魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜 作:ろくさん
あれから一週間。
羽川家には、気まずい沈黙と、湿布の匂いが充満していた。
まりんの腕の傷は、幸いにも数日で塞がった。しかし、みりあの心に深く刻まれた罪悪感という傷は、膿(う)むばかりだった。
「…ごめん、まりん」
「ううん、もう気にしてないよ」
食卓で、学校の廊下で、帰り道で。みりあが蚊の鳴くような声で謝罪し、まりんが無理に作った笑顔で応える。そんなやり取りが、日に何度も繰り返された。二人の間には、これまでなかった薄いガラスのような壁ができてしまっていた。
そして、その微妙な空気を一切読まず、羽川家のリビングを我が物顔で占領しているのが、新入りの同居人だった。
「ほにゅ〜! このポテチ、うすしお味で最高だにゅ! みりあ、おかわり!」
「…うちには、そんな余裕ありません」
「ケチケチするなだにゅ! 経営者は、どーんと構えなきゃダメだにゅ!」
テレビの前で寝そべり、ポテトチップスの袋を抱えているピンク色の毛玉――経営サポート妖精、マギたん。彼はあの日以来、当然のようにみりあの部屋に住み着き、食費や光熱費などお構いなしに、自堕落な生活を謳歌していた。
その姿は、まるで実家暮らしの無職の兄のようで、みりあのストレスゲージを日々着実に上昇させていた。
「そもそも、あんたが来てから一週間、何のサポートもしてないじゃない! プアーズも出てこないし!」
「焦りは禁物だにゅ。市場(マーケット)が動くまで待つのも、優秀な投資家の資質だにゅよ」
そう言って、マギたんはリモコンを器用に操作し、ワイドショーにチャンネルを合わせた。
『――続いてのニュースです。本日未明、サマージャンボ宝くじの一等7億円の当たりくじが、都内の宝くじ売り場から出たことが分かりました。当選者はいまだ名乗り出ておらず、億万長者の誕生に、街は沸いています』
「ななおくえん…」
みりあの口から、魂が抜けたような声が漏れた。
(ななおくえん…あれば、お父さんの手術代も、家のローンも、まりんに負わせた借金も、全部…)
虚な目でテレビを見つめるみりあの隣で、マギたんの耳がピクリと動いた。
その日の放課後。
みりあとまりんは、重い足取りでパトロールに出ていた。まりんが「気分転換になるかも」と誘ってくれたのだが、会話は途切れがちだった。
「…あのさ、みりあちゃん」
「な、なに?」
「この前のこと、本当に気にしてないからね。私が勝手にやったことだし。だから…」
だから、そんな顔しないで。
まりんがそう言いかけた、その時だった。
二人のスマホが、けたたましい警告音を鳴らす。ミスター・リッチからのプアーズ出現通知だ。
指定された場所は、駅前の宝くじ売り場の裏手にある、薄暗い路地裏だった。
そこには、一人の男性がぐったりと座り込んでいる。手には、大量のハズレくじ。その傍らで、アスファルトの染みから、どろりとした欲望の塊が湧き出ていた。
「一攫千金…億万長者…俺の夢…」
男のうわ言に呼応するように、プアーズはその姿を形成していく。
それは、巨大な豚の貯金箱だった。
陶器のようにテカテカと光るピンク色の身体。背中にはコインの投入口があり、足は福引のガラポンでできている。そして、その全身には、無数のハズレくじが鱗のようにびっしりと張り付いていた。
プアーズ『ドリーム・ピッグ』。
「楽して大金持ちになりたい」という、人間の根源的で、あまりにも無邪気な欲望が生み出した怪物だった。
「まりん、行くよ」
「…うん!」
みりあは、恐怖を振り払うように叫んだ。
「キャッシュ・コンバート! アーン・アウト!」
「コネクト・ハート! シェイク・アップ!」
二人の魔法少女が、欲望渦巻く路地裏に舞い降りる。
しかし、今回の敵は、これまでとは明らかに様子が違った。
ドリーム・ピッグは、ギョロリとした目で二人を見るなり、その鼻をくんくんと動かし始めたのだ。まるで、何かを探すかのように。
そして、その目は、一点に釘付けになった。
マギアリエルの腰に提げられた、がま口財布。
マギラティオのドレスのポケットに仕舞われた、小さなポーチ。
ブヒィィィィッ!
甲高い鳴き声と共に、ドリーム・ピッグが猛然と二人に向かって突進してきた。その狙いは、魔法少女本人ではない。
彼女たちの――『財布』、ただ一点だった。
「きゃっ!?」
「な、なにこいつ!?」
ドリーム・ピッグの狙いが自分たちの財布だと気づき、二人は反射的に距離を取る。
プアーズは、ギョロリとした目で二人を値踏みするように見つめると、今度はその大きな鼻から、掃除機のように息を吸い込み始めた。
ゴオオオオオッ!
凄まじい吸引力。路地裏のゴミや小石が、猛烈な勢いでプアーズの鼻へと吸い込まれていく。
そして、その引力は、マギアリエルの財布からも容赦なく小銭を奪い取った。
チャリン、チャリン、チャリン!
「ああっ! 私のなけなしのお金がぁっ!」
がま口の口金が緩んでいたのか、数枚の100円玉と10円玉が吸い寄せられ、あっという間にプアーズの腹の中へと消えていく。
「くっ…このブタ野郎!」
マギアリエルは、財布を固く押さえながら、牽制のために『スモール・コイン・ショット』を放つ。
しかし、光弾はドリーム・ピッグのテカテカした陶器の身体に当たると、カキン、と音を立てて弾かれてしまった。物理攻撃がほとんど効かないのだ。
「みりあちゃん、こいつ、お金そのものに反応してるんだ! 私たちの魔力の源を直接狙ってるんだよ!」
「わかってる! でも、どうすれば…!」
焦る二人に、プアーズはさらなる追い打ちをかける。
今度は、背中のコイン投入口から、スロットマシンのように目まぐるしく回転する絵柄を覗かせた。そして、三つの絵柄が『777』で揃った瞬間――!
ピュンッ!
ガラポンでできた足から、目にも留まらぬ速さで小さな金の玉が射出された。
それは正確に、マギラティオが防御のために構えた杖『スタッフ・オブ・チアーズ』を弾き飛ばし、その隙を突いて彼女のドレスのポケットにしまわれたポーチをかすめ取っていった。
「あっ、私のポーチが!」
ポーチは放物線を描いて飛び、ドリーム・ピッグの口の中へと吸い込まれる。
中には、なけなしのバイト代と、まりんが大切にしている商店街のスタンプカードが入っていた。
「返してっ!」
マギラティオは、敵の懐に飛び込み、ポーチを取り返そうとする。しかし、ドリーム・ピッグのぬるりとした身体に阻まれ、逆にその短い手で突き飛ばされてしまった。
その光景に、みりあの脳裏に、あの日の悪夢が蘇る。
まりんが、自分のせいで傷ついた、あの光景が。
(また…また私のせいで、まりんが…!)
震える身体に、叱咤する。
(しっかりしろ、羽川みりあ! あんたは経営者でしょ! 損失は、ここで取り返す!)
マギアリエルは、深呼吸を一つすると、杖を強く握りしめた。
「まりん! こいつの気を引いて! 一点に集中させる!」
「え…? うん、わかった!」
マギラティオは、弾き飛ばされた杖を拾い上げると、プアーズの注意を引くために、キラキラと輝く光の魔法を周囲に乱舞させる。その派手な光に、ドリーム・ピッグの意識が完全に引きつけられた。
その隙に、マギアリエルは全神経を集中させる。
(こいつの弱点は、欲望の塊である腹の中…! でも、硬い装甲を貫くには、大金が必要…。でも、お金を使えば赤字になる…!)
葛藤。しかし、もう彼女は、あの日の彼女ではなかった。
(違う…! 今考えるべきは、損失じゃない! 投資よ!)
彼女は、自分の財布から、一枚だけ残っていた一万円札を取り出した。
(これは、まりんの笑顔を取り戻すための、必要経費(とうし)…!)
「ペイオフ・ショット!!」
消費コスト10,000円。
放たれた黄金の光線は、これまでとは比べ物にならないほどの輝きと密度を宿していた。
それは、硬い陶器の装甲をいとも容易く貫き、ドリーム・ピッグの腹の中で輝きを放つ。
ブヒィィィィィィィッ!!
断末魔の叫びと共に、プアーズの身体が内側から崩壊していく。その身体からは、吸い込んだ小銭や、まりんのポーチが、キラキラと輝きながらこぼれ落ちた。
戦いが終わり、二人は息を切らしながら、路地裏に座り込んだ。
まりんのポーチは、無事に戻ってきた。
しかし、みりあのスマホに届いた通知は、またしても彼女を現実に引き戻した。
【プアーズ『ドリーム・ピッグ』討伐任務報告書】
基本報酬: +25,000円
器物損壊ペナルティ: -3,000円
総消費コスト: -21,500円
収支合計: +500円
「ごひゃくえん…」
命がけで戦って、得られた利益は、たったのワンコイン。
「でも、黒字だよ! よかったね、みりあちゃん!」
まりんが、心から嬉しそうに笑う。その笑顔に、みりあは頷きながらも、心の奥底で、どす黒い感情が渦巻くのを感じていた。
(ダメだ…このままじゃ。いつまで経っても、ラットレースから抜け出せない)
家に帰ると、マギたんが相変わらずポテチを頬張りながら、二人に声をかけた。
「おつかれだにゅ。収支はトントンだったみたいだにゅね」
「…うるさい」
「もっと効率よく、ドカンと稼ぐ方法があるにゅ?」
マギたんが、まるで悪魔のように囁く。
その言葉に、みりあは、はっと顔を上げた。
「…あるの? そんな方法が」
「あるともだにゅ」
マギたんは、ニヤリと笑うと、テレビの画面を指さした。
そこには、派手なテロップと共に、歌い踊るアイドルの姿が映し出されていた。
「大流行だにゅ!今、この世界で一番、短時間で、効率よくお金を集める方法…それは――」
「――『配信』だにゅ!」