新たなTPの発生を確認! カテゴリーは…『贖罪』! システム、再起動完了! 市場価値、再定義を開始する!」
マギアルゲントゥムは、みりあとまりんの前に立つ。
「どきなさい。道は、私が斬り開く」
「るなさん…!」
「感傷に浸るのは、後。…生きて、帰れたらね」
彼女は、そう言うと、断罪の剣を構え、虚無の霧へと、単身、突撃した。
「シルバー・パージ!」
白銀の斬撃が、無色の霧を切り裂く。
虚無は、その、あまりにも強固な『個』の意志を、消し去ることができない。霧は、悲鳴を上げるように、左右に分かれた。
道が、できた。
「今よ!」
「うん!」
みりあとまりんが、マギアルゲントゥムの両脇を固める。
黄金の守護者、マギアリエル。
桜色の支援者、マギラティオ。
そして、白銀の断罪者、マギアルゲントゥム。
三人の少女が、それぞれの価値を、それぞれの想いを胸に、一つになる。
「「「私たちの『価値』で、この世界を、取り戻す!!」」」
三色の光が、一つに混じり合い、世界の全てを塗りつぶすほどの、巨大な創世の光の奔流となった。
その光は、天頂の『無』の穴へと向かい、失われた世界の価値を、再定義するために、突き進んでいく。
【現在の市場価値】
(通貨単位:TP / トラストポイント)
獲得資産(世界の希望): +100,000,000 TP
消費コスト(まりんの絆): -1,200,000 TP
消費コスト(るなの覚悟): -1,500,000 TP
消費コスト(みりあの愛): -2,000,000 TP
ミスター・リッチのシステムが、歓喜の悲鳴を上げるように、新たな価値の誕生を、世界に告げていた。