魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜 作:ろくさん
「――というわけで、これが今期の課題と改善案です」
放課後の図書室。窓から差し込む西日が、机の上に広げられたノートをオレンジ色に染めていた。
羽川みりあは、百円ショップで買った真新しいノートを指差しながら、まるで企業の経営戦略会議に臨む役員のような真剣な表情で言った。ノートには『魔法少女 損益分岐点レポート』と几帳面な文字で書かれている。
向かいに座る雪代まりんは、きょとんとした顔で、みりあが自作したらしい円グラフや棒グラフを眺めていた。
「えーっと…つまり、どういうこと?」
「つまり! 私たちは今まで、あまりにも非効率な戦い方をしていたということ! このままでは、世界を救う前に自己破産します!」
みりあは力説する。あの日、まりんが魔法少女になってからというもの、みりあは夜なべをして過去二回の戦闘データを徹底的に分析していた。どの魔法が一番コストパフォーマンスが良いか。どのタイミングで使えば最大の効果を発揮できるか。ノートには、そんな血の滲むような(主に金銭的な意味で)考察がびっしりと書き込まれている。
「だから、これからは私が司令塔(コントローラー)としてコスト管理を徹底し、まりんには敵の攪乱と精神的サポートをお願いしたいの。異論は…ないわね?」
「う、うん。みりあちゃんが言うなら!」
まりんは、よくわからないながらも、親友のあまりの熱意にこくこくと頷いた。
そんな「経営会議」の最中、まりんはふと自分のスマホに目を落とした。SNSアプリを開き、あるアカウントの投稿を見せる。
「そういえば見て、この子、最近すごく人気なんだって」
画面に映っていたのは、キラキラした笑顔の女子高生だった。高級ホテルのラウンジでアフタヌーンティーを楽しむ写真、有名ブランドの新作バッグを披露する写真、モデル仲間との華やかなパーティーの写真。どの投稿にも、数千件の「いいね」と、賞賛のコメントが溢れている。
「へぇ…私とは別世界の人間だなぁ」
みりあは乾いた感想を漏らす。その時、まりんが少しだけ悲しそうな顔で、別のアカウントをみりあに見せた。
「この子はね、さっきの子の元々の親友だった子なんだって。でも…」
そのアカウントの投稿は、手作りのアクセサリーや、飼い猫の写真など、素朴で温かいものばかりだったが、「いいね」の数は二桁に届けば良い方だった。そして、最新の投稿には、ポツリとこんな言葉が綴られていた。
『私の世界には、色がない』
その投稿には、たった一つの「いいね」もついていなかった。
みりあが、その虚無的な言葉に胸をチクリと痛めた、まさにその瞬間だった。
二人のスマホが、同時に激しい警告音を立てて震動した。ミスター・リッチからの業務連絡だ。
『緊急業務連絡:プアーズ出現。座標データを転送する』
指定された場所は、若者たちで賑わう休日のショッピングモールだった。
吹き抜けの広場にはクレープ屋やタピオカドリンクの店が並び、楽しげな笑い声と甘い香りが満ちている。しかし、その一角、巨大なデジタルサイネージの裏の薄暗い空間だけが、異様に空気が淀んでいた。
そこに、それはいた。
スマートフォンの液晶画面のような、黒く光沢のある身体。そこから伸びる八本の脚は、絡み合った充電ケーブルでできており、カシャ、カシャ、と不気味なシャッター音を立てて蠢いている。
プアーズ『ジェラシー・スパイダー』。
SNSの「いいね」の数に心をすり減らした少女の、孤独な嫉妬心が生み出した魔物だった。
「ひっ…!」
蜘蛛が苦手なまりんが、小さく悲鳴を上げる。
「大丈夫、まりん。今回は…黒字で終わらせる!」
みりあは親友を庇うように前に出ると、覚悟を決めて叫んだ。
「キャッシュ・コンバート! アーン・アウト!」
「コネクト・ハート! シェイク・アップ!」
黄金と桜色の光が交差し、二人の魔法少女が顕現する。
マギアリエルは、ノートに書き留めた最適戦術を脳内で反芻し、冷静に杖を構えた。
「作戦通り、まずは最低コストで様子を見る…! スモール・コイン・ショット!」
放たれた100円の光弾は、しかし、ジェラシー・スパイダーが吐き出した粘着質の糸の網に絡め取られ、いとも簡単に無力化されてしまう。
『チッ…』と舌打ちするマギアリエルの耳に、甲高い嘲笑のような音が響いた。
蜘蛛の身体である液晶画面に、無数の罵詈雑言が、赤い文字のコメントとなって滝のように流れ始めたのだ。
『ウザい』『消えろ』『誰も見てないよ』『価値なし』
それは物理的な攻撃ではない。だが、見る者の心を直接抉る、悪意の弾丸だった。
「うっ…!」
その毒気に、マギアリエルの思考が一瞬停止する。脳裏に、赤字の請求書と、家族の心配そうな顔がフラッシュバックした。
(私なんて、やっぱり…お金を稼ぐ価値もないんじゃ…)
ネガティブな思考が、蜘蛛の格好の餌食となる。蜘蛛は、好機とばかりにマギアリエルへと襲いかかってきた。
その、刹那だった。
「そんな言葉、聞いちゃだめだよ!」
マギラティオが、マギアリエルの前に飛び出し、杖を掲げる。
彼女の杖の先端、カクテルグラスの中から、温かな光のシャボン玉がいくつも生まれ、悪意のコメントを一つ一つ、優しく包み込んで消していく。
「あなたは、価値がないなんかじゃない。すっごく頑張ってるの、私が一番知ってるから!」
マギラティオの力は、攻撃を無力化するだけではなかった。
彼女の杖から放たれた温かな光は、ジェラシー・スパイダーそのものにも降り注ぐ。それは、まりんがSNSで見かけた、あの孤独な少女の心に語りかけるような、慈愛に満ちた光だった。
「寂しかったんだよね。誰も、自分のことを見てくれないって、思ってたんだよね」
マギラティオの言葉に、蜘蛛の動きがピタリと止まる。身体の液晶画面に流れていた罵詈雑言が消え、代わりに、涙の絵文字が一つ、ポツンと表示された。
嫉妬と悪意で固められていた外殻が、心の光に触れて、少しだけ揺らいだのだ。
その一瞬の変化を、マギアリエルは見逃さなかった。
(今だ…! コストとリターンの比率が、今、最大になる!)
まりんが作ってくれた、たった一瞬の好機。これを逃せば、また無駄なコストがかさむだけだ。
「まりん、ありがとう! 今月のバイト代、ここにベットする!」
叫びと共に、マギアリエルは全神経を杖の先端に集中させる。
これまでのように感情に任せて最大出力を放つのではない。ノートに記した最適値を、冷静に、正確に再現する。
敵の防御力をギリギリ貫通でき、かつ、周辺被害を最小限に抑えられる、完璧に計算された一撃。
「ペイオフ・ショット…収束率85パーセントで、発射(ファイア)!!」
放たれた光線は、以前のような極太の奔流ではない。鉛筆ほどの細さにまで収束され、レーザーのように鋭く、一直線にジェラシー・スパイダーの核――涙の絵文字が表示された液晶画面の中心――を貫いた。
『アリガトウ』
最後にそんな文字が遺されたように見えたのは、気のせいだっただろうか。
プアーズは、断末魔のシャッター音を響かせると、光の粒子となって霧散していった。
戦いが終わり、ショッピングモールの喧騒が戻ってくる。
二人はこっそりとその場を離れ、近くの公園のベンチに座り込んだ。
緊張の糸が切れ、どっと疲れが押し寄せる。
みりあは、恐る恐るスマホを取り出し、届いたばかりの業務報告書を開いた。
【プアーズ『ジェラシー・スパイダー』討伐任務報告書】
基本報酬: +20,000円
特別ボーナス(低コスト討伐達成): +3,000円
「ボーナス…!?」
思わず声が漏れる。ミスター・リッチの評価システムには、効率の良い戦いに対するインセンティブが存在したのだ。
期待に胸を膨らませ、下にスクロールする。
マギアリエル消費コスト
スモール・コイン・ショット: -100円 x 2回 = -200円
ペイオフ・ショット(収束): -4,800円 x 1回 = -4,800円
小計: -5,000円
マギラティオ消費コスト
コネクト・シールド(対精神汚染): -2,000円 x 2回 = -4,000円
サンクス・バースト(浄化波動): -800円 x 1回 = -800円
小計: -4,800円
総消費コスト: -9,800円
そして、一番下。二人が固唾を飲んで見守る中、最終的な収支が表示される。
収支合計: +13,200円
「……ぷ、プラスだ」
みりあの震える声に、まりんが「やったぁ!」と歓声を上げて抱きついてきた。
プラス。黒字だ。
しかも一万三千二百円。大金だ。それは二人にとって、何物にも代えがたい、血と涙と友情の結晶だった。
「すごいよ、みりあちゃん! さすがだよ!」
「う、うん…。まりんのサポートのおかげだよ」
照れくさそうに礼を言うみりあ。彼女は立ち上がると、まりんの手をぐいと引いた。
「行こっか」
「え、どこに?」
夕暮れの帰り道。
みりあとまりんは、並んでクレープを頬張っていた。チョコレートバナナと、ストロベリーカスタード。ほんの数日前まで、みりあにとっては高嶺の花だった、ささやかな贅沢。
「おいしいね!」
「うん…」
生クリームの甘さが、戦いの疲れを優しく癒していく。
みりあは、自分の財布から消えた700円(二人分のクレープ代)と、まりんの幸せそうな笑顔を交互に見比べた。
そして、ふっと、心からの笑みがこぼれた。
「たまにはこういうのも、必要経費だよね!」
その言葉に、まりんも「うん!」と満面の笑みで頷く。
魔法少女たちの初めての黒字決算は、甘くて、少しだけ誇らしい味がした。