「乗るよ。もう一回だけ」
司令室のモニターに映る碇シンジである。彼の声は乾いた砂みたいに掠れていた。プラグスーツの胸元は血で汚れて左腕は不自然に曲がっている。第四の使徒との初戦からすぐのことだ。あの戦いでシンジは死ねなかった。初号機の胴体を貫いた瞬間にこそ確かに「終わった」と思ったはず。痛みも、恐怖も、父の冷たい視線も、何もかもが消えるはずだった。
「暴走か…余計なことをしてくれる」
初号機が暴走した。紫の巨体が咆哮を上げて使徒の両腕をちぎる。使徒は慌てて無限の盾たるATフィールドを展開した。これが破られたことはない。しかし、ATフィールドを無理やり引き裂いた。そこから一方的な蹂躙が始まる。自分で動かしていなかった。ただ委ねるだけ。
「なんでだよ」
医務室のベッドでシンジは天井を見上げながら呟いた。ゲンドウは一度だけ顔を見せる。親らしいお見舞いかと思ったがなんてことはなかった。ただ組織のトップとして様子を見にきたに過ぎない。その証拠として、無表情で、ただ一言だった。
「お前はまだ必要だ。人類のために」
それだけ。
「必要」
己の息子ではなかった。あくまでも組織のエヴァのパイロットとして求めている。母の代わりでも、家族でもなく、ただの道具なのだ。シンジは笑った。疲労から乾いている。ひび割れた笑い声だった。しかし、ニヒルと虚無が入り混じっている。父親でさえ眉をひそめてしまった。
「わかった。なら、乗るよ」
シンジは首を振る。
「いいんだ。僕が終わらせる。この世の全てを終わらせる」
あの時に何が起こっていたのか。
彼は不慣れなことの連続に戸惑いながらも薄ら笑みを携えた。LCLの注入は驚いたがすぐに慣れている。世の中には不思議なことがたくさんもあった。操作系に関しては勘に任せている。生きて帰るつもりは毛頭なかった。ここで散ることができれば最高である。墓標すら立てたくなかった。
しかし、初号機が許さない。
「まずは歩くだけでもいいから…」
「御免です。僕は僕らしく…死ぬんだ」
エントリープラグが固定を解除されて深部へと向かっていった。初戦のため安全装置を強固にしていたのだが、想像以上の精神力により、半ば強引に引っ張られてしまう。それに伴いパイロットとエヴァの繋がりを示すシンクロの数値も急上昇していった。10%に入れば御の字という中で驚異的な数値をたたき出す。
「シンクロ率は85、いや、92!? 何!? 上限超えてる!」
「まずい! 人から逸脱する!」
「来いよ。僕を殺してくれ」
リツコの声が焦っている。シンジはただ静かに呟いた。モニターを介している。使徒は新手の出現に備えた。化け物らしく動揺は見せない。お互いに出方を探るかと思われたが先手必勝と言わんばかりだった。使徒が片手を上げると光の槍が形成される。ゲームに出てきそうな攻撃方法だった。
「よけて!」
使徒は接近しながら槍を飛ばしてくる。攻撃しながら移動を行う。なんて効率が良いのだ。絶叫が耳をつんざくが本能的に回避を図る。どれだけ本人が望んでいても反射が機能した。光の槍が初号機の肩を抉る。肩が火傷するように鋭い痛みが響いた。ジリジリと焼けている。痛みを覚えたにもかかわらず、自ら体を晒すように前へ行こうと試みたが、追加の槍が形成された。鞭のような光の槍が連続で刺さる。初号機の装甲が裂けて赤い血が噴き出した。痛みはLCLに溶ける。シンジの唇が薄く笑った。
「これでいい…これで…終わるはずだ」
とてつもない激痛である。槍が完全に胴体を貫いたときに勢いを損なわずにビルへ突き刺さった。ビルの被害はどうでもよい。槍が抜かれると鮮血が噴水のように出てきた。シンジ本人も吐血を強いられる。意識は急速に薄れていく。オペレーターが「意識混濁!」や「脳波パルス低下!」など叫んでいた。
(死ねる…さようなら)
ゴゴゴゴ!
初号機の目が赤く輝いた。それは暴走という動きである。いいや、どうも、性質が異なった。明確な拒絶の意志を示す。使徒の光の槍を初号機が素手で掴んだ。掌の焼け焦げる音がコックピットに響く。シンジの声が初めて割れる。初号機と自らにアンマッチが生じていた。
「やめろよ! 僕を殺させてくれよぉ!」
初号機は使徒を振り回して地面に叩きつける。N2爆弾のクレーターに突っ込んだ。使徒のコアをプログレッシブナイフで抉る。使徒は形象崩壊を起こして赤い血の海が広がる。天使の輪が砕け散ると十字架が形成された。使徒なりの死に方である。それど同時に司令所に戦闘終了のサイレンが鳴った。他方のシンジはコックピットで膝を抱えて震える。出血により体温が急速に低下したが生命維持システムが働いた。
「また、生きてる…」
ゲンドウは無表情にただ一言だった。息子が懸命に戦ったことはどうでもよさそう。彼の目の前で起こったことを認識するだけだ。確かに組織のトップに立つ者としては間違っていない。公私混同はいけないことだ。とはいえ、親子の繋がりからよろしくない。なんと難しいことだ。
「予定通りだ」
ミサトはモニターを叩いて叫ぶ。
「シンジ君! よくやった! 戻ってきて!」
シンジは応答しない。ただ、静かに呟いた。
「次は、もっと確実に」
初号機の目がゆっくり閉じる。
「まだ、お前を生かす」
囁いているようだった。
扉が開かれた。ミサトが駆け寄ってくる。一番最初に見舞いに来ないかと怒る気持ちはなかった。彼女なりに大変で多忙であることは理解している。そういえば体裁が良かった。本音は疲労と絶望から怒る気にもなれない。彼女の駆け寄る足取りから表情を見るまでもなかった。
「シンジ君! 無事でよかった! 怖かったよね? 痛かったよね?」
シンジはベッドに座ったまま視線を床に落とす。車内の態度と打って変わってだ。優しく接して懐柔しようとしているのか。これだから大人は好きになれなかった。大人は子供を利用する。それ以上でもそれ以下でもない。
「業務は完了しました。次の指示をください」
ミサトの笑顔が凍りついた。人の好意でさえ無碍にするのか。そんな言葉が喉まで来ていたが懸命に抑え込んだ。よく考えてみれば自分も同じかもしれない。自分よりも危険な目に遭わされていた。生意気な態度はせめてもの反抗のように見えてくる。かと言って、秩序を維持するためには仕方のないことも否定できなかった。
パン! パン!
なんと綺麗な往復ビンタである。負傷中の少年に対する仕打ちでなかった。しかし、ビンタした本人は当然と息を漏らす。ビンタを受けた少年はニヒルに笑った。ジンと頬が痛むことが生きていることを実感させてくれる。大人からの制裁は受けるに限った。シンジは誰の目も見ない。心はとっくにもう閉ざされていた。大人たちは「道具」としてしか扱わない。だったら、自分も「道具」として死ぬまで乗るだけだ。
「悪くないですね。もっとやってもいいですよ」
「大人の女をバカにしないでちょうだい。今日はまだよかったけど次は本気で処分を下します」
「はいはい。望むところ」
業務的な連絡を済ませるとスタスタと足音を立てて去っていく。
その背中を見つめることもなかった。
続く