許可を貰って何人もの隠らの背に乗って運ばれてから数日をかけて、目指す里がある地域に二人は到着した。
少年は何度か来たことがある。
だが彼はそのことについての記憶は曖昧だった。
ここはもう目的地の隠れ里に近い。
少年がここに来た理由は無論武器の修理だが、担当だった刀鍛冶が亡くなってしまったので、ちょうど良かったから今度新しく自分の担当になった者の腕前を確認をするためだ。最初彼は、担当だった刀鍛冶が死んだということで代わりに決まった者が自分に合う刀を作れるか正直不安だった。不安、というよりかは信用できるかがわからなかった。今まで自分の刀を作ってくれた人よりも腕が悪く、鈍なんかを寄越されたら幻滅せざるを得ない。
そうなるのが嫌だった。
だが実際に、この里には腕利きの職人達がいる。経験を積んで身に付けた鍛冶屋が陽光を吸収した鋼の力を失うことなく刀に加工する特殊技能。それを外部に漏らさず、加えて数少ないその技術を知る者達の安全のため、地図にも載っていない里。
安全な場所で誰にも知られることなく特殊技術を行使できる。
そういった環境に身を置くことで、外部のものだけでなく敵対する化物らに知られることなく集中して武器を量産できる。
だがそんなことはどうでもいい。
どうせ刀を打つことしかできないんだから。
刀を作れても戦えないし、人の命を救えない。
武器を作ることしか能がない奴らがいくら安全な場所にいたって死んだら終わりだ。
価値がない。
本来ならわざわざ足を運ばなくとも刀なんて届けてくれればいいが、討伐時に鈍な刀で任務に当たった時に命を落としてしまったら、彼は一生その刀鍛冶を恨むだろう。彼にとっては全てが完璧でなければならない。一つでも不完全な部分があることは許さない。
よって自ら出向いてその刀鍛冶の技量を図ることにした。
ただ刀鍛冶の里では今後より多くの鬼殺隊達の刀を作らなければならず、一人で複数人の依頼を引き受けていることが多いらしく、一人で全ての仕事をこなさなければならない中で彼一人に特別な刀を作るとなると時間がかかる。
加えて言うと、これから向かう里にいる鉄穴森鋼蔵というのが柱専用の刀を打つのが初めての人物らしい。
里で柱のための刀を打つとなると、それ相応の技量が必要となる。選ばれた剣士の刀は他の刀よりも、より丈夫でなければ。
歩き続ける内に、周囲の風景が変わってくる。
頭上の晴天は出発地点を出た時と同じだが、目に見えて地面の様子が変わってきた。キメの荒いごつごつとした荒削りな岩山が増え、そして木々が増えていって人が歩くための目印となる道が途切れている。数日前に通りかかった場所は青々とした山々だったことと比べると、この辺りは木々がより多く、道となるものがよくわからない景色が続いていた。どうやらこの辺りの土地は敢えて人が手を加えていないように見せ、誰も住んでいないように見せているらしい。しかし木々が多いということは刀を打つための木炭が大量に取れるということ。だがそこから排出されるガスは植物を枯らせる作用も多少ある。木々が多い中で岩山があって緑が少ないのも、日によっては刀を打つ時に発生したガスがこの辺りに流れてくるからなのかもしれない。
心なし、風の匂いも他とは違っているように感じられた。
出発したばかりの頃は変わる隠達の背に乗っても気にしてないような様子だったが、長旅で疲れてしまって今はもう全てがどうでも良くなってきていた。
わずか一四歳でこれほどの距離を移動するのもやはり大変なことだろう。この時代に適当な乗り物がなかったため、それでいて場所を知られぬようにたとえ柱であっても目隠しをされ、かわりばんこでの陸路での歩き移動となった。隠達が変わって引き継がれてもそれぞれの体力の差はあるのでゆっくりの場合や早く走っていく者もいる。何より道にもよるので、坂道であったら必然的に足に体力を持っていかれる。
最初の頃に比べたら勢いはここ数日鳴りを潜めてしまった。
朝の内はまだしも、夕方になるとどうしても足が鈍る奴が増えてくる。苛ついた彼はもう変わってやろうかとも言ったのだが、当然だが隠は『それは規則違反ですので!!』と言って聞かない。
「着きましたよ」
すると隠は足を止めて振り返る。
先程よりもさらに少し疲れて、それでも黙々と背負わされている少年に声をかけた。
ここまで目隠しをされて連れてこられた少年は気付いていなかったのだろう。というかここまで目の前が暗かったから正確な時間さえよくわからなかった。
隠から声をかけられると、ゆっくりと顔を上げる。
腰に支えられた手が離れ、地に足がついたのを感じたところで目を覆い隠していた布は取られた。
しばらく目に光を入れてなかったことで眩しさに視界が確保されない。
瞬きをして次第に慣れさせると、目の前に大きな建物が立ちはだかっていた。元々は人が住んでなかった影響かそこにあった木を切り取って作られた人工里だ。彼は歩いてきた道のことなどは気にも留めず、そのまま迂回せずに里の入り口へと入っていた。建物と建物の間にはどうにか人が通れる程度の道が作られており、そこから里の向こう側へと抜けられるようになっている。
その道の途中、山肌に寄り添うようにして建てられた小さな屋敷があった。
一見窮屈そうに見えるが、森と山の間という狭さを利用して、奇襲の危険が及びにくい場所に長の家を築いたのだろう。
「では、この先にいる長に挨拶を────」
「もういいよ、ここまでありがとう」
もう用なしとばかりにここまで運んできた隠の言葉など無視し、少年は里の中を進んでいく。
彼は不満だった。
頼りない部下を持つ上司の心境とはこんなものなのだろうかと想像する。
それは、あるいは実際に味わっていたかもしれない心境だ。まだ思い出になりきれていない感触が少年の心の襞を撫で上げる。
だが、この気持ちが思い出として残ることはないだろう。
何せ彼は、忘れやすいのだから。
□■□■□■
昨日まで降っていた雨が綺麗に上がり、その日は朝から快晴だった。
夜明け近くまで降っていたのか地面には水溜まりができており、リンクはそれを避けながら道を歩いていた。
引き締まった体付きをした二十代の青年の体でも、傷跡に汐の入った風は堪える。勇者として普段は防具を纏っている彼も、今日はラフな格好で山の中を歩いていた。後ろに揃えた柔らかそうな金髪が陽の光を浴びて輝く。
意志の強い好奇心旺盛で強い輝きを湛える双眸、自信に満ちた笑みを浮かべる口元、どれもが彼が持つ陽の気配を表現していた。
そして目的地に辿り着いた彼はすぐさま近くの岩場に身を隠す。
陽射しが降り注ぐ尾根を、一頭のシツゲンスイギュウが悠然と歩いていた。
並みのシツゲンスイギュウより一回り以上大きな体躯を持ち、角が異様にでかい。
不格好だったが、その巨躯もあいまってどこか怪物めいて見えた。
実際ダスキーダ山ふもとで暮らす村人たちにとって、この牛は怪物も同然の存在だった。飼い慣らせばとても温厚で良い乳を提供してくれる動物だが、野生のものは白昼でも堂々と人里に姿を現して畑を踏み荒らし、農作物を好き勝手にかじって山の中へ姿を消す。農具でもって追い立てようとした村人は、角で突きかかられて大怪我を負った。
放っておけぬと判断した村長が山歩きに慣れている村の男を集めて挑んでも、数日かけた挙げ句に逃げられた。次に、シツゲンスイギュウの被害に遭った村々から腕利きの狩人が派遣されて山に入った。しかし彼らでもシツゲンスイギュウを仕留めることができなかった。
嗅覚も、脚力も、このシツゲンスイギュウは尋常ではない。
罠を仕掛けてもことごとく見破るわ、人間が近づくことさえできない断崖へ平然と身を躍らせ、岩場を飛び跳ねるという牛らしからぬ動きをする。
そうして悠々と逃げ去るのだ。
付いたあだ名が『ファーマー』。
荒らし、という意味らしい。
「··············」
そのシツゲンスイギュウに、弓矢で狙いを定める。
金髪の下にある表情は精悍で、シツゲンスイギュウを見据える視線は鋭い。
彼が身を潜めている岩場から尾根の上のシツゲンスイギュウまでは、およそ五十メートル。矢を届かせるには遠すぎる距離。まして、下から上へ矢を射なければならないとなると熟練の狩人でも、もっと近づかなければ駄目だと言うだろう。加えて、尾根から岩場へ斜面を滑るように風が吹きつけている。そのおかげで匂いをシツゲンスイギュウに察知されずにすむという利点もあったが、矢が届かなければ意味がない。
だが、リンクは微塵も不安を見せずに落ち着き払っていた。何度もやってきて慣れたことをするように泰然として、弓弦を引き絞る。
吹きおろす風が一瞬だけ止んだ。
あたかもその時が訪れるのがわかっていたような、ごく自然な動作で彼は矢を射放つ。
弧を描いて飛んだ矢は、吸いこまれるようにシツゲンスイギュウの頭に突き刺さった。
シツゲンスイギュウは悲鳴を上げるような真似はしなかった。
一撃で仕留めたシツゲンスイギュウは攻撃されたことに気付く暇もなく、ドシンと重たい音を鳴らして倒れ込んだ。
「身体がデカいだけはある·······けどどうやって持って帰ろう?」
岩場から出た彼は仕留めた死体に近づき、可能だったらシツゲンスイギュウを運ぼうかと考えていたのだが、思った以上の大きさと重さにあっさり諦めた。
用意していた縄をシツゲンスイギュウの脚に結んで引きずっていき、近くの木にぶらさげると手持ちのナイフで素早く解体していく。そして、荒らしていた獲物を無事仕留めた証拠として、この角を持って帰らなければならない。
これがけっこうな荷物になる。
······だが。
毛皮と土産話だけでも、あの少女は喜んでくれるだろう。
今も眠っている少女のことを思い浮かべて、彼は口元を緩める。
「······本当ならお肉でも食べて元気になって欲しいけど、あの子は食えないし」
リンクは空を見上げた。
頭上には雲一つない青空が広がっている。
ここはウオトリー村。
その近くの山、ダスキーダ山。
リンクを救世主として崇め、彼に無償で宿や娯楽を提供する村。そこは以前海賊達の襲撃によって村は半壊し、住んでいた村民は逃げることしかできず、故郷を追われた。
我が物顔で海賊達は村を占領し、好き放題やって村にあった家を解体して海賊船の一部にしたり、と。
とにかく荒れ放題だった。
そこでリンクがたった一人で海賊達を殲滅し、村を取り戻した。
それだけでなく村の復興のために遠くから多くの木材を運んできたり、家に溜まった雨水を抜いたり、重い椰子の木を刺して柱にしたり、この村にとって彼の貢献は凄まじいものだった。
よって彼に恩返しするために村にあるもののほとんどを無償にして出迎えてくれる。
こうして、この村でのんびりするのは久しぶりのことだ。五日前まで討伐で出かけていて、疲れた体をしっかり休ませるのにこんなに適したリゾート地はない。ここしばらく討伐と旅の連続で、休ませる日の方が珍しい状況が続いている。
少女も大怪我したこともあって、どこかで休ませるためにちょうど近くにこの村があることを思い出し、しばらくは休息の地としてここで何日か過ごす予定だ。
そんな少女。
怪我を負って謎の炎に包まれてからというもの、全然目覚めない状況が続いている。こんなに目を覚さないのは初めてだった。少なくとも丸一日眠っていたが、今回は長い。五日も眠るなんて、もしや死んでるのではないのかと不安になったが、ちゃんと息をしているのが確認できたので一先ず安心だった。だとしても全然起きないのはおかしい。どこを探してもそんなに眠る生物はいない。熊の冬眠だって常に眠っているわけではない。
もしやこれが『鬼』という生き物の生態なのだろうか。
リンクはそればかりがずっと引っかかっていた。
討伐後、報告書に新種の魔物の固有名らしきものを聞き出せたということを書き、それをシロツメ新聞社に所属しているリト族に渡して監視砦に届けてもらった。
今後は新種の魔物のことは『鬼』という新たな種族として登録されるだろう。
しかし、その鬼という魔物も元は人間。未だにそれが受け入れられない。
だが、人を喰う以上は野放しにはできない。戻す方法もわからない以上、一思いに殺してやる方がそいつらのためでもある。人間を喰うというだけで、もうそいつは人間としての枠を外れている。
だから、リンクは自責の念に駆られていた。
少女が瘴気に蝕まれ、どうにかして回復させたかったがどうすればいいかわからず、最後の手段として自分の肉を喰わせようとした。今まで人を喰っていなかった少女に、初めて人肉を与えようとしたのだ。幸いにも少女の理性が勝ったことでリンクが喰われることは免れたわけだが、もしそうなってしまった場合は彼女に深い罪悪感を与えるということになっていたかもしれない。必死に今まで人を喰わなかったのに、自分のせいで人の肉を喰ってしまったとなったら今までの努力が水の泡。
台無しどころではない。彼女の全てを否定し、今度こそ少女は人間として生きられなくなる。
軽率だった、と今も思う。
言い訳もしない。
だからリンクは改めて少女の面倒を最後まで見るということを決意する。
それで少女と共に一旦休暇を取るためにこの村を訪れ、そして船を借りて一度別荘があるイチカラ村まで行こうと計画を練っていたわけだが、
「まさか猛獣退治を頼まれるとは··················」
どこへ行っても依頼を頼まれるリンクはこう思った。
············私はいつ休めるんでしょうね? と。
そうしてシツゲンスイギュウの解体を済ませた時には大分日は沈んでいた。角が大きかったため切り離すのに時間がかかったというのもあるが、やはり鬼という魔物が出てからというもの夜になる時間が早くなっている気がする。魔王の瘴気が世界中に広がっているのか、早く倒さねば世界は闇に染まり、ずっと夜なんてことになるかもしれない。
地面に穴を掘り、残ったシツゲンスイギュウの死体を埋める。剥ぎ取った毛皮の内側にはまだ肉や脂がこびりついているので丸めて藁紐で縛り、背負い袋にくくりつけた。
リンクは何気なく空を見上げ、山を降りていく。
急速に暗さを増していく空を背に、無数の星々が多彩な輝きを放っていた。
□■□■□■
「んぅ」
船型の家で眠っていた少女の意識が宿る。
目を擦って床に敷かれた布団から起き上がると、辺りを見渡す。
ここはどこだろう? という感想を抱く前に、あの青年がどこにもいないことに気付く。
立ち上がって家中探しても見つからず、ついには最悪な妄想までしてしまう。
まさか────捨てられた?
「ム···········ムゥゥゥゥウウウウウウウッッッ!!!!!!!」
大号泣。
まるで母性に飢えた子供が一人ぼっちになってしまった時のような心情に、氷が溶けたかのようにその顔が涙でいっぱいになる。
その泣き声は海から吹く汐風に乗って周囲に響き渡った。
□■□■□■
日が西に完全に沈んだ頃、リンクは村まで帰り着いた。
村の入り口の門をくぐったところで、
「救世主様〜!!」
聞き慣れた声がリンクの名を呼んだ。その声に反応し見ると、褐色肌の女性ががこちらに向かって駆けてくるところだった。
何やら焦ったような表情を浮かべている。
「? どうかし────」
「救世主様のお連れ様が目を覚ましただわいさ〜!!」
その一声に、リンクは目を見開いた。
すぐさま目の色を変え、剥ぎ取った角を落とすと構わず駆け出していく。リンクが寝泊まりしている家まで走って行くと、小さな女の子の鳴き声が聞こえてきた。
家にたどり着き、彼は体当たりするようにして上がり込んだ。
そこには。
「ムゥゥゥゥウウウウウウウッッッ!!!!!!!」
「ほ、ほら!! 落ち着きなさい!? もうすぐ帰ってくるから────って、あ!!」
大泣きしている少女をあやしているオネエがいた。
大工の服装に青髭生やした、所謂オカマ。
慣れないながらも泣いている少女の相手をしてくれていたようだが、その面を見るたびに泣き声のボリュームが上がっている。
流石のおっさ────いや、オネエさんもこれには困惑。
どうすればと悩んでいると、入り口にいるリンクを見つけ、
「ああ! ほら!! 戻ってきたわよ!!」
「ム·············ムゥ?」
少女はそう言われ入り口にいる青年の姿を捉える。
「よ、よかった·······起きたん───」
「ムゥゥゥゥウウウウウウウッッッ!!!!!!!」
「ブグゥッ!?」
言い終わる前にリンクは少女に蹴落とされて馬乗りされて、頭にしがみつかれて後ろに倒された。
半分涙目の怒り顔で頭を強く抱きしめてくる少女は、冗談抜きで硬いカボチャでも握り潰せそうなほどの力で絞めつけてくる。
これを悪意なくやってるから余計に痛い。
「いだだだだだだだだッ!? つ、潰れる!! 潰れるってッ!!!??」
「ムゥゥゥゥウウウウウウウッ!!!」
猛獣少女の馬乗り状態から一刻も早く抜け出したいリンクだが、重心をピンポイントで押さえつけられて脱出できない。
リンクが助けを求めるように付け替えてもらった右腕を振っても、大工のおじさんは涙目になって『よかったわねぇ』と慈愛に満ちたような目で見てくるだけだし、呼びにきたお姉さんも鼻を啜っていた。
馬乗りになったまま死にかけるリンクも別の意味で涙を流す。
ああ、よかった、本当に、目が覚め、て。
これ、で、安心、して·······死ぬ。
チーン、と。
リンクは馬乗りされたまま、右腕を脱力させた。
口から半透明な何かが出てきて、リンクの意識はどこか別次元へと飛ばされる。
それでもなお少女が手放さないのは、それだけ今日も平和に過ごせたという証だった。