魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜   作:ろくさん

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第4話 時給980円の攻防戦

 

土曜日の夜7時。

全国チェーンのファストフード店「スマイリーバーガー」は、一週間で最も激しい戦場と化していた。

油とフロア用洗剤の混じった匂い。ポテトが揚がったことを知らせる電子音、クルーたちの怒号にも似た確認の声、そして子供の泣き声が入り混じった不協和音。その喧騒のまっただ中で、羽川みりあは、体にぴったりと張り付くポリエステル製のユニフォームに汗を滲ませながら、完璧な笑顔を顔面に貼り付けていた。

 

「スマイル0円、お持ち帰りで! ご一緒に、期間限定の月見シェイクはいかがですか!」

 

叩き込まれたマニュアル通りの接客をこなしつつも、彼女の頭脳は常に冷静だった。

(よし、今のセット販売で客単価アップ。私の貢献時給、約16.3円分。次!)

全ての労働を脳内で時給換算する。それは、貧乏生活が彼女に与えた、ささやかな処世術であり、一種の呪いでもあった。

 

みりあの先輩である大学二年生の田中さんは、いつもなら冗談を言って場を和ませる、この店のムードメーカーだ。しかし、今日の彼はどこか上の空だった。ドリンクの補充を忘れ、客の注文を聞き間違え、時折スマホの画面を見ては、世界の終わりのような深いため息をついている。

 

客席の二人掛けテーブルでは、雪代まりんが参考書を広げ、ドリンクバーのメロンソーダを飲みながら、健気にみりあのバイトが終わるのを待っていた。カオスと化した店内において、彼女の周りだけが、まるで春の陽だまりのような穏やかな空気に包まれている。

 

その、穏やかな空気が揺らいだのは、本当に些細な出来事がきっかけだった。

ピピピッ、ピピピッ。

フライドポテトのタイマーが鳴らない。ベテランの主婦パートさんが、長年の勘でギリギリ焦げる前に気づいて事なきを得たが、普段ならありえないミスだった。

 

「ごめんなさい、シロップの原液だけ出ちゃって!」

新人バイトの悲鳴。ドリンクサーバーが暴走し、緑色の濃縮液だけをカップに噴出している。

レジのタッチパネルが、みりあの指の動きに全く反応しなくなった。背後には、イライラした空気を隠そうともしないサラリーマンの行列ができている。

 

次々と起こる原因不明のトラブル。それはまるで、店の「効率」という名の潤滑油が、急速に失われていくかのようだった。

みりあは、空気中に漂う不穏な魔力の澱(おり)に気づき、ハッと息を飲む。

(嘘でしょ…こんな、職場にまで…?)

 

視線の先で、田中さんがスマホを力なくポケットにしまい、誰にともなく呟くのが聞こえた。

「また…ダメだったか。俺の時間なんて、結局、時給980円の価値しかないのかな…」

 

彼の足元のアスファルト柄の床から、陽炎のように黒いモヤが立ち上る。

それは、彼がデザインコンペに落選した絶望と、自分の価値を時給という数字でしか測れない無力感。その負の感情が、店の喧騒を養分にして、急速に形を成していく。

 

バックヤードで、田中さんが発注ミスを店長に厳しく叱責され、深くうなだれた瞬間だった。

床に散らばったクレーム報告書の紙束、ゴミ箱から溢れたハンバーガーの包み紙、床に落ちて絡まったインカムのコード。それらが、まるで意思を持ったかのようにズルズルと集まり、一つの人型を形成していく。

 

その顔には、赤い文字で大きく『ERROR』と表示されたPOSレジの液晶画面が浮かんでいた。

物理的な破壊はしない。その代わり、店内のあらゆるシステムの「効率」を著しく低下させ、人々のストレスと非効率を増幅させるプアーズ――『マニュアル・ゴーレム』が誕生した。

 

「て、店長っ! 急にお腹が痛くなってきたので、お手洗い行ってきます!」

みりあは、女優もかくやという迫真の演技で腹を押さえると、クルー専用のトイレへと駆け込んだ。

 

狭い個室の扉に鍵をかける。

 

「キャッシュ・コンバート! アーン・アウト!」

 

眩い光が、薄汚れた空間を一瞬だけ神聖なものへと変える。豪華絢爛なドレスとプラチナブロンドの髪。しかし、その顔に浮かぶ表情は、いつになく険しいものだった。

(派手な魔法は使えない。お客さんや店員にバレずに、あくまで事故に見せかけて、静かに倒す…!)

魔法少女マギアリエルは、かつてない高難易度のミッションに、静かに覚悟を決めるのだった。

 

トイレからバックヤードへ戻ったマギアリエルの目に、混沌とした光景が広がっていた。

マニュアル・ゴーレムが、その紙束でできた腕を機械という機械に触れて回っている。そのたびに、製氷機は氷の代わりにただの水を吐き出し、ハンバーガーの肉を焼くグリルの温度は勝手に下がり、生焼けのパティを量産していた。

 

(まずは、あいつの動きを止めないと…!)

マギアリエルは、巨大な冷凍庫の扉を開けるフリをして、中の様子を窺う。そして、ゴーレムが自分の足元を通り過ぎる瞬間を狙い、指先から小さな魔法を放った。

「コールド・コイン!」

 

消費コスト100円の氷結魔法。放たれた冷気がゴーレムの足元の床を薄く凍らせる。それに気づかず足を踏み入れたゴーレムは、ツルン、と見事にバランスを崩し、派手な音を立てて転倒した。

「わっ、床が濡れてたのかな? 危ない危ない」

マギアリエルは、あくまで一般クルーを装い、何食わぬ顔でモップを手に取る。

 

その頃、客席のまりんも店内の異変に気づいていた。

ぐずる子供、貧乏ゆすりを止めない学生、舌打ちするサラリーマン。店内に満ちる負のオーラと、その発生源であるバックヤードの魔力を感じ取り、彼女はそっと目を閉じる。

(みりあちゃん、一人で戦ってるんだ…私にできることを!)

 

彼女はドリンクバーのおかわりを取りに行くフリをして、ぐずる子供が座るテーブルの近くを通り過ぎる。その瞬間、指先からそっと、小さな光の魔法を放った。

「カクテル・シャイン」

消費コストはごくわずか。感謝の気持ちを力に変える彼女の魔法が、子供の持つおまけのオモチャにキラリと反射する。子供はぐずるのをやめ、その不思議な光に目を奪われて、すぐに笑顔を取り戻した。

まりんは、誰にも気づかれぬよう、店内のストレスを一つ、また一つと和らげていく。

 

バックヤードでは、マギアリエルがゴーレムを資材置き場へと巧みに誘導していた。

転んだことに腹を立てたゴーレムが、怒りのままにマギアリエルへと突進してくる。マギアリエルはひらりとかわすと、わざと棚の横に立てかけてあったモップの柄に身体をぶつけた。

 

「きゃっ! ごめんなさい、手が滑って!」

 

倒れたモップは、計算通りゴーレムの頭部(レジ画面)を直撃する。

それだけではない。マギアリエルは、モップが当たる寸前、その柄に1,000円の衝撃魔法『ペイオフ・インパクト』を乗せていたのだ。

鈍い打撃音と共に、ゴーレムの身体が大きくよろめく。あくまで事故を装った、完璧なコンビネーション攻撃だった。

 

しかし、追い詰められたプアーズも最後の抵抗を試みる。

壁に設置された、店のメイン配電盤のカバーを無理やりこじ開け、その紙とインカムコードでできた指を、剥き出しの配線へと伸ばしていく。

 

(まずい、あれに触られたら店中が停電する…! パニックになっちゃう!)

絶体絶命の瞬間、マギアリエルは覚悟を決めた。

床に落ちていた、水浸しの雑巾を拾い上げ、渾身の力でプアーズのコア(レジ画面の顔)に投げつける!

 

「漏電です、危ないッ!」

 

叫び声と同時に、濡れ雑巾に全神経を集中させる。時給約5時間分に相当する5,000円の中級浄化魔法を、一点に込めて発動させた。

「リキデーション・スパーク!!」

 

バチバチバチッ!!

濡れ雑巾がコアに触れた瞬間、魔法と電気が反応し、激しい火花が散る。

『ジャー…』という、レシートが印刷される時のような断末魔の音を立てて、マニュアル・ゴーレムは光の塵となって消滅した。

 

その物音に、店長が慌てて駆けつけてくる。

「うわっ、漏電か!? みりあちゃん、大丈夫か!?」

「は、はい…なんとか…」

煙の立ち上る配電盤と、腰を抜かしたフリをするみりあ。店長は、それが魔法少女のステルスバトルによるものだとは、夢にも思っていない。

 

プアーズが消え、店内のトラブルは嘘のように収まった。

バイトが終わり、まりんと合流したみりあのスマホに、ミスター・リッチからの通知が届く。その内容は、これまでにない最高の評価だった。

 

【プアーズ『マニュアル・ゴーレム』討伐任務報告書】

 

基本報酬: +25,000円

 

特別ボーナス(情報隠蔽・ステルス戦闘達成): +30,000円

 

魔法消費コスト: -6,100円

 

収支合計: +48,900円 (過去最高益)

 

「よんまんはっせんきゅうひゃくえん…!」

震える声で呟くみりあ。

「すごいよみりあちゃん! やったね!」

まりんと二人、ハイタッチを交わす。

 

帰り道、落ち込んでいた田中さんが、なぜか少しだけ晴れやかな顔でみりあに声をかけてきた。

「羽川さん、さっきはごめんな、色々迷惑かけて。…でも、なんかありがとう」

彼はそう言うと、少し照れくさそうに帰っていった。

 

みりあは、帰り道の自動販売機で、いつもは我慢する150円の高級なミルクティーを買った。

そして、スマホを開き、田中さんが趣味で描いているイラストが投稿されているSNSのアカウントを探し出し、その最新の投稿に、そっと「いいね」のハートマークを押すのだった。

時給980円以上の価値が、きっとそこにはある。みりあは、そんなことを少しだけ思った。

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