魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜 作:ろくさん
「プラス、ごまんえん…」
平日の放課後、羽川みりあは自室の机で、銀行の預金通帳をうっとりと眺めていた。先日振り込まれた『業務委託報酬』の文字。スマイリーバーガーでの一件で得た過去最高益によって、通帳の残高は、ここ数年で最も潤沢な金額に達していた。
それはまだ、父の治療費や家族の生活を支えるにはあまりに心許ない額だったが、それでも、確かな手応えを感じていた。
(いける…! この調子でいけば、黒字経営も夢じゃない!)
机の上には、あの『魔法少女 損益分岐点レポート』が広げられている。みりあはそこに、新たな項目を書き加えた。『ステルス戦闘におけるボーナスの有効活用について』。
もはや彼女は、ただの魔法少女ではない。ミスター・リッチという巨大クライアントと契約を結んだ、一人の個人事業主(ビジネスパーソン)としての自覚に満ち溢れていた。
「みりあちゃーん、次の作戦会議、始めるよー!」
階下から、すっかり羽川家の常連となったまりんの明るい声がする。彼女は最近、学校帰りにみりあの家に寄って、一緒に「経営戦略」を練るのが日課になっていた。
リビングに降りると、まりんがテーブルの上に商店街の福引で当てたというクッキーを広げて待っていた。
「見て見て、すごい量のクッキー! これで今日のおやつ代はタダだね!」
「うん、素晴らしいコスト削減意識だわ、まりん」
どこかズレた賛辞を送りながら、みりあは得意げに自分のレポートを広げる。しかし、その時だった。
ピロリン♪
二人のスマホから、同時に軽快な、しかしどこか不吉な通知音が鳴った。
ミスター・リッチからの新規案件の告知だった。
『緊急業務連絡:高難易度プアーズ出現。危険度Cランク。基本報酬:30,000円』
そこまでは、いつも通りだった。しかし、その通知には続きがあったのだ。
『特別ボーナス案件:本件に限り、討伐に要した魔法の総消費金額を10,000円以下で完了した場合、ボーナスとして追加で50,000円を支給する』
「ご、ごまんえん…!?」
みりあの目が、¥マークに変わった。ごまんえん。それは、彼女のバイト代のほぼ半月分に相当する金額だ。基本報酬と合わせれば、たった一回の戦闘で8万円もの大金が手に入る計算になる。
ゴクリ、と喉が鳴る。脳内のそろばんが、目にも留まらぬ速さで利益を弾き出していた。
「なんだか、条件が厳しくないかな…? 魔法コストを1万円以下なんて…」
まりんが、不安げな表情で呟く。彼女の言う通りだった。Cランクという、これまでで最も危険度の高い敵を相手に、コストを1万円以下に抑えるなど、通常では考えられない。あまりにもハイリスク・ハイリターンな案件だった。
しかし、成功体験に酔いしれるみりあの耳に、その冷静な忠告は届かなかった。
「大丈夫だって! この前のステルス戦闘を思い出してよ。コストを抑えれば、ボーナスが貰える。これはビジネスの基本だよ!」
「でも、あの時は相手が弱かったから…」
「勝てばいいのよ、勝てば! いかに効率よく、最小投資で最大利益(リターン)を得るか。それが、デキる魔法少女ってやつよ!」
自信満々に胸を張るみりあに、まりんはそれ以上何も言えなかった。ただ、親友の瞳が、いつもよりギラギラと、お金の輝きに眩んでいるように見えて、胸騒ぎが止まらなかった。
指定された現場は、街外れの広大な解体工事現場だった。
夕暮れの赤い光が、錆びついた鉄骨や、崩れかけたコンクリートの瓦礫を不気味に照らし出している。
その中央に、それは鎮座していた。
古いブラウン管テレビ、歪んだ自転車のフレーム、エアコンの室外機、無数の空き缶。あらゆるガラクタ(ジャンク)が寄せ集まってできた、巨大な人型のプアーズ。
『ガラクタ・ゴーレム』。
大量生産・大量消費社会の果てに、誰にも顧みられず捨てられたモノたちの怨念が生み出した、悲しき怪物だった。
「キャッシュ・コンバート! アーン・アウト!」
「コネクト・ハート! シェイク・アップ!」
二人の魔法少女が、夕日を背負って顕現する。
マギアリエルは、敵の巨体を見ても一切怯まなかった。彼女の頭の中は、5万円のボーナスを獲得するための完璧なシミュレーションでいっぱいだったからだ。
「まりん、援護は最低限でいい! 私がチマチマ削って、9,999円以内で仕留めてみせる!」
「みりあちゃん、やっぱり危険だよ! 一発、大きな魔法を撃った方が…!」
「ダメ! それじゃボーナスが貰えない!」
聞く耳を持たない親友に、マギラティオは唇を噛む。
マギアリエルは、ゴーレムへと向かって駆け出した。その瞳には、もはやプアーズも、世界の平和も映っていない。ただ、目の前にぶら下がった「50,000円」という金のニンジンだけを見つめていた。
「まずは100円から!」
マギアリエルは、最もコストの低い『スモール・コイン・ショット』を連射する。
パチンコ玉ほどの光弾が、ガラクタ・ゴーレムの巨体に次々と着弾するが、カツン、キン、と虚しい金属音を立てるばかりで、ほとんどダメージを与えられていない。せいぜい、表面の錆が少しだけ剥がれ落ちる程度だ。
(硬い…! けど、問題ない。塵も積もれば山となる、だもんね!)
マギアリエルは焦らない。ひたすら距離を取り、100円と500円の魔法だけで、じわじわとゴーレムの耐久値を削っていく。それは、RPGで格上のボスを相手に、最弱の魔法だけで延々と戦い続けるような、あまりにも無謀で、気の遠くなる作業だった。
戦闘は、泥沼の様相を呈し始めた。
決定打を欠く戦法に、ガラクタ・ゴーレムが次第に苛立ちを募らせていく。
ゴオオオオオッ!
雄叫びと共に、ゴーレムは自らの腕の部品である鉄パイプを、槍のように投げつけてきた。
「危ない!」
マギラティオが咄嗟に『コネクト・シールド』を展開し、それを弾く。しかし、その防御にも、きっちり1,500円のコストが発生していた。
「まりん! だから援護は最低限でって言ったでしょ! コストの無駄遣い!」
「でも、今のは本当に危なかったよ!」
「大丈夫、全部計算の内だってば!」
二人の間に、不協和音が響く。その連携の乱れが、最悪の事態を招いた。
苛立ちの頂点に達したゴーレムが、その巨体を大きく震わせる。すると、身体を構成していた無数の空き缶やガラス瓶が、榴散弾のように四方八方へと撃ち放たれたのだ。
それは、工事現場のフェンスを軽々と突き破り、隣接する公園へと降り注いだ。
夕暮れの公園では、数人の子供たちが、母親たちに見守られながら砂場で遊んでいた。
悲鳴が上がる。鋭利な金属片の雨が、無防備な親子に襲いかかろうとしていた。
「「――っ!!」」
その光景に、マギアリエルの血の気が引いた。
ボーナス、コスト、効率。頭を支配していた計算式が、一瞬にして吹き飛ぶ。
しかし、彼女の身体は、恐怖で動かなかった。
その、マギアリエルよりも早く動いた者がいた。マギラティオだった。
彼女は、コストのことなど一切考えなかった。ただ、目の前の人々を守りたい、その一心で、自分の持てる最大出力の防御魔法を展開する。
「コネクト・シールド・マキシマム!!」
桜色の光が、巨大なドームとなって公園を覆い、降り注ぐ瓦礫の雨を全て受け止める。
だが、無理な体勢で最大防御魔法を放ったため、彼女自身の防御は、がら空きだった。
本流から逸れた、たった一本の、錆びついた鉄筋。それが、マギラティオの左腕に深々と突き刺さった。
「――ぁ」
マギラティオの小さな悲鳴。
彼女の純白のシルクオーガンジーの衣装に、鮮やかな紅(あか)が、じわりと滲んでいく。
その光景が、マギアリエルの心のタガを、粉々に破壊した。
「ま……り……ん……?」
親友が、傷つけられた。自分のせいで。
お金なんかのために、一番大切な友達が。
「あ……あ……あああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
絶叫。
それは、もはや魔法少女のものではなかった。ただの羽川みりあの、魂の叫びだった。
彼女の財布から、金色の光が、これまでにないほど激しく溢れ出す。
「よくも……よくも、まりんを……ッ!」
憎悪と後悔と自己嫌悪が、莫大な魔力へと変換されていく。
「私の……今月分のバイト代……ぜんぶ、持っていけぇぇぇぇぇぇっ!!」
マギアリエルが掲げた杖の先端に、光り輝く札束でできた、巨大な剣が形成されていく。
中級魔法ではない。彼女が初めて感情のままに放つ、高コストの必殺魔法。
「エンゲージメント・ブレードッ!!」
黄金の斬撃が、ガラクタ・ゴーレムを、その怨念ごと、一刀両断にした。
戦いが終わり、静寂が戻る。
みりあは変身を解くと、腕から血を流して倒れているまりんに駆け寄った。
「まりん! まりん、しっかりして!」
「みりあ、ちゃん…よかった…みんな、無事で…」
微笑む親友の顔を見て、みりあの目から、涙が止めどなく溢れた。
ピロリン♪
無慈悲な通知音が、静寂を切り裂く。
震える手でスマホを開くと、そこには、ミスター・リッチからの冷徹な評価が記されていた。
【プアーズ『ガラクタ・ゴーレム』討伐任務報告書】
基本報酬: +30,000円
過剰コストペナルティ: -10,000円
総消費コスト
マギアリエル: -102,500円
マギラティオ: -47,500円
合計: -150,000円
そして、一番下。みりあが、今、最も見たくなかった現実。
収支合計: -130,000円
「あ…あぅ……あぅあぅぁ〜……」
過去最悪の大赤字。
傷ついた親友を腕に抱き、みりあはただ、子供のように泣きじゃくることしかできなかった。
節約が生んだ、あまりにも高くついた代償だった。
その、絶望に満ちた二人の頭上から、場違いなほどに陽気な声が降ってきた。
「ほにゅっ! 大変なことになってるにゅ!」
ハッと顔を上げると、夕暮れの空から、何かピンク色の丸いものが、たんぽぽの綿毛のようにふわふわと舞い降りてくるところだった。
それは、バレーボールほどの大きさで、うさぎのような長い耳を持つ、全身が淡いピンク色の毛で覆われた不思議な生き物だった。つぶらな黒い瞳で、二人の惨状を興味深そうに見つめている。
その生き物は、みりあの膝の上にぽすん、と着地すると、小さな前足(のようなもの)でポンと胸を叩いた。
「自己紹介が遅れたにゅ! ボクはセルヴス・マギクス! 通称マギたん! ミスター・リッチ様より、君たちの経営再建をサポートするために派遣された、経営サポート妖精だにゅ!」
「けいえい…さいけん…?」
涙で濡れた目で、みりあは呆然とオウム返しする。
「そうにゅ! 今回の赤字は、クライアント様も想定外だったみたいで、『早急なテコ入れが必要』と判断されたのにゅ」
マギたんは、深刻な内容とは裏腹に、どこか楽しそうな口調で続ける。
「このままじゃ二人とも自己破産まっしぐらだにゅ。でも、ボクに良い考えがあるにゅ! もっと効率よく、ガッポガッポ稼ぐ方法が…!」
キラリ、と。
マギたんのつぶらな瞳が、一瞬だけ、いやらしく光ったように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
こうして、羽川みりあと雪代まりんの赤字経営は、謎の生物マギたんをコンサルタントに迎えることで、さらに混沌とした局面へと突入していくのだった。