魔法少女マギアリエル 〜魔法少女は個人事業主?〜   作:ろくさん

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第8話 カウンター越しの恋模様

 

金曜日の夜。

ネオンの光がアスファルトの濡れた染みを照らし出す、雑居ビルの二階。控えめな看板に『スナック来夢(ライム)』と書かれたその店は、雪代まりんの家であり、もう一つの戦場でもあった。

 

店内に足を踏み入れると、昭和の歌謡曲の切ないメロディーと、アルコール、そして常連客たちの紫煙が混じり合った、独特の甘い匂いが鼻をくすぐる。

磨き上げられたカウンターの向こう側で、まりんは白いフリルのついたエプロンを身につけ、プロ顔負けの笑顔を振りまいていた。

 

「山下さん、いつもの水割りでいいですか? 今日もお仕事お疲れ様です!」

「あ、ああ…頼むよ、まりんちゃん」

 

カウンターの隅に座るその男性客、山下さんは、くたびれたスーツを着た、少し寂しげな目をした中年男性だ。彼は、仕事帰りにこの店に寄り、亡き妻に瓜二つの響子ママ(まりんの母)の顔を見ることが、一日の唯一の癒しだった。

彼は、カラオケで他の客と楽しそうにデュエットする響子の姿を、眩しそうに、そしてグラスの水滴を指でなぞりながら、少しだけ寂しそうに見つめている。

 

そのカウンターから少し離れた、赤いベルベットが張られたボックス席では、羽川みりあが学校の宿題である数学のドリルを広げていた。しかし、その目は、複雑な方程式ではなく、店内の人間模様を冷静に分析している。

(まりんのコミュニケーション能力、時給換算したら軽く2000円は下らないな…。笑顔と気配りだけで、店の売上に確実に貢献している)

 

そんなみりあの分析を裏付けるように、響子ママがカラオケを終え、山下さんの隣にすっと腰を下ろした。

「山下さん、いつもありがとうね。これ、出張のお土産。よかったら、娘さんと一緒に食べて」

響子ママが差し出したのは、可愛らしい箱に入ったクッキーだった。そのささやかな優しさに、山下さんの顔が、まるで少年のようにぽっと赤くなる。

 

しかし、その幸せな時間は、長くは続かなかった。

「ママ、次デュエットしよ! 俺と!」

別の常連客が、大きな声で響子を誘う。彼女は「もう、仕方ないわねぇ」と困ったように笑いながらも、快くその誘いに応じてしまう。

その光景に、山下さんの表情が、すっと曇った。

 

(ママの優しさは、俺だけに向けられたものじゃない…わかっている。わかっているけど…)

 

彼は、飲み干した水割りのグラスを、ミシリと音がしそうなほど強く握りしめた。そして、カウンターの後ろの棚にずらりと並んだボトルの一本を、じっと見つめる。

そこには、『山下』と書かれた名前のシールが貼られた、彼専用のウイスキーボトルが鎮座していた。

彼の足元で、嫉妬と独占欲が、黒い感情の澱(おり)となって、渦を巻き始めていた。

 

山下さんが、化粧室へと席を立った、その隙に事件は起こる。

棚にあった彼のボトルが、ガタガタとひとりでに震え出したかと思うと、その注ぎ口から、黒く粘り気のある液体がどろりと噴き出したのだ。液体はカウンターの上で蠢きながら集まり、やがて異形の姿を成していく。

 

ウイスキーボトルの体に、影のような無数の腕が生えたプアーズ――『ボトルキープ・ジェラシー』が誕生した。

その腕は、カウンターに並ぶ他の客のボトルを次々と掴み、床に叩きつけて粉々にしようと、大きく振りかぶった。

 

(山下さんの「独占欲」が、プアーズに…!)

異変を察知したみりあとまりんは、誰にも気づかれぬよう、視線を交わした。

 

「ママ、洗い物、私がやっとくよ!」

 

まりんは、何でもないことのようにそう叫ぶと、カウンターの中に入った。そして、プアーズが掴んだボトルに、まるでホコリを払うかのように、そっと触れる。

「サンクス・バースト・ミニ」

感謝の気持ちを力に変える、ごく微弱な浄化魔法。プアーズの影の腕が、聖水に触れたかのように痺れ、掴んでいたボトルをぽろりと落とす。

 

「あら、ごめんねまりん、助かるわ」

カラオケに夢中の響子ママは、何も知らない。

 

一方、ボックス席のみりあは、数学のドリルに視線を落としたまま、スマホの計算アプリを起動していた。しかし、その画面に打ち込んでいるのは数字ではない。店内の微弱な魔力の流れを分析し、プアーズの弱点(コア)の位置を割り出しているのだ。

 

(…間違いない。コアは、ボトルのラベル…『山下』って書かれた、彼の所有権を示すあの場所だ!)

みりあは、カラオケの音量にかき消されないよう、しかし誰にも聞こえない絶妙な声量で、まりんにだけ分析結果を囁いた。

 

プアーズは抵抗を試みる。響子ママが他の客と歌うデュエット曲のサビに合わせて、店内のミラーボールを異常な速さで回転させ、照明を激しく点滅させる。カラオケの音響には、不快なノイズが混じり始めた。

 

(まずい、このままじゃ山下さんがトイレから戻ってきちゃう…!)

その時、まりんが機転を利かせた。

彼女は響子ママの隣に駆け寄ると、そっと耳打ちする。

「ママ、私、山下さんと一緒に歌いたいな! 山下さんの好きな、あの曲、入れてもいい?」

 

トイレから戻ってきた山下さんは、店の雰囲気が少しおかしいことに首を傾げた。そして、イントロが流れ始めたカラオケの曲名を見て、さらに驚く。それは、彼が十八番だと公言している、少し古いラブソングだったからだ。

戸惑う彼に、まりんはマイクをそっと手渡した。

 

「さあ、山下さん! ママに、想いを届けて!」

 

まりんの悪戯っぽい笑顔に背中を押され、山下さんは覚悟を決めて歌い始める。

最初はたどたどしかった歌声が、響子への秘めた想いを乗せて、次第に力強く、そして切なくなっていく。

その、飾り気のない、まっすぐな歌声。それは、嫉妬という負の感情から生まれたプアーズにとって、何よりの毒だった。歌声が響くたびに、プアーズの身体が弱々しく揺らめいていく。

 

好機。

まりんは、カウンターの中でグラスを拭くフリをしながら、一枚の清潔なおしぼりに、浄化の魔力をたっぷりと込めた。そして、弱り切ったプアーズのコア――『山下』のラベルが貼られた場所を、そのおしぼりで、優しく、慈しむように拭き清めた。

 

「いつも、ありがとう」

 

感謝の気持ちを込めたまりんの魔法で、プアーズは抵抗するでもなく、すうっと影を薄くし、最後にはただのウイスキーボトルに戻っていった。

 

山下さんの歌が終わると、店内は、その日一番の温かい拍手に包まれた。

響子ママは、少し照れながらも、心から嬉しそうに「山下さん、とっても素敵だったわ」と微笑む。

 

全てが終わり、山下さんはいつもの水割りを飲む。その味は、いつもより少しだけ、甘く感じられた気がした。

帰り際、「また明日ね、山下さん!」とまりんが笑顔で見送る。

 

常連客がみんな帰った後、静かになった店内で、スマホに届いた通知を見たみりあの目が、大きく見開かれた。

 

【プアーズ『ボトルキープ・ジェラシー』討伐任務報告書】

 

基本報酬: +30,000円

 

特別ボーナス(人心掌握・穏便解決): +20,000円

 

魔法消費コスト: -4,500円

 

収支合計: +45,500円

 

「よんまんごせん…ごひゃくえん…!」

震える声で呟くみりあ。特に、『人心掌握・穏便解決』という、これまで見たこともないボーナス項目に、彼女は釘付けになった。

「すごいよみりあちゃん! やったね!」

まりんが、カウンターを磨く手を止めて、嬉しそうに駆け寄ってくる。

 

「穏便解決…人心掌握…。あんたのやり方、コストが低いだけじゃなくて、ボーナス評価もすごく高いんだ…」

みりあは、どこか呆然としながら、親友の顔を見つめた。自分の知らない「稼ぎ方」が、確かにここにはあったのだ。

 

「あらあら、二人ともお疲れ様。随分楽しそうじゃない」

店の奥から、片付けを終えた響子ママが顔を出す。

「ママ、あのね!」

「はいはい、分かってるわよ。今日もお手伝い、頑張ってくれたもんね。ご褒美に、ママ特製のスペシャルドリンク、作ってあげましょう!」

 

響子ママはそう言うと、カウンターの中でシェイカーを振り始めた。

しばらくして、二人の前に、綺麗なカットグラスが二つ置かれる。

中身は、ジンジャーエールをベースに、ライムとミントを飾り、グラスの縁には砂糖があしらわれた、美しいノンアルコールカクテルだった。

 

「わぁ…!綺麗…!」

「お店のメニューにはない、二人だけの特別よ」

 

みりあとまりんは、顔を見合わせ、グラスをそっと持ち上げた。

「…私たちの、本当の意味での初勝利に」

みりあが、少し照れくさそうに言う。

「うん!」

まりんが、満面の笑みで応える。

 

カチン、と。

グラスが触れ合う、涼やかで優しい音が、静かな夜の店内に響いた。

シュワシュワと弾ける炭酸と、ライムの爽やかな香り。その甘酸っぱい味は、今日の勝利を祝福するには、十分すぎるほどの贅沢な味がした。

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