魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜 作:ろくさん
「マイナスさんぜんごひゃくえん……」
土曜日の昼下がり。羽川みりあは、四畳半の自室のベッドの上で体育座りをし、スマホの画面に表示された無慈悲な数字を幽鬼のような声で呟いていた。
画面には、先日ミスター・リッチから送りつけられた『業務報告および請求書』が開かれている。その一番下に鎮座する『収支合計:-3,500円』という文字が、彼女の心をじわじわと蝕んでいた。
時給980円のアルバイトを、3時間34分29秒。
その時間を、私は一体何のために……。
世界を救うどころか、自分の財布すら救えていない。
「あぅあぅぁ〜……」
ベッドに突っ伏し、枕に顔を埋める。魔法少女になったという高揚感は、現実という名の重力に引かれてあっという間に地に落ちた。あの豪華絢爛な衣装も、万能感に満ちたあの力も、その全てに値札がついていたのだ。しかも、とんでもなく高い。
ピロン、とスマホが軽快な音を立てる。親友のまりんからのメッセージだった。
『駅前のクレープ屋さん、今日まで全品50円引きだって! 学校の課題、一緒にやらない?』
そのメッセージに、みりあの心はさらに沈んだ。50円引きは魅力的だ。しかし、今の彼女にとってクレープは、ミシュラン三つ星レストランのフルコースに等しい超高級品に思えた。
『ごめん、今日はちょっと家の用事が…』
嘘のメッセージを打ちながら、罪悪感で胸がチクリと痛む。本当は、まりんに会うのが少しだけ怖かった。魔法少女になったことを、まだ彼女には話せていない。もし話して、軽蔑されたら? 危ないことに関わっていると心配させてしまったら?
そして何より、こんな情けない赤字経営の実態を、太陽みたいに明るい彼女に知られたくなかった。
その日の夕方。
気分転換に近所を散歩していると、駅前の広場がやけに騒がしいのに気づいた。人だかりの中心で、一人の青年がアコースティックギターをかき鳴らし、切ないラブソングを歌っている。彼の周りには数人のファンがいるが、ほとんどの通行人は気にも留めずに通り過ぎていく。
その少し離れた場所で、もう一人の青年が、同じように路上ライブをしていた。彼の奏でるキャッチーなメロディと巧みな演奏には、多くの人が足を止め、スマホを向け、時には投げ銭をしている。
(同じ路上ライブなのに、全然違うんだ…)
みりあがそんなことを考えていた時、ふと、人気の無い方のミュージシャンの足元から、黒い澱のようなものが滲み出しているのが見えた。
(まさか…!)
それは、他人の成功を素直に喜べない、妬みの心。自分には才能がないと嘆く、欠乏感。
人々の負の感情が渦を巻き、形を成していく。甲羅に無数の錆びた十円玉が張り付いた、巨大な亀の姿をしたプアーズ――『ケチケチ・ガメ』が、アスファルトからゆっくりと姿を現した。
その瞬間、ポケットのスマホが激しく震動する。
『緊急業務連絡:プアーズ出現。座標は現在地。速やかに"駆除"せよ』
「また、赤字になるかも……」
恐怖よりも先に、金銭的な不安が頭をよぎる。しかし、プアーズを放置するわけにはいかない。
みりあは周囲に人がいないことを確認し、意を決して叫んだ。
「キャッシュ・コンバート! アーン・アウト!」
再び黄金の光に包まれ、魔法少女マギアリエルの姿へと変わる。
しかし、その心境は初変身の時とはまるで違っていた。今の彼女にとって、この眩いばかりの衣装は、お金を湯水のように吸い上げる"コストの塊"にしか見えない。
「ゴォ…」
ケチケチ・ガメが、マギアリエルを認識し、ゆっくりと動き出す。
(大丈夫、落ち着いて。今度こそ、コストを最小限に抑えて、黒字を出す…!)
自分に言い聞かせ、マギアリエルは杖を構えた。
まずは様子見だ。一番安い魔法で、どれだけ通用するか。
(いけっ! 100円の魔法…『スモール・コイン・ショット』!)
指先から、パチンコ玉ほどの小さな光弾が放たれる。しかし、それはケチケチ・ガメの錆びついた甲羅に当たると、カチン、と虚しい音を立てて弾かれてしまった。
「うそ…全然効かない」
焦りが募る。ならば、と次は500円の下級防御魔法『マネー・バリア』を展開しながら距離を取る。しかし、敵はひたすら甲羅に閉じこもるばかりで、攻撃の隙を見せない。
時間は刻一刻と過ぎていく。戦闘が長引けば、それだけ無駄なコストがかさむ可能性がある。
(やっぱり、あの5,000円の魔法(ペイオフ・ショット)を使うしかないの…? でも、それじゃあ確実に赤字に…)
財布の中身と、目の前の敵。
二つの恐怖が天秤の上で揺れ動き、マギアリエルの足を縫い止める。
その一瞬の躊躇が、命取りだった。
甲羅に閉じこもっていたケチケチ・ガメが、不意に長い首を伸ばし、濁った光を口元に収束させ始めたのだ。
「しまった…!」
咄嗟に防御の体勢をとるが、間に合わない。
敵が放ったのは、相手の「やる気」や「自信」を吸い取る粘着質の光線だった。避けきれずに光線を浴びたマギアリエルの身体から、急激に力が抜けていく。
(あ…だめだ…バイト代が…また赤字に…)
思考が、絶望的なコスト計算で埋め尽くされていく。立っていることすら億劫になり、その場に膝から崩れ落ちた。
ケチケチ・ガメが、勝利を確信したように、ゆっくりと彼女に近づいてくる。
もう、おしまいだ。そう思った、その時だった。
「みりあちゃんっ!!」
凛とした、しかしどこか泣きそうな声が、戦場に響き渡った。
声がした方を振り向くと、そこに立っていたのは、息を切らしたまりんだった。
『ごめん、今日は家の用事が…』というみりあの嘘のメッセージに、嫌な予感を覚えて後を付けてきたのだ。
彼女の目には、異形の亀と、豪華なドレスを着て倒れ込んでいる親友の姿が、はっきりと見えていた。
「まりん…! なんで…きちゃだめ!」
マギアリエルは叫ぶが、身体に力が入らない。
『ほう、面白い。君の友人も、こちら側の素質があるようだ』
ミスター・リッチの声が、どこからともなく響く。まりんの目の前に、彼が作り出した電子契約書が浮かび上がった。
『雪代まりん君。君もまた、興味深い投資対象だ。そこにいる君の友人を救いたければ、契約したまえ』
まりんは一瞬だけ目を見開いたが、迷いはなかった。
「みりあちゃんを助けられるなら、何だってする!」
その言葉が、引き金だった。
まりんの身体から、桜の花びらのように、淡く温かい光が溢れ出す。
「――コネクト・ハート! シェイク・アップ!」
みりあの黄金の光とは対照的な、優しく柔らかな光。
彼女の制服は光の中に溶け、代わりに、純白のバーテンダー風ベストと、幾重にも重なったシルクオーガンジーのスカートが現れる。それはまるで、満開の桜の花びらそのものを重ねて作ったかのようだった。
腰には大きなパステルピンクのリボンが結ばれ、彼女の明るい魅力を引き立てている。
ふわふわのショートボブだった髪は、柔らかな桜色に染まり、小さなベルのついたリボンで結ばれたツインテールへと変わる。優しく光をたたえた瞳は、温かな蜂蜜色(アンバー)に輝いていた。
その手に握られていたのは、カクテルグラスを模した優美な杖――スタッフ・オブ・チアーズ。
魔法少女、マギラティオ。
大切な友達を守りたいという、ただ一つの純粋な願いが生んだ、愛の戦士。
「みりあちゃん、大丈夫!?」
「まりん…どうして…あなたまで…」
呆然とするマギアリエルの前に、マギラティオは毅然と立ちはだかった。
彼女の魔法は、みりあのような直接的な火力はない。しかし、ケチケチ・ガメが生み出す「妬み」や「欠乏感」といった負の感情を、その温かな光で中和していく力があった。
「あなたの気持ち、少しだけわかるよ。でも、そんな風に自分を閉じ込めてちゃ、もっと辛くなるだけだよ!」
マギラティオが杖を振るうと、カクテルグラスの中に渦巻いていた光の粒が、シャボン玉のようにふわりと浮かび、ケチケチ・ガメを包み込む。
それは、まりんがこれまで出会った人々からもらった「ありがとう」という感謝の気持ちの結晶だった。
お金では買えない「心の価値」を力に変える魔法に、嫉妬心から生まれたプアーズは混乱し、硬い甲羅にひびが入る。
「みりあちゃん、今だよ!」
その声に、みりあはハッと我に返った。そうだ、私は一人じゃない。
まりんが、私のために。
親友の勇気が、コストへの恐怖に打ち勝つ最後のひと押しとなった。
「ごめん、まりん…! ちょっとだけ、贅沢させてもらうね!」
マギアリエルは涙を振り払い、残った力を振り絞って立ち上がる。
そして、今日初めて、躊躇なく中級魔法の名を叫んだ。
「ペイオフ・ショットォォォ!!」
放たれた黄金の光線は、マギラティオの心の光によって弱体化したケチケチ・ガメの甲羅を、今度こそ粉々に打ち砕いた。
プアーズは悲鳴のような硬貨の音を立てて崩れ落ち、塵となって消えていく。
戦いが終わり、二人は同時に変身を解いた。
「よかった…みりあちゃん、怪我はない?」
「まりんこそ…。ごめん、私のせいで…」
互いの無事を喜び合う二人。しかし、みりあはすぐに現実に引き戻される。
(そうだ、まりんの魔法も、まさか…)
恐る恐るスマホを確認すると、案の定、ミスター・リッチからの通知が届いていた。
【プアーズ『ケチケチ・ガメ』討伐任務報告書】
基本報酬: +15,000円
マギアリエル消費コスト
スモール・コイン・ショット: -100円 x 5回 = -500円
マネー・バリア: -500円 x 8回 = -4,000円
ペイオフ・ショット: -5,000円 x 1回 = -5,000円
小計: -9,500円
マギラティオ消費コスト
サンクス・バースト(中級浄化魔法):-3,000円 x 2回 = -6,000円
コネクト・シールド(下級補助魔法):-1,500円 x 1回 = -1,500円
小計: -7,500円
「……」
みりあは言葉を失った。まりんの魔法も、きっちりお金がかかっていたのだ。
震える指で最終収支を確認する。
総消費コスト: -17,000円
収支合計: -200円
「にひゃくえんの、あかじ……」
膝から崩れ落ちるみりあ。そのスマホを覗き込んだまりんは、しかし、明るく言った。
「わ、すごい! 前回より3,300円も赤字が減ってるんだよね?! 成長してるね!」
「あぅあぅぁ〜…」
その底抜けのポジティブさに、みりあはもはや、泣くことも怒ることもできず、ただ乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
こうして、魔法少女たちの共同経営は、合計-3,700円の負債を抱えての、前途多難な船出となったのだった。